トランスヒューマン シリーズ シャウド 6:
ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマンのチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈 2017年2月4日
http://www.crimsoncircle.com/
私は私であるもののすべて、教授のアダマス・サンジェルマンです。
ああ! 目を開く前から、この香りを感じていました。うーん、シャーンブラのみなさんが、月に一度、このステージに私が来るのを熱心に待ち望んでいる、まるでその熱気が私のところまで伝わってきているかのようでした。他の領域、アセンデッドマスターズクラブにはない、コーヒーやセックス、ワイン、人間にしかないものを味わえるというのは、この上ない喜びです。私たちの領域にもある種のコーヒーはありますが、リアルではありません。みなさんがここで飲むような、物理的で、重力に満たされているものではありません。
ああ! そういうのがあるって、なんて楽しいことなのでしょうか。そこまで頻繁ではありませんが、私はたまに物理的な形態でここに来ますが、私はそうするのが大好きです。ちょっと、イーサのリンダさん、すみませんね(コーヒーを啜る)。ああ! パーフェクトですね。
ではさっそく、如月の2月、愛の月のシャウドを始めましょう。深呼吸をしてください。
リンダ:うーん。
アダマス:いいね。いいね。
How Fast?(スピードはどうですか?)
シャウドを開始するにあたって聞いておきたいことがあります。私はみなさんとともにワークを行い、且つみなさんのエネルギーや気付きの状態のモニタリングを続けているのですが、どうも思うところがあるようですね。アダマス、君は、爆発して木端微塵にならないように、気が狂ってしまわないようにバランスを取っていると言っているが、今のスピードは本当に適切なのか、と。
確認しておきたいのは、もう少しゆっくり進んだ方がいいかどうかです。もう少しスピードを落とせば、マインドと身体にとってはもっと楽な流れになるでしょう。物事をしっかりと落ち着いて受け入れられるようになるはずです。私たちはもう少しゆっくりと進むべきか、あるいは、もっとスピードアップしてほしいですか?(「イエス」「もっとスピードアップしてほしい」と声が上がる)。もっと速く進めと。もっともっと行けるはずだ、と。アセンデッドマスターズクラブの話し声がここまで聞こえてきましたかね?(笑い)。もちろん、彼らは今日もこのシャウドを見ています。
リンダ:全員が同じスピードになるのかしら? あるいは誰かのペースに合わせるとか?
アダマス:スピードアップしてほしいという声が聞こえたけど、ちょっと挙手してもらおうかな。
リンダ:おお。
アダマス:ここで私たちが取り組んでいるのは、身体を持ったままで悟りに至ることですが、もう少しゆっくり進んでほしいと思う人「焦らないで行こうぜ。もっとのんびりとドライブを楽しもうや」という人、挙手をお願いします(1人か2人が手を挙げる)。2.5人ってとこですかね(笑う)。こんな感じで(迷いながら中途半端に手を挙げる真似)。
では逆に、もっとスピードアップしてほしいと思う人(たくさんの手が挙がり「ウーフー!」「ウィー!」と声が混じる)。高く手を挙げてください。えっと、うーん、何も考えていない人もいるようですね(笑い)。ただただ椅子に腰かけている人、、、まだ目が覚めていなくて意識も虚ろですね。うん。そういう人は何人いるかな、、、(「今と同じがいいってことだよ」と誰かが言う)。ですね。今の感じで進んで行きたいと言う人は何人いますか?(「ああ!」とか「ありがとう」と声が上がる)。おっと、そこにもいたね。もちろん私は、どのみなさんのことも愛しています(アダマス、笑う)。
私がこんなことを聞いたのは、みなさん自身に自覚してほしい、みなさんには実際に統合が起こっていて、みなさんには、今のみなさんという経験を味わい尽くす能力があることを、しっかりと自覚してほしいと思ったからです。何度も何度も言ってきましたが、みなさんが今通り抜けている以上に壮大な体験、経験は他のどこにもありません。何にも代えがたい素晴らしい経験です。私がこのことを言うと吐き気をもよおす人がいるのは分かっていますが(笑う)、実際に最上級の経験です。みなさんには、一瞬たりとも見逃してほしくありませんね。私たちは誰かと競争しているわけではありません。が、みなさんのエネルギーを見ていると、ちょっと退屈しているのも分かります。ここへ来て座っているみなさんも、オンラインで観ているみなさんも「何か新しい情報が出てこないかな。なんでもいいから新しいことがないかな。ちゃんと理解できたか分かんないけど、最近、同じ話ばっかりだな。でもやっぱり新しいのが聞きたいな。刺激的で夢中になれる何か気が紛れる話を聞きたいな」そう言っているのが分かります。
「さあもっとガンガン行こう。もっと深く深く潜って行こう」そんな感じの人が大勢います。ただ一方には、身体的に苦しい時期を迎えている人、全てが調整局面にあって様々な困難に直面している人、そういう人も存在します。難しい時期です。なので私はみなさんのことを注意深く見ています。質問をする前から、私にはみなさんの答えが分かっていました。
ここで、とても良いことを教えてあげましょう。知っておくと役に立つ法則ですが、みなさんが何かについて質問する時、知る必要があるのであれば、みなさんはその質問をする前からその質問に対する答えを既に知っているということです。常にそうです。私は今、カウルダーとともに来月のシャーンブラマガジン用に「質問」について、質問の危険性、恐ろしさについて書いています。まあとにかく、私はみなさんに質問する前から、すでに答えを知っていて、その答えは、私たちは常に正しい速度で進んでいるということです。オーバーペースに感じることもあるでしょう。実際ここひと月ぐらいは、途轍もない速さで進んできました。そうでないと感じる時もあるでしょうが、そういう時には、みなさんはとても退屈します。「ああ、アダマス、またそれか。その話なら何度も聞いたよ。私は私である。私は在る。もういいって(笑う)。飽きたよ」と。でも私は同じことを言い続けます。基本となる重要な原則だからです。みなさんに必要なことを私は言っているだけのことです。私が言っていることは、言わば、みなさんの反映です。
つまり、私の話が退屈なのであれば、それはみなさんのせいであって、私のせいではありません。
リンダ:オオオオ(笑いが起こる)。
アダマス:私は単に、みなさんがその時に聞いておくべきことを言っているに過ぎません。みなさんやみなさんのマインドは新しい話を聞いてワクワクしたり良い気分になったりしますが、48時間後には「何言ってたっけ?」みたいな感じで忘れています。だからみなさんは同じことをまた聞くことに、またまた、またまたまた聞くことになるのです。しかしながら、それに効能がないわけではありませんよ。毎回毎回、聞けば聞くほど、前の回よりは少しずつ深く、みなさん自身にとってより意味のあるものになっていきます。例えば「私は在る(I Exist)」ということであれば、本当の意味での感覚的な経験をするには、1年とか2年はかかるかもしれません。私は在る。美しく且つ短くシンプルで、いかにも熟達者、マスターであるという重厚な響きです。あなたが公園のベンチに座っていて、人々があなたに近づいてきて何をしているのかと訊ねるならば、毎回毎回「私は在る」と答えましょう(笑い)。なんだかとても神聖ですね。神々しいです。「何をしてるかって? うるさいガキだな。そんなこと見れば分かるだろう!(笑う)ここに存るに決まってるだろ。分かったならとっとと失せろ!」
そしてある日、公園でベンチに座っていたり、お風呂に入っていたり、何かしらをしている時、コーヒーを飲んだりしている時、ふとした瞬間、本当にその感覚が得られます。「ああ、私は在る! その意味が分かったぞ」そしてその感覚は、まずは身体に訪れます。そして疼くような感覚とともに順応して、そこからマインドが開いていって、受容します。
しかしながら、その感覚は、身体やマインドのレベルを超えていきます。身体やマインドを超越した感覚、みなさんはそれを最初から持っています。「ああ、今まさに感じている。これは獲得するようなものなんかじゃなかったんだ。あることをただ感じることだった。私がそれだ」そして「私は在る」という言葉自体が消え失せます。言葉に意味は無くなり、ただ自分自体がその境地に入っています。ただただ経験しています。精神、肉体に影響を与えつつも、精神も肉体も完全に超越した感覚です。あなたはその経験のただ中にあり、且つずっと前からそこにいたことが分かっていて、二度と手放したいとは思いません。消えてほしくないと思います。そして次に何が起こるのか。あなたは「ああ、消えてほしくない。消えないでくれ、、、」と思い始め、そのせいで、あーらら、消えていってしまいます。あなたが消えていくことにフォーカスを向けたからです。本当は、深呼吸をして、それを体現すべきでした。
マインドは突然に乱入して心配を始めます。あなたもご丁寧に同じように振る舞います。「いやだ! 失いたくない!」それが、エネルギー的に何を言っているのかは分かりますね。「無くなれ! 消えろ! 消えてしまえ!」そして実際、そうなります。しかし良いニュースは、それはまた戻ってくることです。必ず再び戻ってきます。もともとそこにあるわけですから。
それでは深呼吸をしてください。私たちは速すぎるスピードで突き進むこともあれば、遅すぎだと、退屈だと、そう思えるぐらいのんびりすることもあって、結果として、ちょうど良いスピードで進んで行きます。私たちは、話を耳で聞くだけではなく、それを本当に経験しようとしています。全ての面のあらゆるレベルで、andの全てで経験しようとしています。「やれやれ、遅すぎだよ。いつになったら起こるんだ」から「ちょ、ちょっと飛ばし過ぎだよ! これ以上、耐えらんない! 頭がおかしくなりそうだ。ああ、私にはそうなる価値が無いんだあ!」となったりして、わあわあ騒ぎながらも、なんだかんだで「ああ、ちょうどいいペースだね」と無邪気にリラックスしてコーヒーを飲んでいるのが、私たちです。
私が何より愛すべきことだと思えるのが、それをみんなでやれていることです。私はみなさんのようなグループを見たことがありません(笑い)。こんなグループは本当にどこにもありませんからね。この段階まで来て、多くの参加者がまだ死なずに生き残っているのは驚きです。私が過去関わったグループでは、そのどれもがそうでしたが、この段階に至るまでに、その全員が亡くなっていました。という私の証言が正確かどうかは怪しいですが(さらに笑い)。とにかく、そういったグループの人たちは、先を急ぎ過ぎました。何が起こるかについての期待、前へ前へと進むペース、他の領域まで含めて全体のバランスを保つための精神的、肉体的な負荷、そのどれもが過剰でした。過剰です。大き過ぎです。でも、あの世、向こう側、別の領域、なんでもいいですが、その手のミステリアス感たっぷりの甘い空気は、どこか危ないぐらいに魅力的で、その種の人たちにとっては、途轍もない誘惑でした。今のみなさんには、あの世に加えて、シオス(Theos:シャーンブラのためのニュー・アース)といった誘惑までもが、別領域には、用意されていますね。私とアセンデッドマスターズクラブで一緒になるというのは、全てのチケットを手にするのと同じです。その誘惑は強く、多くの生徒が正気を失うほどでした。
実際、私たちがミステリースクールを閉鎖した理由の1つに、生徒のミステリースクール中毒がありました。ミステリースクールにはそういった中毒があり、それが理由で追い出される生徒がいたりだとか、最悪、学校を閉めざるを得ない状態に至るほど、蔓延していました。ある日、学校から帰って次の日来ると、扉はバツの字に板貼りされて、固く固く閉ざされています。そんな感じです。「うわっ! 一夜で何が!」一切の説明も無しにそうなります。そうでもしないと決して治らない中毒でした。中毒にかかった生徒は、ミステリースクールの世界自体に魅了されてしまっているので、外の世界へ冒険の旅に出ることも、人生を味わうこともしなくなります。みなさんは、その世界でその世界の中にいる人たちとずっと一緒にいたいと考えます。他の、外の野蛮な人間どもと交わりたいとは思いません。粗野で教養のない人間たち(villagers)― 村(village)の間抜けども、外の人間のことを、みなさんはそう呼んでいました。それがvillagersという言葉の由来です。これって、みなさんが最初に使い始めた言葉なんですよ(笑い)。「は? どうして? あんな村の阿呆どもと同じように暮らせだって? 馬鹿げてるね。同じ店で買い物なんかできないできない。嫌だね。私はミステリースクールに留まるよ」そんな感じでした。「冗談でしょう。ここには良い食べ物に良い音楽もあるのに、村? ないない」と。
ちょっとここで、この世界に留まりつつ「感じる」能力について述べておきたいと思います。みなさんにも、どんな瞬間も、全ての瞬間が、自分にはスピードが速すぎると感じることがあるはずです。みなさんの1人1人全員が、1人1人の全員ですよ、が夜な夜な必死な顔で私に対して「嗚呼、アダマス! 何かがおかしい」と訴えてくることがあります。何のことを言ってるんでしょうね。何もおかしくありませんよ。だから私はそう言います。が、それでもみなさんは納得しません。「アダマス! ペースが速すぎだよ。これ以上は無理だって! 留まれないよ」
かと思うと次の日なんかに、実際には次の夜ですかね、みなさんは別の顔でやってきます。「アダマス、退屈だよ。もう少し話を先へと、核心へと進めてくれないかな」と。「ま、正直なとこ、アダマスには悪いけど、退屈だから別の集まりにも参加することにしたよ。じゃあね」と。まあそれで、さいならですね。でも実際のことを言うと、本来であれば、あなたは同じ瞬間に、この2つ、というか、この2つどころか、全ての感覚でいられるはずです。それが、真のマスターというものです。本当に感じるというのはそういうものです。
それを難しくしている原因の一部には、正に私たちの苦労の一部ですね、は、私が「さあ感覚として全てを取り込んでください。本当の感覚を、官能を、内の臓にまで染み込ませてください」と言い、みなさんがそれについて考えてしまうことがあげられます。みなさんは私の言葉について頭であれこれと考え続けてしまっています。このところ、みなさんは、誰かにそうすることを押し付けられているような、さほど感情的なものではありませんが、それでも、ある種のプレッシャーを感じていると思います。「ヘーイ、それを身体に留めるんだ。マインドもそれを分かっていないといけないな。この現実で、全てを一度に感じるんだ。何が起こっているかをただただ感じて、それと戦うことを止めるんだ。追いかけちゃいけない。考えることを止めてただ流れに任せないと、許さないと」と。分かりますか? 非常に退屈な思考ですね。これが退屈さの原因の1つでもあります。思考を通してより精神的で精巧な何か、教義や、ルールで自分を縛っているだけですね。面白いはずがありませんね。私が言っているのは、そういうことではないですよ。私は、ただ深呼吸をしてくださいと言っています。単に、シンプルに深呼吸をして、みなさん自身でいてください、と。それだけでいいのだと。もしそれで様々な意味で、痛みや傷が浮かんだとしても、一時的なものです。それさえも深呼吸をして、ただ感じていてほしいと思いますね。痛みが浮かんだ、嫌なことがあった、だからと言って失敗や、やり方を間違えたとか、そういう何かではないですよ。そういう痛みは全て精神による抵抗です。もっと深みのある何かを感じての抵抗です。
結局のところ、全ての痛みの発生源はマインドです。肉体的な痛みでさえ、存在しません。全てはマインドの中の話です。マインドによる、真の感覚、官能性に対する抵抗です。物理的な痛みというのは、幻想の中以外にありません。
みなさんには、マインドを超越した感覚、その経験が既にあります。一人残らず、間違いなくそれがあります。それがどのぐらい美しく、豊かな感覚であるか、みなさんは既に知っています。前回のシャウドで言った通り、それが私たちが向かう先です。でも、そこへ向かうには実際、いくつか課題が残っています。いくつかですが課題があります。
Today’s Reminder(本日のリマインド)
ただ、その内容に入る前に、私は月に一度のリマインドを行いたいと思います。私たちはここに来るまで、みんなで一緒に、たくさんの驚くべき情報を作り出してきたので、それについて再び触れない理由はありませんよね。勿体ないです。クリムゾンサークルはそれをコンテンツ(content)と呼んでいますが、その呼び方は嫌いじゃないです。満足(content)ですね。ここには膨大な量の素晴らしい情報があって、たくさんのコンテンツ/満足(訳注:content 1語のみ)があります。
その中から、本日のリマインドとして取り上げたいのは、偉大なるトバイアスが言ったこと「そんなことはどうでもいい。(It doesn’t matter)」です。再び、頭の中で感じてください。「そんなことはどうでもいい」と。みなさんは「知ったこっちゃねえ! もうどうにでもなれ!」単純にそういう意味で捉えているかもしれませんが、その解釈は、必ずしもトバイアスが意図した全てではありません。そんなことはどうでもいい、についてです。
It Doesn’t Matter(そんなことはどうでもいい)
トバイアスがそのメッセージを発した時、私は暗いところで翼にくるまって天井からぶら下がり、シャーンブラ一行の様子を眺めていました。場所はエジプトです。一行は大ピラミッドの中にある王の間の見物に訪れていました。ピラミッドというのは本当にホットでスペシャル場所ですね。この惑星にいる人なら誰でも知っている、どこの誰でも、あああれかと簡単に分かる有名なスポットです。ピラミッドとその王の間。この惑星には他にも有名で象徴的な場所はたくさんありますが、歴史含め、その全ての中でも、いろんな意味で凄さ、豪華さ、認知度として、常にトップ10には入っていると思います。ピラミッドにはなかなか驚嘆すべき歴史があります。
ある時は、ヨシュアとマリアがそこで一緒に座っていたこともあります。マリアと言っても何人か思いつくかもしれませんが、マグダラのマリアですね。あと、ナポレオンの名前もリストにはあり、そこに来たことがある有名人を上げていけば、きりがないです。名前だけ並べて行けば、非常に豪華なラインナップです。彼らは皆、答えと深淵なる経験を求めて、そこで静かに座っていました。でも、あそこの王の間に行ったことがある人には分かると思いますが、正直、空気が臭いですね。毎日毎日大勢の人がひっきりなしに訪れる割に、さほど空気が入れ替わらないので、、、ま、そうなりますね。大して良く換気されているわけではないので、長年も、何世紀もかけて、大勢の人が築いた臭いと言えるでしょう。とにかく、行ったことがある人も、ない人も、ピラミッドの王の間について少し感じてみてください。
ちなみにですが、そこへたどり着くには、みなさんはピラミッドの外側にある石造りの階段をひたすらに登らなければなりません。そうして中へ入り、吹き抜けの階段を上り切ると、今度は四方を石壁に囲まれた穴の中を這って進むことになります。閉じ込められたような感覚です。閉所恐怖症に似た恐怖がふつふつと湧いてきます。あなたの目の前には同じように這っている人がいて、無論、後ろにも同じように這う人の行列が続いています。文字どおり両手両膝をついたままで閉じ込められた感じです。そこで突然「あれ、、、あ、マジか、やっべえ、トイレに行きたくなってきた」そうなります。さてどうしましょうかね? そこにトイレはありませんよ。あなたの後ろには四つん這いになった人が25人も連なっています。無論、通路は狭く、人1人がやって這えるスペースしかなく、戻ることもできません。
リンダ:また話が変な方へ行ってないかしら?
アダマス:みんなの気を逸らしてるんだよ(笑い)。みんなが魔法にかけられたみたいに、ピラミッドの重み、その歴史を感じていたからね。とにかく、膀胱はもうパンパンだ。「うぐ、うぐぐぐ!(更に笑い)」。自分で言うのもなんだけど、人の気を逸らすのもここまでくれば芸術だと思うよ。親愛なるリンダ様、続けさせていただいてよろしいですか?(笑う)
ということで話を元に戻しましょう。あなたは四つん這いで進んでいて、急にトイレに行きたくなります。頭の中では「あっちゃー、しまった。来る前にコーヒーなんか飲むんじゃなかったー」などと後悔の言葉が渦巻きます。あなたはトイレに行きたいのを我慢しつつ、そうする以外に仕方も無いので、ついには王の間にたどりつきます。穴を抜けて立ち上がると同時に、目の前に突然、大きな空間が広がります。広さはこのスタジオよりも若干小さく、天井がやや高いぐらいでしょうか。そしてそこは空っぽです。壁に美しい絵があるわけでもなく、彫り物があるわけでもありません。床はカーペットではありませんし、残念ながら、トイレも設置されていません(笑い)。声が反響し、こだまするばかりの、基本的には何も無い大きな部屋です。唯一あるのは石棺だけです。その石棺は当然ながら年代ものです。見るからにとても古く、所々が削れています。
そうしていると、間もなく、全ての注意が、その石棺に向けられているような気がしてきます。どうなるか? 「死」への幻想、恐怖が心の底から浮いてきます。「なんてことだ! 死は間違いなくやってくる! 近づいてきている!」あなたもきっとそうなるでしょう。必ずしも「死」ではないかもしれませんが、課題がそこで露わになります。浮かんできます。
というのは、まあまた私一流の気逸らしなので、今その話は置いておいて、話を先に進めますと、その時、王の間に入っていたのは50人のシャーンブラです。みんながみんな、そこへ行って起こる何か、ミステリアスな何かについて、信じられないほど、大きな期待を抱いていました。そこへたどり着いた時に何が起こるのか。王の間は黄金の間であり、ミイラなんかもいたりするのか、と期待に胸を膨らませていました。でも実際には何もありませんでした。至って普通です。ただの臭い場所です。まずそのこと自体がショックでした。彼らはそこでまずはショックを経験します。そして次には、その空間で響き、こだまする声、その響き方、こだまの仕方に魅了されます。声を出してみると、声は、単に壁から壁へと反射を繰り返すのとは違っていて、声がこの世界、この生涯から一旦外へと出て行って、どこかから再び戻ってくる、そんなこだまの仕方をします。そして実際、声はそのように振る舞っています。別の現実へ入っていき、そこからまた戻ってくる、という具合です。とてもユニークなサウンドです。
一行はみんなで腰を下ろしました。そこへトバイアスがやってきます。そこにいる誰もが、この聖地の中の聖地で、謎中の謎に対する、答えの中の答えが聞けるものと期待しました。トバイアスは、その期待に添うべくして、これから言うことが、いかにも価値があるかのように、深呼吸をしました。彼はトーニングっぽいことをいくらか行ったのち、勿体ぶったみたいに、沈黙しました。トバイアスはしばらくそうして、ついに口を開きました。ゆっくりと慎重に言葉を選んで喋りました。「創造の名において、世界中のあらゆる場所からみなさんに、ここに集まってもらったのには、理由があります。何千マイルも旅をして、ラクダのいる砂漠を横切り、トイレを我慢したままで長い長い道をここまで来てもらったのは、他でもなく、みなさんにこのメッセージを伝えるためです。そのメッセージとは、皆さんに伝えたいのは『そんなことはどうでもいい』ということです」(笑いが起こる)※このトバイアスのメッセージは”TimeTravel”の中。
その時、みんながどれだけがっかりしたか分かりますか?「は? どうでもいい? どゆこと?」誰も声には出しませんでしたが、そう思っていたに違いないことは分かると思います。「は? エジプトの大ピラミッドの王の間までわざわざやってきて、何を言うかと思ったらたった一言『そんなことはどうでもいい』って。スピリチュアルな旅の最高点、人々の視線が集まるこの文明のゼロ地点、ヨシュアやナポレオンや多くの歴史的な偉人が腰を下ろしたこの大ピラミッドの王の間まで、それなりに苦労して、期待して、やっとやって来た人に向かって『そんなことはどうでもいい』って」まあそんな感じになりますよね。
でも実際、それはどうでもいいことです。
これは深淵なメッセージです。私は、これをみなさんに思い出してほしくて、今日ここでこの話を持ち出しました。この深淵なるメッセージは、あなたがやっている苦労の全て、努力はあなたをどこへも連れて行かないことを伝えています。頑張ってもどこへもたどりつきません。悟りへ向かって頑張った、苦労した、砂漠を越えた、遠路はるばる有名なピラミッドまでやって来た、だからといって、ボーナスポイントもブラウニーのクーポンも、コーヒー1杯さえももらえないということです。ゼロです。ナッシングです。全てを解き明かそう、理解しよう、悟りに導いてくれる秘密の石棺へと繋がる迷路を見つけよう、迷路を抜ける方法を見つけよう、そうやって精神的に頑張ることに、何の得もないということです。それは精神的なマキョーであり、くだらないことです。自分で自分を騙しているだけのことです。
さきほどお話ししたとおり、私はみなさんの状況を確認、研究することを通して、みなさんが夜な夜な私に何かを頼んで、私に相手にされなかった時にみなさんが何をするか、それが段々と分かってきました。はい。みなさんは浮気しますね。別の存在のところへ向かいます(笑い)。ま、私たちアセンデッドマスターは互いに話をすることがあるので研究などしなくても分かりますがね。「アダマス、気付いてるかな。ヘンリエッタは浮気してるね。だって、こことは別のマスターズクラブに彼女がいるのを見たからね。あれはヘンリエッタで間違いないよ」そんな話をします。もちろん私には分かっています。「ああ、それね、知ってるよ。全く気にもならないね、、、ん、まあ、そんなに、気にならないよ(笑い)。まあでも、近々会うから本当かどうか聞いてみるかな、、、」
実際、全ては本当に、どうでもいいことです。みなさんはどうでもよくはないと考えます。ある種の物事は重要であってほしいと望みます。が、実際、本当にどうでもいいことばかりです。深刻に考える必要ある秘密はどこにもありません。悟りへ向かう道のりに間違いは無い、それと全く同じ理由で、より近い道もありません。今すぐこの言葉をウェブサイトに載せてください。悟りまでの道のりには間違いが無いのと同じ理由で、より近い道もありません。悟りへの道は「悟りへの道」以外にないのです。このことが認識できるやいなや、みなさんは、今進んでいる道について脳みその中で質問を繰り返すことを止めるでしょう。シャーンブラマガジンの記事でこれについてもう少し詳しく説明しますが、みなさんがこの手の質問をする度に、した途端に、質問は答えを探して宇宙の中を駆け巡ります。そしてその質問は質問自身が答えを見つけたと思うまで、戻ってきません。今みなさんは「私は誰か? 何のためにここにいるのか? 真の幸福はどう見つければいいのだろうか? 何か間違ったんじゃないだろうか? 明日はどう別の自分でいようか? 私は誰だろうか? あ、いや、私は誰だろうか? 悟りに至ることはできるのだろうか? それはいつだろうか?」と、みなさんは次から次へと、のべつ幕なしに質問を別領域へと飛ばし続けてしまっています。みなさんは答えを見つけようとして、小さな蟲をどんどんと送り続け、ぶんぶんと飛び回らせ続けています。でもこの蟲たちに答えを見つけることはできないでしょう。
その状況がある種感じられるみなさんは、それを感じで混乱します。みなさんはそういう質問を何十億回も繰り返し繰り返ししています。ここ1週間だけでです(笑い)。質問たちは答えを見つけようとひたすらに辺りを飛び回っています。答えを探し求めています。しかし見つけることはできないでしょう。何故なら、探している答えは全て、本当はあなたにとって、どうでもいいことだからです。全てが本当にどうでもいいことであり、知る必要がないからです。本当にどうでもいいことは、存在していないのと同じです。
前に話したと思います。結実指向性。重力的指向性と言ってもいいでしょう。悟りに至るというのは魂の欲求であり、進化として自然、当たり前のことなので、放っておいてもそれは起こると。頭で考えたり、選択をしたからそうなるのではなく、そういうこととは一切関係なしに、そうなるようになっているから、そうなるのだと。そして今もそれは現実に確実に進行していて、あるタイミングで成就されます。成就するなと言う方が無茶な話です。みなさんはみなさんが、意識的にそれを起こしている、意図してその方向へ進めている、そう感じているかもしれませんが、違いますよ。むしろ邪魔をしていますね。というか邪魔しかしてないです。そのことのみにフォーカスをして、エクササイズをしたり瞑想したり、ある種の食べ物をある種の方法で食べたりして、進めているような気になっていますが、全くもって違います。ノーです。結実指向性です。そうなるようになっているからそうなっています。魂、I Amの性質です。それが悟りです。
I Amはシンプルにこう言っています。「もうしばらくの間だけ、焦んなくていいから、人生を楽しんでいてくれないかな? 単純に好きなことをしててくれればいいから。美味しいものを食べて、自然の中を散歩して、セックスをして。あれ、最近セックスしてないんじゃないかい? とにかくそう堅くならないで、何でもいいから、楽しいことをしててくれればいいよ」と。みなさんには、どうしても堅く、真面目に考える傾向があります。これは私ではなく、カウルダーの言葉ですが「几帳面」ですね。「漏れなくサボらず続けなければ。ちゃんと正確に続けないと」と全てに堅く真面目に一生懸命、取り組み続けます。でもそんな必要はありません。そうすることを止めてみましょう。許し、これ以上に大きく意味のある答えはありません。
私たちはたくさんのセッションを行ってきました。たくさん議論をして、多くのことを共有しました。私たちは、時には泣き、そして笑いました。でもこられは全て、みなさんの気を逸らすためのものでした。みなさんが、みなさん自身の邪魔をしないよう、あるべきプロセスをあるべきように進めるために、気逸らすために行いました。
何も問題になることはありません。どうでもいいです。あなたが問題と思う全ての事柄は、問題ではありません。本当にどうでもいいことです。健康? 実際、どうでもいいことです。豊かさ? 全く。道徳的に正しいとされるルールを順守すること? どうでもいいです。トバイアスにも、ユダヤ教の信仰に従って神の法に従った時期がありました。が、結果としても明らかですが、それは極めてどうでもいいことでした。神がいたとして、神は人間が何をしていようと気にしません。どこの誰が何をどうしたかなんて、正直、クソどうでもいいことです。
私は見ていたので分かりますが、特に先月、みなさんは、遅いということはなく、猛烈なスピードで進みました。大変でしたね。みなさんが自らを鼓舞して、物事を管理しようしている、管理しようとしていて、それが出来ていない様も見えました。管理なんかできるわけがありません。もうそういう馬鹿な試みは止めて、ただただ体験する時ですよ。速いなら速いで、ただ純粋にそのスピードを感じてみませんか。もしそこに、どうでもよくはないもの、そういうものがあるのであれば「よしそれを感じよう。それについて考えるのだけは止めよう」そんな感じでいてください。苦境でもトラブルでも何かそういうものに見舞われた時は「嗚呼、どうしよう。何かしなきゃ。何とかしなきゃ」ではなく、ただ、深呼吸をしていてください。そうしていれば、そのどれもが、本当にどうでもいいことだと分かります。本当にそうです。みなさんが重要だと考える全てのものは、ペッペッぺ! 呆れるほどに、クソどうでいいものです。こんなことを言って申し訳ないですが、そのどれもが等しくリアルじゃないですからね。エディス(唾を吐く真似について)、びっくりさせたけど、リアルじゃないよ。偽物だからね(笑い)。問題無いね。
さて、深呼吸をしてください、シンプルにそう言って、シャウドを始めたいと思います。さて、深呼吸をしてください。人間のみなさん、いいですか。みなさんには悟りの仕組みも秘密も、そこに至る方法も、何も解き明かすことはできません。人間にはそんなことをやる義理も筋合もありません。ただ、みなさんが提案されている唯一のことは、そろそろいい加減、楽しんでくれませんか、ということだけです。次にどこへ行くべきかとか、名前を変更すべきかどうかとか、そんなことを深くしつこく、あれこれと考えるのをいい加減にやめてください。名前を変えたかったらとっとと変えてください。変えて嫌なら戻してください。心底どうでもいいことです。みなさん全員、名前をエディスにしてみたらどうですか? 世界中にエディスがいることになりますね(笑い)。ちなみに私はエディスに借りがあります。彼女には少し前、スマホの件でちょっと、嫌な思いをさせてしまいました。まあ私も、お芝居のつもりだったのに、見た人からいろいろ言われて、大変だったけど、えっと、準備したギフトはどこかな? お、あそこかな。
リンダ:いいわよ。話しててちょうだい(リンダが取りに向かう)。
アダマス:お店へ行って、君だけの為に買ったんだ。まあ、どうでもいいけどね。とにかく、みなさんもそうやって一日を始めてください。いいですか? そう考えると、何か自由になった気がしませんか?「そんなものはどうでもいい! わー! そんなことは本当にどうでもいい!」
では、次の内容に移りましょう。マイクが要るのでリンダを待ちましょう。私がマイクを持って走り回ってもいいですね。うん。でもあんまり良くもないですね。リンダが戻るのを待ちましょう。
Why is Life so Hard?(人生は何故こうも大変なのか?)
では質問の時間に入りましょう。多次元に亘ってみなさんに関係のある質問です。人生は何故こうも大変なのか? 私が聞いているのは、みなさんの個人的な話ではなく、人間全般の話です。何が理由でこんなに大変なのでしょうか?(アダマスが口笛でリンダを呼ぶ。笑いが起きる)。
これ(マイク)はオンになってるのかな?(マイクを調べている)リンダじゃないと分からないね。もう1人リンダが欲しいぐらいだね。何故人生は、、、ああ、来た来た。おー、リンダ。戻ってきたね。はい。何故人生はそんなに大変なのか?
その前に少しだけ、考える時間をあげましょう。エディス、エディス、エディス(彼が薔薇のコサージュをエディスに渡すと聴衆から感嘆の声が上がる)。どうぞ(拍手が起こる)。ムンワッ!
エディス:ムンワッ!
アダマス:ProGnostで彼女には嫌な思いをさせてしまいました。でも、本当に本当に重要で大切な内容を話している時に、誰かのスマホが鳴り響いたらどうしますか? 無視しますか? 取り上げてて電源を切りますか? 教授の邪魔をする騒がしいハンドバックをそのままにしますか? エディス、もし君がセックスをしていて、相手の電話が鳴り、その人が受話をして話し始めたら、面白くはないと思うよ。そう思わないかい?
リンダ:どういう謝り方なのかしら?(笑いが起きる)
エディス:分からないわ!(I don’t Know !)昔のこと過ぎて忘れちゃったわ。
サート:ウオオ!
アダマス:はい。では質問に入りましょう。聞きます。人生は何故こうも大変なのか? さあリンダ、誰でもいいからマイクを持っていって。何故そんなに大変なんだろう? あるいは、もし大変じゃないならその理由は何だろう?
シャーンブラ1(男性):大変ですね。
アダマス:立ってもらってもいいかな?
シャーンブラ1:はい。
アダマス:ありがとう。
シャーンブラ1:大変ですね。
アダマス:その大変さの一例を上げてもらえるかな?
シャーンブラ1:自らをもっと大変にしてしまうからです。
アダマス:うーんと、そうなんだけど。もし君が哲学者か心理学者かそういうものだとして、人間さんがクライアントととしてやってきている。見ていて大変そうだ。何がそんなに大変なのかな? 難しいのかな?
シャーンブラ1:(頭を揺らしつつ)うーん、、、
アダマス:子供のころに痛めつけられたとか、悪い両親がいるとか、何でもいいから作った作った。
シャーンブラ1:何でもいいから、、、
アダマス:そうそう。
シャーンブラ1:えーと。えー、、、それが人生だから。
アダマス:あー、人生だから。なるほど。人生は大変だ。いいね。そういうものだと。だれも人生の他の有り様を想像もしないと。大変だと思ってるから大変だと。なるほど。ありがとう。はい。次の人。では何故、人生は大変なのかな?
ジャネット:自由の欠如のせいかしら。
アダマス:そうだね。
ジャネット:シンプルさの欠如もあるわね。
アダマス:シンプルさの欠如。いいね。好きだよ。なら、その具体例を上げてもらえるかな。そのことの何が大変なのか?
ジャネット:家族ね(笑う)。
アダマス:その通り。いい答えだね。素晴らしい。君も家族を愛しているとは思うけど、難しいことに違いはないね。
ジャネット:あと身体です。身体を持って生きるのは大変です。
アダマス:身体。間違いないね。
ジャネット:マインドも。思考というか。
アダマス:身体とマインドだね。ちなみに、この両者は上手くやっていけるのだろうかね?
ジャネット:(少し止まって)そうですね。大変は大変だけど、それなりに。セットとして合わせて大変なんだと思います。
アダマス:じゃあついでに聞くけど、もしこのどちらかを調整できて、もっとマシに変えられる、例えば、君や、I Amとバランスを取ることが出来るようになるとしたなら、どっちを選ぶかな? 身体かな、マインドかな。
ジャネット:マインドです。
アダマス:マインドか。なるほど。いいね。
ジャネット:創造されたままの純粋な状態でいたいです。
アダマス:なるほど。マインドに「うるさい! 黙ってろ!」と言ってるわけだね。分かるよ(アダマス、笑う)。
ジャネット:あ、でもandにいて、ベンチに座って両方を観察することもできますね。
アダマス:まさに。
ジャネット:そうですね。
アダマス:そのとおりだよ。
ジャネット:どうでもいいことですね。
アダマス:そのとおり。どうでもいいことだよ。いいね。「人生は何故こうも大変なのか?」私がこんな質問をしているのは奇妙に思えるかもしれないけれど、後からこの内容について触れるつもりでやってるんだよ。まあいずれその話になるよ。
ジャネット:いつもそうですね。いつも。
アダマス:そう。なんでこんな話をしてるかが分かってくるよ。はい。次の人。人生は何故こうも大変なのか? ああ、いらっしゃい。立って話してもらえるかな。
ケイジア:えっと、何故なら、、、
アダマス:今日は特に美しく見えるね。
ケイジア:ありがとう。
アダマス:うわー! 輝いてるね(彼女は笑う)
ケイジア:大変なのは、わたしたちがみんな、常に追いかけ続けていられるように、何かを期待をするからかしら。
アダマス:いいね! いいよ。君は何を期待しているのかな?
リンダ:(彼女はリンダにマイクを渡してしまう)まだ終わってないわよ。
ケイジア:え、あら、分かったわ。
アダマス:どんな期待を持ったことがありますか? あるいは今、どんな期待を持っていますか?
ケイジア:最近だと、自由の達成かしら。
アダマス:自由。いいね。期待に沿うような状況にはなってるかな?
ケイジア:そうでもないわね。期待してるほどは。
アダマス:愛についてはどうかな?
ケイジア:それはあるわ!
アダマス:力強い肯定だったね。じゃあ少し別のことを聞くけど、人生を10段階評価するとして、10がベリー・ハード、1がベリー・イージー、だね、人生の大変さはどのぐらいに位置するかな?
ケイジア:その日次第かしら(笑う)。
アダマス:なるほど。では君個人ではなく、もっと人間全般としてはどうだろう? 多くの人々、重合意識、ざっくりと人間の人生、を考慮した場合にはどうだろう?
ケイジア:8ぐらいかしら。
アダマス:8。とすると結構ハードだね。
ケイジア:ええ。
アダマス:オーケー。分かった。ありがとう。
ケイジア:こちらこそどういたしまして。
アダマス:来てくれて嬉しいよ。また会えてうれしかったよ。
リンダ:もっと聞くかしら?
アダマス:もちろん。何故人生はこんなにも大変なのかな?
フレッド:まあ率直に言って、自分には当てはまらないかな。ずっと有意義で楽なドライブに思えるよ。
アダマス:素晴らしい。君は創造するのが上手だね。誰がどうしようと気にしないってタイプだ。面白い。
フレッド:どうでもいいことばかりだからね。
アダマス:そうだね。そのとおり。
フレッド:全体を見てみると、結局は経験を豊かにするためなんだよね。大変に思えることがあっても、もっと大きく考えると、そのおかげでこの物理世界での経験はより豊かになってるってことかな。
アダマス:素晴らしい。じゃあ人間の人生の大変さを10段階で評価するとして、どこだと思う? 君の人生ではなく、人間全体として。
フレッド:8、だと楽観的過ぎるかな。9に近いどこかだな。9.5。
アダマス:面白いね。非常に面白い。人間全体として、人生はどのぐらい大変か。相当大変だと。ちなみにみなさん、私は人生が悪いものか、と聞いているわけではないですからね。悪いとか醜いとか、そういう言葉は当てはまりません。
フレッド:人生はハードだよ。
アダマス:今のところ8から9辺りまでが挙がっています。面白いです。さあ、マイクをどんどん回してください。非常に面白いです。私たちは全員、ここにいる人も、観ている人も、読んでいる人も、みんなで歴史、本、つまりストーリーを創造していて、そのことに気付いています。
はい。立ち上がってからどうぞ。
ベッキー:どうしても全てをコントロールしたくなるから、それで大変なんだと思うわ。
アダマス:いいね。
ベッキー:だから、、、
アダマス:うん。でもどうしてそうしたくなるんだろうね?
ベッキー:分からないわ。
アダマス:そうすることが役に立ったことはあるかな?
ベッキー:全く。
アダマス:全く!
ベッキー:一度も無い。
アダマス:それが分かっていてなお、君はそんな役に立たないことを続けているのかい?
ベッキー:ええ。続けてるわ。
アダマス:変だね。えっと、ここは私が代わりに言うかな。その根底には恐怖があるんだね。全てをしっかりコントロールしないと全部が滅茶苦茶のバラバラになるという恐怖があるんだ。それが真相ってところだね。
ベッキー:そう。そのとおりね。
アダマス:なんとなくは分かってるみたいだね。でも君は「ちょっと待って。私は悟りに向かうのよ。ちょうど馬の前にぶら下げたニンジンみたいなものね。目の前に置いておけば一生懸命進んでいける。これなら頑張れる。自分を制御できる。まだここにはないけど、常にほんの少し向こうにある。でもすぐ目の前にあれば忘れることもないわ。自分には出来る、もうすぐそこだ、もうちょっとだ、そう信じて真面目に頑張り続けないと」と言っているようなものだね。でも分かると思うけど、コントロールしていることが、結局のところ、妨げになっているね。かと言って、コントロールを放棄すると、自分の醜い部分、それこそおかしな部分が出来てきそうで怖いしね。
ベッキー:そうそう。
アダマス:わー! 自分が滅茶苦茶になったらどうしよう? それこそ本当に気が狂って、法も常識も分からないみたいに、涎を垂らして施設にでも入れられるんじゃないかと「ああ、嫌だ! そんなふうにはなりたくない! 白痴は嫌だあ!」と怖くなるね。
ベッキー:ええ。
アダマス:そういう恐れが、コントロールの放棄の妨げなんだよ。ちなみに君は、いつコントロールを手放すんだい?
ベッキー:たった今(笑う)。
アダマス:どうもそうはならなそうだね。
ベッキー:ええ。
アダマス:恐らくそうだね(笑う)。結構メンタルに来る考えだけど、そういうのを考えたことがある人はいるんじゃないかな。君はそうなんだよね?
ベッキー:ええ。そのとおり。
アダマス:だよねだよね。でも君は数年前からそういうことを考えてるね。それから他にも5年間、もうさらに10年ほど、そういうことについて考えてるね。私は君を困らせようとして言ってるわけじゃないんだよ。君は、ここにいる、あるいは、これを観ている多くの人々を代表しているだけだよ。君のように「しっかりと自分を制御しないと」そう言っている人々だね。「この世界は狂ってる。自分は狂った世界の狂った人間だ。気をしっかりしておかないと何をするか分からない」そう言っている多くの人だね。
自分自身を取り戻してバランスを取るために、君は何をする?
ベッキー:散歩かしら。
アダマス:なるほど。どういうところを散歩する?
ベッキー:森林ね。
アダマス:ああ、いいね。自然に囲まれるのはいいね。
ベッキー:そう。自然の中を歩くわね。
アダマス:いいね。いいね。
アダマス:さっき流れたビデオは気に入ったかい?
ベッキー:ええ。
アダマス:あれ良かったよね?
ベッキー:とても。すごく綺麗だったわね。
アダマス:森の中を歩いていて、周りにオーブがたくさん見える。
ベッキー:ええ。
アダマス:音楽も良かったね。この惑星を離れるとして、シャーンブラが一番残念に感じるのは、この惑星の自然と離れることだったしね。自然だよ。夫や妻、子供と離れるよりも自然と離れるのが一番辛いってね。食べ物でもなく、テレビでもなく、そういうものでもセックスでもなく、ナンバーワンは自然だからね。自然は多くを語ってくれる。たくさんね。そのことについてはまた後から話をするよ。ありがとう。
ベッキー:ありがとう。
アダマス:うん。いいかい。深呼吸をして手放すだけでいいんだよ。あとは何が起こるか見てればいい。そうした時、小さな声が聞こえるかもしれない。「できない。どうすればいいか分からない」と。その時だよ。それこそがその時だよ。「私はここにいる。制御は不要だ」そう言って恐怖を、全てを超越する。飛び越える。分からないままでいい。できなくていい。言わんとすることが分かるかな。マインドや脳のコントロールを止めようとコントロールすることを止めようとコントロールすることは無意味だよ。「さあ、コントロールを手放すためのプログラムを始めよう!」そんなことをしたところで、またコントロールすべきことが増えるだけだよ。君はシンプルに「私はここにいる」と言う。だって君はそこにいるからね。「私は自己を制御する必要性を超越しました」と。君は確かにそこにいる。
はい。あと何人か、、、おっと、聞くのを忘れてた。人生の難しさ、人間みんなの大変さ、10段階評価でどのぐらいかな?
ベッキー:ええっと、7かな。
アダマス:7ね。よし。今の平均は8ってところだね。じゃあリンダ、もう少しよろしく。
リンダ:はい、あなた。
アダマス:いいね。
リンダ:はいどうぞ。
アダマス:おっと、彼女がマイクを渡したのなら、君の番だってことだよ。
リンダ:受け取るような仕草をしたから。
シャーンブラ2(女性):え、そんなこと、、、
リンダ:もう遅いかも(笑う)
アダマス:逃げられないよ。
シャーンブラ2:オーケー。
アダマス:いいね。君は良い答えも持っているはずだ。私には分かるよ。では。何故人生はこんなにも大変なのかな?
シャーンブラ2:うーんと、常に何か新しいものを学んでいなければならないから。
アダマス:ああ! もっと何かを学ばなければいけない、そういう感覚があるという意味だね。
シャーンブラ2:どれだけ進化したつもりになっても、いつもどこかに不都合がある。
アダマス:そのとおり。みなさんのことについて1つ言わせてもらいます。みなさんは、これ以上何も学ぶ必要はありません。何もないです。1つも。でもマインドは一種の中毒状態です。向上中毒です。「もっと学ぶべきことがある」科学でも数学でもスピリチュアリティについてでも、何についてでもそう考えます。「今のままなら何も変わらない。ずっとここにいるままだ。もっと知っておかないと、あそこには行けない」と。「あそこではなく、ここにいるということは、もっと学ぶべき何かがあるはずだ」と。そんなことはありません。
実際、もしみなさんがあと10回転生を繰り返したとしても、何かを新しく学べることはないでしょう。新しい経験と呼べるものはもうどこにも残っていません。出来るものと言えば、演出のテイストが若干異なる古い経験ぐらいです。また別の生涯を選んだとして、みなさんには、文字どおりに新しい、みなさんにとって初めて、そういう経験はありません。きっと退屈するでしょうね。現にみなさんは今でさえ退屈という問題を抱えています。新しい経験でないが故に、過去にやったことがあるが故に、試しに片手でやってみても、面白くないのです。みなさんは既に全てをやり終えています。何か電気製品の新商品を買って、最初少しは楽しいですが、その楽しさはどのぐらい続きますか? 良くて1週間というところじゃないですか? だいたいそのぐらいで飽きますね。とにかくみなさんには、これ以上何も学ぶ必要がありません。いいね。じゃあ他に何か思いつくかな? 何がそんなに人生を大変にしてるんだろう?
シャーンブラ2:え、ああ、うんと、、、
アダマス:何が君の人生を大変にさせてるのか?
シャーンブラ2:行き詰ったような感覚、かな。
アダマス:気持ちに詰まりがある。すっきりしない。その理由は何だろう?
シャーンブラ2:職場の閉鎖が決まって、転職先を探しているから。
アダマス:なるほど。いいね。どうするんだい?
シャーンブラ2:宇宙に考えを送ってみようかと。
アダマス:なるほど。でも宇宙は何も、、、
シャーンブラ2:誰か聞いていますかー?(笑い)
アダマス:聞いても何もしないと思うよ。宇宙にとってはどうでもいいことだからね。で、で、話を戻すけど、君は働きたいのかな? 別の職を得たいと思ってるのかな?
シャーンブラ2:もちろん!
アダマス:その理由は?
シャーンブラ2:私は創造的なことをするのが好きだから。
アダマス:なるほど。ちなみに職業は何なのかな?
シャーンブラ2:不動産に絡んで未来を創るプロジェクトに関わってるの。
アダマス:ワオ! なんだか面白そうだね。
シャーンブラ2:ええ。そうね。
アダマス:自分の会社で自分のやり方でそれをやるのと、誰かの会社でそれをやるので、その間に何か違いは感じられるかな?
シャーンブラ2:1人でやるものじゃないわ。役割ごとに適切な人を見つけて協力することが必要だから。
アダマス:それはそうだ。協力することは必要だね。でも、君がその協力の輪の中心になるのと、誰か、まあ会社だね、会社が輪の中心になって、君を協力者の1人として輪の傘の下に入れるのとでは(笑い)違うよね。
シャーンブラ2:それはそれでエキサイティングだけど、やっぱり会社だとイライラすることも多そうね。
アダマス:そう。私が言いたいのは、結局のところ君がボスだよ。今の会社でも、本当に未来が見えているのは君だけだ。非常に興味深い人だね。私がこの話をするのが予め分かっていたね。私がこの質問を持ち出す前から既に答えを知っていたし、普段からそういうことがあるようだ。職場で君は、誰よりも未来のことが分かっている。にも拘わらず、自分を真のボスにすることを許していないね。
シャーンブラ2:うーん、、、
アダマス:そういうことだよ。だから君は、別の新しい仕事には就かないだろうね(彼女は顔をしかめる)。おそらくは、だね! 「嗚呼、家賃を払わないといけない」それだけのことで自分を押し殺すなんて酷いと思わないかい? そうではなく「私は自分でそれができる。その方法も知っている。私は自分のスキルと他人と上手に協力して仕事ができる。やり方を知っている」これでいいんだよ。これでいい。自分以外の誰かのために仕事をするのを止める時だよ。
シャーンブラ2:ええ。
アダマス:そうすることを全身全霊で愛していないのであればね。うん。良かったよ。ありがとう。
シャーンブラ2:こちらこそありがとう。
アダマス:ありがとう。私は彼女に悪いニュースをもたらして、彼女はそれで私に感謝しています。これは地球にとって良い日です。はい、ではもう一人。はい。やあ、ようこそ。
スコット:やあ、こんにちは。
アダマス:やあ。
スコット:私が思うに、人間はある種、ハードであることを自ら望んでいます。
アダマス:そうだね。そう。
スコット:常に何かすることを自らに与え続けています。
アダマス:うん。
スコット:人間は、実は孤独で、失われたと感じていて、それもまた大変さの1つだと思います。
アダマス:そうそう。
スコット:私も他の人も、孤独を解決しようとして互いに鬩ぎ合っているような。
アダマス:だね。いいね。じゃあ10段階ではどうだろうか? どのぐらい大変か。
スコット:人によりけりだと思います。何が幸せか分かっていないおかげでノー天気に幸せでいる人もいれば、ただ無知なだけですが、何の理由もなく、自分は幸せだと思い込んでいる人もいますからね。
アダマス:ぞっとするね。
スコット:そうですね(笑い)。うちの両親もそうですね。全てを正しくやり終えて、少なくとも彼らはそう思っていて、今はRVカーで全米を回っています。幸せそうに見えますね。
アダマス:そうだね。
スコット:彼らにとって、人生は簡単だったと、少なくとも本人たちはそう思ってると思いますね。
アダマス:確かに。
スコット:そうかと言えば別の種類の人々もいて、私の親類にもいるのですが、チャレンジすることが全てといった感じの人々です。困難にチャレンジして必死になって克服してそれを繰り返しているように見えます。何か1つ達成すると良い気分になって、やがて退屈し始めます。新しい挑戦が始まるまで生気が無いような有様です。でも新しい困難が来るや否や、エレルギーに溢れます。
アダマス:じゃあ幸せなパパとママは置いておいて、人間全般で考えると10段階でどのぐらいかな?
スコット:真ん中よりは上だと思いますね。
アダマス:うん。
スコット:やはり7か8ですね。
アダマス:オッケー。いいね。興味があるから聞くだけだけど、君の人生はどうかな?
スコット:実際、簡単です。
アダマス:なるほど。いいね。
スコット:全くもって難しいとは感じません。
アダマス:いいね。素晴らしいよ。ありがとう。感謝するよ。
スコット:こちらこそ、感謝します。
リンダ:さあマイクを回収して戻ってきていいよ。ありがとう。
Human Life is Hard(人生はハードだ)
個人差はあるでしょうが、やはり人生というのはハードです。ハードです。今回答いただいたみなさんの推測は、概ね正しいものだと思います。私の測定では、人生のハードさは7.8から8のどこかです。なかなかタフだということです。ただ、私はみなさんのことを話しているわけではありません。分かりますね。みなさんのことについても触れますが、いずれにせよ、人生というのはハードです。
人生はハードだ、大変だ、と言っていますが、それは多くの人々が常に不幸であるとか、悪い人生を送っている、そう言っているわけではありません。人生はハードである、大変であると言っています。大変さの原因の1つにはまず、身体があります。痛むことがあります。大きな課題の1つですが、ある種身体は生きているものであり全てであって、やがて死にます。そして次にマインドがあります。マインドの複雑さもまた辛さの原因の1つです。誰かが、シンプルさの欠如と答えてくれましたが、まさにそうです。マインドは物事をなんでも複雑にします。複雑さは、挑戦や困難さを作り出します。それは、何かを得るためには懸命に取り組む必要がある、頑張らなければいけない、この信念に繋がります。みなさんの多くもまた、物事には懸命に取り組まねばならない、大変なこと、難しいことにこそ価値がある。外からこの考えを意識の中に取り入れました。子供のころから学校で使ってみて試しています。学校で懸命に勉強し、仕事も真面目に頑張りました。そして、このスピリチュアルな旅にもこの信念を適用しました。「進歩するには努力が要る」と。「進歩がないならまだまだだ。もっともっと、努力が要るんだ。まだ十分じゃないんだ」と。
人生はハードです。大変です。みなさんはこのことについてはよく分かっていて、どの答えも良かったです。人間関係は大変です。誰かのだったり、自分のものでもそうですが、誰かの期待を常に満たすのは不可能です。必ずしも好きではない仕事に毎日毎日通います。そのどれもが満足のいく創造ではありません。みなさんは毎日毎日、機械的に同じ動きを反復しているに過ぎません。それだけならまだしも、必ずしも尊敬するに値しない上司に我慢しながら接しなければなりません。私はみなさん1人1人全員がそうだと言っているわけではありません。ただ、そんなふうにしてハードな人生を過ごしている人が驚くほど多いと言っています。
必ずしも良い話だけをする必要はないのでいいのですが、先月も言ったように、人間の暮らしがこんな大変なものになるとは、誰も思っていませんでした。こんなはずではありませんでした。誰かが傷ついたり痛みを感じる、そんなことは無いはずでしたが、そうなってしまっています。かと言って、それは必ずしも、変化しなければならいものでもありません。人生はハードだ。人間全般がこのパターンから抜け出すこと、それはまあ、起こることはないと思います。
典型的な人間がいたとして、朝起きた時の状態は10段階で5ぐらいです。ニュートラルです。ハードでもなくイージーでもありません。ところが1時間ほど経った頃には、それが6や7へと跳ね上がります。それから徐々に時間とともに数値を上げ、8から9に行った頃にようやく夕方を迎えます。家に帰ってやっと7.5ぐらいに落ち着きます。
地球での典型的な暮らしというのは、その物理的な性質のため、基本的にハードです。無論、仕事や家族もハードにしている原因です。1日はそれほど面白くもなく、刺激的でもありません。何人の人が目を覚ました時に「さあこの惑星で過ごす新しい1日だ!」と思うでしょうか。そんな人はほとんどいません。
1日に対して漠然とした不安を感じます。だからこそ多くの人が投薬によってそれを紛らわせたり否定しようと試みます。何度も話したと思いますが、多くの人が薬でその不安感に対処します。「何かがおかしい。どこか、クソッ、やっぱり変だ」こういう感じです。もし彼らがその不安感を手放せたなら、物事はもっと良い方向へと動き出すと思います。人生をハード足らしめているパターン化された行動をしないようになるからです。でも彼らは手放すことを行いません。彼らは薬を服用するか、アルコールをしこたま飲んで酔っ払うか、あるいはドラッグを用いて不安感をねじ伏せます。沼の下の見えない方へと、とりあえず押し込みます。一種の否定ですね。不安感を認めず「さあ進もう。進んでいこう。進むしかないんだ」と自らに催眠を施します。
再三にわたって言っていますが、この惑星は、異常に精神が発達し過ぎて、異常に頭でっかちで、本当に不思議な場所になっています。非感覚的な世界です。マインドに囚われていて、ほとんど感じることのできない世界です。もう少しで結論までたどり着きますが、とにかく、そうあるべきではありませんが、ここはハードな世界です。
Shaumbra Life(シャーンブラの暮らし)
さて、ここからはみなさんについて話しましょう(アダマス、笑う)。みなさんには気付きがあり、意識があります。そして、世界には五感で分かる以上の、もっと他の、もっと良い何かがたくさんあることも知っています。そして今の状況を、私なりにもう少ししっかりと的確に説明すると、みなさんは、そういうものがあることが分かっていて、そういうものは実際にあり、あるにもかかわらず、まだハードモードを続けています。まだ「スピリチュアルとは普通の人間、俗っぽいことの否定である」この教義をいまだに信仰しています。だからマインドにも身体にも他のことにも厳しい要求を突き付けます。おそらく、みなさんにはまだその段階、そのパターンに嵌った意識が残っています。8ということはないと思います。6か7まで下げてきているとは思いますが、依然としてハードです。ハードである必要など全くないのにです。
こんな反論が聞こえてきそうです。そうは言っても渋滞はあるし、人との付き合いも避けらねない。家族だっている。人間には他にもいろいろとしがらみがある。そこからどう抜け出せと言うのですか、と。どう超越すればいいのか、と。私はあの深淵なるメッセージを持ち出します。「そんなものはどうでもいい」と。大した問題ではありません。あなたのしているこの旅も、人も家族も、何一つとして、重要ではありません。どうでもいいです。それは「為すに任せろ」という意味だけではなく、気にするな、という意味だけではなく、本当にどうでもいい、全くもって価値が無い、と言っています。全てが本当にどうでもいいことなのです。
だからこそ、みなさんはただただ深呼吸すればいいのです。仕事でも人間関係でも、人生に関わる他のことでも、一生懸命になるのを止められるのです。人間関係について伝えておけることがあるとするなら、頑張れば頑張るほど、より辛く、ハードになる、ということです。今の私の話を聞いてうんざりしたり、あるいは腹を立てている人もいるようですね。「うがああ! そんなこと言ったって、人間はそこらじゅうにいて、何かといろいろあるんですよ!」と。違いますね。そのほとんどはうんこです。もしあなたをハードにし続けるのがパートナーなのだとしたら、単に選ぶのを間違えているということです。
そもそも人間関係が大変だと誰が決めたのでしょう。人間関係が大変ということはあり得ません。もっと感覚的になれば、人間関係はもっともっと活き活きとして、もっともっと自由なものになり、もっともっと愛に溢れているでしょう。もし大変なのだとしたら、それはあなたが古いパターン、古い信念を持ち続けているからに過ぎません。何故そんなことを続けるでしょう? 理解に苦しみます。
物事が大変になる理由の一部として、他にどうすればいいのか分からないから、それが自分のやり方だと思っていて、他に方法がないからと、そのやり方で問題に対処しようと考えます。でも違いますよ。そういうのは今すぐに止めてください。あなたは仕事でも豊かさでも他のものでも、それらは簡単ではないはずのものであり、対処すべきはずのものと考えていますが、その考えを捨ててください。対処しようと思うこと自体を捨ててください。
私が今この話をしている間も、あなたの一部は「ああ、そのことなら知ってたよ。アダマス、まさにそう思ってたんだ。知ってたよ。その通りだね」というふうに思います。しかしあなたのまた別の部分、マインドが割り込んできます。「そんなことをしたら滅茶苦茶になる。おしまいだよ。状況が制御できなくなる。もっと状況を気にかけて上手に手入れしていかないと」そう主張します。気にかける、というのは一生懸命やる、と同じ意味です。あなたをどこへも導きません。「物事に気をかけて、上手にしないと。ただせさえやることが多いんだから、ちゃんとコントロールして整理しながらじゃないと」いいえ。そんな必要はありません。そういうのはただの古い思考です。埋め込まれた思考です。不要です。
物事は大変である、ある種のことは大変でなければならない、あなたがこのマインドセットに囚われている限り、あなたが関わることは全て、スピリチュアリティでも、生活に関係する何かでも、人間関係、車やどんなものでも、必ず最後には崩壊します。それは本当に、確かにそのとおりなのですが、意図したとおり、大変です。私は、あなたが朝、毎日毎日、よくベッドから出られるものだと感心します。まあ出来ていない人もいるようですが、とにかく、あなたがそういう意識の層を現実に持ち込んだとして、まあ、その現実はあなたの思考、信念と呼べるものになるでしょうが、とどのつまり、その現実は、意識の小さな層の部分ですが、それはあたかも、大きく豪華な花束の、その中のネコヤナギを見て、それは大きなネコヤナギの花束だと言い張っているのと同じで「頑張らなきゃいけない」その考え方が癖になって止められなくなってしまうと、考えはそのとおりに振動し、成長して、本当に大きなネコヤナギだけの花束が現実になります。エネルギーがそういうふうに調整されます。
思い出してください。みなさんは意識です。光です。輝ける磁石です。現時点で活性化されている部分々々、その部分からの輝きが、考えをサポートするエネルギーを引きつけ、それが現実を創ります。だからみなさんの人生は大変なのです。苦労が絶えません。引き寄せの法則と呼びたくなるかもしれませんが、違います。間抜けの法則です。何故なら宇宙は間抜けだからです(笑い)。みなさんの中には「宇宙がどんな答えを返してくるか待ってみよう」宇宙に期待をしてそんなことを言う人がいるかもしれませんが、宇宙は本当にただの間抜けです! あなたの意識に応じるだけの単なるエネルギーの粒子です。ただ振動し共振して言われたとおりに動くのみです。
だからここで私たちが話す時、私は「人生をそう大変にするのはやめよう」と言うのです。それでもマインドはすぐに「何をしようとしてるんだ? 明日食べるのにも困るようになっちまうぞ」と割り込んできます。が、そういうのはもういいです。真の気付きとパートナーを組んで、惑星の共同創造者になってください。惑星の共同創造者。名刺に載せると見栄えしそうな肩書きですね。惑星共同創造者(笑いが起きる)。
人生は決して大変なようには作られていない。私がそう言うと、みなさんは素直に同意できます。「そのとおり!」だと知っています。人生は官能と感覚の地獄、ちょっと合う言葉が見つかりませんが、色彩に溢れていて意義深く、楽しく、且つ、深刻になる必要などどこにもない、どうでもいいことばかりが1つに丸め込まれた世界、そういう世界を進む旅になるように作られています。立ち往生したり行き詰って、抜け出せなくなってしまうような代物ではありません。さきほど誰かが行き詰るということについて話しましたが、人間は本当に行き詰っています。古いパターンの泥沼に嵌ってどうにも抜け出せなくなっています。
もし抜け出すことを選ぶのなら、まずはみなさん自身の中で動きを作り始めましょう。そうすれば簡単に抜け出せます。抜け出すこと自体を難しくしたいのであればそれはそれで結構ですが、実際、難しいことではありません。全くです。人間は、人生の大変さを正当化する習性があります。選んだパートナーが悪かったとか、ダメな家庭環境で育ったとか、他の問題についてでも、その証拠をあつめ大変さを証明します。そんな馬鹿なことは今すぐに止めましょう。
Life’s Beauty and Design(人生の美しさとそのデザイン)
私はみなさんにはここに留まり続けてほしいと思っています。朝、この世界で目を覚ますことを愛せるようになってほしいと思っています。この人生が提供できる全て、美しさ、デザインを愛せるようになってください。とは言え、人生の設定をハードモードにしていたのでは、それは無理な相談と言えるでしょう。その状態で、この惑星の美しさを愛するのは厳しいです。
音楽や芸術のようものの場合には、その真の価値を理解するのは難しいと思います。やろうとして簡単にできるものではありません。難しいです。なので深く考えるのは止めましょう。私たちはシンプルに、この数百万年間で初めて「ハードモードの人生から降りた」集団になります。10段階評価で5より下へ入ります。1へと、0へと向かいます。
それは難しいことではありません。こういう話になると、みなさんはすぐ自己犠牲や自己強制的な事柄を思い浮かべます。自らを厳しく律しようと試みますが、それは常に、自分に質問を発しているのと同じです。そうではなく、自己受容を選んでください。それは自分が大丈夫かどうか、それを確認するため、いちいち立ち止まって質問をしない、ということです。振り返ったり、立ち止まったりして、いちいち自分に確認したり質問するのを止めてください。そんなに難しい話ではありません。全くです。
そうしていると、みなさんには、古いマインドセットから抜け出しつつあることが感じられるようになっていきます。自分はトランスヒューマンであり、神であり、それと同時に人間であることが分かってきます。文字どおり、みなさんの感覚にそれが来ます。そうなれば、みなさんは人生の美しさ、その真の価値に感謝できます。美しさとそのデザインの価値を認め、感謝します。みなさんは、みなさんが本当は、そういう創造をするためにここへ来たのだと感じます。創造し、それに感謝するために来たのだと。
デザインや設計に制約はありません。みなさんが思うこと、考えること、それが設計でありデザインです。みなさんの思考、それ即ちデザインです。今、ほとんどの人間、そのマインドにある考え、思考は、混乱し葛藤して痛んでいます。現在の人間のほとんど、その思考は荒く、設定はハードモードになっています。みなさんは自分たちがそういうものを徐々に解放していることが分かっています。実際に、どの程度解放が進んでいるかの最初の指標、その1つとして、デザインを伴った思考が突然に出るということが上げられます。これが出たなら、これがこれだと分かったなら、正に、間違いなく、解放が進んでいると言っていいでしょう。ちなみにですが、そういうデザインを伴った思考、そういうものが下りてきたことはありますか? おそらくないと思います。みなさんのほとんどの考え、思考はまだ、ブツ切りになった、時に攻撃的でさえある内容の垂れ流しのような感じです。思い出、記憶、時に攻撃でもある判断、自分に対してのもの、他人に対してのものが次から次へと流れているだけです。みなさんは時に「こんなくだらない考えとは決別だ!」と意気込みますが、そうなかなか上手くいきませんよね。でも心配は要りません。人生は大変だ症候群、ハードライフ・シンドロームでよく見られる、ただの症状です。
みなさんは徐々に、楽な人生を自らに許せるようになっていきます。人生は簡単である。楽なものだと分かっていきます。全てにおいてイージーになります。私は、人生のある部分だけではなく、全てが、本当に全部が簡単で楽になると言っています。みなさんはある時気付きます。「嗚呼、この思考にはデザインがある。この思考には美しさがある」
このことについて少し感じてみてください。この全て、世界はみなさんの頭の中にあると。世界だと思って見ているものが実は自分の頭の中、心の中だと。もちろん本当の意味で頭の中にあるわけではありません。が、みなさんの頭の中で全てが展開されているイメージがぴったりです。世界は物に溢れ、てんでカオスでごった混ぜになっていますが、みなさんが全てを回転させています。おっと! コントロールしようとしてそれらを抑圧しないでくださいよ。コントロールを手放してただそれらのデザインを感じでください。芸術的じゃないでしょうか? 非常にクリエイティブです。それらの思考、それぞれには驚くべき美しさ、生み出され、互いに共存し、本来あるべきところから足を踏み外し、道に迷い、ついにはこの世界にはまり込んで行き詰ったという、美しさが含まれています。思考というのはみなさんの脳みそで行き止まりにぶつかります。それ以上は進めません。デッドエンドです。思考は最終的に脳みそで行き詰まり、それ以上どうしていいか分からず、最終的には発狂します。これがデザインです。デザインであり設計です。設計であり美しさです。それが美しさです。
このことからも、自然の設計、美しさがいかに驚くべきものか分かると思います。自然とは単なる草と木と水と空のことではありません。みなさんはある瞬間に自然の本質的な美しさを実感します。この惑星を離れるとして最も失いたくないと感じるもの。これをシャーンブラのみなさんに聞いてみると、ナンバーワンは自然でしたね。全くもって、そのとおりだと思います。ここの自然の美しさ、このようなものは、ここ以外のどこにもありません。この惑星の自然の設計とデザインは他に類を見ないものです。さまざまな色を持っています。そしてそこには生命であり、人生と呼べるものが存在します。
自然はそれ自体が生命であり、人生そのものです。だからこそみなさんは自然を失いたくないと思うのです。無くなればきっと寂しくなるでしょうね。自然とは人生です。それは絶えず咲いて成長し、周囲に反応し、躍動し合い、その一連の流れ、鼓動を通して、自らの美しさを全身で、全身全霊で表現し且つ、堂々と、誰に遠慮することもなく、謳歌しています。そしてやがては、深い眠りに入るとともに、静かに死にます。やがて死ぬ、自然はそんなことを苦にしません。自然にとってそんなことはどうでもいいことです。また何処か別の場所で芽を吹き、再び咲くことができるからです。
それが自然の美しさです。その美しさを目で見るだけではなく、嗅ぐだけではなく、もっともっと感覚的に全身を超えて感じ、感謝できるようになった時「あ、もうハードライフ・シンドロームは終わってた」そうなります。
ここで1つ言っておきますが、自然はあなたが創造したのですよ。鏡に映ったあなたですよ。自然を見る時、あなたはあなたの姿を鏡の中に見ています。自然は酸素やガスを出したりそういうことをするために、生態系の維持を目的に、創られたものではありません。自然は、あなたが人生を見られるようにと創られています。あなたは人生、エネルギーの動く様、エネルギーが形となりデザインを持ち、美しい対称性を生みながら、それでいて混沌としていて、それを全身で目いっぱい謳歌している様を見られます。
前にも言いましたが、あなたがこれ以上、物事をより複雑にするのを止めて、つまりは物事をシンプルなままにしておくことを再び許せるようになった時、混乱の上に複雑さを導入して混乱の上に別の混乱の層を敷くようなことをしない、最初の混乱を混乱のままで許せるようになった時、そこまで来た時、世界は美しいまでにシンプルになり、人生から大変さが消え去ります。簡単なものをわざわざ大変にしなくなります。
シンプルさ。これは世界がみなさんに見せているもののアンチテーゼです。世界はみなさんに複雑さがあると語ります。実際に、複雑さ、科学でもいいですが、それを知り理解している人々というのは非常に頭が良く、本当に賢い人たちです。でも自然が本来持っているエレガントなシンプルさ、それこそが生命であり人生である、それが分からなければ、その他の情報にどんな意味があるというのでしょう。原子がどうとか、微生物がどう、染色体がどうとか、その手のことは私にはどうでもいいことです。もちろん学問として興味深い分野であることは分かっていますが、生命は科学ではありません。科学は生命とその起源を理解しようとしていますが、生命は科学ではありません。人生同様、生命はデザインとその美しさがその全てです。背後の建て付けはどうでもいいです。
トバイアスは「そんなことはどうでもいい」と言いましたが、言い換えれば、細かいことにこだわるのを止めてシンプルに、ということです。目標に向かって頑張って、人生により痛みをもたらしたり、人生をより大変にするようなことは止めましょう、ということです。全ては本当にどうでもいいのです。ひとつ残らずどうでもいいです。トバイアスはみなさんに、人生をより大変にし、時に苦痛を生むような、いわゆるスピリチュアリティの道、聖人への道、そんなどうでもいいものから、そういう考えからはとっとと降りてください、そう伝えたかったのです。実際、そんな道にいたところで、どこにもたどり着けません。許すことのみがみなさんを目的地へ連れて行けます。ただただ深呼吸をして許すだけです。それだけです。
とは言えみなさんは思うでしょう。「でもマインドには古いパターンがプログラムされていて、ある種の達成と困難さが自動連結されてしまうんです。これをどう打ち破ればいいか分かりません。どうこのメリーゴーランドから降りればいいのか分からないんです。何度も何度もぐるぐる回ってもう本当にうんざりしているはずなのに、本気で退屈しているはずなのに、降りる方法が分からないんです!」と。方法は簡単です。マインドにも集合意識にも他の全てにも「それをしません」と伝えることです。
それは即ち、みなさんとI Amが一歩前に足を踏み出し「もう降りるよ。私はイージーモードのここにいる」と宣言している時なのです。マインドはマインドで即座に対応します。宣言の最中に飛び込んできて「馬鹿馬鹿しいことは止したまえ。君は自分で作ってるんだ。これは現実じゃない。空想だ。ただの空想の産物だよ」と伝えてきます。静かにこう答えましょう。「そのとおりだよ。私は創造主だからね。私は私が創りたいものを創るよ。そしてそれはそうなるよ」と。
でもマインドは諦めません。「嗚呼、残念だけど、君はその気になってるだけだよ。そんな荒唐無稽な話があるかい。何度こういう話に騙されるんだい? また壁にぶつかるだけだよ。これまでと同じように上手く行かないよ。また失敗するよ! どこかで気付くよ! 止めるなら早い方がいい。いつもそうじゃないか!」みなさんは泰然として受け流します。「そうかもしれない。でもそんなことはどうでもいいよ。私はここにいる。ここで楽な人生を送っている。ただそれだけだよ。私はここにいて、ケッ、他のことはどうでもいいね」
この話を聞いて「それって自分で自分を騙しているだけじゃないのかい?」と思う人もいるでしょうが、実際のところそういうことです。現実は、あなたが一旦許し、受け入れてしまえば、ルールや定義や条件など精神的なルールを作るのではなく、そうではなく、ただシンプルに「ああ、私はイージーライフを送っている。なんて楽な人生なのだろう」と許し、受け入れてしまえば、それが冗談であろうとなかろうと、エネルギーはそれに従って動きます。
さっきも言いましたが、宇宙は間抜けです。馬鹿です。みなさんが本当は何を考えているか等々、心理分析など行いません。みなさんの願いや思いが本当かどうか測る嘘発見器もありません。「あれは冗談なのかそうでないのか? 本当か」そんなことをいちいち調べたりはしません。宇宙は本当にただの馬鹿です。もう少しマシな言い方をしてあげると、何も考えていないのです。言われたことを言われたとおりにしか出来ません。
「エディスは今、楽な人生を過ごしています」それでエネルギーは、古い整列のフォーメーションから新しいものへと変わります。エネルギーはここ8回もの生涯で「大変な人生のフォーメーション」を組んでいましたが、指示さえあれば「オッケー、今の彼女はイージーライフにいるんだね」と、何のこだわりもなく、フォーメーションをチェンジします。彼らはあたなに、あたなというマスターに仕えるのみです。
そのぐらいシンプルな話です。もしあなたがより大変な人生を選ぶ、つまり出来事について知的な議論を行ったり、精神的なマキョーに陥ったり、内容を分解分析してみたり、質問、特に質問することを始めると、質問疑問自問はあなたを自身を攻撃しているようなものですが、とにかく、そんなことを始めたなら、はい、メリーゴーランドにお帰りなさいです。まあ実際にまだメリーゴーランドに乗っているからそんなことになるのですが。とにかく、あなたが創造主として「私はここにいる。マスターとしてイージーな人生を送っている」と言うなら、そうなります。エネルギー物理学の基本中の基本です。そうなるようになっています。そしてそれは、これも基本またですが、宇宙から来ているものではありません。エネルギーは、どこからそこら辺、そこらじゅうから来ていますが、あなたに好意を持った神から来ているのではありません。あなたがエネルギーにそう振る舞うことを許しているだけです。それだけです。
ソーシャルメディアについて私は好きか嫌いか、立場を決めかねてるているところですが、みなさんの中にも使っている人は多いと思います。ソーシャルメディア上で、今しているような話について解剖分析して解説したり、他人と議論をしても、考えを押し付けないようにしてください。そんなことをしているとあなた自身がまた道に迷いますよ。ハードな暮らしに舞い戻ります。創造主として「私は楽な人生の中にいる」そう言う人はシンプルにただそうであるだけなのです。
あなたが仮にそうであっても、他の人を変えることはできません。残りの世界の人々を何とかすることもできません。彼らは「困難度数8~9の村」に留まります。この惑星でそういう人生を続けることを選ぶでしょう。
You Are Now Free(あなたはもう自由だ)
私がこんな話をした理由ですが、もちろんまだこの話しを続けますが、でも、この間のProGnostでした、ニュー・アースとオールド・アースが1つに融合することは無い、金輪際無い、そういう話をしましたが、その関連としてです。この2つは1つにならない。これは良いニュースであり、悪いニュースでもあると思います。この惑星を愛し、またこの惑星の創造に関わった人には悲しいことです。「よし! 融合の時は近い。私たちで1つに!」多くの人がそう思っていましたが、それはもう起こりません。
良いニュースは、あなたは自由に宇宙を徘徊していいということです(笑いが起きる)。あなたは、融合するに当たって想定されていた責任や、処理しなければ出来事、ガラクタの重みから、もはや解放されています。自分の場所を好きに創造することが可能です。創造してそこに好きなだけいることが可能です。それと同時にシオス(Theos:シャーンブラのニューアース)にいることも可能です。
しかし、もしあなたが「人生は大変なはずだ」という意識を持っているのであれば、その意識から離れることができないのであれば、シオスと地球に同時にいることは難しいです。人間であり同時に神であることは非常に難しいでしょう。だからこそ私は「私はここにいる。楽な人生の中で私はマスターであり、そのままの状態でありながらも、周囲に見える大変な人生とも共存できます」と言っています。もちろんそれは可能です。
もちろんです。ただ、そこに、試されるような要素はあります。少しですが、試されていると感じるかもしれません。うーん、まあ、多くの意味で試されていると言っていいでしょうね。困難度8や9の人たちに囲まれながらも、1人気楽に、楽な人生を送り、苦痛も困難とも無縁である状態でいるのは、ある意味大変だと思いますよ。それは、あなたには、8や9の人を見て、助けたいと思う傾向があるからです。あなたは未だにスピリチュアルなソーシャルワーカーの要素を捨て切れていません。あなたが何を言おうが構いませんが、そんなことをしていたのでは自分さえも助けられませんよ。そうしてまた停滞して、また私とは別の存在に浮気することになりますよ。しかしあなたもしぶといですね。「いや、ここからあの人を助けるよ」そんなことをまだ言いますね。
思いやり、共感について思い出してください。真に思いやるということはシンプルに、全ての存在が、全てのレベルで、その存在なりに選んだ旅、挑戦、困難、その全てを許して、受け入れてやるということです。彼らには彼らに描くべき、そして描きたいストーリーが存在します。彼らが行っているのはそれであり、彼らから助けの要請がないのであれば、あなたには、彼らのストーリー、その流れの変更に関与する権利も義務も義理も理由も、一切ありません。もし「助けてください」と言われたら「本当に変えたいのですか?」と3度質問してください。「いや、ちょっとお金が必要で、それさえあれば、、、」「本当に変えたいのですか?」「うーん、いや、大丈夫です」本当に助けが必要なのか3度訊ねて確かめてください。3度目に同じ質問をして、彼らが土下座して泣くのであれば、そのぐらいで初めて助けてあげることにしてください。
この惑星で身体を保ったままマスターでいると、あなたは基本的に大変度指数1か2でありながら、時々わざと、楽しむために8との間で行ったり来たりをするかもしれません。そのことに対して、あなたは罪悪感を覚えるでしょう。「嗚呼、彼らはあんなに大変そうなのに、自分は余裕綽々だ。こんなに余裕があるのだから、この余裕をちょっと分けてあげようかな。助けてあげようかな」と。そう思うかもしれません。でも、それは絶対に止めてください。そんなことをすればあなたが逆戻りするだけではなく、助けた相手をもっと大変な状況に陥れるだけです。
全ての瞬間がそうなるとは限りませんが、楽な人生を送ることを許してください。あなたは”and”になるので「わあ!」と、そのような感じで、両方を持つことが可能です。人間としての部分を持ちつつ、もちろん今よりも達観した感じですが、人間としての部分も持ち、また”and”としてお気楽なマスターとしてもそこにいます。物事は簡単に、あなたところにやってきます。お金、エネルギー、なんでも来ます。必ずしも人が来るわけではありません。物事が来る、何かが起こるのに、必ず人が絡まないといけない理由はありません。人以外の、全ての物事が来る、そう考えておいてください。あなたはあなたと共にあり、人生のデザインとともにあり、美しさそのものと、周囲の美しさに感謝します。それはとても大切なことです。
さあ話を元へ戻しましょう。カウルダーは、話が逸れたままで話し過ぎだと言っていますが、有意義な話じゃなかったですか?(聴衆は同意し「有意義だった!」などと叫ぶ)。良い反応ですね。とにかく、いかにシンプルで簡単か分かりましたね(アダマス、笑う)。さあ元に戻りましょう。
Come to Your Senses(正気に返る)
トバイアスが「それはどうでもいい」と言うのであれば、私はみなさんに「正気(訳注:Sense=感覚)に返ってください」そう言いたいと思います(笑い)。私はこれを私のキーフレーズにしたいと思います。正気に返るというのはいくつか意味を含んでいますが、何よりかにより「マジで言ってんの? 人生が大変なわけないじゃないか。正気に返れよ!」というのが第一です。人生が大変なはずはありません。そうする必要もありません。
そしてスピリチュアルな旅をしているあなたへのメッセージでもあります。いいですか。旅なんかありませんよ。「ヘイ! 寝ぼけているかい? 目を覚ませよ!」本当の意味では、旅なんかありませんよ。このことについてはまた詳しく話しますが、何故あなたは旅のようなものに身を置いたのでしょう? ハムスターのくるくる回るおもちゃのようとなんら変わりのないスピリチュアリティに入り込んだのでしょう? くるくる同じところで回り続けるのが好きなのですか? 汗をかきたいからやっているのでしょうか? あなたは一生懸命に働くのが大好きで、清廉潔白であろうとして、そうしていれば宇宙がそんなあなたに目をかけてくると思っているのでしょうか? とんでもないです。正気を失っているとしか思えません。
エネルギーとは何であるのか、あなたが本当は何であるのか、これについて正気に、本当の感覚に、戻ってください。いいですか。あなたはエネルギーなんかじゃないですよ。あなたは意識です。あなたは「ただ在る」存在です。あなたはエネルギーを統べる者です。あなたがエネルギーでデザインします。あなたの身体はデザインされたエネルギーです。あなたの思考はデザインされたエネルギーです。あなたはそうではありません。あなたは意識です。あなたは、エネルギーを使い、設計をして、デザインし、創造して、この現実に出現させる絶対的な存在です。自然を生み出したのもあなたであり、あなたは自分が大好きなものを創造しました。それは人生であり生命です。それがあなたのしたデザインです。
さあ正気に返ってください。感覚的になってください。そうする必要のない物事を無意味に複雑にするのは止めにしましょう。人間関係、私にとっても、ちょっと薄氷の上を歩くような話になりますが、まあ私はアイスフィッシングは好きですから、まあ、言っておきたいと思います。人間関係は非常に根深い問題です。あなたがもし誰かと良い関係にないのであれば、すぐにさよならしてください。いいですか。神は怒ったりしませんよ。結婚が永遠でないことぐらい今時、子供だって知っています。あなたは結婚した、誰かと永遠を誓ったとかそういうのではなく、単に古いカルマがそうさせただけかもしれません。ま、いずれにせよ、仮にあなたが誰かを傷つけたり、あるいはそのせいで誰かがアルコール中毒になったとしても、そんなことはどうでもいいです(笑いが起こる)。本当にどうでもいいことです! 私は真剣に言っています。誰かが溺れるとして、1人でさえ、もう十分な人数ですよね。であるからして、2人だと尚のことを良くないですね。私の言いたいことが分かりますかね(「言ってることは正しい」と声が出る)。そうです。誰かが溺れているとして、あなたが助けに行ったところで、その人はいずれにせよ溺れます。私は別にあなたの配偶者やパートナーのことだけを言っているわけではありません。またみなさんのそういう人、全てがそうだとも言っていません。すごく良い関係を持っている人もたくさんいます。でも、もしあなたが悪い人間関係や、良くない家族関係に含まれているのなら、今すぐ「バイバイ」してください。そうすれば、しばらくの間は少し寂しく感じるかもしれませんが、それだけで終わります。
正気に返らないといけないことがまだあります。身体のコントロールやそれにまつわるルール、あなたが身体に何をしているのか、、、もっと感覚的になってください。シンプルでいいのです。シンプルなままにしておいてください。正気に返ってください。
正気に返れ、本当の感覚に返れ、このことに関して、一歩踏み込んだことを言うなら、目や耳で捉えられるものを超えて行け、超えて感じろ、ということです。このことこそが、真にあなたを自由にします。あなたを檻から、動物園から解放します。動物園から出る方法、これについて一生懸命考えるのというのは、無意味です。動物園もっと強大で難攻不落にしているのと同じことです。あなたは感覚的な存在です。先月、私たちは、今年は感覚的になる年だと話しましたね。私たちは、正気に、本当の感覚に返るのだと。
マインドは「本当の感覚? 具体的にどんなものだろう?」と訊ねます。私は「そんなことはどうでもいい」と答えます。具体的にどんなものかなんて今更どうもいいことです。そんなことをいちいち質問したり考えたりしなくてもそこにあります。私たちはそういった感覚を生み出そうとしているのでもなく、定義しようとしているのでもありません。私たちはそれらを別に作る必要もありません。私たちには、すでに20万ものサーチエンジンが搭載されています。もちろん私たちは、結果として新しいものをいくらか創造するかもしれません。制限も制御もされない、マインドが思うのとは全く別の生き方がそこにあり、結果として20万1個目の、何か新しいものを創りだすかもしれませんが、それにはまず、結局のところ、感覚に返ることが必要です。その感覚はすでにあります。それらはそのままで既に美しく、またマインドには決して真似できない方法で、世界のデザインと美しさをあなたに理解させてくれるでしょう。
そしてこの話に戻ります。その感覚が自分にはまだない、そう考えて、ただ座っているだけではなく、その感覚を活性化させる何かをしようと思いますか? しませんよ。やめてください。それは単に精神的なマキョーです。私たちはそんなことを行いません。何回でも言いますが、この20万の感覚は既にあります。その感覚に返ることを許す以外に、することなんかありません。正気に返ってください。許してください。そうすれば勝手に出てきます。既にそこにあるのだから、正直、隠す方が大変だと思いませんか。人によって様々な現れ方があるとは思いますが、出てきます。突然に想像力の扉がわっと開いて、考えを制限しようとしなくなる、する気もなくなるかもしれません。もしかしたら「わっ、ちょっとヤバい考え方だな。突拍子無いな」そう言いたくなるかもしれませんが、大丈夫、想像や想像力に関わる感覚が開いただけです。
感覚とは現実を認識する方法です。それが全てです。ある感覚にはある現実の捉え方があり、別の感覚には別の現実の捉え方があります。現実をどう認識するか、結局のところどいう現実にするかを決める視点です。
そういうことです。想像力に関わる感覚が開くと、当然ながら、現実の見え方も変わります。そうなると現実はあまり大変なものではなくなります。現実が限定されたものではなくなるでしょうね。ある意味ではファンタジーというか、おとぎ話のような世界になります。マインドは「嗚呼、こんなもの作り物の現実だよ」と言いますが「マインドさん、大正解! それが創造だよ! 許しだよ!」とこうなります。想像力というのはそういうものです。
夢というのもまた別の種類の感覚です。夢は、日常を上手に作れないマインドが夜な夜な願望を叶えたり、ほっつき歩いたりしている結果として見るものではありません(笑い)。夢もまた、現実の見方の1つです。カウルダーが夢について書いていましたが、夢は、進行中のストーリーを観るための1つの方法です。それが過去生のものであっても、何年も何年も前に経験したこの生涯の出来事で、今ではすっかり忘れていたことであっても、それはたった今、この瞬間に進行していて、それを観る方法が夢であるというわけです。あなたはその出来事を手放したかもしれませんが、実はストーリーは続いています。夢もまた知覚の1つであり、そこにもまた、美しいデザインが含まれています。
夢というのは、夜にペパロニを食べ過ぎて、気がおかしくなってそのせいで見るとか、そういうものではありません。違いますよ。夢は現実として成立しています。この現実と同じように成立した世界です。よく言われるように、みなさんに何かを伝えようとしているとか、無意識がどうとか、そういうものではありません。夢の中には大きな秘密も何もありません。夢は全て、単なる現実です。単なる進行中のストーリーです。みなさんの多くは最近、クレージーだったり壮大だったり妙だったりするような、夢を見たと思います。その理由は、みなさんが正気に返りつつあるからです。夢という感覚が開きつつあるからです。もしかしたら夢を覚えていないという人もいるかもしれませんが、いずれ、夢を覚えていなかった頃に戻りたい、そう思うようになるかもしれませんね(笑い)。夢もまた知覚の1つです。
その夢々を前にして、自らの舵取りをする方法もお話ししていくことになるでしょう。どうせ見るなら見たい方を見た方がいいに決まっています。テレビでチャンネルを切り替えるような話です。みなさんはどの夢を見たいですか? 今はまだ夢は勝手にポンポンと出てきている状態だと思います。夢をどう見ていくかについてはまた話す時間を取りたいと思います。
ただその前に、感覚を取り戻すにあたって、重要になることを1つ話しておきたいと思います。私はそれが大好きですが、、、とにかく感覚に戻ってください。正気に返ってください。「マインド、うるさいぞ! いい加減に馬鹿は止めろ! さあ正気に戻るんだ! 目を覚ませ!」
さあ、ここから少しギアを上げます。
What’s Really Going On(本当に起こっていることとは)
まだ最近のことですが、今年の1月、私たちは大きなシフトを果たしました。地球上でも多くのシフトがあったため、それは非常に適切でした。私たちは、惑星のシフトから外れるようにシフトしました。地球ではシューマン共振が史上最高になったと聞いていますし、他の多くのものも、シフトを経験しています。政治的なドラマがたくさんあり過ぎてもうお腹いっぱいですよね。みなさん、いいですか。地球では、今まさに、全てがシフトしている最中なのです。フワ!
「あっち側」で大きなシフトが起こっている今、地球が大きなシフトをして、破壊と分離に向かっている中、あーあ、人々の暮らしが9に迫るかもしれない中にあって、私たちはトランスヒューマンとして「あっち側」の様子を見ています。「あっち側」では「あっち側」の人々が、自分たちのやるべきことをやっています。誰が正しいとか間違っているという話ではありませんよ。私たちはただトランスヒューマニストとして「こっち側」にいるという話です。ただトランスヒューマニストとは言っても、私たちのそれは人工知能の活用等々とは無縁です。そういうマインドの模倣は要りません。私たちは「こっち側」で正気に返っています。自分の感覚を取り戻しています。それをトランスヒューマニズムと呼びましょう。それは既にあるものを許すことです。私たちは、全ての防御、壁を下ろして「あっち側」にいます。つまり「こっち側」にいます。
ずっとずっと待ちわびていたProGnostとWound of Adam(アダムの傷)とを1月に講演、収録することが出来たことは、本当に適切、ばっちりのタイミングだったと思っています。この2つは、驚くべきことに、同じことについての話です。そうは聞こえないかもしれません。もしかしたら「は? Wound of AdamとProGnostにどんな関連があるんだい?」そう思うかもしれませんが、全てが同じです。全部です。
ProGnostでは、ニュー・アースとオールド・アースとが一緒になることはなくなった、そのことについて話しました。そしてまた、現実に、今では、ニュー・アースは存在しているとも話しました。物理的な世界にあるわけではありませんが、しかしながら物理的にも観測可能であると話しました。科学者たちは太陽系の重力波を測定しているので、惑星の姿は見えなくとも、その重力波には気付いています。精神に閉じ込められつつも頭のいい人、賢明な人というのはいるものですね。感心します。「惑星がないと計算が合わない。よって見えない惑星があるはずだ」と見事に推測しています。「もしかしたら天王星(Uranus)だか太陽の後ろに隠れているのかもれない(Uranusの発音をUr-anusと(訳注:anus/肛門と聞こえるよう)発音したことにリンダが顔をしかめると、笑いが起こる)」言っておくけど、この惑星の名前を決めたのは私じゃないよ。
科学者たちは「見えないってことは、何かの後ろに隠れてるんだ」と嬉しそうに、また、興奮気味に言っています。微笑ましいですね。実に微笑ましいです。私は科学者たちが何かと説を立てては無理やりに、時にクソみたいな理屈を使ってでも、説を立証する様を見るのが大好きです。彼らは重力場に何らかの影響を見つけていて、そお遠くないどこかに巨大な物体があるはずだと目星をつけています。ただ、彼らは重力とその力学について、まるで理解していません。
重力とは単なる意識への反応です。時空は意識の中を移動していき、その際に物質(matter)に見えるものを生成します。まあそれはどうでもいいことです(It doesn’t matter)。それは、、、(笑いが起こる)。それはまあ、そう見えても、必ずしも物質である必要はありません(It doesn’t have to be matter)。
とにかく、プラネットX(エックス)だとか第9の惑星、二ビルと呼ばれる惑星、それがある証拠ではないかと言われていますが、違います。科学者たちが観測したのはニュー・アースの重力です。且つ実際に、ニュー・アースの重力は地球の重力よりも強力です。しかしながら重力は必ずしも、物を引っ張ったり圧縮したりするわけではありません。重力はどんなものでも引き寄せられるし、エネルギーもその例外ではありません。重力とはエネルギーが流れ込み現実を作り出す際に出来る淀みのようなものです。科学者たちが見ているのはニュー・アースであり、プラネットXでも9でもなく、その類のものではありません。
私はProGnost でシオスについて話しました。そして「オールド・アースとニュー・アースは一緒になることはない」と結論し、みなさんにお伝えました。ある種の人には辛いことだと思います。厳しい結果です。しかし良いニュースももちろんあります。シオスはリアルに存在するニュー・アースであり、みなさんはそこへ行けるということです。
科学者たちは観測機器から見えた結果を通して、その重力は太陽系の外側から来ていると推測しているそうです。私はカウルダーを通しても、語っていますが、科学者たちの信念、未知の惑星があるとしても、それはすごくすごく遠くにある、その信念が現実を作っていて、それが故、彼らにはニュー・アースがすぐそこにあるとは信じることができません。彼らには信じることはできないでしょう。彼らは彼らの信念に合致した現実を見ています。実際にはここ、ここにあるにもかかわらず、彼らにはその惑星が太陽系の外に見えています。彼らの見ている重力は、何億、何十億マイルも離れたところから来ているように見えますが、そして計測機器もそのような結果を見せはしますが、本当はそうではありません。計測器の針が指した目盛も含めて、それは彼らの見方です。目と耳から現実を知覚するときっとそうなのでしょう。ここでちょっと脱線しますね。
リアルな話ですが、あなたがこの生涯にやってきたのには、数多くの理由があります。もちろん認識に至るためというのも1つですが、あなたはあなたを統合するため、もう少し的確に言葉を選ぶと、あなたはあなたの他の全てのストーリーに影響を与えるため、これですね、このためにも、この生涯にやってきました。あなたは自分のことを人間だと思っていますが、あなたという人間を味わうだけではなく、あなたは全てのストーリーに影響を与えるため、わざわざこの生涯へとやってきました。トバイアスがずっと前に似たようなことを言っていたのを記憶しています。あなたはあなたの過去、未来、全ての生涯を代表し、全てを背負って悟りにやってきた、あなた全体の代表です、と。あなたは他の全てのあなたから選ばれてここに来ています。
あなたはストーリーを変える人です。奇妙な形で行き詰ったり立ち往生した物語に、再び流れを与える存在です。あなたが今取り組んでいること、自らが悟りに至ることを許すことは、全てのストーリーを変えていきます。これは、8つ前の生涯で神秘思想を学び、その学びで穏やかになった7つ前の生涯を経て、6つ前で瞑想を極め、5つ前には私のミステリースクールから追い出されて、と直線的に進展するものではありません。そうではないです。
全てです。過去、未来のあらゆる人生、あらゆるアスペクトがあなたと同じように悟ります。もし12回前、あなたは蛮族の戦士で、ヨーロッパ全土に大混乱を起こしているとして、そんな荒くれた生涯でさえ、今のあなたと同じように、悟りに一歩一歩近づいています。ストーリーは変化を続けています。たとえば今から4つあとの生涯があったとして、潜在的に自ら命を絶つ可能性のあった人生でさえ、今や悟りへと向かっています。あなたの歩みの影響は、全てが同時に且つ縦横無尽に広がっています。必死に修行をして修行をして修行をして修行をして18次元に達して悟りに至る、そういった進み方ではありません。
あなたは言わば太陽系の中心です。つまりあなたは太陽です。あなたはあなた自身に悟りを許し、そうすることで全てのストーリー、夢の世界、人間界、天使界、どこのストーリーでも、変えることが可能になります。あなたは時々思いますよね。人生は何故こうも大変なのだろうかと。
実際のところ、今話した内容がその疑問に対する答えでした。人生は何故こうも大変なのか?「何故って当たり前だろう。代表に選ばれたからね、みんなの負担を背負わないと。全部のストーリーの重力を支えないと」これが原因です。
みんながあなたを任命しました。もちろんあなたも含めたチームプレイではあるのですが、みんながあなたをキャプテンに選びました。みんながあなたにそうさせてはいるのですが、あなたもまた、みんなにあなたを選ばせました。あなたは試行錯誤を繰り返しつつしっかり前へと進んでいます。あなたは許しの閻魔大王です(笑い)。最後に許しを行うのはあなたであり、それが全体へと広がります。
あなた以外のみんなにはストーリーの変え方が分かりません。彼らのストーリーは今まさに、ここで演じられており、彼らがストーリーの中で死んでもなお、ストーリーは続きます。全てのストーリーは今同時に起こっています。この惑星でも、どこか別の場所でも、ストーリーは続きます。彼らにはストーリーを終わらせる方法が分かりません! もちろん全てが抜け出せなくなっているわけではありません。演じているストーリーを楽しんでいる者も存在します。でもやはり、もういい加減、終わりにしたい、そう思っている者は少なくないです。彼らは叫び声を上げています。「いい加減、誰かなんとかしてくれ!」
この生涯はそういう生涯です。それもあって、あなたはここに来ました。それが分かっていてここに来ました。「よし、この生涯で、私は全てを引っ張り上げるぞ。私は統合を進める者となり、そして、過去、未来、全ての生涯、全てのストーリーのためのポータルとして機能するんだ」そう意気込んでやってきました。でもそれは負担でしかありません。単なる重荷です。あなたはこれまでずっと「そのためにはどうすべきか」そればかをりずっと考えてきました。それがあなたの人生が大変だった理由です。
私は自分の経験から語っていますが、まともにやろうと思えば、殺人的に大変な役割です。「はあ? 自ら進んでお前たちのためにこれをやれだって? お前たちなんかのために?(笑いが起こる)本気かよ。勘弁してくれよ」普通に考えれば、そう思うと思います。だからこそ、深呼吸をして、正気に返ってください。文字どおりにも、比喩的にも、正気を取り戻してくださいと言っています。
それでも質問は出てきます。自分に聞きます。「うーん、どうすればいいのだろうか? そもそも彼らはこれを望んでいるのか? あ!」そうです。上手になってきましたね。出来ることが1つだけありますね。許すことです。それだけです。それ以外にやるべきことはありません。許すだけの簡単なお仕事ですね。ただ許せばいいのです。「でも許すってどうやればいいんだろう?」簡単です。これでいいです!(アダマスはだらしなくリラックスした姿勢になり口笛を吹く。笑いが起きる)そして適当なところへ出かけるなりなんでもやって、人生を楽しんでください。フィッシングにでも行ってください。数あるアクティビティの中でもフィッシングはお薦めですね。なんならベンチングでもいいですよ。ボウリングも楽しいだろうし、サムシングでもエニシングでもなんでも「楽しんぐ」してください。そして最後に「許しんぐ」です。深呼吸をして「許しんぐ」してください。
そうしてあなたが放つ輝きの波紋は、全て生涯、全てのストーリーまで広がります。それは単なる生涯だけに留まらず、ある生涯の中のあるストーリーが別領域まで持ち越されて繰り広げられているケースがあるのですが、波紋はそういったストーリーにまでも到達します。さあ、正気に返りましょう。シンプルさに立ち返りましょう。そして感覚、想像力の感覚、夢の感覚に戻ってください。ふうっ。ようやく、脱線する前の場所に戻ってきました。
ProGnostで私は、ニューアースとオールドアースは共存できないと伝えました。価値観が全く違うからです。ルームシェアは不可能です。この地球は、愛を、本当の愛を経験するには、もはや相応しい場所ではありません。それはあなたのせいでもあるのですが(笑い)、地球はもう、愛を経験するのに安全な場所ではありません。そうすることは不可能だし、あなたにはそのことを分かっています。
Love(愛)
あなたはあなた代表として悟りに至るためにこの生涯にやってきました。しかしそれだけではなく、
あなたは自分のために、愛を経験するためにも、この生涯にやってきました。愛というのは感覚です。もう分かっているかもしれませんが、視力、聴力、そういうものとは違うものに思えますが、愛もまた感覚です。愛もまた、ある現実を知覚するための1つの視点です。つまり感覚です。
愛はこの惑星で発見されるまで、あるいは認識される、生み出される、まあ、なんでもいいのですが、それまで愛は、どこにも存在しませんでした。愛は神から来たものではありません。天使から来たものでもありません。この地球に来たことのない天使には、愛の感覚、それがどういうものかは全く理解できません。愛は地球で、ここで創造されたのです。あなたには、誰かを愛し、誰かに愛された経験があります。しかしながら、愛にはまだ未踏の地が残っていて、その未踏の地へと向かう最前線、つまりここに、あなたは来ました。これもあなたがここに来た理由です。ある意味、最も大きな真の理由です。前述したいくつか理由と比較すると、まあ個人的な内容にも見えますが、これをメインに、あなたはここまでやってきました。でも、あなたはこの人生のある時点で、最近の事ではないと思いますが、あなたはある時点で、真の愛を探すには、ここは安全な場所ではないと悟りました。ここは思いの外、ハードな世界でした。
真の愛、あなたが経験したいと熱望し、生涯に取り入れたいと願った愛を体験するには、ここは十分に安全ではありません。みなさんはエネルギーに敏感です。敏感過ぎるぐらいです。感覚的だということです。
実際、この世界のエネルギーは荒く刺々しく激しいものになっています。シオスの存在で均衡がとれてはいますが、シオスがなければ、我々はエネルギーに攻撃されていたことでしょう。攻撃は、人が行うものでは必ずしもありませんが、人の形を取るなどして、エネルギーに攻撃されていたと思います。感覚的であることの美しさ、真の愛、そのデザインとともに送る生涯は、ある意味で、その真逆にとっては耳障りです。えっと、私は真の愛について話していて、10代のころに感じたような愛、要するには大恋愛とかそういうのではなく、真の純粋な愛について話していますが、2種類が横並びにありながらバランスを欠いた状態であるのであれば、誰しもにとって人生はより荒々しく大変になるに違いありません。そしてそれは、真の愛とその感覚を結果として攻撃されることを意味します。だからこそ、シオスは創造されました。次のレベルの愛を求める人たちのために創られました。愛というのは必ずしも、隣家の青年との間であるとか、こっそりとここ数年に亘って関係を持っている通りの向かいの男性、おっと誰の事かは言いませんから安心してください(笑いが起きる)そういった男性との間で育む必要はありません。そういうのは、、、分かりますよね(カメラを見て)ご本人は、分かっていると思いますが(さらに笑い)。これ以上、言いませんから安心してください。
でもそれは古いタイプの愛です。あなたはそういう愛を経験したことがあるし、その感覚も分かっています。そしてあなたはそれに飽きて、もはや退屈しています。性的な試みをとおして愛を再創造しようとも試みましたが、結局上手くは行きませんでした。でもあなたはあなたが真の愛、その感覚のためにここに来たことを分かっています。
今現在、人間は真の愛を経験していません。いったいどうやれば、そのような愛を深く、とことんまで、包み込むように、優雅に、体験することができるのでしょうか? こんなにもタフでハードな世界にあって、それが可能だと思いますか? 2つの地球が一緒にならないと決めた理由がここにあります。だからこそシオスが存在します。愛を体験する場所として、そしてあなたが同時に、この地球をこれからも体験できるように、このような形で並存することにしたのです。ある意味でこの2つの地球は同じここにあるわけですが、実際には違います。人生と人生の美しさを感覚として感知できるレベルによって、分かれています。ある意味で2つは同じところに存在しますが、一緒にいるわけではありません。
そしてProGnostのあと、直近ではWound of Adamを行うことが出来ました。Wound of Adamでは愛について語っています。これはイシスとアダムのラブストーリーであり、シンプルに、あなたの中にある男性、女性、両方のアスペクトについての話です。偉大ななる愛についてです。イシスの恥辱についての話であり、彼らがこの地球で一緒に発見した偉大なる愛についての話です。
ここでその話に深入りすることはしませんが、言うまでもなく、イシスとアダムは美しく調和しています。女性的な形での愛の追求、熱望、、、と表現したいと思いますが、イシス、女性のアスペクトは真の愛、その経験をすることを熱望しており、アダムは彼女のことを愛していて、要塞を築いてそのための場所を守っています。アダムはあなたが身体を持って暮らしているこの地球、この惑星のバランス維持を担当し、イシスはシオスと呼ばれる場所で真の愛を見つけます。
次に何が来るのか? 無論、次に来るのは真の愛です。
このことについても、今はあまり語らないでおきたいと思います。私はあなた自身に自分でそれを経験してほしいと思っています。ただ、何が起こっているのかを理解してほしくて、この話をしたまでです。あなたがこのところ感じているようなことを感じている理由、時に狂ってしまったかのように見えたり、不安定に思えるのは、あたながあなたの中で起こっていること、いろいろとひっくり返っていることを理解していないことがその主たる原因です。私たちはそれほど速く進んではいません。かと言って決して遅いペースでもありません。私たちはちょうど良いペースで進んでいます。今あなたに必要なのは、正気に返る、これだけです。しっかりしてください!
The Sense of Love – Merabh(愛の感覚 メラブ)
では今日という日をメラブで締めくくりましょう。メラブをとおして、全てを自分に染み込ませてください。今日、私は、上手くみなさんの気を逸らしてあげることが出来たと思っています。上手く情報を共有して、みなさんの人生で本当に起こっていることに焦点を当てられたと思っています。
さあ、全て取り込み、統合することを始めましょう。
(音楽、流れる)
私はたくさん喋りましたが、もちろんのこと、その言葉は実際、本当はどうでもいいものです。重要なのは、あなたがここにいて、許しているということのみです。
勤勉さに懸命さ、人生を大変にする全てのことを、深呼吸とともに解き放ちましょう。
素晴らしい人生が待っています。なんと素晴らしい人生なのでしょうか。
(少し止まる)
さあ深呼吸をして、正気に返りましょう。物事を複雑にするのを止めて、全てをシンプルなままにしておきましょう。シンプルなままでいいのです。
さあ正気に返りましょう。本当の感覚に戻りましょう。私たちはこのことについてずっとずっと話してきました。視覚も聴覚も思考も、これはこれで感覚です。あなたはこれらに対して飽きたつもりになっていますが、これらもまた感覚です。あなたに人生、現実に対する1つの見方を与えてくれます。
あなたが許せば、感覚はどんどん開いていきます。
とても素晴らしい感覚がたくさんあります。想像力と呼ぶべき感覚もまた、現実を知覚するための方法です。
夢の感覚もあります。全てのストーリーの統合に必要な感覚が夢によって与えられます。夢はあなたに、あなたの全てのストーリー、過去も未来も、全てのストーリーが実際には、全て同時に起こっていて、その全てが同時に悟りに向かっている感覚、実感を与えてくれます。
あなたが許せば許すほど、あなたという壮大な物語の登場人物たちもまた、悟りに一歩一歩近づきます。想像してみてください。何千もの物語の何千もの章の、本当に様々なストーリーが、未だに結末を、本当の結末を迎えられず、ただひたすらに続いています。それが、あなたが許すことによって、変化します。許しとは全ストーリーの統合です。
あなたは「答え」です。何千ものストーリーで探し求められていた答え、それはあなたです。
あなたは彼らがずっとずっと探し求めていた答えです。忘れないでください。あなたはただ自然であることを許すだけです。I Amであることを「私は私である」を許せるだけです。
彼らのために、もちろんあなた自身のためにも出来得る最善は、シンプルにリラックスしていることだけです。どうかリラックスして悟りに進んでください。
ただリラックスしていれば、人生は簡単になります。それが良い人生です。良い人生とは簡単な人生です。
自分自身の造形、デザインの美しさに対しても、リラックスしていてください。リラックスしていれば全て美しいままであります。
(少し止まる)
リラックスする、あるいは信頼すると表現した方がしっくりきますかね、あたなのストーリーのキャラクターたち、全ての感覚、官能的な部分は、あなたが信頼すれば開きます。
とは言え、愛の感覚があなたにとっては最大の関心事でしたね。
あなたには、あなたに最も馴染のある、そして最も近いストーリーがあります。あなたのこの生涯です。この生涯のあなたです。あなたには他の生涯、他のストーリーが感じられるはずです。そのストーリーたちはあなたの周りをずっと旋回しています。でもそれらを差し置いても、あなたは愛の感覚、これを求めてこの世界にやってきました。愛のためにやってきました。
あなたとあなたの他のストーリーとの間に共通する絆を感じてみてください。全ての過去と未来の生涯との絆を感じてください。
(少し止まる)
他のストーリーも結局のところ、同じだと思いませんか? 他のみんなも、愛の感覚を創造し、経験して、その高さも深さも何もかもを、味わいたかったのじゃないでしょうか?
これは驚くべきことではありません。全てのストーリー、あなたの側面、アスペクト、過去生でも未来生でも、あなたのあらゆる面は、愛、を共通目的としています。
そして、あなたが、この生涯がそれだぞ、と宣言したのです。「私は真の愛を味わいたい。他のどのストーリー、生涯、どのアスペクトも感じたことのないレベルで感じたい」と。他のストーリーは進化の名のもとに、風を受け、くるくる回転を続けています。進化しようとしています。でも、あなたは高らかに言いました。「これがいい。愛だ。この生涯で、自分のために、愛を」と。
あなたは、これを悟りのため行ったわけではありません。むしろ横道に逸れました。アセンションなどとは関係のない、どちらかと言うと、スピリチュアルなマキョーの道に逸れました。
あなたが母の子宮を通り抜けてこの世に来たのは、最も偉大で最も純粋な愛を経験するためでした。愛に対する欲望を満たすためにここに来ました。それだけです。
(間を置く)
子供を愛するというのはとても美しいことだと思います。他の人間、男性や女性を愛することは崇高な行いです。しかし真の愛、その実現と比較すると、それらがいかに色褪せて薄っぺらいかが分かるでしょう。
だからこそ、あなたはこの人生に足を踏み入れたのです。
だからこそ、あなたはシオスを創造しました。この古い地球では、それは不可能だという苦々しい認識から、あなたはシオスを創造しました。この愛を実現できる環境と今の地球とが一緒になるには、恐ろしく長い時間、永遠にも近い時間が必要でしょう。
そういう意味でもオールド・アースとニュー・アースは一緒にはなりません。ならないからこそ、シオスが愛の実現に安全な空間となるのです。でも忘れないでください。シオスはたった今もここにあります。
シオスはこの安全な場所の中でも、最も安全な場所に創られたのです。自分に好きなだけ真の愛を許せるようにと。
(間を取る)
目的はいろいろとありますが、これが、あなたがこの生涯でやりたかったことのナンバーワンです。最初にそれをやろうとしてやってきて、最後にそれをやろうとしています。
マインドでそれを考えたところで為し得ません。許すことが出来るのみです。シンプルに、ただただ許してください。
(間を取る)
深呼吸をして、あなたが想像している安全な場所、落ち着ける空間を感じてください。そこでこそ、真の愛についての演目を演じられます。
安全で落ち着ける場所、そのステージの、最高に美しい演出の中に、あなたがいる。
焦る必要はありません。慎重になり過ぎる必要もありません。
ちょうど良いスピードとは、コントロールしないことを許すことです。「もう少し速く」とか「ちょっとブレーキを」と考えながら操縦することではありません。許すことです。そうするだけで真の愛はあなたのところにやって来ます。
愛が来るからと言って、長身で少し影のあるハンサムな男性がやって来るとか、美しい女性があなたに一目惚れするとか、そういうことではありません。そういうこととは異なります。必ずしも、一緒にモーニングを食べたり、夜ベッドで寄り添って寝る誰かが来るわけではありません。これはこれで愛ですが、真の愛は全くもって異なります。とてもとても異なっています。
では親愛なる人間のみなさん、そしてまた親愛なるマスターのみなさん、深呼吸をして、ただただ許しましょう。そうしていれば勝手に来ます。
とてもシンプルです。簡単です。
ゆっくりと、大きく、深呼吸をしてください。
(音楽、終わる)
私たちがここで行っていることですが、全てが完璧なタイミングで進んでいます。美しいまでに完璧でした。これもまたデザインであり、設計です。意識とエネルギーと時間で作り出したデザインです。
さあ、大きく、深呼吸をしましょう。すごいです! 良いメラブでした。その最中にたくさんのことが起こりました。あなたがそれを許したのです。
大きく、ゆっくりと、深呼吸をして、最初の方の話に戻ってください。単純で、簡単で、良い人生の話をしました。それに真の愛を足してください。それらもまた、あなたがこの生涯にやってきた理由です。真面目に、几帳面に、悟りばかりを目指さないでください。あなたは本当にいろんなことがしたくって、この生涯にやってきたのです。
では、大きく、ゆっくりと、深呼吸をしましょう。そうしてあの言葉で締めましょう。
アダマスと聴衆:創造において、全てが正しい
アダマス:親友のみなさん、ありがとう。ありがとう(聴衆喝采)。
翻訳: Ito Satoshi
注記: どうぞ自由にこのテキストを配布してください。ただし、一部を抜粋するのではなくこの注記も含め完全な形で、非営利かつ無償で配布してください。それ以外の利用については、コロラド州ゴールデンに住むジェフリー・ホップの書面による許可が必要となります。
© Copyright 2013 Geoffrey Hoppe Golden, Colorado USA 80403