The Art of Benching(アート・オブ・ベンチング)シリーズ シャウド1

The Art of Benching(アート・オブ・ベンチング)シリーズ シャウド1

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アート・オブ・ベンチングシリーズ
シャウド 1 – ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマン
のチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈
2021年10月2日
http://www.crimsoncircle.com/

私は私である全て、何人にも侵され得ない存在、アダマスです。

「おー、やべえ! これはやべえぞ!」サートが発した言葉です。音楽とともに一緒にここへやって来て、この新しいシリーズ「アート・オブ・ベンチング」のエネルギーを感じて、彼はそう言いました。「これはやべえぞ!」

サートがここに来ています。FMも来ています。私たちが公園のベンチに到達する前に、向こうへ行った多くのシャーンブラたちがここに来ています。ところでイーサのリンダさん。ベンチに腰掛けてる様がとっても素敵だね。とても素敵だよ。

リンダ:それはどうも。

アダマス:ティモシーがいます。DocCEにエディス、ここから旅立った多くのシャーンブラたちがここにいます。彼らは向こう側にいます。本当のアセンデッドマスターである人もいれば、この生涯で今のみなさん、シャーンブラが今やっていることを改めて続けるために別の生涯に戻ることを選択している人もいます。そういった人たちは、完全なリアライゼーションに至る準備がまだ整っていませんでした。実際のところ、リアライゼーションしない、という選択をしたということですね。彼らは再び戻ってくることを選びました。が、それでも私は、彼らをこの新しいシリーズ、アート・オブ・ベンチングの最初の日に、連れてきました。

彼らはとても興奮しています。私も興奮しています。何故なら、私たちは、この惑星における完全に正しい時代に、一切の紛れなく、正しい人たちと、いるべき場所に寸分の違いなくいるからです。私たちはここにいます。私たちはやったのです。到着したのです。列車は時刻通りにプラットフォームに入りました ―早過ぎることもなく、遅れることもなく― 正規の乗客、みなさんだけを乗せてこの場所に到着しました。

私たちは何年も何年もディスカッションをしてきました。課題について、過去生について、抱えてきた問題について、世界について話してきました。物理、エネルギー、意識についても話してきて、加えて、たくさん手放し、たくさん許し、受け入れて、委ねてきました。手放し、そのことを受け入れるというのは、結構、難しかったですよね。何かを手放したと思っても、時にそれらはすぐに戻ってくることは分かっていますね。それでも手放したことを受け入れて、そのことに委ねることを続けることで、それは結局消えました。そうして古い課題や問題、凝り固まったエネルギーは、ただどこかへ行き、そしてエネルギーとしてナチュラルな状態で返ってくるのです。それはもう過去あった形でも、困難で大変な形態でもありません。もう凝り固まったりはしておらず、あなたに仕える用意のあるエネルギーとして、今のここにあるのです。

今、私たちは、惑星におけるとても重大な時、シャーンブラにとっては美しい時、アート・オブ・ベンチングの時にいるのです。ここへ至るにはそこそこ時間がかかりました。が、いずれにせよ、私たちはここにいます。今、そのことがリアルに展開されています。そうですね、私はそのことを仕事とは呼びたくありません。真のマッションですね、それが始まったのです。アート・オブ・ベンチングです。そして、実際、ええ、スタッフは私に美しいベンチを用意してくれました。私とともに座ってくれる美しいホステスまでいます。

リンダ:褒めてくれて感謝するわ。

アダマス:全てがここにあるのです。ベンチもあります。私たちはこの美しい場所であるコナのヴィラ・アミヨーにいるのです。今の私に欠けているのはコーヒーだけです。

リンダ:あら!

アダマス:みなさんには私の傍らにハワイっぽいマグカップが見えているかもしれませんが、これはカウルドゥラが飲んでいる奇妙な混合飲料の類です。菌類か何かそのようなものですかね。というわけで、ケリーに、、、

リンダ:ケリーはもうオフよ。

アダマス:ケリー、、、

ケリー:ええ、ワガママさんね、なんとかするわ(アダマス、笑う)。

アダマス:ケリーがコーヒーの調達に向かっています。私は美味しいコーヒーを楽しみます。アセンデッドマスターズクラブにもコーヒーはありますよ、もちろん。ただ、人間のコーヒーのようにストロングで、少々苦味もあって、カフェインがたっぷりで、ガツンとくるようなものはありません。というわけで、ケリーがコーヒーを手に入れに走ってくれています。

リンダ:ええ、まさにそうね。

アダマス:感謝だね。

リンダ:結構な距離を走ることになるわ。

アダマス:結構走るね。隣で手に入るわけじゃないからね。でも、コーヒーがあると無いとじゃかなり違うからね。

リンダ:でしょうね。

アダマス:とにかく、私は、私たちはこのとてもスペシャルな時代の、スペシャルな場所に到着した、そう言っています。これまでに、ここにたどり着いた人はそう多くはありません。このためにいくつもの生涯で取り組みを行ってきて、もう何の取り組みも必要としない、そんなところにやってきたと、そう言えます。ちなみに、みなさんが何かに取り組むと、そのことが自分自身に反撃してくることに気付いていましたか? 取り組む、努力するということには、本当に、何も良いことがありません。何かに取り組んで、苦労をして、苦しんだところで、それは本当に何にもなりません。結局のところ、許すかどうか、それを受け入れ、それに委ねられるかどうか、それだけが問題です。ただ受け入れて、あとはただ委ねてください。

みなさんにはまだ残留物のようなものはあるでしょう。そしてみなさんの中には、もしかすると、その問題に取り組むということ自体がもう依存症になっている、そうすることに病みつきになっている人もいます。が、私は、そういう人に対して、私のジェントルでチャーミングな物言いを駆使してそうしないことを感化します。もしあなたの人生に問題があるのなら ―それが何かは知りません。人間関係でも健康でも豊かさでも自尊心でも何でもです― そこに何か問題があるのなら、その問題をシンプルに飛び超えてください。そのことにフォーカスしないでください。その問題と戦わないでください。それらは、今はもう、自ら退場しようとしているのです。あなたがそれに注意を向け、それを土俵に引っぱり上げるせいで、それらはずっと目に入るところにあるのです。先程、気を使って言ったとおり、問題がそこにあるのは、その問題には、あなたが好む何かがあるのです。今はもう、それ自体を手放す時です。あなたが好む何か、それは病気の中にさえも見出だせます。ええ、一生付き合っていく問題だとあなたが自身の身体に対して思っている何か、病気、不調にも見つかりますが、もうそれ自体と戦わないでください。それらをかまってやろうとしないでください。それらに注意を向けないでください。単純に、それらは過去にあった何かの燃えカスだと認識してください。それらはもう自ら去ろうとしているのです。それがどう去っていくか、どんなふうに出ていくかについても、考えないでください。

それらは自ら消えようとしているのです。それは、あなたがここにいるから、ええ、マッションのため、あなたがこの惑星のこの生涯に来たその目的の場所にいるから、そうなのです。目的とは、ただ悟るためだけではありません。つまり、それはそうではあるのですが、それは一種の副産物です。目的とは、このアート・オブ・ベンチング シリーズで私たちがやろうとしていること、それをやることだったのです。私たちはベンチングをします。光を、輝きを、放ちます。

それは実際、今に始まったことではありません。私たちは、そうと名言はしなかったものの、それをやってきました。結構な期間、それをやってきています。Journey on Metatron’s Starboat(メタトロンのスターボートで行く旅)で見たとおり、ずいぶん前からそのことに関して話しています。私たちはメタトロンとともに別領域へと行き、そのどこかしらの領域で自分を失い、自らの闇の中で行き詰まり、ただただ徘徊しているだけの、転生できない存在たちのいるところでも光を放ちました。彼らは自ら望んでそれをしています。そう言えます。私は今後も同じことを言い続けます ―みなさんの中には目をむいて、私に怒りを向ける人もいることは分かっていますが― 仮にあなたが転生できない存在で、別領域で我を失い、幽霊だお化けだと言われるような存在で、無気力にただただ別領域で徘徊を続けていたとしたって、あなたは好んでそうしているのです。そうでなければ、絶対にそんなことはしていません。そのことは、今、生活の中に何か課題を抱えている人にとっては、それがどんな課題であれ、とても重要なポイントです。そのことは、歪んだやり方ではあるものの、あなたに何かしらの喜びを与えているのです ―苦しみでさえ、快楽の一種として成り立ちます― あなたはそれから何かを得ているのです。たった今、それを飛び超えましょう。飛び超えた先こそが、私たちがいたかった場所、公園のベンチなのです。そのベンチに座っていることこそが、あなたがここに来た紛うことなき理由なのです。

さあ、この新しいシリーズの立ち上がりに、そのことを胸に大きく深呼吸をしましょう。アート・オブ・ベンチングです。

アート・オブ・ベンチングを掘り下げていく前にお伝えしておきます ―私たちはシャウドのたびにベンチングの経験をしていくわけですが、それは、多くのことを話したり、みなさんに教えることではありません。私はシャーンブラが月に1回集まって ―もちろん、それはあなたがご自身でやることですが、月に1回はシャーンブラで一緒に集まってほしいと思っています― そうしてこの地球にとって、そしてあなたにとって最も思いやりに溢れたこと、ベンチングをするのです。無論、私たちは話し、ディスカッションをしていくことにはなりますが、シャウドの1つ1つで、ベンチングをしていきます。私たちはメタトロンのスターボートでやったように、私たちの光を外へ向けて放ちます。それは、自身を失った存在たちを助けたり、救おうとして別領域に行くのではありません。ただ単純に、そこにある光になるのです。そしてそこには常に十分な数の、それが少数であっても、多数であっても、そこには常に十分な数の存在がいて、そこには光に対して自らをオープンにしている人たちが十分にいるのです。

彼らにはその光がどこから来ているかは分からないでしょう。その光には一切の課題感も目的も含まれていません。光は何も説明しませんし、彼らに見返りも要求しません。その光で、彼らが何かに気付くであろうだけのことです。そして私たちは目にします。ベンチングの年である今年、私たちは、惑星に訪れる変化を目にしていることでしょう。その変化とは常に楽なものではありませんし、時に非常に困難なものもあるでしょう。が、いずれにせよ、私たちは私たちがベンチングをして、光を放射したその結果としての直接的な変化を、観察していることでしょう。

わあ! 感謝するよ、親愛なるケリー。コーヒーがついにやってきました。

ケリー:どういたしまして、ダーリン。

アダマス:コーヒーを運ぶために君がこの島に居合わせたなんて、すごいと思わないかい?

ケリー:間違いないわ!

アダマス:わあ、もし良かったら ―おー、チョコレートもあるね。カウルドゥラは少しクリームが入っているのを好むんだ。

ケリー:はい、喜んで。

アダマス:メルシー。サンキュー。サンキュー。チョコレートをいただきつつ、話のポイント、アート・オブ・ベンチングのことに戻りましょう。リンダさん、どうぞベンチに ―いや、まだ座らずで。ちょっと板書をお願いするよ。さあ、準備を頼むよ。私はいつでもいいよ。

リンダ:了解。

The Nature of Zero(ゼロの性質)

アダマス:というわけで、実際にベンチングの内容に入る前に、アダマ・スウガク(Adamamatics)について話したいと思います。リンダ、ボードに書いてもらえるかな。大きく書いていいよ。そのページにはそんなにたくさんのものを書かないからね。アダマ・スウガクです。そしてアダマ・スウガクとは何か? と言うと、そうですね、アダマノミックス(Adamanomics)と同じ類です。アダマノミックスは私的解釈の経済学です(ProGnost にて)。そして今回のはアダマス数学です。その下に書いてもらえるかな ―アダマス数学です。

分かりますか、みなさん既にご認識のことと思いますが、いろいろな物事に関して、私には私なりの解釈があります。そしてここでは、数学に関して少し話したいと思っています。複雑な用語は使いません。実際、シンプルな言葉だけですね、いずれにせよ ―ありがとう。それがアダマ・スウガクだ。アダマ・スウガク、アダマス数学だね。そしてリンダ、次のページに行ってもらえるかな。もう少しそこにいて、書いてもらうよ。で、その次のページだね。今日はこれからゼロの性質について話していきます。

リンダ:ゼロの性質?

アダマス:ゼロの性質。

リンダ:ゼロの性質ね。

アダマス:「ヒーロー」ではなく「ゼーロー」だよ。ゼロの性質です ―さあ、来ましたね。コーヒーです。カウルドゥラのためにクリームが入りました。というわけで準備万端です。ケリーさん、ありがとう。感謝するよ。

リンダ:ゼロの性質、と。

アダマス:ゼロの性質。

みなさんのほとんどがゼロには馴染みがあることと思います。分かりますか、ゼロが数学に加えられたのは比較的最近の話です。ここ500年と少しといったところでしょうか。そこまでの期間、人類はゼロ無しでやってきて、そしてようやく、誰かがゼロを見つけたわけです。それって単純に意識の問題であったと思うと、興味深くありませんか? 意識にその準備が出来るまでは、物事は発見されません。たとえそれがあなたの目の前にあってもそうなのです。それはアトランティス人には、太陽や月に気付いていながら、星が見えていなかったのと同じことです。彼らは月、太陽があることは知っていましたが、星は彼らの意識になかったのです。

ゼロも同じ話です。同じことです。それは、そうですね、実際800年ほど前になって、意識の中に現れました。それは大きく偉大な説となり、また多くの議論を呼びました。多くの人は「ゼロなど存在しない。始まりというものは存在しなければならない」そう主張しました。また「ゼロとは実際、数字ではない」そう言う人もいました。ゼロは実際、数字ではありません。本当に数字ではありません。それはゼロ地点です。それが始まりの地点なのです。

ゼロについて少し感じてみてください。そしてリンダ、「ゼロ」と書いた下に、大きな数字のゼロを描いてもらえるかな。さあ、ゼロについて感じてください。ゼロとは驚くべき非数字です。しかし数学とは切っても切れません。ゼロです。そしてそれが、私たちがアート・オブ・ベンチングで向かうところです ―ゼロへ向かう、ゼロへ返るのです。

もう少し説明をさせてもらうよ。リンダ、板書を頼むよ。

リンダ:了解よ。

アダマス:彼女は一息つこうと思ったようですが。じゃあ、ページの中央に、そうだね、6インチぐらいの高さのゼロを描いてもらえるかな。いい感じのゼロを。そうそう。素晴らしいね。で、そこから右側へ向かって「+1、+2、+3」と数字を右へと伸ばしてもらえるかな、ゼロの東側へ抜けていくように ―「+1、+2、+3、+4」― と、続いていく。で、ゼロの左側、西側だね、に向かっては「−1、−2、−3、−4」と続いていく。それからゼロの北側に向かっては、キャレットが上がっていく、「∧1、∧2、∧3、∧4、∧5、∧6」と上に行く。

リンダ:オーケー

アダマス:そう、そんな感じだね。いいね。素晴らしい。で、次は下だね。キャレットが下がっていく、「∨1、∨2、∨3、∨4、∨5、∨6」とね。これが非常にリアルでシンプルなアダマス数学 ―アダママタマス、、、(アダマス、笑う)。上手く言えませんね。

そしてそこから、リンダ、その仕上げとして、ゼロの中心に点を打ってもらえるかな。点だね。これがゼロ地点です。本質として、リンダが描いた数字の全て、全ての数字が経験、あるいはアスペクト、もしくは現実を表しています。

そして実際のところ、ほとんどの人間は、非常に線的な「左から右へ」の現実を基盤にしています。数学というのは基本的に、ここのこれ(ゼロの右側の数字を示しながら)を基盤にしています。そこではその数字を ―足したり、引いたり、割ったり、好きなように掛け合わせたりして― 組み合わせて経験を創造します。「1」と「3」を合わせて「4」が出来ます。そしてその「4」と「10」を一緒にして「14」にして、それを「7」で割ったりと、やりたいように出来るわけです。いずれにせよ、これは現実というものの性質を象徴的に表したものです。

これを過去生の数々であると言うこともできますよ。ゼロの左側をそうだと見なせばそうですね。過去生が並んでいるわけです。過去の経験、それが本当の意味での彼らです。そして私はリンダにゼロの上と下にも伸びる数字を描いてもらいましたが、それがあるのは、現実、そして数学でさえ、線的に左から右、ないしは、右から左というだけの形は取らないからです。現実はあらゆるところにあるのです。仮にこの例図で正確な場所を知りたいのであれば、その数字はこのボードのあらゆる場所ということになるでしょう。というわけでリンダ、ランダムに好きなように、ボードのどこにでも数字を描いてもらえるかな、、、

リンダ:順序も何もなくかしら?

アダマス:、、、ゼロの中に入らない形で。好きな数字を好きな場所にね。ゼロの中に数字を入れないということ以外に、何の条件もないよ。

リンダ:了解。

アダマス:どこでも好きな場所に。

リンダ:オーケー。

アダマス:この図が基本として表しているのは、全ての数字、全ての数字の組み合わせが経験であり現実であるということです。1つの現実の形に固定されることなく、経験ができるということを表しています。あなたは、夜見ている夢でよくそうするように、あなたは出かけていって、ある経験をします。あなたは経験に出かけていくだけです。私たちが今経験している、この人間の非常に線的な現実のように、1つの現実に固定されてはいないのです。

そして究極的には、全てはゼロに返ります。中心に戻るのです。これが意識のシンボル、⦿のように見えるのは不思議ですね。あなたはそこへ行って、全ての経験、数字の組み合わせを行うことが出来るのです。そのほとんどで人間は、先ほど言ったように、この領域(左から右へ進む)に留まります。リンダ、そこに下線を、右の端へ向けて矢印を付けてもらえるかな。ほとんどの人間は、人生を非常に線的なものと見ています。そして彼らは同じこの線的な線の上に転生します。そこで彼らは様々に違った方法で数字の組み合わせを行います。もう1度言いますが、それら数字は経験、ないしはアスペクト、生涯を表しています。彼らは数字を組み合わせますが、そこから出てくる数というのは、数十億、数兆、あるいはもっと大きな数にも及びます。その組み合わさり方は非常に非常に極めて極めて複雑です。それらはいかようにでも異なったやり方で割ったり、計算したり出来るのです。それは人生において、あなたはエネルギーを選んでいる、と言っているのと同じです ―ここにある図で言うなら、数を選んでいると― あなたはエネルギーを選び、それを組み合わせて、また合体させたりして、経験の数々を創造しているのです。そしてその全ての基盤となっているのがゼロなのです。実際には数字ではないそれなのです。ゼロとはスタート地点です。

人間が普通しないこと、おっとゴメンよ、ベルを避けて歩かなければなりません。彼女はこの場所を安全だと感じていて、とてもとても快適に過ごしています(リンダ、笑う)。人間がしないこと、それはここいらの別領域での経験です。人々はこの階層に留まります。そこは非常に快適です。安全です。人々はこの物理的な領域に慣れています。が、上にも下にも行けるのです。その気になれば ―そうですね、そういう選択をするのなら、これが、たった今経験されているあなたの過去生であってもいいのです。が、選ぶ人はいませんね。ここにフォーカスしているからです。しかし、特定の現実に縛られることなく、ここそこに散らばった経験をすることも可能なのです。そして、今話していることのポイントですが、それでも結局は、全てはゼロに返る、ということです。

ゼロというのは実際はゼロではありません。それは単なる出発点です。ゼロは他の数字に組み合わせることができません。ゼロは他の数字で割ることができません。それはある意味で、標識、基準点のようなものです。それが経験のスタート地点なのです。

今日のシャウドに私がこの話を持ってきた理由、そしてこれが何故重要なのかと言うと、それこそが私たちがやっていることだからです。私たちはゼロへと戻っているのです。それは、もう1度最初からやろうとしている、という意味ではありません。みなさんはある意味で、このボード上に示された全ての経験をやり終えています。みなさんはそういった全ての経験を終えたので、ゼロに帰っているということです。

ゼロは、どのような数によっても満たせません。しかし今のゼロには、途轍もない量の叡智があります。ゼロ、出発点に戻っているあなたには、別の新しい経験というものをする必要がないことが分かっています。人間の線的な「+1、+2、+3、+4」に戻る必要はないのです。あなたは何でも望む経験を選べますし、それをしたいように経験することが可能なのです。望むのなら、それを様々に異なった領域ですることもできるのです。

Back to Zero Point(ゼロ地点に返る)

ゼロを感じてみてください。ゼロは数字ではありません。他の数字と組み合わせることはできませんし、それは人間がゼロ地点と呼ぶように、常に常に出発点です。私たちはそこにいます。

あなたはこの生涯で、こういった全ての経験をやりました。あなたは数々の、数々の生涯をかけて、この線的な範囲内にある経験を走り抜けました。そうして今、ゼロ地点に戻ってきたのです。それってどういう意味でしょうか?

それはあなたが、自身の非常に非常に深いところまで行ったということです。あなたは、本当のあなたの核を探求し尽くしたということです。あなたはこの生涯で、とてもとても、非常に非常に深いところまで潜りました。多くの経験がありました。あなたは内側の非常に深いところまで潜って、そしてこの地点、ゼロ地点まで戻ってきました。

そうしてここへと戻ってきはしましたが、あなたはまだ、古い傷、古い課題から来る残留物を抱えています。そしてそれらは勝手に消えていきます。お願いですから、最初の方で言ったとおり、それらに対して取り組まないでください。押し出そうとしないでください。小細工をしないでください。それを人生から追い出そうとしてマントラを唱えないでください。ヒーラーにかからないでください。それら残留物は、それが仮に最もあなたにこびりついた課題であっても、単純に、ただ勝手に消えていきます。

シャーンブラの中にはまだ豊かさに関しての課題を抱えている人がいます。それは、ただただ勝手に消えていきます。しかし、あなたがそれをロックオンして、解明しよう、それと戦って打ち勝とうとした瞬間に、それは離れることに抵抗します。あなたの周囲に居続けます。そうではなく、ただ大きく深呼吸をして、それはただただ溶け落ちて消えるものだ、そう認識してください。あなたはゼロ地点に戻っているのです。あなたは自分自身の意識に戻っているのです。この宇宙にやってきて、この数字の宇宙を旅して回ったわけですが、それらは単なる経験であり、それを経て、あなたはゼロ地点に戻ってきたのです。それが公園のベンチです。公園のベンチなのです。そのベンチが、私たちが最後に帰るゼロ地点なのです。

それであなたはようやく、あなたがそのためにやってきた本来のこと、そのものを、やるところに来たということです。重要なことなので繰り返して言いますが、課題やら問題やらに意識的な関与をしないでください。中にはそれを言われると苛々する人がいるのは分かっていますよ。ただ、関与したいなら関与すればいいし、そんなの私の知ったこっちゃないですよ。苦しみを望んでいるんですよね。それがどれほど単純なことであるかがそういう人には信じられないと思いますが、単純です。仮にあなたが身体的な問題に意識を関与させた瞬間、つまり、それを何とかしようとしたり、そのことを考え過ぎたり、何かしらの代替療法を見つけようとしたり、そうなった際には、あなたはその問題の目の前にいます。その問題は消えません。何故ならその問題さんに言わせれば ―その問題をこう言った数字の1つだと思って考えてください― その問題さんに言わせれば「あれ、私に関与してくるってことは、あなたはまだ私にいてほしいってことですね。なら、そうしてあげましょう」だからです。仮にあなた自身がゼロ地点に返っていることを分かっていたなら ―それこそがあなたであり、意識であり、意識こそがエネルギーを指揮するものだと分かっていたら、仮にあなたが、あなたは既に途轍もなくたくさんの経験をしていて、今はもう家に帰る時だ、公園のベンチに座って自身の光を放射する時だ、そう理解していたなら、あなたはゼロ地点にいるのです。

ここへ至るまでに脱落したシャーンブラたちがいます。様々な理由から、たくさんのシャーンブラがドロップアウトしていきました。私が彼らの気分を害したというものありますよ。ただ私には、自分がそうしたとはとても思えないのですが、実際はそう機能しました。実際、私は彼らを追い出そうとさえしましたね。何故なら、彼らは彼らの課題、問題にかなり固執していたからです。彼らは断固として、そう言った問題を抱え続け、それを他の誰かのせいにしていました。彼らは自分自身に無益な攻撃を仕掛けていました。彼らはそこにはいない、幽霊を相手に戦っていました。彼らは自分自身の困難に取り憑かれていました。それらにしがみついていました。それが家庭環境でも人間関係でも、自尊心の問題でも、何であってもです。彼らには、ここに来る準備ができていませんでした。そして実際、彼らがここにいない方が良かったでしょう。何故なら、彼らがいることは、他の全員にも影響を及ぼしていただろうからです。

そして多くのみなさんが消えずに残りました。あなたはここまで来たのです。私たちはゼロ地点に戻ったのです。

大きく深呼吸をしてください。あなたにまだ課題があるなら ―自尊心でも、疑いがまだ残っていても― 深呼吸をして、それに意識を関与させないでください。それらを手放してください。それらには本当に、出ていく準備が出来ています。それらはその時を今か今かと待っています。だからそれらに関与しないでください。カウルドゥラが私に質問しています。「と言うことは、それって、戦いを目の前にして無知でいろってことなのかい?」「間抜けでいろってことなのかい?」そう聞いてきてるんだと思います。ここで私が言っているのは、基本的なスタンスとして、問題を無視するナイーブな姿勢でいろということでしょうか? 全く違います。そうではなく、エネルギーの力学がそれほどまでに単純なのです。あなたが問題に関与すれば ―それがどういうものかは分かりますよね。例えばあなたがもしかしたら何十年、何生涯もともに歩んできた豊かさに関することだとして― あなたがそれに関与するから、それはそこにあり続けるのです。自分がゼロ地点に戻ってきていて、自身の意識に戻っていて、自分のホーム、自分のエネルギーの中にいる、そのことを理解したなら、そういった物事は単純に消えていくのです。それらにフォーカスすることもなく、それらに妖精の粉を振りかけることもなく、クリスタル・ヒーリングやらセラピーやらをすることもなくとも、ただ消えます。そうしてあなたは、自分はどうしてもっと早くそうしなかったのか、どうしてアダマスはそれをもっと早く言ってくれなかったのかと、そう訝ることでしょう。ま、それはどうであれ、それについては、2つ目のポイントとして話しましょう。

ただ、今は、大きく深呼吸をして、自分がゼロ地点に返ることを許してください。ええ、あなたは、この数字が表している全ての経験をやってきました。これらをあなたは全部やったのです。で、あなたはゼロ地点に戻ってきました。それは数字ではありません。つまり、経験ではないということです。それはあなたが誰であるかです。

そのことを感じてみてください。

あなたがここに戻るまでしばし時間がかかりました。あなたはそこに無数に広がった数という数の全て、経験の全て、経験の中で通り抜ける全てを、やり切る必要がありました。数の全てが、あなたが過去に持ったアイデンティティ、過去生、この生涯で持った全てのアイデンティティであるとも言えるのです。あなたはそのキャラクター、アスペクトの全てをやりました。そして、そうこうしているうちに、あなたはゼロ地点に戻ったのです。それは経験ではありません。それは新たなキャラクターでもアスペクトでもありません。それがあなたなのです。あなたは十分に深いところにまで潜り、多くの障害があったにも関わらず、ここに戻る道を見つけたのです。そして今、あなたはここにいるのです。

先ほど言ったように、その道すがらで、ドロップアウトしたシャーンブラもいます。彼らは世の問題の数々、それとの戦いに興味を持ち過ぎたのです。みなさんも、特にこのコロナウイルスの時期にたくさん目にしましたよね。戦い、論争、陰謀、美徳、そういった全てが異様な盛り上がりを見せていました。それらのどれもが重要ではありません。あなたにとっては、とりわけ、どうでもいいものですね。それらはもう、あなたにとって戦うべき何かではありません。

多くの人がそういった戦いに固執していて、彼らには単純に、私たちが行っていることをやるような余裕がありません。将来、彼らの気持ちにも変化が訪れるかもしれませんが、たった今は、それができるのはこのグループ、みなさん、世界中にいるひたむきなシャーンブラだけなのです。というわけで今は、大きく深呼吸をして、自分のベンチに腰掛け、リラックスしていてください。ベンチに腰掛けていようといまいとも、ベンチがあってもなくても構いません。ベンチとは喩えです。自分にとってのホーム、ゼロ地点の喩えです。あなたが戦いに、数々のストーリーに、飛び交う数字たちに疲弊していることには疑う余地はありません。今は返る時なのです。自分自身に返る時なのです。リアルにそういう理由で、私たちはここにいるのです。

あなたはゼロです。ふむ。あなたはゼロです。そしてそれは良いことです。いずれにせよ、あなたは核であり、あなたの中心点はゼロなのです。それはとても良いことです。何故ならそこにいる今には、過去の影響も、古い記憶も、古い幽霊も、その手の他の何も無いからです。あなたはあなた自身というホームに戻ったのです。それが「私は私、私は在る」です。それがあなたの公園のベンチです。

そのために文字どおりの公園のベンチは必要でしょうか? 必要ありません。ただ、リマインダーとして、そして座るための場所として、私たちがこれからやっていくことをやるための場所として、1つぐらい持っておく、見つけておくのは悪い考えではないですね。象徴として良いと思います。が、絶対に必要というものではありません。適当なイスを公園のベンチと呼んでも構いませんし、それがトイレであっても私の知ったことではありません。あなたが、自分は今、ゼロ地点にいるのだと、そのことを思い出せるのであれば、何でも問題はありません。

ゼロは単なる別の数字ではありません。ゼロとはあなたです。それは意識です。

(間を取る)

このシリーズでは、私たちはアクティブにベンチングを行います。その説明は行いますが、その前に繰り返しとなりますが、もう教えたり説明したりに多くの時間を割きません。私たちは実際にそれをします。今日は、そうですね、その基本中の基本から始めたいと思います。今日はパーク・ベンチング導入コースから始めたいと思っていました。というわけで、音楽をかけて、ここでパーク・ベンチングを始めましょう。

The Art of Park Benching(アート・オブ・ベンチング)

では、家を創造してください。たくさんのたくさんの部屋を備えた、あなたの大邸宅です。

(音楽、流れる)

あなたは何年も何年も、この旅が始まってからは特に、邸宅にある部屋の数々を探索し、それらを変えたり、リフォームしてきました。ここで少し話が逸れます。

あなたがしているこの旅というのは、スピリチュアルな旅ではありません。時にそういうのは、障害となり得ます。そうですね、自分はスピリチュアル旅をしている、そう思っている人というのは、自分はスピリチュアルに振る舞わなければならない、そう考えるからです。彼らはこれこれを食べなければならないとか、あれあれを食べてはいけないと考えます。彼らは特定のやり方で行動しなければなりません。彼らはオームとかアームとか常に唱えていなければなりません。彼らは全ての人に対して親切でなければならず、煙草もお酒もその手のものは許されません。そういったものはスピリチュアルではないからです。が、それはただのゲームです。ボートにあるそういう数字であるだけです。それがその全てです。それはそういう数字ないしは、そういう数字の組み合わせの数字です。そして興味深いことに、しばしば、常にではありませんが、しばしば「スピリチュアルな人になっている」人たちは、自身の内面で戦っています。つまり、可能な限り分かりやすく言うと、そうですね、アナタというスピリチュアルなカルトがあなたに砂糖を摂取することを許さず、とりあえず砂糖は悪いものだ、という前提で戦っているわけです。何故なのか分かりませんが、いずれにせよ砂糖は悪いものであり、互いに戦っているわけです。つまり、全く、スピリチュアルではないということです。

そして、私たちがやっていることはと言うと、スピリチュアルではありません。私たちがやっているのは単純に、意識に関することだけです。あなたが何を食べようと何を飲もうと、どんなに冒涜的な物言いをしようとも、何がどうであっても、全く問題ではありません。そういうことをやっているのではないのです。これは、自分を改善しようとか、荒削りな部分を直そうとか、そういうことではありません。みなさんの全員が、本質的には海賊ですもんね。ハハッ! というわけで違いますよ。これはスピリチュアルな経験などではありません。形而上的であるかもしれませんが、これは本当に意識に関することなのです。なので、ゼロ地点に戻るにあたって、スピリチュアルであるかどうかなんて気にしないでください。私たちはスピリチュアルではありません。違います。

で、あなたはその大邸宅にいて、その中をずっと歩き回って、その中を経験してきました。その屋敷はある意味で、あなたの身体の象徴です。マインドの象徴でもありますね。だとすれば地下室、屋根裏はそれぞれ潜在意識と超意識の象徴でもいいですね。いずれにせよ、そこはずっとあなたの場所で、あなたは長い時間をそこで過ごして、そこを直そう直そうとしていました。どうやって修繕すべきだろうか? 自分のために機能するよう、どうすればいいのだろうか? しばしば、あなたには、それが自身の所有物ではなく、他の誰かの所有物であるようにも感じられました。

しかし、おお、過去20年、私たちの多くで一緒にやってきた今、あるいはあなたがクリムゾンサークルと一緒になってからの期間を経た今、新しい部屋ができています。それは、人間が計画したりデザインしたものではなく、人間には造ることはおろか、中にも入ることの出来ないものです。それは、人間が外から木材、資材を持ち込んで、金槌で釘を打ったり、跪きながらタイルを貼ったようなものではありません。そういうものではありません。

それは邸宅にあって、他とは一線を画した部屋なのです。私はそれを単純にゼロ・ルームと呼ぶことにします。それはそれ自身の上にそれとして造られています。あなたがやってきた全ての取り組み、あなたがしてきた全ての献身をもって、それはそれ自身の上に造られています。そしてその部屋はあなたの邸宅に、あなたに、あなたの身体に、あなたのマインドに、あなたの人生に、永久に加えられたまま残ります。

その部屋は他とは違っています。その部屋には確固とした壁がありません。部屋には窓もありません。窓を必要としないからです。実際のところ、その部屋は邸宅にある他のどの部屋とも似ても似つかない部屋なのです。

それは光です。それは気付きであり意識です。その部屋の建築は、長い期間をかけて、非物理的に行われていたのです。

時にあなたは、そのことに気付いていました。また別の時は全く気付いていませんでした。時にあなたは、その部屋を造るために何をする必要があるのかを考えました。しかし、そのほとんどのパートでは「下手に触らない方がいい。それ自体に任せておこう」という状態でした。神性でできた部屋なのです。

あなたはそれが造られることを許しました。誰が造っているのか、ですか? そうですね、マスター、I Am、と言えなくもありませんが、それはどうでもいいことです。いずれにせよ、その部屋はあなたのものなのです。

それは光でできた部屋であり、神性でできた部屋であり、それは単に輝いているもの、というものです。

それは輝いているものであり、そこからは光が放射されています。その神性の部屋の中には、一切の課題感、目的がありません。あなたに何をしろと告げることはありません。それは単純に、その光を輝かせているだけのものです。それはあなたに、一夜にして巨万の富を得る方法を教えることはありません。それはあなたの身体を癒そうともしないでしょう。

その部屋には一切の課題感がありません。それはただの光です。しかしその光が全てなのです。その光には全ての可能性が入っています。

そして今ここで、私たちは新しいこのシリーズを始めるわけですが、私はあなたにその部屋に入るためのドアを見つけてほしいと思います。それはあります。あなたの邸宅の中にあるのです。あなたの邸宅、もう1度言いますが、それは喩えであり、あなたの身体、マインド、そして、そうですね、この生涯にいるあなたの象徴です。

ドアを見つけてに行ってください。邸宅の中を歩き回ってみてください。

ドアはあります。

そのドアの向こう側はあなたの光で溢れています。

(間を取る)

もちろんこれは、非常に非常にリアルな何かを喩えて言っているものですが、しかし、みなさんの多くが、ドアは常にあったことに気付く、理解することでしょう。あなたはこれまでそのドアが何のドアであるかを一度も気にしたことがありません。時にあなたはそれがあること自体も忘れていました。

あなたはそれが、ある種無視をされていただけで、実は常にあったのだと気付きます。それはやや、意識の外側にあったのです。しかし今、友人のみなさん、今こそ、そのドアを開く時です。

ドアノブ、あるいは取手に手をかけてください。そこへアクセスするドアがどうデザインされていても自由です。さあ、大きく深呼吸をして、そのドアを開けてください。

そしてその部屋自体であるその光、その光を邸宅の残りの場所に溢れ出させてください。

あなたはその部屋に入る必要さえありません。そうしたければウェルカムですが、いずれにせよ、今起こっていること、それはあなたがドアを開けて、その光を溢れ出させたということです。それが放射です。それがあなたの神性です。

放射された光は、部屋の何も変えようとはしません。光はただ輝き、照らします。あなたには見えてきます。あなたは、あなたがかつて気付くことなかった数々の物事に気付きます。あなたはいかに自分の邸宅がマジカルなものであったかを理解します。それほどのものを、よく長い間、忘れることが出来たな、そう思えるものだと思います。

光に光り輝かさせてやってください。光に邸宅の中を照らさせてください。

これがアート・オブ・ベンチングにおけるファーストステップです。

それは、たった今は、残りの世界やそこにいる人々のためにすることではありません。私たちはそこへも至りますが、しかしこのセッションでやっているのは、自分のためのパーク・ベンチングです。自身のゼロ地点に返ることです。自分に、自身の核に、意識に返ることです。そうして光に輝かさせてやることです。

まずは自分にそれをします。自分のためにそれをします。

放射された光は溢れ出します。溢れ出した光はあなたの身体に、思考に、マインドに流れ込みます。そして、また繰り返して言っておきますが、何も変えようとはしないものです。それがあなたを変えようとすることはありません。光はただ光り輝いて、その光が照らし出すおかげで、あなたは本当の自分を、そしてあなたが本当は何から出来ているのかを見ることができるのです。あなたは、先ほどまで話していたような数字から出来ているのではありません。あなたはあなたの意識、そして、あなたから出来ているのです。

さあ、あなたの神性の部屋から、光をどんどんと溢れ出させてください。

その光が、あなたが抱え、戦い、苦闘してきた課題、その残留物を消し去ります。

その光が全ての中に流れ込みます。あなたに豊かさの問題があったとしても、光はそこへと流れ込み、あなたが豊かになることを押し留めるものは本当に何も無い、そのことをあなたに見せるのです。

光はあなたのために何かをするわけではありません。光はただ、それは本当に問題でも何でもなかったことをあなたに見せるだけなのです。それは単に、あなたがゲームに使っていただけのものです。ボード上にある単なるそういう数字です。もうあなたには必要のないものです。

今のあなたはそれを必要とはしていません。

さあ、たった今、光をあなたの全て部分に溢れさせて、輝かさせてください。

あなたの体の中で輝かさせてください。光はあなたの身体を変えようとはしないでしょう。しかし光は、明確に示します。まず、あなたが引きずり回しているその古い身体は、本当にあなたのものではないのだと。光の輝きは、リアルなあなた、私がフリー・エネルギー・ボディと呼ぶ真のあなたをあなたに見せます。さあ、光をあなたの全身に行き渡らせください。

みなさんの中には身体に不調を、病を、病気による痛み、そこから来る苦痛を抱えている人がいるかもしれません。それも光で溢れさせてください。

光り輝かさせてください。何故なら、間もなくクツミが、あなたのリアルなライト・ボディに関して、取り組みを行おうとしているからです。今、身体を光で溢れさせてください。そうすれば彼はあなたとの取り組みを始められます。それであなたは楽に、優雅に、ライト・ボディを完全に持ち込むことができるのです。

みなさんの中には、あー、マインドに悪魔を抱えている人がいるのも分かっています。マインドに潜む悪魔です。大変ですね。悪魔は闇に潜んでいます。つまり、そこに多くの意識が無いがために、彼らはそこにいるのです。彼らは闇に住まう者です。彼らはある意味で気付けていない存在で、とても制限されています。しかしあなたが神性の部屋のドアを開けて、その光が溢れたことで、悪魔たちは消失します。彼らは光に耐えることが出来ません。彼らは暗躍している必要があるのです。彼らは無意識の中で活動する他ないのです。

で、あなたには分かります。あなたがずっと我慢してきた悪魔たち ―彼らをアスペクトと呼びますかね。あなたを叩きのめそうとしてきた古い声には― 光を耐えることはできないのだと。そしてその光を受け入れたのはあなたです。彼らはあなたに対してドアを閉めるよう叫びます。光を受け入れるなんて馬鹿な真似だと言ってきます。が、彼らは消失せざるを得ないのです。彼らは闇の中、気付きの欠如の中だけでしか存在できないのです。

私たちは、あなたとベンチングを始めます。

面白いことが起こります。分かりますか、あなたが光を受け入れたら、ええと、あなたが邸宅の外にいたとすれば、あなたが光を受け入れた瞬間に、邸宅の窓という窓に明かりが灯るのが見えるでしょう。

夕刻、陽が落ちていき、空がかろうじて明るいか明るくないかになった頃、街の家々の窓に次々と明かりが灯る瞬間、それがどんなふうに見えるかは分かりますよね。そのぐらい美しい光景です。金を帯びた光が邸宅の窓という窓から溢れ出します。あー、なんて平和で暖かく、魅力的な光景なのでしょうか。

それが今、起こっています。あなたがあなたの邸宅を外から見ていたとすれば、あなたがあなたの神性のドアを開けて、光を溢れ出させたその瞬間、邸宅の全ての部分が照らし出されて、こぼれ出た光は庭さえも輝かせているのです。

シンプルな話です。複雑にしたければもっと複雑にすることもできるでしょうが、ここはシンプルに、今は光を、意識を、あなたの全ての部分に溢れ出させる、そういう時間なのだということです。

そうして、邸宅の外から近所の他の家々を見渡すと、家々に、1軒、また1軒と明かりが徐々に灯り始め、やがては近隣全体が明るく照らされるのが見えるでしょう。

なんと美しい光景でしょうか。全てが静かで、平和です。家々に明かりが灯り始めます。

最初は「あー、近所にいる他の人たちだな。外が暗くなってきたから、明かりをつけたんだな」そう思いますが、もう1度よく見てください。

それは他の人たちではありません。それは他の「あなた」たちです。それはあなたの過去生たちです。何故なら、あなたがあなたの邸宅のそのドアを開いた時に、彼らの家にあるドアもまた開かれたのです。

それはあなたの過去生であり、あなたの、どう呼びますか、未来生です。過去や未来、そんなものは無いと分かり始めていたとしても、それはそれとして、そういうことです。彼らは単なる経験です。彼らはボードに書かれた数字です。そしてあなたはゼロなのです。

あなたはゼロ地点です。あなたは核です。そして今、近隣全体に明かりが灯り始めています。室内を照らす明かり、玄関、屋外照明、外灯に火が入り始めています。

その近隣にいるのは全てあなたです。それは全てあなたのエネルギーです。そこにはあなたの過去生たちがいます。何故なら、今、あなたがあなたのリアライゼーションを受け入れて、あなたがこの現実であなたの神性へと通じるドアを開けたことによって、そこから出た光が他の全ての現実を照らし出したからこそ、彼らはそこにいるのです。光は他の全ての現実を照らしています。彼らはその結果として、変わっています。あなたは文字どおり、単純にあなたの神性に通じるドアを開けたことによって、過去を変えているのです。

外灯にも明かりが灯っています。魔法の香りが感じられると思います。

あなたがこれをすることによってたった今に起こっていること、それは、あなたの他の経験の全て1つ1つ ―アスペクト、生涯、人間のマインドには全く理解し得ない別現実の数々、ボード上の他の数字、上へ行き下へ行き、横へ向かい、ランダムに点在する数字の数々― その全てにおける全ての今が、あなたの光の影響を受けています。

その光りは単にこの生涯にあるその身体、そのマインドの中にあるだけのものではありません。その光はあなたである全てなのです。

そのことを少し感じてください。シンプルな行動です。あなたがシンプルなアート・オブ・ベンチングを始めたことで、その全てが始まり、あなたである全てに影響を与えているのです。

その光はあなたのエネルギーにも降り注がれます。その光は、あなたが既にした経験の全て、そしてあなたがしなかった経験の全てにさえも降り注がれます。光が全てを変化させているのです。

あなたはあなたが思っているよりもたくさんのことをやっている、私がずっとそう言ってきたのはそういうわけです。あなたは、自分は単にこの生涯の人間を改善、修理しようとしているだけだと思ってきました。全くそうではありません。

光はあなたの全ての部分に行き渡っています。

大きく深呼吸をして、光が満ち、溢れることを受け入れてください。ただその光に委ねてください。

あなたは何もする必要はありません。それを強いる必要もありません。この生涯のあなたというこの邸宅に、ただただ光が広がっていき、それが近隣を照らし、また街全体に広がることを許してください。

光はあらゆる場所に到達します。家々は、それがこの領域に、別領域にあるものでも、家々はあなたの部分、経験、生涯を表しています。全ての家に明かりが灯るまで、そう時間がかかることはないでしょう。

その全てはここから始まるのです、、、

、、、あなたがいるこのゼロ地点から始まります。ゼロに返ってください。あなたに返ってください。

全てはあなたが自分のためにパークベンチをすることで始まります。

私たちは私たちの光で残りの世界を輝かせている。そう考えると気持ちが上がるのは分かります。しかし、あなたはまず自分に対してそれをする、それが最も重要なのです。

あー! 光をあなたを通して輝かせてください。自分のためにパークベンチしてください。目的意識は無しですよ。「これが必要だ。これが無いんだ。このことが心配なんだ」などと言わないでください。そういうのは一切無しにしてください。光を、意識を、思いやりを、あなたの全ての部分で溢れさせてください。 あなたの身体の全ての部分に光を触れさせてください。

(間を取る)

あなたの記憶、その全ての部分に行き渡らせてください。

(間を取る)

あなたが纏ってきた全てのキャラクター、全ての性格、全てのペルソナ、それが生きたものでもアスペクトでも、あなたが今日、何気なく行った何かでも、全てに行き渡らせてください。光は今、あなたの公園のベンチから、あなたのグラウンド・ゼロから、あなたの全ての部分に行き渡っています。それは何も変えようとはしていません。シンプルに「私は私である全て。私は在る」そう伝えています。

これがアート・オブ・ベンチングです。

(間を取る)

あなたが惑星に留まると決めたのはこれのためです。あなたのホームから、あなたという存在から、人々がそれに気付いていようといまいとも、光を放射し彼らを照らすためなのです。

ほとんどの人はこう考えます ―過去生を信じている人のほとんど、ですね― ほとんどの人は、過去生というのは、石に固く刻んで書かれたものであり、それはそれ以外ではないのだと、そう考えています。全くそうではありません。

たった今、この非常にシンプルなベンチングの経験の間に起こっていること、それは、光は過去生の全てに到達して、彼らの人生はたった今、変わっているということです。彼らの経験、彼らの数字はもう、限られた量の数字を使って作り出したもの、左から右へと線的に進むものではありません。突然に、光が全てを変えるのです。

突然に、ある特定の道に閉じ込められていたところから、彼らは自由になるのです。そのことはまた、あなたのことも自由にします。

あなたは、そこまで遠いところにまで来たのです。そしてお願いをします。もう土下座していいぐらいです。どうか、自分の課題、問題に取り組むのをやめてください。あなたに問題なんか無いのです、一切。二元性の戦いに関与しないでください。

ええ、残された世界では、彼らは本当にそれを上手にやっています。たくさんのことが起こっています。ただ、あなたには、それをする義理も必要も無いのです。戦わないでください。世のことは放っておいてください。あなたはシンプルに、極めてシンプルな、惑星における意識、光なのです。

ドラマに巻き込まれないようにしてください。自身の古い課題、問題に巻き込まれないでください。二元性に引き戻されないようにしてください。

この公園のベンチ、あなたのベンチに戻ってください。ゼロ地点に戻ってください。

時に、あなたにとって、古い戦い、バトルは魅惑的で、そこに戻りたくなることがあるのは分かっています。が、やめてください。ゼロ地点に返ってください。ここ、あなたの公園のベンチに戻ってください。

まずは深呼吸をしてください。問題と戦ったり、それに囚われたり、心配したり、そうしたことをするのではなく、深呼吸をして、光に浸ってください。それだけでいいのです。

あなたが、それは問題である、困難である、そう見なしたものの全てが消え失せます。

よってもう戦う相手がいないのです。もう苦しめないのです。

さあ、大きく深呼吸をしましょう。私たちが初めて行うグループでのパークベンチングの経験です。これはあなたのためにするものです。

あなたは光へ、神性へ、意識へと通じるドアを開きます。そして光をあなたの邸宅の全体、隅から隅まで浸透させます。その光は近隣へと漏れ出します。あなたという存在の全ての部分に行き渡ります。それがゼロ地点です。

そのために公園のベンチというのはあるのです。

(間を取る)

はい、非常に簡単な内容です。ただ、ここへ至るには非常に多くのことを通り抜ける必要がありました。とは言え、本当にとても簡単な話です。

私たちはそのためにここにいるというわけです。問題を解決するためでも、課題についてあれこれ考えるためでも、政治について心配するためでも、健康やお金のことで苦労するためでもありません。そういったものはもう終わった話です。もう通り過ぎてしまって、今や影も形も見えません。

私たちはアート・オブ・ベンチングのためにここにいます。

というわけでシャーンブラのみなさん、大きく深呼吸をしてください。大きく、ゆっくりと、深呼吸をしましょう。

またひと月すれば戻ってきて、ベンチングを、お話を、楽しむことを続けていきます。が、今日のは極めて特別です。全てあなたのためにやったのです。

というところで、自分の公園のベンチから、何人にも侵され得ない領域、アダマスでした。

翻訳: Ito Satoshi


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