Discovery シャウド4 概要

Discovery シャウド4 概要

ShaumbraBBS要約からの転載

2013年12月7日
THE CRIMSON CIRCLE MATERIALS
The Discovery Series
SHOUD 4: “Discovery 4”
Featuring ADAMUS, channeled by Geoffrey Hoppe
Presented to the Crimson Circle
December 7, 2013
www.crimsoncircle.com

Today’s Guest
今日のゲストはネルソン・マンデラ氏です。

Nelson Mandela
彼はどんな人ですか?シャンブラですか?彼はユーモアのセンスを持っています。いいリーダーは、いいユーモアのセンスを持っているべきです。

何が彼に情熱や行動やクラリティや人間性を引き起こさせていたのでしょうか?
Adversity(不幸)でした。それが彼を彼のハートの深くへ、魂の深くへ連れて行き、自分自身にコミットメントしました。私はまた奴隷にはならない決して、と。

マンデラもあなた方の多くも過去生やこの人生で不幸だったことで、ある日突然「私は何をしていたんだろう?何を考えていたんだろう。」という思いにかられました。この自分を知ろうとする恐ろしい感覚は時に他人を傷つけたり、自分を傷つけました。自分自身を卑劣と思ったり、価値がないと思ったりしました。ある時は自分を壮大な存在、ボス、力ある存在のように感じました。しかし、魂と出くわすと魂は全然そうは思っていませんでした。魂は「この人生は何だったんだ?」と言いました。それで裂け目に落ちたり、自分の幽霊を見たりしました。そういう深みや暗闇からあなたを引き上げてくれるものは何ですか?

自分自身を許すことです。深い呼吸をし、それらの罪や恥を解放することです。それは容易なことではありません。頭の中だけでなく「私は私自身を解放します。低い意識のもとの経験でした。それは自分や他の人の経験の一部なだけです。」と言ってください。それは判断ではなく、完全なる許しです。マインドで訂正しようとするのではありません。状況を体裁よくしようとするのでもありません。「私は自分自身も含め全ての人も許します。」と言うことです。実際マンデラは投獄されたり苦痛を与えられたりしても怒ることを止め、彼を牢獄に閉じ込めるものや彼を引き戻させるものを許しました。

それらは自分に仕えてそうしていることを彼は分かっていたからです。それらは彼と全ての人のアイアムのアウェアネスに仕えていたのです。他人に対する許しの中で、まさに解放しました。その状態で彼は深みと理解とクラリティを得、リーダーとなりました。パワーを得ようとしたり、ルールを作ったり、他人に侵略するようなリーダーではなく「みんな自由だ」というリーダーです。彼は世界の注目を求めたり、お金に欲求があったりはしませんでした。彼は欠点もあり、風変りな人間でした。

あなたがこの地球にいるにあたっては、そういう特殊性をもってしまうものです。それ以上に彼は自分自身の自由を理解しており、他人にも伝えました。それから彼は何をしましたか?死のうとしましたか?サードサークルに行きましたか?おそらくそうではなかった。この地球の重要な時代において重大なワークをしました。たくさんの人々にとって必要である「私は自由だ。」という事。自分の罪から逃げ出すことを、彼がやろうとすることを布教する者は必要としていませんでした。

布教は犠牲者に反応するからです。彼はそれを学びました。犠牲者についてです。「私はそうすることができない。なぜなら黒人だから。ハンディキャップがあるから。才能ないから。」等という人です。それは犠牲者のエネルギーです。あなた方は一旦、それを認識すると、それを解放し、自由になります。犠牲者の中に閉じ込めておけるものなどないのです。

ネルソンは世界のリーダーになろうとはしません。布教者や犠牲者に働きかけようとはしません。犠牲者を演じている人にストレートに働きかけます。なぜなら、そういう人が「もういい。」と言えば、もう布教者にはならないからです。もう奴隷にはならないからです。人は「もういい。」と言うことで自由になり、インバランスなリーダーが持ちがちな力の幻想を手放します。

Religion, Spirituality & Shaumbra
宗教とスピリチュアリティはどう違うのでしょう?宗教は犠牲に満ちていますね。自分自身のためのことを考えない人であふれています。メンバーであれ、リーダーであれ、パワーゲームをしている人で溢れています。スピリチュアリティとシャーンブラはどう違うのでしょう?現在、たくさんの人がスピリチュアリティにインボルブされています。彼らはある地点で宗教を去りました。そこにはたくさんの抵抗感があったからです。

自分自身について考えたいと思ったからです。宗教が悪いわけではありません。ある地点までの目的を支えています。スピリチュアリティはというと、すばらしいことです。というのは、あなた方を自由にし、探検を始めるからです。

例えば、新しい時代においては、本部組織といったものやヒエラルキーはありません。とても緩いです。しかし、スピリチュアリティというのは、たくさんのことを探そうとします。手を入れて温度を試そうとするように、たくさんのマキョーにはまりがちです。いつもではありませんが、そうなりがちです。なぜなら、私が先月話したノーイングネスや欲求を忘れるからです。簡単にスピリチュアルグループやニューエイジや本やクラスにはまります。それらはマキョーに導きがちです。スピリチュアルは探し続けますが、コミットメントがありません。

私についても、あなた方の前にいるのと、スピリチュアルクラウドの前にいるのとでは大きな違いがあります。あなた方はエンライトメントするということをコミットメントしています。それは人間生活で少し快適にしようとするものではありません。ノーイングネスについては、あなたの内側深くで感じるものです。練習や用意するものではありません。突然起こるものです。苦痛によるものだったり、生まれ変わりのサイクルに疲れたりして。あなたの内側の何かがノーイングネスのトリガーを引きます。何かがその本に、そのクラスに出会わせ、その席に座るよう導きました。それは、エンライトメントであり、エンライトメントへのコミットメントです。

ご存じのように、それはスピリチュアルの道より困難です。スピリチュアルパスの一部は人生を少し快適にするように設計されるものです。シャーンブラの道は人生全てを再定義し、体を、マインドを、スピリットを、あなたとの関係を、あなた自身を再定義します。時には、人生や自分自身や快適性や幸せといった全てのコンセプトを打ち返したり、シャットアウトします。時にそれらは小さなことで意味がないことに気づきます。あなた方は人生を再定義します。それは心地よいものではありません。少しでも快適な生活を得ようとしますが、そうは機能しません。

The Jesus Game
イエスとジーザスには違いがあります。ジーザスは宗教により作られたものです。ジーザスも存在し、彼を崇拝する人々が好きです。「彼なら何をするんだろう。」という人が好きです。彼はただ座ってニコニコしています。決して答えを与えはしません。彼は彼を信じるたくさんの人々によって作られた合成意識です。彼は多くの時間を水の上を歩いて費やしています。(笑)。彼らがそう信じているから。多くの人が「ジーザス、私の罪を許したまえ。」と言いに来ますが、ジーザスは「何をすべきか私には分からない。かなり昔に私はあなたを許しています。自分自身を許して下さい。」と言っています。でも、彼らは聞いていません。

あなた方の中には、イエスと旅をしていた人たちがいます。ここにいながら他次元で彼と共に歩いていました。この時代に戻ってくることも同意していました。

イエスにはたくさんのストーリーがあり、あなた方もそのリアルストーリーを知っています。では少しイエスゲームをしましょう。イエスのことを感じて下さい。頭で考えるのではありません。あなたがいかにイエスを知っているかを感じてほしいのです。ハートに行ってください。イエスはあなたや私やその他が作った混合物です。魂の存在ではありません。あなた方全ての混合体です。2000年前に地球にもたらされた神聖な種です。では、会場に質問していきます。

~1st Question
イエスやカトリックはどんな宗教ですか?

あるシャーンブラ:ユダヤ教に似ている。

A:イエスは生まれながらのエッセネ派の一人の信徒でした。彼の人生にそれを見ることができますね。彼の両親は結婚していませんでした。エッセネ派では結婚は必要ないものと信じられていました。

しかし、マリアは妊娠しました。ジョセフと深い仲だったのです。その当時のエッセネ派はとても厳格な原理主義のユダヤ人的でした。とても厳格なものでした。マリアは妊娠に気づき、どうしよう?どうしよう?と思い、結婚はせず、子供を産み、小さな祝福の中で生きていこうと思いました。あなたもよりよいエッセネ派でいたいなら、姦淫しなくていいのです。私生児という言葉がこの10年ほど悪い言葉として使われていますが、ただ単に結婚で父親をもたず、母親といる。それだけの意味です。ジーザスは私生児でした。

あなた方はたくさんの古いレイヤを持っています。自分が自分の混合体を創造する手助けをしたことを感じてみて下さい。

~2nd Question
ジーザスは生きる為に何をしましたか?

シャーンブラ:木こりでした。

A:彼は木こりではありませんでした。イスラエルにはほとんど木がないし、彼はコミューンで暮らしてました。エッセネ派コミューンです。エッセネ派がコミューン(共同生活)をサポートしていました。彼らは食物を育てることだけを仕事としており、それで生活していました。彼らは商人でも、金貸しでも貿易人でもありませんでした。彼らは100人~500人のコミュニティの中で生活していました。彼らはユダヤコミュニティ以外の人からよそ者、変人と思われていました。ここにいる我々もそう思われていますね。(笑)

イエスはヤハド、コミュニティスクールの教師になるようにトレーニングされました。彼らは自分ではラビ(ユダヤ教指導者)やビショップ(司教)や教祖とは呼びません。年長者という意味合いが強いですが、彼らは、それは他より上という意味があるとして使いませんでした。先生です。

彼は木に関する労働やイスを作ったりはせず、たくさん勉強しました。古い法律やルールを。当時のエッセネ派には、たくさんのルールがあったからです。

~3rd Question
ジーザスは結婚していましたか?

会場の人:Yes

A:誰と?

会場の人:マリアです。

A:Yes and No です。彼は結婚しましたが、マグダラのマリアとではありません。彼はコミュニティスクールで教師になる勉強をしていました。教えること、助けることにフォーカスしていました。彼は、コミュニティの外については何も気をかけていませんでした。人はギブリ(イスラエルの農場)と呼んでいましたが、ちょっと違います。彼は、外の世界を何も気にしていませんでした。コミュニティの中にイグナスという美しい女性がいて、ある夜、星の下で男性性と女性性のエネルギーが抱き合いました。肉体関係を持ちました。良いエッセネ派はこういう事をしないと思われていました。良いエッセネ派は肉を食べませんでした。禁じられていたわけではありませんが、ベジタリアンでした。イエスにとってコミュニティの先生になることは、夢であり、志でしたが、姦淫してしまいました。

彼は彼女と結婚し、役割を再考しました。彼は彼女を深く愛し子供が出来ました。そして人間が感じるのと同じような情熱を感じ始めました。自分のことより他人のことを愛する情熱を感じ始めました。しかし、悲劇的な事に身ごもったイグナスは死んでしまいました。彼女をもっと癒してやるべきだった。コミュニティの人を、彼女を、癒すことが出来たはずだと感じ、神に見放されたと感じました。そしてコミュニティでのポジションを失うと共に、彼の中の愛も失いました。それからどうしたのでしょう?彼はまだ若いのですが、つらい17才でした。そして全てが変わりました。では、少し時間を取ります。イエスの中に自分自身を感じますか?自分の人生におけるひずみやターニングポイントを感じますか?あなたはそれを間違いと思うでしょうし、イエスも間違いと思ったのですが、それは完璧に向かっていたのです。完璧です。

彼は、深夜にコミュニティを去りました。

~4th Question
どこに行ったのでしょう?目を閉じて感じて見て下さい。カシミールです。クツミのバックヤードですね。でも彼らはお互いを知りませんでした。

彼は答えを求め、砂漠をさまよい、辿りつきました。どうやってインドに来たのかさえ分かっておらず、彼は極貧状態で、とても打ちのめされて、そこに辿り着きました。彼はインドでエッセネ派として学んだ全てのことを解放するような、すばらしい教師に出会いました。それは哲学的な答えを見つけることではありませんでした。そこに辿り着いたのですが、ミステリースクールや修道院(僧院)の中で、自分自身を見つけることでさえありませんでした。あなた自身の神聖な種子のオリジナルな旅があなたにやって来るということでした。イエスのストーリーは、あなたのストーリーなのです。あなた方は何度もこれを通過してきました。それは生について、学びについてのまさに物語でした。ときにハートブレイクしたり、すごい発見をしたりします。

イエスはインドを旅する中で、驚くべくマスターたちと出会いました。呼吸の仕方を学びました。それはシンプルです。

~5th Question
イエスはコミュニティを去った後、セックスをしましたか?

今日は古いわだかまりを壊しましょう。はい、彼はやりました。セックスもマスターベーションもやり、それに罪を感じました。セルフへの愛、セルフを許すまで、彼はそれをに罪を感じていました。彼は、自分自身に触れ、自分自身を喜ばせ、自分自身をホントに愛しました。そして、人にもそれを教えました。それが神聖な自己を愛することなのです。そうする事で自分の魂の愛を理解するようになります。

~6th Question
イエスはなぜイスラエルに戻ったのでしょうか?インドの後、彼はヨーロッパを旅しました。フランス、ドイツ、イギリス、スペイン、ポルトガルを。より学ぶため、より経験するため、多くの人に会うために。彼はエジプトのピラミッドにも行きました。なぜイスラエルに戻ったのでしょう?

ホームに戻る欲求があったからです。彼の旅は彼自身を集めるための旅でした。あなたも駆り立てられてエジプトに行ったり、南アメリカやヨーロッパに行ったりしましたね。異なる視点で自分自身を見ようとし、過去にいた場所に戻る大きな欲求がありました。それが最大の理由です。教えられるのではなく、数年前や別の人生の時の視点で自分自身を見て、いかに自分が変わったかを見るのです。彼がしたことはそう言うことです。彼はぜんぜん違う人になっていました。

彼は人々に教えたり、シェアするために戻ったのですが、歓迎はされず、あざ笑われました。2~3人が耳を傾け、教祖やお寺や宗教組織に不満を感じていました。2~3人だけが「自分もまた神である」という事を聞き入れました。ほとんどの人は彼を笑い、遠ざけ、恐れました。彼の話を聞き入れた一部の人が彼の弟子になりました。あなた方の多くもその時代に戻り、多くの言葉を聞きました。あなた方は彼を救世主とは見ておらず、スピリチュアルリーダーとも見ておらず、友達と思っていました。なぜなら彼がそういう役割を望んでいないのを知っていたし、大きなグループのリーダーに決してならないと知っていたからです。

彼は自分自身を集めるため、自分自身を思い出すために戻ってきました。あなた方は彼を恐れてはいません。なぜなら、それはあなたであるから。あなた方は彼の存在を感じていました。それが何かは分かりませんでした。彼はエンライトメントのような言葉やミステリーについて話したり、人々を引き付けるような奇跡を起こしてみせたりはしませんでした。あなた方は彼の根源を感じました。

Yeshua and Mary Magdalene
彼は、マグダラのマリアに出会いました。2人は深い恋に落ち、深遠な時を過ごしました。彼は旅の中、タントラと呼ばれることについて多くを学びました。そして自分の体やマインドや愛のシェアの仕方を知りました。ごく少数の人も昔学んだことがあります。自分自身の愛し方、それを通しての他人の愛し方を彼は知っていました。彼はマグダラのマリアに出会いました。彼女はうつ状態で自分の悪魔を宿していました。イエスは彼女に自分の愛し方を教えました。

この話はSESで詳しく扱っています。彼女はたくさんの犠牲者エネルギーを持っていたので、とても時間がかかりました。男性エネルギーに対する恐怖があり、それが彼女に憑りついていました。最終的には、男性性、女性性、神聖さを彼女の内側で統合し、彼らは愛の中で生きました。彼らは結婚はしませんでした。それを望みませんでした。痛い経験があったので、それを繰り返したくはなかったのです。

イエスとマリアに子供はいたのでしょうか? はい、いました。しかし、イエスが肉体を去った後です。彼らは地球にいる間は子供を作る選択をしませんでした。彼は死ぬことを知っており、マリアにも話していました。「私がここにいるのはもう少しだ。私は去ります。でも肉体を去るだけです。私はその後もここにいます。そしてあなたに魂が何か、愛の中の神聖さを見せます。」と。イエスが死んだあと肉体をもつものとスピリットの恋愛が続き、マリアは妊娠し、イエスとの間に2人の子供が出来ました。

~7th Question
ジーザスは失墜したのでしょうか?彼は死んだので失墜したんだという議論があります。彼は彼の敵、彼を殺そうとする者たちを征服できたし、すべきだったんだから失墜したんだと。また、生きずに死んだんだからと。彼は流血し、苦しんだからと。救世主は死ぬことはないからと。人々はモハメッドとジーザスを比べ、ジーザスは失墜し、モハメッドはアセンションしたと言います。彼は自分自身をあきらめ、状況が悪くなった。彼はローマを怒らせた。そうしない事もでき、歩き去ることもできたのに。わいろを渡せばもっと生きたのに。

なぜ、彼は怒らせたのだろうか?
これらはとてもタフな質問と思ってます。あなた方の深いレベルにこれらを尋ねています。なぜなら、イエスは混合体、あなた方の一部だからです。もし彼は死を認識していたら、あなたも死を認識していた。彼が肉体をもったマスターとしては生きなかったなら、あなたもおそらくそうしない。もし彼が自分を苦しめたんだったら、あなたも自分を苦しめるでしょう。

イエスは失墜したのでしょうか?我々はこれに触れなければならない。なぜなら、それは重くて、だれも話題にしたくない事柄(事項)としてここにあるからです。このイエスのストーリーは、あなたのマスター性を見出すものです。なぜなら、あなたの一部だから。

彼が死んだ後、彼に何が起こったのでしょうか?

彼は、マグダラのマリアと恋をした。彼が死んだ後のことは伝えられていないですよね。
イエスは失敗したのか?がテーマです。それがあなた方の内側にあります。あなた方が彼について話す話は美しいものです。彼は地球に来てマスターになったと。彼は貧しい家で育ったわけではなく、エッセネ派集落で育ちました。リッチではなかったが貧乏でもなかった。お金のことは気にかけていなかった。食を好み、セックスが好きでないフリをしていた。とても厳格だった。貧しい大工ではなかった。

我々が乗り越える必要があるハードルとして、失敗の感覚というものがある。それがあなたの内側に居座っています。ノーイングネスを覆う影となっています。

彼はなぜああいう最後を迎えたのでしょう? それはそのストーリーとしてはベストなエンディングでした。イエスは弟子や友や人々が自分を信仰すると感じていました。彼は弟子たちに「私は、神は内側にいるのだと言うために生まれてきました。私の中にいる神を見るのではなく、あなたの中の神を見て下さい。」そして、彼は去るのがベストだと感じていました。彼は最初からマグダラのマリアに恋愛関係は長くは続かないと言っていました。実際、まもなく彼は去りました。そうすることでドラマチックにせず、殉教者にならず、ただ彼の花が生き続けることを証明したかっただけでした。

弟子の一部は、幻想やビジョンを見たと思いました。悪いワインで酔い、そこにジーザスが現れたと。しかし、自分が生きていることの証しは、死んだあとにマグダラのマリアを妊娠させることと感じました。それは、生は続くのだ、あなたは体を持ってアセンド出来るのだ。または突然、道路に現れたのは亡霊やビジョンではなくイエスなのだ。という証明だったのでしょう。マリアとの間に子供が出来れば、生は続いていると分かってくれると思いました。そして、体もあなたの魂とともに連れていけると分かってくれると思いました。この話の方が弟子と旅をしたとか、集会をしたとかより、いい話ですよね。このことが殆ど、いや、全然書かれてきませんでした。これが生についてのリアルな話ですし、クリスマスに語られるべき話です。

このジーザスストーリー、ジーザスゲームを深く吸い込んで下さい。

会場:どうやってマリアがイエスとの子を身ごもったと証明できますか?

A:もちろん他の人との子供ではないかと疑われゴシップも呼びました。しかし、マリアをよく知る人々はマリアがウソをついていない事がわかったし、その子供はイエスそっくりでした。その子供たちはあまり長く生きれませんでした。イエスの精液が薄かったので普通とは違った子供でした。1人は肉体を持てませんでした。エネルギーをハンドルするのに苦労しました。インフルエンザが流行したためと思われていますが、それがハンドルできなかったのです。今、やってきているクリスタルチルドレンも似ています。彼らはとてもクリアで地球に慣れていないため、注意不足障害やアレルギーや自閉症になったりします。

あなた方の多くは1000回以上生まれ変わっており、地球に慣れています。今、たくさんのエネルギーが来ており、あなた方に影響しています。あなた方は完璧なポジションにおり、それゆえ、今日、ジーザスゲームについて話ました。

The Big Question
この質問はあなたの内側で揺れ動くでしょう。全てのレベルで、人間レベルで、深遠なスピリチュアルなマスターレベルで。最初は混乱するでしょう。また、こう言うでしょう。「このジーザスゲームは、ある意味面白い。彼は私がこの質問を反芻(はんすう)すると言ったが、私がそうするかどうか分からない。」と。では、これから数日間、あなたがすることを覚えていて下さい。

「最後はどうなるのか?」これが今日の私からの問題です。この問いを来年に持ち込みます。65才か85才か、エンライトメントするのか?エンライトして地球を去るのか?エンライトして何かグループがやって来るのか、宗教グループが来て私を追っかけ、殺されたくはない。自分のところに人々が来て、崇拝し、マスターとして私をほっておかなくなるのか。シャウドのテーマは「最終的にどうなるのか?」です。私は答えを言いません。これから、次のシャウドまで、この質問があなたの下腹部、ハート、マインドでもやもやするでしょう。

次回、これに触れます。最後はどうなるのか。それはあなたにとって、何の意味があるのか。それについて、あなたは何を計画し、考えてきたか、少しだけヒントをあげます。最後はどうなるのか。あなたは熟考してきました。どういう死に方をするのか。あなたがこれまで考えていたことではありません。ぜんぜん。その為に今回はジーザスゲームについて話しました。彼に何が起きましたか。あなたの最後はどうなりますか。彼は長い長い旅の後、イスラエルに来ました。これは聖書と違っていますね。12才で寺院をやめてから30才までの間の彼のことが言い継がれていません。何があったんでしょう。

会場:プロテスタントの計画にフィットしない事だったんじゃないかな。

A:そうです、そうです。といって大工という話も作りあげもしませんでした。

2014
前回も言ったとおり、来年はタフな愛の年になります。また、あなたの内側のギフトを発見する年になります。あなたの内側に既にあります。あなたが創造したものです。それはキリストシードエネルギーの一部でクリスタルなようなものです。それらはたくさんの理由により表に現れていませんが、あなたのギフトであり、能力です。誰かがあなたに与えるのではありません。それは、あなたを素晴らしくします。あなたはまだその能力や創造性や理解力に気づいていません。それらはやって来ます。タフな時ですが、それがあなたの内側の美しいものを引き起こし出てきます。ちょっとした合図でこれが出てきます。創造性について言うと、それがあなたを驚かせますがすぐには発揮できません。しかし、休眠状態にあった理解力、能力が出てきます。

~Creativity
創造力というのは、トライアンドエラーです。最初から正しいものが捉えられるわけではありません。神聖さもそうです。それらは一緒に作用しています。人間はそれをいつも正しく捉えたいという欲求か、やらないと思っています。保証された成功を望んでいます。真のクリエイティブな人は間違ってもよいと思える人です。テスラもたくさん間違いをしました。

アセンデットマスタークラブでも話しているのですが、成功する人間は18%を正しくやるんだと。あなたは50%、70%正しくやろう(とします)。それが大事なポイントではないですが。クリエイティビティはトライアンドエラーなのです。クリエーターは正しくやろうとしない。人間、メンタルな存在だけが正しくやろうとします。クリエーターはシンプルに創造するのです。何も気にしません。判断なく、大きな成果に囚われることなく、「私はクリエイトする。グレイトに動いた。私はクリエイトする。ワォ、思ったように動かなかった。」というだけです。

おもしろい事ですが。悟ったクリエイターはどこか他次元で完璧に作用していると理解できています。ここでそうならなかっただけ。エネルギーが厚く、チャレンジで、困難で、他の人や物事と組み合わさったからなのです。あなたが間違ったわけではありません。時間を先にいったのか、他次元で創造するのが好きなのか、材料が違っていただけです。真のクリエーターは経験として、正しい間違っているを気にせず、また創造します。クリエイティブはトライアンドエラーなのです。真のクリエイターは両方に喜びを感じます。もちろんうまく行けば、この次元で実現すればエクスタシーを感じます。あなたもよりうまく出来ます。

~Trust
来年、もう1つ大事なことは信頼することです。と言って疑わないというより、気づきについてのことです。来年、あなたが頼りにすべきは、あなた自身です。それには信頼が必要です。自分自身を信頼しないとうまく行きません。あなた方は自分を信頼していますと言いますが、やることや反応を見るにそうなっていません。信頼は一種、明け渡すことです。マスターにとって信頼とは「他には何もない、何も残っていない。それが全て。信頼しようと努力したり、信頼を信じさせたりすることではない。私の全て、他は去りました。」というものです。そうなると、真の信頼を発見します。来年は自分自身の信頼に入っていきます。

信じる必要はなく、ただ信頼して下さい。ただ、やって下さい。ただ自分自身を信頼するのです。間違ったことをしていると思っても、正しいのです。イエスを見て下さい。満点の星の中、愛の一夜を過ごし、教師の職を失いました。それも神聖さのなしたことだったのです。そのコミュニティから離れられたんですから。そこは退屈だったんです。

妻が死んだ時も罪の感覚がありました。「彼女を癒しておくべきだった。薬草のまじないを知っておくべきだった。神は私を聞き入れなかったから。自分は罪人なんだ。」と。それは彼にとって辛いことでした。でも、神聖さにより、コミュニティを離れ、学ぶことをやめれました。それはあなたであり、キリストシードだったのです。

イエスにとって、自分自身を信頼することは容易でした。それは自分が計画したことなのだ。コミュニティから離れることも、妻が死ぬことも、自分の命がなくなることも。私はクリエイターである。実際、彼はそうでした。退屈なコミュニティにはまった時の救済策だったのです。自分を探し始める救済策だったのです。妻が死ぬという困難な時でさえ、もし自分を信頼していたら、その知恵を理解したでしょうに。もし自分を信頼していたら、妻は死んでいなかったでしょう。起きなくていい事がたくさん起きました。人々が自分自身を信頼していれば、ジーザスは十字架で死ぬことはなかったのです。

あなたが自分自身をもし信頼していれば、起きなかったことがたくさんあります。もし力強く「私は得るものが、自分を信頼する以外何もない。」と言えば、経験が変わります。結果がエンライトメントということは同じです。あなた方の多くがエンライトメントをコミットしました。それは、この人生でのとても良いチャンスなのです。あなた方は知覚する素晴らしい、素晴らしいチャンスを持っています。もし、自分自身を信頼すれば。

信頼を教えるのは難しい。言葉で言ったり、メラブをやったりは出来ますが、あなたが自分自身を信頼しなければ、あなたはあなた自身を信頼しません。あなたが自分自身を信頼しなければ何が起こるでしょう?あなたがエンライトメントの道にいて、自分を信頼しないと、全てのものが剥がれていきます。

信頼を教えることは出来ません。内側を感じてください。あなたが「私は自分を信頼する。」と言った時、2つの事が起こります。1つは過去にひどい目にあったと言います。クリエーターシップはトライアンドエラーです。ひどい目には遭いません。経験です。第2に自分自身は信頼できるけど他の人は信頼できない。他人は自分をひどい目に合わせるから。私がガードを下げたら、彼らが入ってくる。彼らは私の家を、お金を全て取って行く。そんなことはありません。自分自身を信頼すれば、全ての人を信頼できます。

あなたが自分自身を信頼すると、信頼という文字が無くなります。他人が信頼について語りかけてきても、よく分からなくなります。何か古い、外国の言葉に聞こえます。他人を信頼することを考える必要はありません。それは、絶対的なもので、既にそこにあるのです。

あなた方の中には、「前にやったことがあり、ガードを降ろしたら他人に付け込まれた。」と言っている人がいますが、a)あなたはガードを下していなかったし、b)もしあなたが被害者エネルギーでいなければ他人が付けこむことはありません。彼らには出来ないのです。

あなたが自分を信頼していれば、他人を信頼できるとか出来ないとかいう状況にはいません。そうなりません。なので、誰かがあなたから何かを奪うのを心配する必要はありません。誰かが他人に付け込まれたという話を聞いたら、「私には、何も起こらない。なぜかな。」なぜなら、あなたは自分自身を信頼しているからなのです。

How Does It End?
では、明かりを少し暗くして音楽を流して下さい。
今日は、最後はどうなるかについて話して来ました。次回までの宿題でもあります。終わらないイエスのようにという人もいるでしょう。あまりいい例ではなかったですが。今は意識が変わっています。彼とは違う終わり方になります。

キリストシードの意識は、まだこの惑星に注がれています。地球はまだ用意出来ていないというノーイングネスも注がれていました。2000年かかり、戻って来ることも知らされていました。キリストシードがもたらされ植えられ、あなた方がそれを集めに戻ってくることを。

あなた方はそれにより便益を得ること、他の人のためではなく、自分のやめに受け入れると知っていました。この時代はハイウェイのようだとあなた方は言います。2000年が経ちました。2000年前にあなたがキリストシードをそこに置きました。なので、今、それはあなたのためにここにあります。あなたはこの地点に戻ってくる事が分かっていました。それを必要とし欲した地点です。そして、それはここにあります。キリストシードが生じた2000年前はエネルギーバランスが混乱していました。

あなたの混合体であるイエスはそれが分かっていました。彼にこういうプレッシャーがかかっていました。「花を咲かせるのは今だ。今、それをもたらすのだ。」と。しかし、イエスは「いや、準備ができていない。」と言いました。「では、いつ用意ができるのか。1年後か、10年後か?どうやって準備するのか教えてくれ。」イエスは「できない。あなたに用意が出来ていないことは言える。なぜなら、あなたは自分を信頼していないから。あなたはまだ私を基礎にしている。あなたはまだ私に救ってほしいと思っているし、あなたのためにミラクルを起こして欲しい、教えて欲しいと思っている。ぜんぜん準備が出来ていない。」

そしてイエスはあのように死に、一方で生きている。イエス物語は生きている。キリストシードエネルギーこの祝福は今も生きています。あなたの一部は戻って来るイエスであり「さあ、キリストシードは花を咲かせる用意が出来た。」と言っています。

あなたは用意が出来ましたか?自分自身を条件なく、深く明白にそして、もしや、でも、やらないと言うことなしに信頼する準備が出来ましたか?無条件に自身の神聖な信頼でいる準備はできましたか?たとえ、間違ったと思っても、それを超え、信頼の中にいて下さい。たとえ、あなたを恐がらせたり、深いレベルでテロられたり、病気や貧困や死の恐怖が持ち上がったとしても、信頼の状態でいる準備ができていますか?

シューガーコートして、「自分を信頼します。喜び、幸福、サンシャインや虹だから。」と言ってほしくはありません。それは同時に悪魔であり、ドラゴンです。あなたを怒らせる恐怖です。深く、絶対的自分自身を信頼するのです。たくさんの考えや質問をいうマインドを制圧するのです。お腹をスピンさせます。それが来年のツールです。幾人かの人にとっては、持っている全てのものが無くなり、銀行預金も無くなった。しかし、その信頼を獲得しました。

これについて、ジーザスゲームはしないで下さい。彼がやったような最後の迎え方をしないで下さい。なぜなら、信頼は全てを変えます。あなた方はそれを考えてしまいます。何も計画する必要はありません。その為にワークする必要もありません。信頼のレベルがやってくるのです。国税庁やエイリアンや陰謀といった、他人を心配する必要はありません。

あなたが、深くて、シンプルで、基本レベルの信頼でいれば、他のジャレごとはあなたにタッチしてきません。あなたに影響しません。次のシャウドまで、「どう終わるか。自分自身が信頼レベルにいることが出来るか。」というものがまた湧き上がってきます。Yes(はい)と答える前に自分を確かめたりするでしょう。しかし、これはメンタルコンセプトではありません。ノーイングネスでそこにいるだけということです。

あなたは全てを超えて飛んでいけます。深く呼吸をして下さい。

ノーイングネスにとっては、何が起ろうと、どんなに困難でも、どんなに驚くべきことでも、全ての創造において全てがうまくいっている。そうなのです。

Thank you.

-(翻訳)匿名希望さん