自由シリーズ シャウド9:
“いかにして生きるか”
ジェフリー・ホップによるアダマスのチャネリング
クリムゾンサークル 2013年7月6日
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私は〈私は在る〉であり(I Am that I Am)、至高かつ自由なる存在、アダマスです。
私たちの集まりへようこそ。特に、美しい音楽を披露してくれたヨハムには感謝したいと思います。もう少ししたら、私たちはもう一度あなた方に演奏を頼みたいと思います。(聴衆から笑い) (注: ここで言うヨハム(Yoham)とは、ゲルハルト・ファンクハウザー(Gerhard Fankhauser)、エイナット・ギルボア(Einat Gilboa)、アミール・ヤコビ(Amir Yakobi)の三人からなる音楽グループのこと)
あぁ、そうです、あなたが全く動じることなく皆の前でステージに立つことができるとき、それは真のマスターである証しです。というのも、これはほとんどあなた自身に関する問題だからです。ただその役を引き受けてください。ただそこにいてください。深く呼吸をして、自らの疑いや恐れから抜け出し、それをやり遂げるのを自分自身にただ許してください。(アダマスはヨハムの方を見て)もう少ししたら、彼らはその経験をするでしょう。(アダマスはくすくすと笑う)
ようこそ、親愛なるシャーンブラよ。ようこそ。皆さんにお会いできて嬉しく思います。実際のところ、驚いています。(アダマスはくすくすと笑う) あなたは実際には、私が話すことについて、既に知っているのです。
肉体と統合された悟り
「肉体と統合された悟り」(embodied enlightenment)と呼ばれるもの(訳注: 悟りに至った後も肉体を維持したままこの地球で生きるということ)……それは困難な旅です。そこに到達した人はまだほとんどいません。(訳注: 過去において、真に悟りを得た者たちの多くは、その後すぐに肉体を離れている) これはそれほど簡単なことではありません、そうではありませんか? それほど簡単ではありません。「『肉体と統合された悟り』。とても素晴らしいもののように聞こえる。それは一体どんなものなのだろう。」(アダマスはくすくすと笑う)
面白いことがあります。私たちがここに集まり、私が「『肉体と統合された悟り』とは何か?」と質問するとき、実際にそれに答えられる人はほんんどいません。ですが面白いことに、あなたは、(アダマスは聴衆の一人の頭に手を乗せて)ここ(頭)からではそれに答えられないかもしれませんが、(自らの胸に手を当てながら)既にそれを知っているのです。そういうわけで、あなたの中に、それほどまでの情熱や願望が存在しているのです。「肉体と統合された悟り」と私たちが呼んでいるものへの飽くなき願望をあなたは持っているのです。
「それが何なのか全く分からない。」 マインドは理解しません。決して理解しないでしょう。それを理解することは決してできません。そのための計画を立てることすらできません。それを解き明かすことはできません。しかし、あなたはそれが何なのか知っているのです。それを言葉で表すことはできません。もしかしたら、それについてのいくつかの曲――歌詞のない曲――は書けるかもしれません。ですが、あなたは知っているのです。だからこそ、あなたの中に、悟りと呼ばれるものへの深い深い切望があるのです。
ひとたび、あなたが自らの悟りを真に意識的に選択するならば――もちろん、あなた方のほとんどは既にそうしていると思いますが――あなたはもはや生徒ではありません。その時点でマスターです。このことをどうか受け入れてください。
いいでしょうか、あなたが、自らの悟りをまだ決めかねているとき、それを「いつか起こるかもしれない未来の可能性」と見做しているとき、この生涯で悟ることへの決心がまだついていないとき、あなたは全くもって生徒なのです。生徒の役を引き受けているのです。あなたは生徒になるでしょう。生徒というエネルギーを得るでしょう。生徒を教える教師を得るでしょう。しかし、あなたがひとたび「肉体と統合された悟り」への深く明確で意識的な選択を行うならば、あなたは本当にマスターなのです。そしてあなたは、マスターが――マスターだけが――引き寄せることのできるエネルギーを引き寄せ始めるのです。
「私は悟ることを選ぶ。」 あなたがこう明言するとき、あなたはもはや生徒ではありません。
その二つの間には非常に大きな違いがあることに、あなたもおそらく気づいているでしょう。自らの悟りを選択したからといって、あなたが優れた人間やより良き人間になるということはありません――もしかしたら少しクレイジーになることはあるかもしれませんが。それを選択したからといって、何か上流の人間になるということもありません。しかし、スピリチュアリティを学んでいる人とあなたとの間には大変大きな違いがあります。なぜなら彼らは、他人が作ったルールやガイドラインを、本当に山ほど勉強しているからです。
あなたと彼らとの間には非常に大きな違いがあります。彼らは、悟りを選択しているあなたとは異なる種類のエネルギーを得ることになります。あなたは、他の何よりも優先して「肉体と統合された悟り」を選択しています。ですから、残念かとは思いますが、あなたの家族や最愛の人たちを超えてください。そして――もしかしたらこれを言うのはスピリチュアル的には正しくないかもしれないというのを私は承知していますが――あらゆる全ての人々や物事よりも、自分自身を優先させてください。ですが、その「スピリチュアル的な正しさ」というのは、〈古いエネルギー〉における誤った信念の一つであったと言えるでしょう。それはニューエイジでさえ持っている虚偽の信念の一つでもありました。すなわち、「あなたは、自分以外の全ての人々に奉仕し、自分自身を役立たせなければならない」という考えです。
ですが今あなたは、「私は私自身のためにこれを選んでいる。他の何にもまして、家族よりも、富よりも、全てのルールよりも、あらゆる全てに優先して、人生でさえも――人生そのものでさえも――優先して、私はこれを選んでいる。」と大胆かつ明確に宣言することができるのです。そのとき、もはや死への恐れはありません。というのも――あなた方の大多数も知っているように――「肉体と統合された悟り」への過程において、あなたは何度となく死に直面するからです。あなたは物質的にそれに直面するかもしれません。夢の中や恐れの中でまさにそれに出会うかもしれません。そのような死はあなたのもとに何度となくやってきますが、究極的には、それはあなたに人生の美を理解させる助けとなるのです。
自由の問題
今日のシャウドは、いつもとは若干異なるものになるでしょう。(アダマスが手を広げて顔をしかめる仕草をしたので聴衆から笑い) あなたは、違っていたのは前回のシャウドだったと思いましたね。(アダマスは笑う) 今日は通常とは少し異なるものになります。いつものシャウドは、月に一度集まり、深く呼吸をして、ただ少しくつろいで、エネルギーが追いつくのを許します。あるいは、より相応しい言い方をすれば、少し阿呆になると言った方がいいのかもしれませんが、あなたはここで過ごす数時間の間、普段の日常から抜け出して寛ぐのです。それから、次のシャウドまでの30日間、そのエネルギーをゆっくりと自分のものにしていきます。これが通常のあなたのやり方です。あなたはいつもこのようにして一ヶ月を組み立てているのです。
今日は少し異なります。私たちは今日、大きな一歩を踏み出します。大きく飛躍します。(誰かが「素晴らしい」と言う) ええ、素晴らしいです。素晴らしいです。そう言っていられるのも今のうちですが。(聴衆から笑い) 私が何を用意しているか、彼女は全く知らないのです!
今日、私たちは意識において、大きな一歩を踏み出します。それにはいくつか理由があります。この新しい時代に入ってから6ヶ月が経ちました。それは興味深いものでしたが、同時に、挑戦的で困難な日々でした。新しい時代の一年目です。この6ヶ月についてどう思いますか? 興味深く、挑戦的で困難な6ヶ月。多くのことで満ち溢れていました。それが今日私たちがお話しする内容です。
あなたは現在、そのエネルギーにより、少し凝り固まっています。少し締め付けられるような感じになっています。そして、この状態から抜け出したいとも思っています。ですから、私たちは今日、シフトを行うのです。私たちは、ヨハムにここにいてもらい、彼らの音楽を通して、美しい〈メラブ〉を誘導してもらうという光栄に与りたいと思います。(聴衆から拍手。アダマスも拍手する) 〈メラブ〉は、私たちがただ許すとき、起こります。あなたが脇に退くとき、〈メラブ〉は起こります。文字通り、あなたの「でも」「だって」「だけど」を退けてください。前回が「黙れ!」シャウドだったとしたら、今回は「『でも』を退けろ」シャウドです。(聴衆から多くの笑い)
私が言おうとしていたのは……(アダマスは飲み物を飲む)
エディス: 今度はそのボタンを作らなきゃいいけど。(聴衆とアダマスは爆笑。アダマスはエディスの頬にキスをする)(訳注: 彼女は、前回のシャウドの後、ボタンを押すと「黙れ!」という音声が流れる「卓上ボタン」が作られたことに言及している)
アダマス: 彼女は今「今度はそのボタンを作らなければいいけど」と言いました。ボタンではありませんが、今私たちはポスターを作っています。(聴衆から再び笑い)
私が言おうとしていたのは、「でも」「だって」「だけど」というものがない悟り――美しく、そして素晴らしい悟り――についてです。というのも、あなたはこのように言うからです。「悟りか、よし。だけど……あぁ……うーん……」 あなたはこのようなあらゆる種類の「でも」「だって」「だけど」を持っていますが、それらは多くの場合、悟りへの障害となっているのです。
〈メラブ〉を行なう前に私が今日説明しようと思っているのは、あなたの「でも」がどのようにしてエネルギーの引き寄せを乱すのか、ということについてです。あなたの「でも」「だって」「だけど」は本当に、エネルギーの本来向かうべき方向を逸らしているのです。(このとき、聴衆の誰かがおならか何かをしたので、聴衆は大笑い) 私は今日は少し異なるだろうと言いましたよ。(アダマスも笑いながら言う)
「私は『肉体と統合された悟り』を選ぶ。」 以上です。「私は『肉体と統合された悟り』を選ぶけど、あぁ……〇〇のことはどうなるのだろう?」ではありません。〇〇の内容について、わざわざここで言う必要もないでしょう。私たちはこれらの話を既に散々してきました。もはやここで取り上げるまでもありません。ですが、あえて一つ例を挙げるとすればこういうものでしょう。「私の家族はどうなるのだろう?」 確かにそれは大きなものであり、大事なものです。あなたは自分の家族を大切にしていることを誇りに思っています。でーーーも。(聴衆から笑い) そうです。
さて、私たちが今日、「でも」をやるとき、それはただの「でも」ではありません。「でーーーーも! でーーーーーも!」です。ですから、私たちがとても幸運ならば、もしかしたらヨハムは「でも」ソングを歌ってくれるかもしれません!(聴衆から大きな笑い。アダマスも笑う) マスターG(訳注: ゲルハルトのこと)、あなたは全部聞いてしまったと思いましたね。(聴衆から笑い) 私たちはミステリースクールで一緒にワークしています。彼は神聖な音楽を作曲するアーティストです。ただし、「でーーも」ソングは一度も作ったことがありません。ですから今日はここで、とても創造的でいてください。
「私は『肉体と統合された悟り』を選ぶ。以上。」 それで終わりです。
もう、あなたから、「でも」「だって」「だけど」が出て来ているのが、私には聞こえます。「でも……だって……だけど……」 このようなあらゆる疑いと疑問があります。それは本当に、多くのエネルギーの引き寄せを乱しています。それをより一層難しくしています。「でも」「だって」「だけど」はやめてください。「肉体と統合された悟り」か、あるいはそうではないかの、どちらか一方です。つまり――それをどのように表現しても構いませんが――〈古いエネルギー〉の人間形態の中に留まり、どっちつかずで疑いながら、行ったり来たりして揺れ動いているか、それとも「肉体と統合された悟り」か、ということです。それが実際に、あなたの引き寄せるエネルギーのタイプを決めるのです。というわけで、私たちは今日そのことについて話す予定です。そしてその後で、〈メラブ〉をやります。
ですから、今日のシャウドはいつもとは若干異なるものになるでしょう。私はなるべく短めにしようにしようと思います、カウルダーがたくさん話さない限りは。(聴衆から少々笑い)
ヨハムの新しいCD『ミスティック・トラベラー(Mystic Traveler)』について、カウルダーは多くの推薦の言葉――高揚させるような熱烈な推薦の言葉――を述べていましたが、彼の発言にあなた方が色々と意見を言っていたのを私は聞きましたよ。(アダマスはくすくすと笑う)(注: ここで彼が言及しているのは、シャウドの前に行われる「ウェルカム・アンド・シャーンブラニュース」内でのことについて)
では、まず初めに、エジプトについて少し話しましょう。カウルダーから、今日少しの時間エジプトについて話してはもらえないかと頼まれたのです。
エジプトの動力学
私はエジプトで今起こっていることをあなた方に見てもらいたいと思っているのですが――あなた方の多くがニュースを見ないようにしているのは私も知っていますし、そのことを咎める気は全くありませんが――多くの興味深い動力学や動きが起こっています。現在この地で、非常に類まれなる歴史的な状況が展開されているのです。
エジプトはアトランティスの時代を起源とするいくつかの原型文化の一つでした。当然ながら、アトランティス以後、何万年もの間、それは地下に隠れていました。地下に留まっていました。ですが今、ついに地上へと現れつつあるのです。文明を再建しつつあります。エジプトはそれら原型文化の一つでした。エジプトは、アトランティス以後の地球にとって、スピリチュアルな中心地だったと言えるでしょう。
エジプト人は、非常に多くの研究を、彼らの非常に多くのエネルギーと意識を、スピリットの問題に費やしました。あなたも知っての通り、アトランティス人は「神」という概念を理解していませんでした。その概念を持っていませんでした。彼らは神を意識していませんでした。彼らは生命の根源については探求していましたが、あなた方が知っている「神」や「スピリット」や「永遠なる存在」については気付いていませんでした。アトランティス人は、より力学的で地上的な何かを探求していたのです。「生命はどこから生じているのか?」というように。
さて、地球に人々が再び戻って来たとき、エジプトに向かった人たちはとりわけ霊魂に関して興味を持ちました。それは現代において、よく「あの世(死後の世界)」と呼ばれているものです。彼らは「ただこの現実だけではなく、それを超えた何かがある」という理解を持っていました。彼らは他の次元を訪れる方法を学びました。いわゆる「地球近くの領域」に入り再び戻って来る方法を学びました。彼らは旅をしました。彼らの「星の船」や「太陽の船」で独創的なアストラル旅行を行いました。
他の文化や他の文明では、例えばギリシャ人の場合は、教養を確立すること、社会や共同体の調和、哲学、バランスのとれた判断力といったものをより重視しました。ローマ人の場合その文化は、市民であること、道路や都市や制度などの市民社会構造を確立することについてでした。他にも数多くの文化が存在しますが、エジプト人の場合は霊魂についてでした。
さて、あなたはファラオと奴隷がピラミッドを建設したという話をたくさん聞いたことがあるかと思います。ですが私は、それが事実だとは思いません。ファラオに関してでさえ、現在歴史に書かれているものとは異なります。というのも、ファラオは、その全国民に対する途方もないレベルの奉仕を行なっていたからです。彼らは、別の世界や別の次元に入って行き、そこで得られた知識と経験をここに持ち帰っていました。それは驚異的なレベルでした。これはあなたにとって少し馴染みあることに聞こえるかもしれませんが、当時それを行うことは、今よりも遥かに難しいことでした。エネルギーが非常に濃かったのです。
どういうわけかその後、エジプト人は何千年もの間、抑圧を経験することになりました。彼らはスピリチュアルな旅をすることはできましたが、今を生きることや人間としての日々の暮らしのことを少々忘れていました。そのことが、支配することに関心を持つ者たちに付け入る隙を与えることになりました。とりわけ、外部から別の支配者や指導者が入って来て、彼らの土地を占領しました。その結果、多くのエジプト人は奴隷となり、彼らの基本的な自由は奪われました。
それから何千年もの間、エジプト人は専制君主――ハートなきファラオ、自由への理解なきファラオ――による支配を受けることになりました。彼らは他人によって支配され、統制されていました。
自由を取り戻したいという途轍もない欲求があります。これに関して、あなたはこのように言うことができるでしょう。専制政治や抑圧されることや他人から命令されることを経験を通して徹底的に探究することは、実際のところ、「次元(時空)をまたいだ経験」の一部なのだと。そして、「自由とスピリットを真に理解し、それを『今』にもたらし、身体で体現できるようになるための計画」の一部なのだと。
そういうわけで、この自由への切望が近年になって湧き起こりました。あなたはそれを見ました。その歴史的瞬間を見ました。そして、それは非常に興味深いものでした。私はそれについての論評や議論が少なかったことに驚いているのですが、それは激しい暴力を伴うような反乱ではありませんでした。ほとんど人命も奪われることなく、非常に短期間のうちに起こりました。(訳注: 2011年のエジプト革命のこと) それは単に移行でした。突然のことでした。長期に渡って在任していた独裁者が突然、ただ辞任しました。(訳注: ムバラク元大統領のこと。在任期間は1981年~2011年) 軍は彼の支持には回りませんでした。実際のところ、民衆を守りました。なぜなら、ある興味深いことが、特にこの20~25年くらいの間ずっと、エジプトに起きていたからです。
たくさんのエネルギーが、神殿やピラミッドや大地そのものの中に保持されていました。過去の数多くのファラオたちや、他の領域から持ち込まれた多くのエネルギーが、そこに保持されていました。といっても肉体的に存在していたわけではありませんが――それらは神殿に残っています。ですが、20~25年くらい前から、それらの壁の内部に保持されていたたくさんのエネルギーや意識が――エンティティでさえも――解放され始めたのです。
あなた方の多くが、この10年20年の間、エジプトに行くことに引き寄せられていました。なぜだったのでしょうか? あなたはそこに行って、神殿を見たり大ピラミッドの中で波長を合わせたりしていましたが、それはその理由の一部でしかありませんでした。あなたがそこに行くことに引き寄せられた本当の理由は、あなたが「新しいエネルギーをもたらす者」の一人として、ただそこにいるためでした。ちなみに、それは前回のシャウドのタイトルでした。(聴衆から少々笑い) 「新しいエネルギーをもたらす者」として、「肉体と統合された悟り」を明確かつ意識的に選択している者として、ただそこに存在しているために、あなたはエジプトに行くことに引き寄せられたのです。
あなたがそれらの神殿の中に入って、その壁を触り、そこの空気を吸い、その中で実際に波長を合わせたとき、その壁やその土地の中に――そこの人々にさえ――保持されていたそれらのエンティティやエネルギーが解放され、自由にされました。それはバトンを渡すようなものでした。彼らはあなたの存在を感じました。新しい者たちがついにやってきたことを知りました。ようやく彼らは、遠い昔から担ってきた「エネルギーの保持者」としての役割から解放されることができたのです。
彼らが、新しい者たちがやってきたことを知って、エネルギーを保持する役割から解放されたとき――ある意味、一種の「クリスタルの牢獄」から解放されたとき――同時に、彼らが抱いている深い愛情、エジプトと呼ばれるこの土地への深い愛もそこから解放され、自由になりました。
彼らが抱いているその愛、その愛情は、宗教というものを超えています。遥かに超えています。政治を超えています。「西洋文化 対 東洋文化」といったものを超えています。それはあらゆる全てのものを超えています。「人類が、あらゆる宗教、あらゆる規範を超えて、真のスピリットを意識すること」への幕開けにおいて、非常に重要な役割を果たしてくれているのは、この土地への彼らの深い愛なのです。
これら解放された多くのエンティティやエネルギーは、ベールの向こう側には行きませんでした。彼らはエジプトに留まることを選びました。エジプトの――その国民やその土地の――自由を選ぶどんな人に対しても、愛を持って支援するために、そこに留まることを選びました。今なお、非常に多くのエネルギーがそこに留まっています。彼らは今もエジプトの地に存在しています。ですからあなたは、普通では考えられないような奇妙なことがエジプトと呼ばれるこの場所でたった今起こっていることに、気づくことができるでしょう。
このニュースをここ数日見ただけでも、そのことが分かるでしょう。これをクーデターと呼んでいる人もいますが、実際には――非常に奇妙なことのように思われますが――ファラオや神官など、アストラル旅行や次元間の領域について真に理解しているこれら古代の者たちが、このことに関係しているのです。彼らは今、エジプトの自由を選んでいる人々を支援するために、その人たちの周りに存在しています。そして、一つの興味深い連携が、これら古代の者たちと軍との間になされています。そのようなものはめったに見ることのできないものです。全くもってお目にかかれるものではありません。これらの…………私はここでカウルダーと少し話をしています。彼は誰か他の人間がこれを聞いてはいないかと心配しているのです。そんなことがいまさら問題でしょうか? 何の問題もありません。よろしい。では私たちは、それをまさに言うことにしましょう。
大将や最高司令官の肩書きを持つこれらの軍の指導者たちは、実際には非常にスピリチュアルな人たちなのです。彼らはスピリチュアリティを本当に理解しています。エジプトの魂とハートを理解しています。彼らは軍服を着ていますが、その内側では非常に神聖な人間なのです。
彼らは現在、過去から解放されて神殿からやって来たエンティティやエネルギーとともに行動しています。「エジプトの自由のために、エジプトの人民のために、真に働いているそれら古代の者たち」とともに行動しています。
さて、一般的な人々……ああ、ここで少し時間を巻き戻しましょう。数年前、私はあなた方に「自由」について話しました。人間たちは本当に「自由」への準備ができているのでしょうか? このように質問すると、彼らは当然のことのように、全員がうなずいて、「もちろん」と答えます。ですが、本当にそうでしょうか? この質問は「あなたは本当に『悟り』への準備ができているのですか?」と言っているのと同じなのです。あなた方はこう答えるでしょう。「そうですね、もちろんです。それは素晴らしいことです。かかって来いです。でも……」 ここから、「でも」「だって」「だけど」に関する話に入ります。
エジプトは現在、あらゆる点で、非常に興味深い実例です。長年に渡り非常に一般的な自由すら持てなかった独裁政治が終わりを告げた後(訳注: 2011年のエジプト革命)、一つの問題が発生しました。「彼らは自由を上手く扱うことができるのか?」ということです。
さて、ある意味で、彼らは「はい」と答えました。多くの血が流されることなく、彼らは独裁者(訳注: ムバラク元大統領)を排除しました。そして突如として、自由の味を――まさに自由の味を――覚え始めました。ですが同時に、突然、「でも」「だって」「だけど」が近寄って来ました。疑いがやって来ました。彼らは疑問を抱き始めました。「我々は本当に自由を扱えるのだろうか? 自由とは何なのだろうか? 自由は我々をただアメリカやカナダのようにするのだろうか? 自由は我々を堕落させるのだろうか? 自由は我々を資本主義者にするのだろうか? 自由とはアッラー(神)に背くものなのだろうか?」 彼らがこのようにたくさんの「でも」を発したとき、何が起こったのでしょうか? 彼らがそうした瞬間、エネルギー――別のエネルギー――がやって来たのです。それがまさしく起こったことです。自由についての疑いがエジプトに入って来たとき、彼らは実際に自由を上手く扱うことができたのでしょうか? 社会基盤を整備することができたのでしょうか? 一個人の人間として自由を上手く扱えたのでしょうか? 他人への思いやりを持つことができたのでしょうか? 自由を手にすることによって、それ以前にはなかった様々な課題もまた、もたらされます。彼らは自分たちの人生に責任を持つことができたのでしょうか? 外国の援助から卒業することができたのでしょうか?
彼らが――あの素晴らしい自由の味を初めて味わった後――自由に関する「でも」を口にし、自由について考え込んでいたとき、何が起きたのでしょうか? ええ、このように言えるでしょう――ウイルスが近づいて来たのです。セクシャルエナジー・ウイルスとかどんなふうに呼んでも構わないのですが、思惑や企みを持ったウイルス、不調和な状態にあるウイルスが急速に近寄って来ました。なぜなら、この段階にいるとき、人はこのようなウイルスの影響を非常に受けやすい状態にあるからです。一方では「そうだ、私たちは自由が欲しい」と言いながら、他方では自由について心配し疑問を抱いているのです。
では、実際の現実においては、どのようなことが起こったのでしょうか? 名前や組織といったものは関係ありません。それがムスリム同胞団であろうが聖なる女性同胞団であろうが、それは問題ではありません。何が起きたかと言うと、エジプトへの愛や愛情とは無関係の思惑を持った者たちがやって来たのです。彼らは非常に素早く、また楽々と事を進めて、全ての物事を変更し始めました。ですが、このケースにおいては、興味深いことが起こりました。
エジプトに対するあの深い愛、深い愛情は、依然としてそこにありました。依然、強いままでした。過去のエンティティたちは手出しすることなく、じっと成り行きを見守ってました。彼らは起こっていることを観察していましたが、ある時点で、この土地を本当に愛する人間たちと一体化して、言いました。「もうたくさんだ。」 突然でした。「もうたくさんだ。」 武力による威嚇はそれほどありませんでした。騒ぎもあまりありませんでした。「あなたには48時間ある。それまでに立ち去れ。」 そしてそれは起こりました。それが起こった日、今回の場合も、流血はあまりありませんでした。(訳注: 2013年7月3日、軍によりモルシ(前)大統領が解任される)
さて、その後、エジプトへの愛なき企みや思惑を抱いている勢力が近づいて来ました。そして今、彼らはエジプトの真のハートと魂を試そうとしています。「あなたたちは本気なのか? おそらくあなたたちは我々を実際に必要とするだろう。おそらくあなたたちは自由への準備がまだできていないのだ。おそらくあなたたちには多くの規則や組織が必要だろう。おそらく規律が必要だろう。おそらく全ての女性はベールを着用すべきなのだ。」 私たちはこのような言葉を延々と続けることができるでしょう。
これは宗教についての問題ではありません。「支配とコントロール」に関することなのです。これは何か特定の宗教的・哲学的な信念についての問題ではありません。「自由」に関することなのです。あなたは、特にこの数週間の間に、これがどのように振り落とされるのかを見ることになるでしょう。それに興味をそそられることでしょう。
今話してきたことはエジプトの物語ですが、あなたも既に分かっているように、これはあなた自身の物語でもあります。あなたは、エジプトにおける「自由」を、あなた自身の中の〈私は在る〉(I Am)と置き換えて考えてみることができます。
あなたは長い間、「自分以外の何か」による自分自身への独裁政治を自らに許してきました。それは、あなたの両親であり、先生であり、社会であり、信念体系であり――おそらく他の何にもまして――あなた自身のアスペクトであり――そしてある程度は――あなたのマインドでした。あなたは自分自身へのこのような支配とコントロールを自らに許してきました。ですが、この全てのときにおいて、自由への願望、悟りへの願望がありました。
悟りを得たいという願望は、この惑星に何度も何度も繰り返し生まれ変わる輪廻のサイクルから解放され自由になりたいという願望でもあります。そのサイクルをしばらく続けていると、少々うんざりするものです。あなたはもう次に進むときです。
あなたは、「自分自身の自由」、「自分自身の悟り」に対する願望を抱きました。そしてある時点に至ったとき、あなたはそれらの独裁者たちを追放しました。あなたはアスペクトロジーについて学び、それから自分のアスペクトに向かって言いました。「出て行きなさい。もしくは統合されなさい。何であれ、もはや私は、お前が私の現実で走り回るのを許すつもりはない。」 あなたは〈私は在る〉を学び、それを宣言し始めました。すると、自分の内側深くからそれを感じることができました。「私は〈私は在る〉である。それが私の自由だ。それが私の至高なる主権性だ。」 私たちは現在、「自由シリーズ」にいます。ここ数年に渡り、数多くのシフト、数多くの変化が実際に起こりました。
ですが、そこには、たくさんの「でも」「だって」「だけど」がありました。たくさんの「でも」や「だって」、たくさんの不安や心配、たくさんの疑いや疑問がありました。「何が起こるのだろう?」「もしかしたら私はこれを正しく行なっていないのかもしれない。」 以前していた物事や昔の友人の元に戻ってしまうことも何度もありました。あなたはそのようなことをしても全く自分自身のためにはならないと自分でも分かっていましたが、あなたはそこに戻りました。居心地が良かったからです。あなたはそこに戻り、自らの真の願望から気を逸らせる様々な物事や人々やアスペクトが再び走り回るのを、ある程度、許しさえしました。
一体なぜこのようなことが起こるのでしょうか? なぜならば、このとき、あなたのもとに、何らかの目論みや思惑を持ったエネルギーが入って来るからです。それは他人によって表されたものかもしれませんが、おそらくその多くはあなた自身のアスペクトによるものです。そして――(リンダが彼に飲み物を手渡す)ああ、ありがとう――それは入って来て、あなたを乗っ取り始めます。以前の物事が再びあなたの現実で走り回り始めます。なぜなら、その時点のあなたは、それらの影響を極めて受けやすい状態にあるからです。
ですがその一方で、私たちは今日のように、一緒に集まる日を持ちます。一緒に集まって、私たちはこう言うのです。「もうたくさんだ。」 あなたには48時間も要りませんね。5時になるまでの時間で十分です。あと1時間20分ですが。(聴衆から少々笑い) それで十分です。できます。
エジプトは実際、今起こっていることの本当に良い実例です。人々であろうと国であろうと何であろうと、彼らは自分たちの自由を選んでいます。あなたが経験しているそのサイクルと進化を、そしてそのいくつかの挑戦を、選んでいます。
そういうわけで、今日もう少ししたら、私たちは大きなシフトを実行したいと思います。小さなものではありません。大きなものです。大きなものです。
調子はどうか?
ですがその前に、あなたに質問をしましょう。前回のシャウドで私たちは、あなたは「新しいエネルギーをもたらす者」なのだということを話しました。それは実際、とても強い印象を与えるタイトルです。軍隊において大将であることよりもずっと強い印象を与えます。それは実際、会社で社長であることや国家で大統領であることよりも困難で挑戦的なことです。もしあなたが「存在する全ての仕事のストレスレベルが載っているリスト」を手にすることがあるならば(聴衆から少々笑い)、おそらくそれが最上位であるとさえ言えるでしょう。本当です。それは一番上でしょう。あなたは単に少しだけ変化しているのではありません。大きく変化しているのです。あなたは日々自分自身と向かい合わねばなりません。それは全ての人間がいずれ取り組むことになる最も困難な仕事です。彼らは、自分自身と向き合わずに済むためのあらゆる活動を世界中から見つけてきて、それらで自らの人生をいっぱいにしています。あなたはどうでしょう? あなたは自分自身と向き合うことを選んでいます。それは最も困難なことです。人間が行ない得る中で、最も困難で骨の折れることです。
ですから、ここにいるあなた方は「新しいエネルギーをもたらす者」です。それをどんな呼び方で呼んでもらっても構いません――「もうじき悟りを開くことになっている者」であろうと、「この地球に〈新しいエネルギー〉をもたらしている者」であろうと…………ここで今カウルダーが、私がただあなた方を――何というか――少し大げさに持ち上げて良い気分にさせているだけではないのかと尋ねているのですが、全くそうではありません。私が先ほど、ここにいるあなた方に驚いていると言ったのは、そういう理由からです。私は本心からそう言ったのです。私はあなた方が今もここにいることに驚いています。つまり、あなた方が今もなおこの地球に留まっていることに驚いているのです。(アダマスと聴衆は少々笑う)
それはストレスの多いことです。非常に挑戦的で困難なことです。なだらかに進んでいくものではありません。直線的に進んでいくものではありません。あなたの取り組んでいることは、度肝を抜かれるようなことです。
今あなたはここにいます。「新しいエネルギーをもたらす者」、「自分自身を解放する者」としてここに存在しています。調子はどうですか? どんな具合ですか? 私はこれからあなた方に質問しますが、この質問への私の答えはありません。私はもう既にそれに答えているからです。あなたが自分自身に聞いてください。そして、他の人からも聞いてもらってください。なぜこれを聞くのかと言うと、絶えずあなたは疑いや疑問を抱いているからです。「それは本当なのだろうか? 私は正しいことをしているのだろうか? これは重要なことなのだろうか? 私は単に少しおかしくなっているだけなのだろうか? もしくは本当におかしくなってしまっているのだろうか?」 ですから少しの間、他の人たちとそれについてお互いに聞き合ってください。そうすればあなたは、自分が実際に取り組んでいることがいかに偉大かを理解し始めることでしょう。
あなた方の中にはこのように考えている人もいます。「ええと、私はただの中間管理職で……」(アダマスはくすくす笑う) あなたとはプライベートセッションを持ちたいと思います。それは正しておきましょう。(冗談っぽく言う) しかしあなたはまだこう言っています。「そうは言っても、私はただの中間管理職なんだ。履歴書を見ても大したことは何もしてこなかった。だから私はただの……」 いいえ、違います。違います。そうではありません。あなたは「ただの」ではありません。あなたは、〈新しいエネルギー〉をもたらすという非常に困難な仕事に取り組んでいる、本当に凄い存在なのです。
あなたはあらゆることを経験しています。あなたがこの地球にやって来る以前の過去にすら遡って、あらゆることを経験しています。あなたはそれらを、遡って経験しています。そして、それらのエネルギーのバランスを回復させ、意識とエネルギーを解放し、自由にしています。あなたが現在経験していることは全く前例のないことです。あなたは自分の取り組んでいることについて、自分自身を称賛し、誇りに思うべきです。私はぜひあなたにそうしてほしいと思っています。それはあなたの普段の仕事とは関係ありません。それは単なる変装です。ただの気晴らしです。あなたが自分自身と向き合って取り組んでいることは、意識活動に関することなのです。それはこの地球全体に影響を与えています。それだけではなく、この宇宙全体に影響を与えています。それはあらゆる創造物に影響を与えているのです。
というわけで、調子はどうですか? リンダがマイクを持っていますので、私と話したいと志願する驚くべき人は、彼女からそれを渡してもらってください。
調子はどうですか? 何を経験していますか? 困難なことは何ですか? この終わりに、少しだけ私自身の答えを述べることにしましょう。ただし……
リンダ: おぉ、なんて衝撃的。
アダマス: あなた方の答えも同じように正当なものですよ。(マイクを持った女性に向かって)調子はどうですか?
イウォナ: すごくいいわ、実際に。
アダマス: 素晴らしい。調子はどうですか?
イウォナ: 本当に、すごくいいわ。
アダマス: ええ、ではもう一度言ってください。私たちはこれを三度聞く必要があります。調子はどうですか?
イウォナ: (大きな声で)完全に、ものすごくいい!(彼女はくすくす笑う)
アダマス: よろしい。よろしい。よろしい。身体の痛みはありますか?
イウォナ: 少しだけ。おなかの問題です、ええ。でも、かつてないほどにクリアだわ。
アダマス: かつてないほどにクリア。いいですね。あなたの態度で何か修正することはありますか?
イウォナ: まあ、私の意地が悪いって意味かしら? その通りよ。(本人も聴衆も大笑い)
アダマス: ああ! いいですね。いいですね。そして……そうです。今私たちは真実に辿り着きました。素晴らしい。素晴らしい。あなたは自分が意地悪な女であることを気にしているのですか?
イウォナ: いえ、違うわ! 私はそれが大好きなの!(聴衆から笑い)
アダマス: 素晴らしい。(アダマスはボードに「意地悪」と書く)
リンダ: あら探し屋ね。
イウォナ: そう!(彼女は笑う)
アダマス: よろしい。それで、あなたはなぜ自分が意地悪になると思っているのですか?
イウォナ: 私はもう全然気にしていないわ。今は悟ることが全てよ。
アダマス: いえ、私はあなたに……
イウォナ: 私に「でも」はない!(聴衆から拍手)
アダマス: 私はあなたにもう一度それを言ってもらいたいと思います。
イウォナ: 私に「でも」はない!
アダマス: それを、もう一度言ってください。あなたはなぜ少し意地悪なのですか?
イウォナ: 私は気にしません。
アダマス: 素晴らしい。
イウォナ: 私にとっては悟りが全てです。ここには「でも」はありません。
アダマス: ああ、いいですね。いいですね。ありがとう。ありがとう。大変素晴らしい。(聴衆から拍手)
では次の人。調子はどうですか?
ラドンナ: ええと、私は本当に先月忙しくて……
リンダ: 敬意をちゃんと受けられるように、椅子から立った方がいいわね。
ラドンナ: 分かったわ、わぁ。今、私は首にひどい痛みがあるんです。
アダマス: 首の痛み。
ラドンナ: それで、なんでか分からないんです……5日間くらい続いていて。
アダマス: 私たちは今日、それを変化させましょう。
ラドンナ: 分かりました。
アダマス: ええ。
ラドンナ: それで……
アダマス: どうして首が痛むのですか?
ラドンナ: たぶん、何かで痛むんだと思います。(聴衆から笑い) 私も今それが何なのか見つけようとしているんです!(彼女はくすくす笑う)
アダマス: あなたの首の痛みは何なのでしょう? 私たちはそこに降りて行きます。あなたは既に知っていますよ。
ラドンナ: 私はただもっと先に進みたいと思っているんですが、時々、私の家族が私の邪魔をしているように感じるんです。(彼女は自分の言ったことに対して突然笑い出す)
アダマス: なぜあなたはそのように笑うでしょう? 彼らはたった今(ライブ映像を)見ていますよ。(アダマスや聴衆は笑う)
ラドンナ: 彼らは見てないわ! 信じて、見てないから! 彼らは私がおかしくなったと思っているわ、本当に。(聴衆から笑い)
アダマス: ええ、家族です。なぜあなたは、家族が自分の邪魔をするのを許しているのですか?
ラドンナ: (ため息をついて)分かりません。
アダマス: いや、あなたは分かっています。(アダマスは頭を抱えながら)おー、あぁ……
ラドンナ: (くすくす笑いながら)分からないんです!
リンダ: (アダマスがラドンナの目の前まで来たので)おぉー!
アダマス: あなたはトイレに行って5分間そこに一人でいる必要がありますね。(聴衆から笑い) トイレに行ってください。その言葉はここでは使ってはならないものです――「分からない」という言葉です。私たちはもうそれを決して言いません。(トイレに向かって小走りする彼女に向かって)5分ですよ。一人でいてください。明かりは消してくださいね。(聴衆から笑い)
リンダ: こんなことしたら、誰もあなたと話さなくなるわよ?
アダマス: サンドラ、彼女をチェックしに行ってくれませんか? 今何か妙な様子でしたから。それで……(アダマスはくすくす笑う)
リンダ: それがあなたの悪いところなのよ。
アダマス: 私たちがなぜこのようにふざているかというと――といっても、私は大真面目ですが――「分からない」という言葉は言ってはならないことを理解してもらうためです。あなたは自分の中で、既に正確に知っているのです。「分からない」と言えば、それを実際に知ることができなくなります。深く呼吸してください。あなたは本当に知っています。あなたは全てを知っています。それは驚くべきことです。(ラドンナがトイレからもう出て来たので聴衆から笑い) (彼女に向かって)お経でもマントラでも唱えていてください。
よろしい。では次の人。調子はどうですか?
ケリー: 素晴らしいわ。
アダマス: よろしい。調子はどうですか?
ケリー: 実は、人間関係が本当に最悪で。
アダマス: なぜ? なぜ? なぜ?
ケリー: (ため息をついて)彼らは本当に酷いのよ。
アダマス: ええ。
ケリー: なぜかって、人は誰でも自分に妥協するものだからよ!
アダマス: ええ。それで、なぜあなたもそうしているのですか?
ケリー: ええと、セックスは良かったわ。(聴衆は大笑い) 私は正直であろうとしているの!
アダマス: 実際には?
ケリー: 言った通りよ。
アダマス: 私は今あなたと話していますので言いますが……そうではありませんでした。あなたはほとんど憶えていませんね。(聴衆からさらに笑い。誰かが「どうして知っているんですか?」とアダマスに聞く)
ケリー: どういうこと?
アダマス: 私はそれを見ていたからです!(聴衆から笑い)
ケリー: 気味が悪いわ。(アダマスはくすくす笑う)
アダマス: 人間関係。人間関係。あなたの人間関係はどこから来ますか?
ケリー: え? 私の人間関係がどこから来るかってこと?
アダマス: ええ、ええ、ええ。
ケリー: 私たちはここで出会ったの。
アダマス: 本当ですか?
ケリー: ええ。
アダマス: どこであなたは出会ったのですか?
ケリー: 誰がどの男と?(聴衆から笑い) えーと、それから子供ができて……ところで、あなたは私たちに十分なアドバイスをしてくれないわね。私は今あなたにそれを言っておこうと思うわ。私にはあなたが私たちを助けてくれるようには感じられないの。
アダマス: おやおや。ですが私はそうしていますよ、親愛なる人。ただ私は、悟りを得たときの生涯においては子供を持つことはありませんでしたが。(聴衆から笑い)
ケリー: 知ってる! 前に聞いたわ。で、私は一体いま何を言おうとしてたんだっけ? そうそう、私は彼を心から愛しているの。でも時々、彼のことを足で蹴飛ばしたくなるのよ。ほら、樹の幹を蹴るみたいに。
アダマス: あなたは自分の夫のことを話しているのですか? それとも子供のことですか?
ケリー: ええと、両方。彼ら両方よ。
アダマス: さて、私たちはここで話をしていますが、私はあなたが「素晴らしい」と言った最初の地点が好きです。今、私たちはどこにいるのでしょう?
ケリー: いえ、本当は素晴らしくなんてなかったの。嘘を付いたのよ。
アダマス: ええ、ええ、ええ、ええ。それは嘘ではありませんでした。それは単にちょっとした……トバイアスがいつも言っていたような……
ケリー: 装飾?
アダマス: ……三度尋ねます。人間関係。あなたはそれに関して何をしようと思っていますか?
ケリー: 物事を許すこと……
アダマス: ありのままの彼らを許すこと。その通り。それは素晴らしいことです。それは私たちが行なっていることです。
ケリー: 私は自分の豊かさを呼吸しようと思うわ。そうすれば彼を捨てられるから! 外に蹴り出せるわ。
アダマス: あなたは何をしようと思っていますか?
ケリー: もうみんな分かってると思うけど、私には先々の計画なんてないの。それは明らかよ。
アダマス: どう見ても明らかですね!(聴衆から笑い) すごい!(アダマスは笑う)
ケリー: もし彼がこれを見ているなら、後で本当にまずいことになるわ。
アダマス: いえ、彼は見ていません、実際に。彼はあなたを待っています。あなたが……
ケリー: 彼らはドアの前で待っている……
アダマス: 彼は、あなたが自らの悟りを受け入れて選択するのを、待っているのです。
ケリー: それは深いわ。感謝しなきゃ。
アダマス: ええ。
ケリー: それにすぐ取り掛かろうと思います。ありがとう。
アダマス: 他に何か経験していることはありますか? あなたの人生でより多くを占めているような経験は?
ケリー: ストレス!
アダマス: ありがとう。よろしい。それについて何をしていますか?
ケリー: 少し泣くことかしら。
アダマス: ええ。よろしい。
ケリー: 一人で泣いて、そのまま寝てしまって、それから……
アダマス: ですが実際は……あなたは我慢しています。できるなら私たちはこれを全て改めたいと思いますが……
ケリー: いいわ。
アダマス: ではまず口を閉じてください。私たちは今日大きなシフトを行うつもりです。
ケリー: ウゥー。
アダマス: 今は私が話していますので、その間は少し黙ってください。私たちは今日大きなシフトを行います。ええ。あなたはパーティの日だと思っていますが、今日は祝いの日です。
ケリー: どっちもできる? それとも……
アダマス: もちろん可能です。
ケリー: 分かりました。ありがとう。
アダマス: この後あなたが静かにしているなら、できます。(聴衆から少々笑い)
ケリー: じゃあ、そうするわ。
アダマス: よろしい。
ケリー: 個人的な挑戦だわ。
アダマス: では「ストレス」、と。(アダマスはボードに書く) ここにあと数人分書きましょう。(アダマスは全員に向かって)「肉体と統合された悟り」への旅はどんな具合ですか? 「新しいエネルギーをもらたす者」である調子はどうですか? (アダマスはボードを指して)これまでところ、これは多くの人が注目するようなリストではありませんね。(聴衆から笑い)
(アダマスは男性に向かって)どうぞ。どうぞ。
ローレンス: こんにちは。私は今、確実に試されている状況にあります。
アダマス: 試されているとはどういうことですか?
ローレンス: 私は試されていて……恐れに直面しています。
アダマス: よろしい。(アダマスはボードに「試されている」と書く) ここに書くには打って付けのものですね。誰があなたを試しているのですか? その恐れとは何ですか?
ローレンス: ……裁判官や警察やFBIです。(聴衆からいくらか笑い)
アダマス: それらはあなたを試すでしょう。それらはそうするでしょう。ええ。
ローレンス: 私は生まれてからずっと「いい子」でした。その後、私は目覚め、様々なことを学び、そして、そういったものに従うことや同意することから降りようと、まさに決意しました。
アダマス: ええ。
ローレンス: ですが、彼らはそれが気に入りません。
アダマス: ええ、彼らはそうです。
ローレンス: それで、私は彼らに……
アダマス: ですが、それが気に入らないのは本当は誰なのでしょう? そこに大きな「でも」「だって」「だけど」を置いたのは本当のところ誰なのでしょうか? 裁判官や警察や当局とは誰なのでしょうか?
ローレンス: 企業も?
アダマス: 企業もです。
ローレンス: 人々を支配する存在です。
アダマス: しかし、企業や裁判官や警察とは本当は誰なのでしょう? 誰が本当にあなたをコントロールしているのでしょう?
ローレンス: 私です。
アダマス: ありがとう。ありがとう。ただし、それは外在化されたものです。外側で現象化されたものです。……では何のために?
ローレンス: 自分を試すため。
アダマス: そう。
ローレンス: 外側に投影してそれを自ら経験するため。
アダマス: 全くその通りです。そしてある意味それは、あなたが自分自身に対して実施している、興味深いテストです。そして、あなたが自分自身に対して強いている、あなたの内なる権力やコントロールです。今あなたは、それらをより明確に把握するために、大々的に外側に投影しています。ですが同時に、それらを非難したり、それらと戦ったりする傾向もあります。しかしそれは実際には、単に自分自身に対して行なっていることなのです。
私のこれまでの全生涯において出会った人々の中で最も自由だった者たちの中には、絶対的な独裁者が支配する国々に住んでいた者たちもいました。しかし、彼らはその存在に気づきもしませんでした。気にすることさえ全くありませんでした。警察や裁判官や企業といった、そのようなものを一切気にしませんでした。なぜなら、彼らは自由だったからです。あなたが真に自由であるとき、いかなる人間も――たとえ異星人であろうと、どんな場所にいるどんな存在であろうと――あなたからそれを奪い去ることはできません。あなたは牢獄の中で生きていても、完全に自由であることができるのです。そのような人も実際にいます。今言ったことを憶えておいてください。
ローレンス: ふーむ。
アダマス: では恐れについて。それは何に対する恐れなのか? 試されることです。あなたは彼らによって試されることを恐れています。あなたが構わないのなら私が言いますが……
ローレンス: 実際には、私の信頼を試しています……
アダマス: 何に対する?
ローレンス: 全てがただありのままに完璧であることに対する信頼です。
アダマス: そうでしょうか?
ローレンス: ええと、それは……(彼は苦笑いする)
アダマス: この後の時間で……
ローレンス: それはきっと、完璧に正当な理由での、完璧なる非完璧性なのでしょう。
アダマス: (彼の発言の途中から、遮るように)この後の時間で、あなたは今の状況を変化させることができるでしょう。
ローレンス: 私は今、それに取り組んでいます。
アダマス: ええ。
ローレンス: そして……
アダマス: あなたは「風車に向かって突進する」という言葉を聞いたことがありますね。本当には存在しない想像上の敵と戦うというものです。
ローレンス: ええ。
アダマス: 少しの間はそれも楽しいものです。ですが、企業、軍、抑圧者、迫害者――彼らは単にそこで、あなたに仕えているにすぎないのです。
ローレンス: はい、私は今それに取り組もうと……
アダマス: それは単なる哲学上の話ではありません。本当のことです。彼らはただそこであなたに仕えています。非常に長い間、エジプトの独裁者たちはそこに住む人々に仕えていました。その後、狂信的な過激派グループがやって来て、次に彼らに仕えました。ですから、起こっている全ての物事、起こっているあらゆる全ての物事は、ただそこであなたに仕えているのです。ただそれだけなのです。
あなたが陰謀やあなたを抑圧する外部の力から離れる準備ができたとき、それらもあなたから離れるでしょう。あっという間に、ただあっけなく、そうなるでしょう。
ちょっとした興味深いゲームがあなた方全員の中で続いています。あなた方全員です。興味深いゲームです。それは気を逸らせるものです。自分自身と向き合わずに済む見事な方法です。自分自身の外側で自らの課題に直面することになる見事な方法です。ですが、私はこう言えます。陰謀や政府や秘密結社といったものが、自由なる存在からその「至高の主権性」を奪い去ることは絶対にできません。絶対に。そのようなことは断じて起こりません。このことを忘れずに憶えておいてください。
ローレンス: ありがとう。
アダマス: よろしい。風車に向かって突進するのはもう終わりにしてください。確かにしばらくの間はそれも面白いものです。ですが何よりも先に、私は次のことを保証しておきます。それはあなたが決して勝つことのない戦いです。彼らが勝利するでしょう。なぜなら、あなたはそのとき既に自分のパワーを明け渡してしまっているからです。それはあなたのエネルギーや肉体を極度に消耗させ、あなた自身の幸せや喜びを失わせます。真実その通りです。
それと、私は今、あなたと話していますが、同時に、ここにいる全ての人に向けても話しているのです。
それでは、あと二人に質問して、その後少し話してから、私たちは今日行なうシフトに取り掛かることにしましょう。
アダマス: 調子はどうですか?
イヴォンヌ: 本当に良いです。
アダマス: よろしい。調子はどうですか? (聴衆からやや笑い)
イヴォンヌ: 本当に、驚くほど良い状態です。
アダマス: 分かりました。驚くほど良いと。あなたは何が起こったのだと思いましたか?
イヴォンヌ: ……うーん。
アダマス: なぜそこまで驚くほどなのでしょう?
イヴォンヌ: 私には何が起こったのか分かりませんでした。
アダマス: あぁ! それは……それは恐れからの言い訳です。まさに。
イヴォンヌ: はい。
アダマス: そしてまた、バランスの乱れやイライラさせるような不調和が現れているせいでもあります。私以外ですよ?(アダマスと聴衆は笑う) 私はあなたのマインドを読んだのです!(アダマスはくすくす笑う)
イヴォンヌ: イライラさせるような不調和……あぁ、ええと、あなたも分かったと思いますが、マインドのガラクタがまだあって、それにイライラします。
アダマス: ええ。では、もし良ければ、あなたの喉まで出かかった言葉を私の方から言いましょうか?
イヴォンヌ: どうぞ言ってください。
アダマス: 退屈さですか?
イヴォンヌ: ええ、その通りです。
アダマス: ええ、ええ、ええ。ええ、ええ、ええ。退屈さ。ああー。あなたは自分がそこまで退屈だとは思っていなかったのではないですか?
イヴォンヌ: 思っていませんでした。(彼女は笑う)
アダマス: ええ、ええ。
「退屈」と。(アダマスはボードに書く) ええ、間違いなくそうです。さてそれで、あなたは何をしたいと思っていますか? 自分自身でいることが心地良く感じられるところまで来たとき、突然、人生が退屈になることがあります。ええ。では、今あなたがしていることは何ですか?
イヴォンヌ: 日常的にしていることですか?(彼女はくすくす笑う)
アダマス: ええ。
イヴォンヌ: 庭仕事をたくさんしています。
アダマス: ええ。(彼女が笑い続けているので、聴衆からも笑い)
イヴォンヌ: 私の言いたいことが何なのか分かりますか? それは退屈になるんです。(アダマスと彼女はくすくす笑う)
アダマス: いえ、実際には、庭仕事は素晴らしいものです。
イヴォンヌ: はい。
アダマス: それはあなたを少し繋げてくれます。
イヴォンヌ: ええ。
アダマス: あなたは友人との社交的な付き合いを頻繁に持っていますか?
イヴォンヌ: いいえ。
アダマス: あまりないと。分かりました。そうしたいという願望はありますか?
イヴォンヌ: いいえ。
アダマス: そうですか。では大都市に行ったり、買い物に行ったりしたいという欲求は?(彼女は首を横に振って否定する) ありませんか?
イヴォンヌ: ないです。
アダマス: それもないと。なるほど。それなら少し退屈を感じるのも頷けます。少しばかり退屈でしょう。ええ。分かりました。よろしい。私たちはそれもシフトしましょう。今日大きなシフトを行いますので。よろしい。
では、あともう一人、大急いで。
リンダ: 大きな何? 大きな何ですって?(聴衆は彼女に「シフト」と伝える) ああ、私はいつもその言葉が聞き取りづらいのよね。
アダマス: ここは退屈ですか?(聴衆は「いいえ」と答える) へえ、意外ですね。ええ。どうぞ、デーヴィッド。
デーヴィッド: あぁー……
アダマス: 調子はどうですか?
デーヴィッド: 外の世界は厳しいですね。ここはさらに厳しいですが。(アダマスはくすくす笑う)
アダマス: よろしい。どちらが好きですか? 外とここでは?
デーヴィッド: もちろん、ここです。断然。
アダマス: よろしい。最も厳しいことは何ですか? ここを除いて。
デーヴィッド: ええ。
アダマス: 私たちはそこに向かいますよ。(二人はくすくす笑う)
デーヴィッド: 完全な自己受容がおそらく最も厳しいことです。つまり自己愛です。
アダマス: ええ、ええ。ええ、ええ。
デーヴィッド: そして実際、他人の承認を求めることは、私にとって非常に大きなものになっています。
アダマス: ええ。それはなぜですか? これら二つは密接に関連しています。
デーヴィッド: はい。
アダマス: ええ。
デーヴィッド: 自分自身に対する疑いや不信感。
アダマス: ええ。それはなぜでしょうか?……つまり、あなたはその詳細に入る必要はありません――というのも、あなたはほとんど全ての人を代弁しているからです。ですが、一方では、自己愛と自己受容というこの全問題があり、もう一方では、外側でそれを探し求めようとしています。
デーヴィッド: はい。
アダマス: ええ。それは非常に難しい挑戦です。
デーヴィッド: 不可能に思えます。
アダマス: 私はここで単刀直入に言いましょう。あなたの抱えている罪悪感が実際のところ何についてのものなのか、もはや定かですらないときに、一体なぜあなたは――あるいは誰もが――それにしがみ付くのでしょうか? ですから――あなたも知っているように――私はこのように話したことがあります。あなたが過去に起こったと思っていることは、あなたがどう思っていようが、実際にはそのようには起こらなかったのだと。それは悟りにおける驚くべき発見の一つであり、何と途方もない仕組みなのかとあなたが実感することになるものです。あなたは実際に起こったことを憶えてすらいませんでした。にもかかわらず、一体なぜそれほど多くの罪悪感があなたの中に存在しているのでしょうか? この全ての罪悪感や自己疑念はどのようにあなたの役に立っているのでしょうか?
デーヴィッド: それは実際、私の役に立っています。というのも、それが現れてくることで、それに気づけるからです。
アダマス: ええ。
デーヴィッド: それはそこにあります……
アダマス: ええ。
デーヴィッド: 私が解放するために。
アダマス: そこには同時に、「でも」や「だって」も現れてきますね。
デーヴィッド: ええ、それは「でも」であり、鉤爪です。(彼が爪を立てるポーズをして、聴衆から笑い)
アダマス: ええ、ええ、ええ、ええ。
デーヴィッド: そして、ビンタでもあります。ええ。
アダマス: ええ、ええ、そういったもの全てですね。(アダマスはくすくす笑う)
デーヴィッド: そういったもの全てです。
アダマス: そういったもの全て。ええ。ですが、なぜいまだにそこにあるのでしょう? あなたはたった今ここで、それを捨て去ることができるのです。それを手放すことができるのです。
デーヴィッド: それは私に役立っています。私はそれを許しています。
アダマス: ええ、ですが、それは今あなたにどのように役立っているのでしょう?
デーヴィッド: ものすごく。ですが、私は手放す準備ができています。私たちが行おうとしているこの〈メラブ〉への準備ができています。私はマジです。(アダマスと聴衆は笑う)
アダマス: 私もです! ええ! ええ。(聴衆から拍手) 素晴らしい。素晴らしい。素晴らしい。私があなたに聞いておく必要があったのはまさにそのことだけです。ありがとう。
デーヴィッド: ありがとう。
現在の状況
さて、今何人かに「調子はどうか」という質問をしましたが、この質問の意図についてお話ししましょう。そうすれば、現在あなたが経験していることと同じようなことを他の人たちも経験しているのだということが理解できるでしょう。あなた一人がそれを感じているわけではありません。あなたがおかしくなったわけでもありません。あなたが感じているものは、現在の状況において、おそらく最も顕著な症状のいくつかであると言えるでしょう。あなたは、「私はいくらか進歩しつつある。物事は本当に変わってきている。」と言っていますが、同時に、自分の中に、強烈な不機嫌さや怒りっぽさや激情――ものすごい激情――が存在していることにもおそらく気が付いているでしょう。「ア゛ァァァ!!」というような声を発する感じです。これらはとりわけ外の世界の物事に対して生じています。あなたは、以前であれば外の世界に対してもある程度の幸せや喜びを見つけられたのに、今では外に出掛ける気すら起きないような状態になっています。
実際、あなたは自分自身にこう言っています。「私はスピリチュアルな良い人にならなければならない。」 そういう考えはもう手放したらどうですか。(聴衆からやや笑い) ですがあなたは、いまだに……ちなみに、それは矛盾語法です。あなたがスピリチュアルな人間であるならば、良い人であることはないでしょう。
リンダ: おぉぉ!!(リンダが突然声を上げたので、全員が笑う) おぉ!
アダマス: 「良い」という言葉は、自分自身と大きなゲームをすることを意味します。実際それは「良い子症候群」であり、あなたが他人のいいように使われたり、他人の望みを優先したりするということです。あなたが自らの悟りを真に許すとき、もはやあなたは「良い人」にはなりません。あなたは寛大ではなくなります。他人のことに我慢ならずイライラするようになります。といってもそれは、彼らに対し攻撃的になるという意味ではありません。ですが、他人があなたからエネルギーを吸い取っていると、あなたが感じるとき……
リンダ: (アダマスに近づいて)カウルダーは今の話を聞いたかしら?(聴衆から少々笑い)
アダマス: その状況にあるとき、以前のあなたなら、ただ笑って耐えていました。今のあなたはただそこから立ち去ります。それは、他人と対立しようとしているわけでも、他人を傷つけようしているわけでもありません。ただ単に、我慢強さや忍耐力というものが完全に消えてなくなったということです。ですから、怒りっぽさやイライラや不機嫌さといったものが生じているのです。あなたの今の状態はとても自然なものなのです。
リンダ: その通り!(彼女はくすくす笑う)
アダマス: いえ、それは他人に対して攻撃的にならねばならないという意味ではありません。(リンダは大笑い。聴衆からも少々笑い) ですが特に、おそらく今年の初めから、さらにはここ数週間ずっと、極度にイライラしたり不機嫌になったり怒りっぽくなったりする感覚があなたの中で強まっているのです。なぜかと言えば、あなたは現在、〈古いエネルギー〉や古い世界から離れ、移行している真っ只中にあるからです。そして今あなたは、何をすべきか分からない地点、次に何が起こるか分からない地点にいます。そこはやや退屈さを感じる場所でもあるために、あなたは一層イライラ感を募らせることになっているのです。ですから、ええ、そうです、どうぞ外に出て、庭仕事でも何でもしてください。ただし、人前に出ることに関しては現在、非常に厳しく挑戦的なことだとあなたも理解しています。
もちろん――トバイアスが昔よく言っていたように――その期間もいずれ過ぎ去るでしょう。しかしあなたはまさに今――ええ、ありがたいことに、ええ――そのような期間を通り抜けています。あなたは買い物に行ったり食料品店に行ったりしようとする気すら起きません。食べ物を買いに店に行くくらいなら、飢えた方がましだと思っています。ええ。それであなたがどうしているかと言えば、ピザの宅配を頼んで、玄関前の階段にお金の入った封筒を置いておきます。(聴衆から笑い) 「私に話し掛けないで!」というわけです。そして配達人はこう思います。「変な家にいる変な女だな。家から一歩も出て来ないとは。」(聴衆からやや笑い)
それでは、深く素晴らしい呼吸をしましょう。
私たちがこのテーマを取り上げているのは、しょっちゅうあなたがこう思っているからです。「あぁ、私はこのようにあるべきではない。全ては楽しく幸せで、簡単であるべきなのに。」 そうではありません。それは最も困難な部分です。本当に厳しい部分なのです。ものすごい苛立ちがあります。ですから……
私たちがこのように笑うことや、あなたがただ庭仕事をしたりドライブに出掛けたりすることは、怒りっぽさや苛立ちをいくらか和らげる助けになります。ですが、現在のあなたの状態はまさに、この移行の一環として起こっているのです。
リンダ: それに対する処方箋ってあるの? それを落ち着かせるために私たちにできることは何なのかしら?
アダマス: あなた方にできることとは何か? 良い質問です。少しそれについて話しましょう。
何ができるのか? (A)それを受け入れてください。(B)どうか他の人々から離れていてください。(誰かが「お酒を飲むこと」と小声で言ったので周りの人たちは笑う) いいですね、ここでシャーンブラから提案がありました。お酒を飲むこと。(聴衆から笑い。アダマスもくすくす笑う) ええ、大丈夫です。実際、適度な量であればいくらかの科学的効能もあります。適度というのは、ワインをグラス一杯です。それはしばらくの間、あなたを「でも」「だって」「だけど」から抜け出させてくれます。また、軽い運動や体操も効果的です。もちろん、笑うことはどんな種類のものであっても効果があります。笑うことは本当に素晴らしいことなのです。
他には何かありますか? それ以外の提案は?(誰かが「お風呂に入ること」と言う) お風呂に入ること。それは私に対して言っています?(聴衆から少々笑い) ああ! その通りです。お風呂、それは素晴らしいものです。そこに何を入れますか?(彼女は「塩」と答える) 海水塩(シーソルト)、全くもってその通りです。それ以外には?(誰かが「マッサージ」と言う) マッサージも良いです。
リンダ: そう!
アダマス: ただし、マッサージをする人が「エネルギーを吸い取る者」でないことをしっかりと確かめてください。
あなたはどうやってそれを見分けますか?(誰かが「後になってからどう感じるかです」と言う) 後になってからどう感じるか。ですがあなたは、瞬時にそれをエネルギー的に、非常に明確に見分けることもできるのです。他人からエネルギーを奪われる必要はありません。ええ。よろしい。
他にはありますか? このイライラする症状に対しあなたは何を行いますか?(誰かが「呼吸」と言い、別な誰かは「睡眠」と言う) 呼吸すること。睡眠を多く取ること。ええ、睡眠を多く取ることですね。(アダマスはくすくす笑う) ですがあなたは、寝ている間でさえイライラしていることに気が付いていますか?(聴衆からやや笑い。何人かは「はい」と答える) 嫌な夢! ええ。時にあなたは、非常に腹の立つ夢を見た後、目が覚めてそれが夢であることが分かると、とてもホッとして喜んだりしています。もはやあなたは自分自身からは逃れられないのです。(アダマスはくすくす笑う) (誰かが「チョコレートを食べること」と言う) チョコレート。良いですよ。他には?(誰かが「歩くこと」と言う) 運動すること、音楽を聞くこと。ええ、全くその通りです。(誰かが「書くこと」と言う) それも良いです。これら全て良いものです。
ただし、「自分がイライラしたり怒りっぽくなることを認め、受け入れること」は、決して忘れないでください。とりわけ他人といるときには、そのことを忘れずに憶えておいてください。上辺を取り繕うのはやめてください。家族に対して本当に言いたいことを自覚しているにもかかわらず、作り笑顔をしたり良くあろうとするのはやめてください。無論それは、彼らと対立すべきだという意味ではありません。自分自身の「境界線」を設定するということです。
では、次のテーマに移りましょう。
深く素晴らしい呼吸をしてください。深く素晴らしい呼吸です。
いかにして生きるか
今日のシャウドのタイトルは「いかにして生きるか」とします。やや広範な言葉ですが。あなたはそれを言ったり書いたりしませんか? 「いかにして生きるか」という言葉です。
リンダ: もちろんするわね。
アダマス: いかにして生きるか。ところで、これは私たちが最近セドナで話したことに関連するものです。それは極めてシンプルな動力学です。非常にシンプルなものです…………私はリンダがこの言葉をボードに書き終わるのを待っています。いかにして生きるか。これは悟りと関係しています。
加えて言えば、これはひょっとしたら、これまでそれほど良い言葉とは思われていなかったものかもしれません。リンダに関して言うと、彼女はこの言葉が全く好きではありません。
リンダ: あぁ!
アダマス: ですがあなたは、それをボードに書く役目ですよ。(誰かが「共和党支持者」と言うと、全員が大笑いする) 共和党支持者! 共和党支持者! ええ、嫌な言葉ですね。しかしリンダは今、共和党支持者と書かなければならなくなりましたね。
リンダ: 本気で言っているの?
アダマス: あなたが本当に生きたいなら、悟りたいなら、あなたは今後、共和党支持者になる必要があるのです。(アダマスはくすくす笑う。聴衆からも笑い) シャーンブラの集まりのとき限定ですけどね。
ボードに書く言葉は、「当然のこととする」です。「当然のこととする」。
リンダ: ああ! それは私とあなたを笑いものにするわ。(訳注: 「当然のこととする」(assume)という言葉のスペルにおける駄洒落)
アダマス: いえいえ、それはあなただけですよ。
リンダ: ああー!(聴衆から笑い。アダマスもくすくす笑う)
アダマス: 「当然のこととする」。 (リンダに向かって)書けますか?
リンダ: これは本当?
アダマス: 一枚めくって新しい紙に書いてください。
リンダ: あぁ!
アダマス: 「当然のこととする」です。
リンダ: 私はその言葉も大嫌いだわ。(紙をめくりながら呟く)
自らの悟りを当然のこととして生きる
あなたがすることは、自分に悟りが起こるのを当然のこととすることです。疑問や疑いを抱くのはやめて、そうなるのをただ当然のことと見做してください。「既に自分は悟りを明確に選んでいるのだから、その実現のためにあらゆる全てが動いているのは当然のことだ」と考えるのです。あらゆる全て、あらゆる全て、あらゆる全てです。「でも」「だって」「だけど」はありません。
さて、ここで一つ注意しておくことがあります。もしあなたがそれを本当には選んでいないならば――つまり、あなたがいまだグループからグループへと歩き回ってどのグループに所属しようかと迷っていたり、いまだにスピリチュアリティを勉強したりしているようならば――本当に困ったことになるでしょう。ですが、あなたがこの生涯での「肉体と統合された悟り」を自分自身の中で明確に選択しているならば、やることはそれで終わりです。ただそれで完了です。あとはただ、そうなるのを当然のことと見做してください。
ただ当然のこととしてください。私がなぜこのように言うのかというと――お分かりのように――あなたが悟りを選択すると、あなたの中でそれに対する疑いが生じ始めるからです。それでは、ここで例を用いてあなたに説明しましょう。(アダマスは部屋の奥に向かって歩いて行く)
リンダ: えっ、何をする気?
アダマス: 何をする気って、ほら、もうあなたは疑っていますよ。(リンダはくすくす笑う) あなたはもう疑っています。ちょっと失礼、お二人さん。(アダマスはキッチンにある紙皿を手に取りながら)もう何枚か要りますね、あとチョコレートも少しもらいましょう。それでと……これで良し。ありがとう。(彼はチョコレートケーキの一切れを食べて)うむ。(聴衆から少々笑い)
悟りをただ当然のこととしてください。(彼はさらにペンを手にする)私が何をするのか気になっていますね。
さて、お待たせしました。お皿です。(聴衆からやや笑い) (アダマスは「中心に点を描いた紙皿」を聴衆に見ながら)これは「意識」を表しています。「純粋な意識」――〈私は在る〉――です。あなたは「肉体と統合された悟り」をはっきりと選んでいます。あなたがそれを明確に選択するとき、そのとき初めて、いわゆるあなたの〈神性〉、あなたの〈私は在る〉が、あなたと一緒になることができます。というのも、あなたがそれに確信を持てないとき、それは離れたままだからです。あなたとあなたの〈自己〉との間には「分離」の幻想が存在しています。あなたがこの壁を創っています。ですから、あなたの真の〈私は在る〉、あなたのスピリットは、ある意味、あなたから少し離れたところにいて、あなたを観察しています。それは観察しています。まさに「やあ、調子はどう?」と言っています。あなたが自分の挑戦的課題や闇と光の日々を経験しているのを観察しています。ただ傍観しています。
ひとたび、あなたがその非常に明確な選択――「でも」のない、ただそれだけで完了という選択――をしたならば、すなわち「私は『肉体と統合された悟り』を選ぶ。以上!」と宣言したならば、すぐさま、あなたの〈私は在る〉、あなたの〈神性〉は入って来るのです。あなたはただ、無条件に、無邪気に、馬鹿になりきって、そうなるのを当然なことと見做します。あなたは自分自身と一つになって、完全に馬鹿になりきる必要があるのです。あなたはただ無邪気に――シンプルとか単純とか純真といった表現でも構いませんが――「自らの悟りを明確に選択したからには、〈私は在る〉が入って来るのは至極当然のことだ」と考えます。
あなた方の中で、数ヶ月前にカウアイ島で行われた『革新的な許可(クウォンタム・アラウイング)』に参加した人は、その直後から、興味深い経験を数多くしました。それは興味深いものでした。(アダマスはくすくす笑う) あなたはただ、それを当然のことだと見做せばいいだけなのです。あなたは、悟りを起こるのを全面的に許すという「革新的な許可」の真っ只中にいて、それが起こるのを当然のことだと考えます。すると、それが起こるのです。ただそれが起こるのです。
ですが、疑いがやって来るとき、アスペクトの一つとしての大きな疑いがやって来るとき、それは純粋な意識を覆い始めます。(アダマスはもう一枚の紙皿に「疑い」を表すクエスチョンマークを書き、それを〈私は在る〉の紙皿の前面に置く) そして、エネルギーをそれ自身に引き寄せ始めます。すると、美しい悟りのために向けられるはずだったエネルギーが突然、その大きな疑いの方へとすっかり逸らされてしまいます。しかし、あなたが悟りが起こるのをただ無条件に当然のことだと見做すなら、それは再びこのようになるのです。(アダマスは「疑い」の紙皿を〈私は在る〉の紙皿の後ろに重ね、〈私は在る〉の紙皿だけを聴衆に見せる)
ですがもちろん、現実においては様々な物事が起こります。(アダマスはさらにもう一枚の紙皿にクエスチョンマークを書く) あなたは自分の人生に様々な人々を迎え入れます。起きてくる様々な状況を経験します。そうすると再び、あなたは疑い始めるのです。(アダマスは二枚の「疑い」の紙皿で〈私は在る〉の紙皿を覆い隠す) そして、疑いはエネルギーを引き寄せ始め、あなたの――例えば――純粋性を覆い隠していきます。そうなると、あなたはすっかり困惑してしまいます。エネルギーはどこにでも向かって行きますが、あなたのもとには行きません。それらは全て、疑いの方へと向けられてしまっています。
さて、そこであなたはどうするか? ただ馬鹿になります。「でも」「だって」「だけど」を手放します。すると、あなたは明晰性へとただ戻るのです。
あなたはただ無邪気な馬鹿になって、悟りが起こるのは当然のことだと見做します。ですが、それを実際行なうのは難しいものです。というのも、あなたはこのように言うからです。「うーん、私がそれをただ当然だと考えたとして、それでもし予期せぬことが起こったらどうなるのだろう?」 そうですね、そうなるとしたらそれは、(A)あなたが心の奥では、悟りなど自分には起こらないだろうと見做しているか、あるいは、(B)その予期せぬことは実際にはあなたにとって大きな贈り物であるか、の二通りがあるでしょう。あなた方もよく知っているように、このような全ての疑いはあらゆるところからやって来ます。アスペクトや罪悪感からやって来ます。(アダマスはさらにもう一枚、紙皿にクエスチョンマークを書く) そしてそれらは……リンダ、これを持ってくれますか?(アダマスはリンダに〈私は在る〉の紙皿を渡す)
リンダ: 喜んで。あぁ、良い物を手にしたわ!(聴衆からやや笑い)
アダマス: 見ての通り、私はこれらの「疑い」のお皿で手一杯なのです。(アダマスはさらにもう一枚、紙皿にクエスチョンマークを書く) それら全ての疑いは、エネルギーを自らに引き寄せて、エネルギーの本来向かうべき方向を逸らせ、邪魔しています。そして、うっとうしいほどに、純粋な意識を覆い隠しています。(アダマスは3枚の「疑い」の紙皿で〈私は在る〉の紙皿を覆い隠す) それらはエネルギーを奪い取っています。(リンダがアダマスの持つ「疑い」の紙皿を何度も手で叩くので、聴衆から少々笑い)
ではあなたはどうするか? 深い呼吸をします。無邪気な呼吸をします。そして、悟りが起こるのをただ当然のことだと考えます。
リンダ: (深く呼吸をして)ハァー。
アダマス: それを当然のこととしてください、親愛なる神よ――神というのはもちろんあなたのことを言っています。「『肉体と統合された悟り』を選んでいる以上、それが起こるのは全く当然のことだ」と考えるのです。
さて、言うまでもなく……(リンダに向かって)こっちに来てください。(アダマスはくすくす笑う) 今、そのような全ての疑いがやって来て、純粋な意識を覆い隠しています。エネルギーを奪い取っています。(アダマスは4枚の「疑い」の紙皿で〈私は在る〉の紙皿を覆い隠す) エネルギーの向かう方向を逸らせています。加えて、あなたはすぐに、自分が一体なぜここにいるのかを忘れてしまいます。もちろんあなたは「肉体と統合された悟り」のためにこの地球にいるわけですが、あなたはすぐにそれを忘れてしまい、疑い始めるのです。なぜなら、依然としてあなたの中では、そのような全ての疑いや疑問が活動中だからです。ですがたった今、あなたはそれをただやめて、深く呼吸をし、そしてこう言うことができるのです。「私たちは今日、〈メラブ〉をやる。悟りを当然のこととする〈メラブ〉をやる。そして全ての疑いを捨て去るのだ。」(アダマスは持っていた4枚の「疑い」の紙皿を全て、聴衆に向かって放り投げる) 誰にも当たりませんでしたね。私は「あなたがマスターであること」を当然だと見做しているのです。顔に命中した人は誰もいませんでした。
リンダ: これ(〈私は在る〉の紙皿)はボードに張っておくべきかしら?
アダマス: ええ、そこに貼っておいてください。
真のスピリチュアルな概念は複雑ではありません。実際、それらはあまりにもシンプルなので、あなたがこのように言うほどです。「それは本当なのだろうか? 本当にそれだけでいいのだろうか? 悟りのために私がする必要のあることは、『それを当然だと見做すこと』だけなのだろうか?」 間違いなくその通りです。ですが、憶えておいてください。疑いは生じます。それらは入って来ます。私はエジプトの例を挙げました。「あぁ、我々は自由を選ぶ。それはきっと素晴らしいものになるだろう。」 ブーン! 突然、あらゆる外側の要素が入って来るのです。
あなたは自分自身と一つになって、悟りを選びます――「自分自身」というのは、悟りへの深い切望を抱いているあなたの部分であり、その切望は言葉で表すことすらできないものです。ですがそのとき、「でも」「だって」「だけど」がやって来るのです。疑いが入って来るのです。それらは文字通り、エネルギーを――さらには意識さえも――奪い取り始めます。エネルギーが向かう方向を逸らし始めます。そしてあなたは、さらに多くの疑いや疑問を持ち始めるのです。「たぶん私はこれを正しく行なっていない。だからこの本を読む必要がある。このセラピーを行なう必要がある。あれもこれも、やる必要がある。」 いいえ、違います。あなたがすることはただ、自分に悟りが起こるのを当然と見做すことだけです。
「自らの悟りを当然だと見做すこと」はおそらく、多くの信頼を必要とすることでしょう。いや、それは完全な信頼を必要とします。ですが現時点において、このこと以外に、あなたが信頼する必要のあることが他に何かあるでしょうか? 何もありません! 全くありません。
「悟りが起こるのを当然と見做すこと」は、悟りを深く切望している自分を採用することを意味します。本当の自分自身を採用することを意味します。「悟りを選択するのは他の誰でもなく私自身である」という自己主権を採用すること、引き受けること、受け入れることを意味します。そして、「私は悟りを選んでいるのだから、悟り以外のことがどうして起こり得るというのか」と言明することを意味します。神は――ちなみにそれは、あなたが思っているような存在ではありません――そこにまっすぐ座って、「私には分からない。彼らに悟りの準備ができているとは思わない。」などと言ったりするような存在ではありません。神はあなたが何をしようと気にしないのです。あなたは悟りを選択することができますし、逆に、完全な分離を選択することもできます。神があなたの選択を気に掛けることはありません。
実際には、外側に存在するいかなる力も、あなたの悟りに逆らって働くことはありません。外側の力は、悟りを求めていない人々のために働いています。あなたもよく知っているように、そのような力とともに活動することの方がずっと容易ではありますが。
あなた自身が持っている疑いや罪悪感のアスペクトの他に、あなたに背いて働いているものは何もありません。ですが、それらも実際には、あなたに逆らって働いているわけではありません。それらのアスペクトは単に、あなたに頼まれたことをしているだけです。自分を妨害しろと、あなたがそれらに頼んだのです。あなたの中にある疑いのアスペクトにしても、罪悪感のアスペクトにしても、あるいはどのようなアスペクトにしても、それらはあなたが頼んだことをただ忠実に実行しているにすぎないのです。
全ての物事は自分の悟りを実現するために起きているのだということを、あなたがただ当然のこととする瞬間、それはそうなります。ある意味それは、自分自身を少し騙すことです。ですがそれは、自分自身に対する誠実な騙しです。なぜなら、そうでもしなければ、あなたは疑いや罪悪感について絶えず考え、頑なに主張し続けるからです。そして、自分の身体が痛み始めると、自分の何が悪かったのかと疑問を抱き始めるのです。こうなると、あなたはすぐに諦めてしまいます――ただし、「真に諦め、明け渡すこと」であれば、それはあなたの取れる中で最良の行動です。ですがこの場合の諦めは、自分の進むべき道から逃げ出すということであり、その結果、あなたは感情的・肉体的に大変な苦痛を経験する羽目になってしまうのです。
本当であれば、あなたはたった今も、そのような一切の苦痛なしに、ただ悟りを当然だと見做していることもできるのです。ですが実際問題として、私たちは、これから行なう〈メラブ〉において、あなたが今抱えている肉体的苦痛をいくらか解放するつもりです。この〈メラブ〉の中で、私たちは、今述べたようなたくさんのアスペクト――いえ、その全てのアスペクト――を解放していきます。すなわち、疑いや疑問を抱いているアスペクトや、あなたに極度の肉体的・感情的疲労をもたらしているアスペクトといった全てのアスペクトを解放します。
いずれにせよ、悟りというものは十分に厳しいものです。なぜならあなたは、マインドを越えていくことに加え、深いレベルでの生物学的変容も経験しているからです。ですが、エネルギーがこのような全ての疑いのアスペクトに行っていると、心身は何倍も消耗し、疲れきってしまいます。
ですから私たちは、この美しい〈メラブ〉において、悟りが起こるのを全く当然のこととする機会を持つのです。あなたが望むなら、「当然のこととする」という言葉の代わりに、「確信する」とか「完全に信じる」とかそういった言葉を用いることもできますが、ここではこの言葉を使います。悟りを当然のことと見做してください。あなたは、「肉体と統合された悟り」を選んでいます。そして、「それを選んでいる以上、今まさにそうなりつつあるのは至極当然のことだ」と考えます。することはただそれだけです。
あっ! もちろん、「でも」「だって」「だけど」はなしです。「でも」はありません。「でも」はありません。「でも、私の子供が……」 だめです、だめです。それはやめてください。もしあなたがそうするつもりなら、たった今ドアから出て行った方がいいでしょう。なぜなら、そうしないと、この〈メラブ〉によって、あなたは困った事態に陥るか、あるいは失望するかの、どちらかになるでしょうから。(誰かが部屋の奥に近づいたので)出て行くのですか?(アダマスはくすくす笑う)
「その通りなんだけど、でも私には……だって……」なんていう言い訳はなしです。何に関することであっても、「でも」「だって」「だけど」はありません。そこに「でも」はありません。「でも、私は何が起こるのか心配で……」というような言い訳もありません。というのも、それは確かに大きな「でも」だからです。「もし突然悟りが起こったら、私はどうなるのだろう……不安だ……」 ですが、どんな「でも」「だって」「だけど」もなしです。そういうことです。まさにそういうことです。
ですから重要なのは、悟りを当然のこととすることです。全くもって当然だと見做すことです。なぜなら、そうしないのであれば、他にあなたに残された選択肢は、「それを疑うこと」「それと戦うこと」「それについて不安に思うこと」「それを先延ばしすること」だけだからです。なぜそんなことをする必要があるのでしょう? 悟りをただ当然のことと見做してください。
それでは、親愛なるヨハムよ、前に出て来て演奏するのを当然のこととしてください。(聴衆から拍手)
少し照明を暗くしましょう。(部屋が暗くなる)ええ、よろしい。よろしい。これは素晴らしい〈メラブ〉音楽です。
では、ヨハムが準備している間、深く素晴らしい呼吸をしてください。
自らの悟りを当然のこととする〈メラブ〉
自分に悟りが起こるのを、ただ当然のこととするのです……
(音楽が始まる)
今、もしあなたが本当には悟りを選んでいないというのであれば――このシャウドの始めにも言ったように――あなたはまだ生徒のままです。ですが今、あなたが明確に悟りを選択しているのなら、あなたはマスターです。それをただ当然のことだと見做してください。疑問を抱くのはやめてください。疑うのはやめてください。
あなたにも分かるでしょうが、疑いや疑問をいつも抱いたり、「私は本当に自分自身に対し誠実だろうか」と常に確認したりすることは、人間の中に組み込まれたプログラムのようになっています。なぜかと言えば、あなたはこのように思っているからです。「私はこれまで、自分とゲームをしていた。自分に誠実ではなかった。自分に嘘を付いていた。自分自身に対する盗人だった。私はそのような全てだった。」
ですが、もはやそんなことはどうでも良いことです。自分のことを絶えず試そうとする必要はありません。全くありません。あなたがそうしたいと思わない限り。もちろん、あなたはもう、そのようには思っていないでしょう。
あなたは「自分に今起こっているあらゆる物事、自分のもとにやって来ているあらゆるエネルギーは全て、自分に悟りをもたらすために存在しているのだということ」を全く当然だと考えます。あなたは「自分の中に生じている焦燥感や苛立ちを含め、自分に起こっている全ての物事は、自らの悟りの実現のためにそこにあるのだということ」をただ当然のことと見做します。するとそうなるのです。あなたが今イライラしているのは、もう耐えられないと感じた物事について自分を偽ってまで我慢しようとは、もはや思っていないからです。
あなたは「自分に起こる全ての物事は――道を間違えるというようなことにせよ――運命などでは全くないこと」を当然のことだと考えます。あなたが道を間違えたのは、この天使たちのグループのせいでも、あなたが何か悪いことをしたからでもありません。あなたは「自分に起こるあらゆる物事は自分自身の悟りのために起きていること」をただ当然だと見做します。たとえそれらが、地球や宇宙やクリスタル領域などからやって来る、どれほど微小なエネルギーであっても、どれほど細い一筋のエネルギーであっても、あなたは「あらゆる全ては自らの悟りのために働いていること」を完全に当然のこととします。
すると、面白いことが起こります。すなわち、そうなるのです。
ですが、もしあなたが「でも」「だって」「だけど」をそこに投げ込み始めたとしたら――「だけど、うーん……だってまだ確信がなくて……」などと考え始めたら――私がまさに実演して見せたあの紙皿のことを思い出してください。それらの疑いは、純粋な意識を覆い隠します。エネルギーを横取りします。あなたの中核である〈私は在る〉への気づきを失わせます。それを覆って曇らせます。
あなたは「あらゆる全ての物事は自分に悟りをもたらすべく働いていること」をただ当然のこととすることができます。ある意味、これは魔法です。魔法を使うようなものです。
意義を唱える人もいるでしょう。ええ、彼らは実際そうします。彼らはあなたに言います。「やれやれ、あなたは単に自分自身をごまかしているにすぎない。」 私なら、彼らにこう主張するでしょう。「これ以外の形態――あらゆる全ての疑い、あらゆる全ての先延ばし――こそが、自分自身への本当の欺きであり、ごまかしであるのだ」と。そしてこうも言えるでしょう。「悟りを当然とすることこそ、自分自身に誠実であることであり、自分自身を信頼することであり、自分自身を受け入れることであり、自分自身を再創造することである」と。
さて、このシャウドが終わったときのことを想像してみてください。照明が明るくなります。あなたは立ち上がってトイレに行きます。あなたは、トイレを利用するという行為もまた自らの悟りのために働くものであることを、当然のことだと考えます。(聴衆から少々くすくす笑い) どんなに些細な物事でもそうです。「今夜起こるどんなことも自らの悟り実現のためにある」ということを、あなたは当然のこととします。
明日、あなたは朝、目を覚まし、深く呼吸をして、こう言います。「今日一日、全ての物事は私の悟りのために起こる。それらは全て、私に仕える。私の悟りの実現のために働く。私はそれをただ当然のこととする。私は、自分の人生の中におかしな要素がこっそりと入り込むというのを、当然のこととしない。私は、自分の人生の中に過去の闇のエネルギーが密かに忍び込むというのを、当然のこととしない。私は、私に起こる物事のうち80%が悟りのために働くというのを、当然のこととしない。私は、100%全ての物事が私の悟りのために働くことを、当然のこととする。」
「悟りを当然とすること」において、「でも」はありません。
「当然のこととすること」――それは幾分、遊びのようなものです。実際、多少楽しくもあるものです。あなたが悟りをただ当然のことと見做していると、突然、あなたの身体を構成しているエネルギーが整列し始めます。あなたが「自分に起こるあらゆる物事は自らに悟りをもたらすべく働いていること」をただ当然だと見做していると、あなたの身体の中でこれまで痛みや疼きとして現象化していたエネルギーが――ああ、そうです、それらは最近本当に厳しいものでした――突如として、痛みではなくなります。それは、あなたがヒーリングをしたからではありません。そのエネルギーを取り除いたからでもありません。あなたが「それらのエネルギーは、自分に背いて働いているのではなく、自分に仕えているということ」を当然のことと見做しているからです。逆にあなたが、それらのエネルギーは自分に逆らって働いていると見做すとき、自分は何か間違ったことをしていると見做すとき、自分には何か劣ったものがあると見做すとき、それらはただ痛みとして現象化するのです。
ですから、悟りが起こるのを全く当然のこととしてください。ただ無条件に、単純に、無邪気に、大胆に。「でも」「だって」「だけど」なしに。
自分が行なうあらゆる選択……それがどのテレビ番組を見るかということであっても、何の服を着るかということであっても、あなたは「自分が行なうあらゆる選択は自らの悟りのために働くこと」を当然のことだと考えます。すると突然――不思議にも、魔法のように――あなたは実際に悟りのための選択をしているのです。あなたはもはや、疑いや心配、不安、恐れ、動揺、「他人はどう思っているのだろう?」などといった場所から選択をしていないのです。
突如として、あらゆる選択は悟りのための選択となります。たとえそれがどんなに簡単な選択であってもです。それは、フルーツジュースを飲むか、それとも水を飲むか、というものかもしれません。悟りを当然のことと見做していると、突然、その選択が悟りのための選択になります。あなたの選んだものが何であろうと、突然、それが悟りのための飲み物になります。それは魔法のようです。
自らの悟りを当然のことだと見做すとき、全ての物事はあなたに悟りをもたらすために存在するようになります。もしあなたが水の代わりにフルーツジュースを飲むと決めたなら、それは悟りためのフルーツジュースなのです。
あなたが現実と呼んでいるものは、現実ではありません。現実とは、あなたが選んだもののことです。ただそれだけです。
悟りを当然のこととしてください。そうすれば、あなたの現実は悟りのために存在するものになるでしょう。
自分がマスターであることを当然のこととしてください。そうすれば、全ての物事は「あなたがマスターである」という反応を返すでしょう。
あなたがまだいくらかやっていること、そしてまた、多くの人々がやっていること――というよりほとんどの人々、実際には全ての人々がやっていること――は、自分は何か間違ったことをしているという考えを、当然のことのように受け入れてしまっているということです。彼らが、たとえ5%の間違いであってもそれを当然だと考えているのなら、彼らは間違ったエネルギーを得ることになります。奇妙なことに、フォーカスは、95%の方ではなく、むしろその5%の方に向かうのです。ですから実際には、彼らが得ることになるエネルギーは5%を大幅に超えます。そして、そのエネルギーが彼らの日々の生き方を形成するのです。あなたは依然として、間違ったことが存在するのは当然だと考えています。自分に害を与えようとする人が存在するのは当然だと考えています。物事が上手くいかないのは当然だと考えています。ええ、だから、そうなるのです。
これは、マインドに関することではありません。思考ではありません。それは選択です。あなた自身による選択です。
深く呼吸しましょう。そして音楽とともに、悟りが起こるのを当然とする意識の中へと、深く入って行きましょう。
そうです! 自分がマスターであることを、ただ無条件に当然だと見做してください。エネルギーはあなたの選択を気にしたりしません。エネルギーはただあなたに仕えます。エネルギーは、あなたが何を選択しようとも、その通りに整列し、現象化します。欠乏を選べば、欠乏を信じれば、そうなります。陰謀だとか何かそういったものを信じれば、そうなるでしょう。
「全ての物事は悟りの実現のために働いていること」を当然だと見做せば、そうなるのです。
今、ヨハムの奏でるこの美しい音楽の中で、実際に感じてみてください。悟りをただ当然のことだとしている生活を――そのような日常の暮らしを――感じてください。あなたの日常生活の中にあるエネルギーがどれほど変化するかを感じてください。「全てのものが自らの悟りのために自分に仕えていること」を当然と見做しながら、毎日の日課をこなしている自分を想像してください。朝起きて、すべきことをしている、いつもの日常を想像してください。その行動については変えないでください。その根本的な前提――当然だと見做していること――の方を変えてください。
深く呼吸してください。
自分が明日の朝、「全ては私の悟りのためにある。それは当然のことだ。」と受け入れることから一日を始めている様子を想像し、感じてください。あなたは「あらゆる全てのエネルギーが自分に仕えている」のは当然だと見做しています。ただ当り前のことだと思っています。すると、エネルギーがあなたのもとにやって来ます――実際のところ、何度もそうするまでもなく、それはやって来ます。
それでは始めましょう。当然のこととする意識の中へ入って行ってください。
あなたはマスターです。
あなたは「肉体と統合された悟り」を選んでいます。
あなたは、経験という旅のこの地点まで来ました。あなたは、台座または石碑が建っているこの地点まで来ました。あなたはそれを見ます。それには「マスターは悟りを当然のこととする」と書いてあります。「マスターは悟りを当然のこととする」です。
あなたは自分の中でこう思います。「おぉ! つまりこれは、私が『考えること』を実際に超えていかなければならない地点まで到達したということだ。私は悟りをただ当然のことだと見做す。私は計画することを越えていく。私は悟りをただ当然のこととする。私は疑いを越えていく。それはあまり楽しくはなかったから。私は悟りを当然のことだと見做す。私は今、魔法のような現実へと踏み出す。なぜなら私は、自分に悟りが起こるのは全く当然のことだと考えているからだ。」
あなたが望むなら別の表現――自分に悟りが起こるのを「知っている状態とする」とか「確信する」といった表現――を使っても構いません。ですが私としては、「当然のこととする」という表現の方が好きです。あなたは「全ての物事が自分に仕えていること」をただ当然のこととするのです。
では、自分の日々の生活や活動を想像し、感じてください。ああ、ここであなたがやりそうなことは、あなたが顔色を――あなたの知っている人たちの顔色や、それほどよくは知らない人たちの顔色を――窺おうとすることです。そのようなことをすると、「自分に悟りが起こるのを当然だとしていること」に揺らぎが生じかねません。ですがもしそうなったら、あなたはどうしますか? ただ深く呼吸をして、微笑み、そして、自分に悟りが起こるのは当然だと、ただ見做し続けます。全ての物事が自分の悟りのために働いているのは当り前のことだと、ただ見做し続けます。そうすれば、実際にその通りになるのです!
(音楽が奏でられる中、約3分間の休止)
私たちは今、この〈メラブ〉の中にいます。〈メラブ〉は素晴らしいものです。深くこの状態に入っているなら、私の話を無理に聞こうとしなくても構いません。そのまま少し眠ってしまっても構いません。〈メラブ〉とは、優雅で素晴らしい、ある種のシフトです。
これがいつものただの〈メラブ〉ではないことを、当然のこととしましょう。あなたは大きなシフトを行なうために今日ここに来たのだということを、当然のこととしましょう。ええ、困難な6ヶ月でした。多くの苦痛がありました。たくさんの疑いが忍び込んで来ました。素晴らしいこともたくさん起こりましたが、困難な期間でした。
ですから、これはスーパー〈メラブ〉なのだということを、当然のこととしましょう。
これはスーパースーパー〈メラブ〉なのだということを、当然のこととしましょう。シフトを超えたシフトです。
驚くべきことがこの部屋の中でたった今起こっているのだということを、当然のこととしましょう。本当に驚くべきことです。疑いを超えてください。抵抗さえ超えていってください。というのも、私にはあなたが抵抗しているのが感じられるからです。あなたの一部はこう言っています。「そうなんだけど、私には……うーん、でも……」 だめです。ただ当然のこととしてください。
今、私たちは、この意識の中へと、本当に深く潜っていきます。そして、大きなシフトが起こっているのを当然のことと見做します。
すると、面白いことが起こります。ああ、あなたのマインドは、あなたに対してうるさく喚いているでしょう。ありとあらゆる「でも」「だって」「だけど」を言ってくるでしょう。「黙れ!」と言ってください。私たちは深く呼吸をして、「この〈メラブ〉の中でエネルギーが自分に入って来ること」をただ当然のこととします。すると、エネルギーはあなたのもとにやって来ます。まさにあなたのもとに。全てのエネルギーはあなたのもとにやって来るのです。
ですから、私たちは深く呼吸します。スーパー〈メラブ〉へと入っていきます。スーパー〈メラブ〉が行なわれるのは全宇宙で初めてのことです。そして私たちは、大きなシフト、大きな解放が起こるのを当然のことと見做します。
では、深く呼吸を続けながら、ヨハムの音楽とともに次のレベルへといざなわれて行きましょう。
(音楽が演奏されている中、約5分間の休止)
あなたのマインドは結果を確認しようとします。それはマインドの習性のようなものですが、こう言っています。「それで実際、何が起こったの? 何か起こったことなんてあった?」 あなたは深く呼吸して、シフトが起こったことを当然と見做すことへと戻ります。「ああ、そうだ、それは起こった。そう、起こったのだ。なぜかって? もちろん、私がそれを選んだからだ。」 それくらいシンプルなことなのです。
あなたのマインドは言います。「でも、違った感じなんてした? 疲れが取れたように見える? 頭は良くなったの?」 あなたはもう、そのときマインドに伝えるべきことを分かっています。あなたはただ深く呼吸をして、「何かが実際に起こったのは確実であり当然のことだ」と考えます。「今行なっているのはおそらく、自分たちがこれまで行なった中で最高の〈メラブ〉であること」を当然だと見做します。実際に、この〈メラブ〉によって、最小限の抵抗で、最大限のシフトと変容がもたらされました。要するに、実際に起こったということです。
あなたはそれを当然のことだと考えます。エネルギーは常にあなたに仕えていて、「あなたが当然だと見做していること」に従います。つまり、あなたがそれを当然のことと見做すとき、エネルギーの再整列・再構成が起こり、それが現実として現象化されるのです。なんてことでしょうか! 私はこれまで様々なグループがシフトを経験するのを見てきましたが、今起こったシフトは、その中でも最大のエネルギーシフト、意識のシフトでした! これほど簡単だったにもかかわらずです。
お分かりのように、マスターは――真のマスターは――それがいかにシンプルかを理解しています。彼らは、それが「受け入れること」から始まったことを理解しています。「受け入れること」……トバイアスは何年も前にこれについて話しました。そして私は、その次に「許すこと(許可すること)」について話しました。
今、私たちは「当然のこととする」地点に到達しました。あなたは「全ての物事は自らの悟りのためにあること」を、受け入れています。許しています。そして、全く当然のこととしています。
深く呼吸しましょう。そして呼吸とともに、この美しい〈メラブ〉を本当に許してましょう。それが染み込んででいくのを許しましょう。最後の小さなシフトが起こるのを許しましょう。
あなたが「全ての物事は自らの悟りのために働いていること」を当然だと見做すとき、あなたの抱えている問題――肉体的問題や感情的問題、関係性の問題、その他諸々の問題――を創り出していたエネルギーが突然、シフトし、再整列・再構成されます。突如として、もはや問題として存在しなくなります。それらは、ただ消え去るか、もしくは、あなたの悟りのために優しくあなたに仕えるかの、どちらかになります。
しばらくの間、この全てが染み込んでいくのをただ許しましょう。このスーパー〈メラブ〉の後、あなたは少しの間、ただリラックスし寛いでいる必要があります。
深く素晴らしい呼吸をしてください。
あぁぁ……当然だと見做すことは、疑うことより遥かに楽しいことです。
(音楽が続く中、約1分間の休止)
あなたが、何かと戦うための鎧を――その相手が子供であろうと仕事であろうと自分自身であろうと――身に着ける必要があると感じてから、本当に多くの歳月が過ぎました。あなたが、完全に消耗し疲れ果てているにもかかわらず、鎧を身にまとい、次の戦いに備える必要があると感じてから、本当に多くの歳月が過ぎました。ですが、もうその必要はありません。あなたは、「全ての戦いは既に終わったこと」をただ当然のこととします。「あらゆる全ての物事は自分に仕えるためにここに存在していること」をただ当然のことと見做します。
あなたは、〈私は在る〉――「自らの全実在」――が自分の人生に入って来るのを許しています。そして、それを当然のこととします。すると、それはそうなるのです。まさにそうなるのです。
あなたは、「この生涯が『肉体と統合された悟り』のためにあること」を当然のこととします。「自分がマスターであること」を当然のこととします。すると、そうなります。あらゆるエネルギーが、あなたに仕えるために、あなたが選択したことを実現するために、あなたが当然だと見做したものを現実化するために、整列します。それくらいシンプルなことなのです。それ以外の全ては、純粋な意識を覆い隠すこと、疑うこと、「でも」「だって」「だけど」と言い訳すること、決断しないこと、先延ばしすること、でしかありません。
深く呼吸してください。
「肉体と統合された悟り」を当然のこととしてください。
深く呼吸してください。あなたは自らの「至高の主権性」を当然のものとします。なぜか? もちろん、あなたがそれを選んでいるからです。それがあなたの望むものです。それがあなたの情熱です。
深く素晴らしい呼吸をして、今日ここで大きなシフトが実際に起こったことを実感してください。
(小休止)
あなたは、この深く素晴らしい呼吸をしながら、「あらゆる創造において全ては上手く行っていること」を当然のこととします。
それでは、私の親愛なる友たちよ、私はあなた方のことを心から愛しています。私たちの次の集まりで、またお会いましょう。
私はアダマス、あなたのために働く者です。ありがとう。(聴衆は静かに拍手する)
翻訳:dai
注記: どうぞ自由にこのテキストを配布してください。ただし、一部を抜粋するのではなくこの注記も含め完全な形で、非営利かつ無償で配布してください。それ以外の利用については、コロラド州ゴールデンに住むジェフリー・ホップの書面による許可が必要となります。
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