マーリン・アイアム シリーズ
シャウド 5 – ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマン
のチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈
2021年2月6日
http://www.crimsoncircle.com/
私は私である全て。マジカルでミュージカルな、アダマス・サンジェルマンです。
あー! セッションに入ろうとする私たちを後押ししてくれるような楽曲でしたね。ブレイク中に、そうですね、始まる前に流れた音楽です(この楽曲のこと)。私は作曲することが大好きでした。私は演奏することが大好きでした。私は歌うことが大好きでした。私は女性が大好きでした。私にはたくさんの大好きなものがありました。私はあれも、これも、それも大好きで愛していて ―今月は、愛を、好きであることを表現するのにもってこいの月ですよね― いずれにせよ私は、作曲も演奏することも愛していました。確かそのことは知ったよね、違うかい、リンダ?
リンダ:もちろんよ!
アダマス:だよね。
リンダ:そうね、なら、そんなに好きでもなかったことはあるかしら?
アダマス:君はブレイクで流れた音楽を楽しめたかい?
リンダ:ええ、楽しめたわ。
アダマス:君はそうで、カウルドゥラはそうじゃなかった。ま、いつの日にか彼にも分かると思うけどね。彼の音楽に対する感覚、好みもやがては成熟すると思うよ。
いずれにせよ、はい、私は作曲することを愛し、そして実際に作曲をしました。おそらく、当時は83のシンフォニー、交響曲があって、もちろんその中には今でもメジャーなものも含まれています。私は絵を描くことも好きでした。私は人間の営みの中にあるたくさんのものを愛しました。私は大きく深呼吸をして、自分で自分の邪魔をするのをやめるようにしていました。ええ。それこそ、みなさんにも是非そうしてほしいと思うことです。自分の邪魔をするのをやめましょう。
Your Scepter(自分のセプター、笏)
先に進む前に ―今日は話すべきことがたくさんあります。ここから先に進む前に― みなさんの全員にしてほしいと思うことがあります。キーハックで少しやったことです。この先、キーハックでもっと深く行おうと思っていることですが、ここで先に進む前に、これをしてほしいと思います。私はみなさんにご自身の笏を想像してほしいと思います。笏が何か知っていますかね? それは杖のようなものですが、必ずしも杖として使われるものではありません。マーリンがよく手にしているものですね。通常、その先端には玉があります ―ガラス、クリスタル、ゴールドだとさらに良いですね。私はゴールドが大好きです。ゴールドには素晴らしい性質が備わっています。ゴールドそのものに静かな安らぎが備わっています。エネルギー的な意味で、美しい静けさが備わっています。
というわけで、ご自身のセプターを想像してください。その上部にはクリスタルがあり、エッチングされたクリスタルの中心には点があります。分かりますか、中央に点が打たれた円形です。そこからはエネルギーを表す4本の光線が放たれています。そういうものであれば良いですね。そして軸、柄の部分はというと、ゴールドなんかいいですね。木もありだと思います。私は木製のセプターも美しくて好きでした。木は地球が何たるかをよく表しています。美しく且つ、再生可能です。暖炉に木を焚べて暖まることもできますね。家具にもなれるし、どこまでもどこまでも再利用が可能です。
さあ、セプターを思い浮かべてください。好きな形にしてください。はい、いつだって変形させて構いません。毎回毎回、毎日毎日、好きなように変えられます。形は変わっても構いませんので、ご自身のセプターを想像してみてください。それに関して私たちはキーハックでも行いました。そしてもっと深いところへ進んでいく予定です。みなさんが、時間と無時間、その両方(Ænd times)に入っていって、現実の基盤である二元性を超えていく、混沌、不確実性、先の見えない状態になった時、不安、心配、恐怖さえ伴う不確かな瞬間があなたの前に現れた時、大きく深呼吸をして、このセプターを手にしてください。
そのセプターは、あなたがあなたの知る全て、そしてあなたの知らない全てにさへも、入っていくことのシンボルです。セプターがあなたに、古いパターン化された考え、論理、感情を超えさせます。あなたを深く、あなたにとっての答えの全て、全ての可能性を孕んだあなたのエネルギーに導きます。誰か他の人のためにそれはできません。仮に誰かが来て「やあ、ビル。そのセプターで私を私のエネルギーに入らせてくれよ」と言ったとしても、答えはノーです。それはあなたのためのものなのです。あなたのものです。あなたのための答えはそこにあります。世界のための答えはありません。ビルの答えもありません。他の誰の答えもありません。
不確かな瞬間、そういった、そうですね、物事が単純に自分を超えてしまっていると感じられた時には、自分のセプターを手にしてください。思い浮かべてください。それは魔法のワンドではありません。それを振って、カエルをお姫様に、美女に ―あるいは紳士に変身させるようなものではありません。セプターとは、あなたである全てのリマインダーです。あなたを、全ての答えが貯蔵されたあなたのエネルギー奥深くまで運ぶためのリマインダーです。
Adamus Saint-Germain(アダマス・サンジェルマン)
今日はその内容から初めて、またその内容で終わりにします。が、先へ進む前にとても重大な事柄について話しておかなければなりません。私についてです(リンダ、笑う)。
リンダ、そんなに可笑しかったかい?
リンダ:ええ、可笑しかったわ!
アダマス:なるほどね。まあいいか。
リンダ:とってもね!
アダマス:途轍もなく重要な何かこと、私だね。
やっと私の曲を流してもらえたね。ブレイクに音楽を流すようになってやっとその曲が使われたわけだけど、君たちが私の素敵な音楽を選択するまでにいったい、どのぐらいかかっただろう?
リンダ:素敵な曲だったわ。
アダマス:ソーシャルメディアで投票してほしいね。リンダもみなさんも、さっきの曲が気に入った人、もっと多くの機会にあれを聴きたいと思った人、カウルドゥラのように別にそれが無くても平気な人、投票の結果が見てみたいね。うん。あの美しい音色を聴いてどう思った? 心に響く何かがなかったかい?
リンダ:とても美しいクラシックだったわ。
アダマス:このバレンタインの月にあれを聴いて。
リンダ:素晴らしかったわ。私は好きよ。
アダマス:君に感謝するよ。ありがとう。ちなみに彼女は、、、
リンダ:私は本当に、、、
アダマス:、、、お金を受け取ってそう言っているわけではありません。
リンダ:本気でそう言ってるって分かってるはずよ。
アダマス:ありがとう。はい。私達はここでバレンタインデーを祝います。私の楽曲を流すのにはうってつけのタイミングですね。

私はこれに関して、いくつかおかしなところに気付いていました。ただ、このみんなが見ているこの場に来るまで、指摘しないでおきました ―ヘッ!― ここで言おうと思ったのです。年代の記載があるところです。プロダクションチームの諸君、もう1回、映してもらえるかい? 君たちはこの画像を映しているわけだけど、これにはひどい間違いがあるんだよ。彼らはこれを作ったわけですが、とりあえず年の記載が間違っています。はい。
リンダ:私もそれは思ったわ。
アダマス:だね。私は見てすぐそう思ったよ。もちろんね。ただ、聴衆の前、こういう場でそれを正す以外は私の仕事ではないからね。私は1784年には死んでないよ。ま、多くの人は、私が死んだことを望んだけど。
リンダ:おう!
アダマス:本当にそうだよ。私はその時間軸の中からある種、消えたわけだけど、少なくともあと10何年かは死んでないよ。
リンダ:おー。
アダマス:というわけで、うん、それに私が生まれたのはスクリーンに映し出されている時よりもう少し後だしね。いずれにせよ、分かりますね、このように現実として、歴史とは非常に不正確なものです。非常に非常に不正確です。歴史とはある事柄に対して、一義的です。歴史とは何が起こったかに対する1人の人、作家、研究者の意見にしか過ぎず、しかも歴史として語られる日付、時間は往々にしてひどく間違っています。歴史が語る事実というものにミスリーディングされないようにしてください。そこにももっと多くのものが含まれているのですから。
次いで私が意義を唱えるもの ―大いに遺憾です― 肖像、スクリーンに映し出されることになる、私であるとされている画像で、ブレイクの際などにも使ったものですが、まあ、これも良い例ですね。
リンダ:あなたはもっと男性的な見た目よよね。違うかしら?

アダマス:イーサのリンダさん、ありがとう。君はなんて可愛らしい生き物なんだろうね。はい、あの画像をもう1度映してもらえるかな。本当ですか? 本気ですか? あのサンジェルマン、あの輝しくミステリアスで、チャーミングでもありセンシュアルでもあるサンジェルマンの見た目がこんなですか?
はい、あなたが今、事実として見ているように、歴史は間違いを犯します。
リンダ:おお。
アダマス:実際これは私の良き友人の1人です。それがどういうわけか、才能のない歴史家がこの肖像に私の名前を付けたせいで、私だと誤って受け取られてきました。今一度画面に戻ってください。さあ(画像、再び出てくる)。本当ですか?! 本当にこれが私ですか?!(リンダ、笑う)。この男性、私の友人の1人ですが、さほど見た目の良い男ではありませんでした。彼はこの画像よりも、もうちょっとでっぷりしていました。彼は画家にお金を余分に握らせて、実際そうであったよりも多少は良く見えるように描かせました。彼の顔にはホクロがいたるところにあって、決して魅力的な見かけの男ではなかったのです。これは私ではありません。私ではないですよ。全くもって私じゃないです。
私は様々な理由から、その生涯で肖像画を描いてもらうということをしませんでした(アダマス、ため息をつく)。お金を払って私を描くようなどの画家よりも、私の方が遥かに良い画家だったからです。はい、真剣にそうなのです。なので、私はいくらか自画像は描きました。7枚か8枚は自画像を描いています。その自画像がどうなったのかは分かりません。そのうちの1つか2つはまだ現存しているかもしれませんが、きっとどこかのカビ臭い、埃と虫にまみれたような屋根裏にあるのだと思います。いつの日が発見される日が来るといいと思いますが、そのハンサムな紳士が誰かを知ることはないでしょう。
リンダ:それは絵なのかしら?
アダマス:私が自分を描いたものだよ。
リンダ:オー。
アダマス:自画像だね。うん。
リンダ:テンペラ画かしら油絵かしら?
アダマス:これがセルフィー、自撮りの元祖だよ、リンダ。
リンダ:おおお!
アダマス:これが自撮りというものの始まりだよ。君たちが今、、、
リンダ:油絵だったのかしら?
アダマス:あー、そうだよ。そうだね。うん。
リンダ:おお。
アダマス:油絵の具だね。うん。
リンダ:素晴らしいわね。
アダマス:うん。私はなかなかの絵描きだったからね。実際、片手で絵を描きながら、もう片手で交響曲の作曲が出来ただろうね。簡単なことだよ。私は絵描きのマスターで、、、
リンダ:何のマスターって?(彼女、笑う。アダマス、止まる)
アダマス:カメラで是非抑えておいてほしいね。あの顔を(アダマス、笑う)。私は絵描き、そして作曲のマスターだったと言ったんだよ(リンダ、笑い続けている)。はてさて、このショーはどこへ向かっているんでしょうね? まだ始まったばかりだというのに。
とにかく、サンジェルマンはどのような見た目だったか?という問題があります。さあ、最初の画像に戻ってもらえるかな。
リンダ:了解。
アダマス:これはホクロが多かった私の友人の姿です。私ではありません。そのような格好はしていたかもしれませんが、、、
リンダ:なるほど、そうね。

アダマス:、、、時にはね。ただ、あれは私じゃないよ。で、この絵は実際、私が実際に知っていた人物 ―ジョージ・ワシントンによく似ていますね。類似点がありますね?(スタッフに)行ったり来たりで出せるかい、分かるかな、それと、ジョージ・ワシントン。
知り合いであるジョージ・ワシントンには度々顔を合わせています。とても素晴らしい男です。私は実際のところ、彼の妻であるマーサに対して、ただならぬ関心を寄せていました。が、それを行動には移しませんでした。そして実際、彼女もまた、私に対してただならぬ関心を寄せていました。が、私たちはソーシャルディスタンスを保たなければならなかったのです。分かる人には分かると思いますが、、、(リンダ、深くため息をつく)リンダさん、どうしたんだい?(アダマス、笑う)私は今日、単に、楽しませようとしているだけだよ。
リンダ:そうね。
アダマス:ここで白状しておくことがあるのですが、私は最近、クツミのレッスンを受けています。私は、私の態度というのが時に微妙で且つ、ドライであったり、特段ユーモラスでないことを認識しています。だから私はクツミのレッスンを受けているわけですが、それが終わるまでには、まだいくつかのレッスンが必要だと言われました。彼はみなさんの中にも、そこから脱して、うーん、つまり、はっちゃけられるように、教えるべき対象がいると言っていました。みなさんの中に、とにかくなんでも深刻に、真面目に考え過ぎる人がいるからだそうです。笑うことを学ばなければなりません。私は今、笑うことを学んでいて、また同時に、笑われることも学んでいます。
リンダ:まあ。

アダマス:というところで、再び疑問が出てきます(アダマス、笑う)。疑問が浮かんでくるわけです。私はどんな見た目だったのか? どんなふうに見えていたのか? で、現在、私の見た目に関して、ニューエイジでよく使われているものがいくらかありますね。それをスクリーンに映してもらえるかな? 典型的なニューエイジのアーティストが思うサンジェルマンです。そんなに悪くはないですね。なんとなくイエスにも似ていますね。
リンダ:多少ね。
アダマス:そうだね。いい感じに四角くて、へスタイルもそこそこで、魔法の聖杯だか何かを持っています。他にありますかね。私の周囲が輝いています。何かが出ていますね。類似点を見てください? さあ、またニューエイジの絵に戻ってください(画像が再び出る)。見ましたか。じゃあまた私に戻って。何か分かりましたか?
リンダ:おおお!(画像が徐々に消えてアダマスに戻る)
アダマス:あー、とても似て、、、ま、そうですね、似ているのは少しだけです。いや、そのニューエイジの絵は(ため息)、全然ですが。これは私がどんな見た目か、に関してのどこかの誰かの考えです。分かりますか、偉大なるアセンデッドマスターはハンサムで、あーで、こーでといった全てです。そして、それは、私が実際にそうであった見た目ではありません。ただ、私としては勘弁願いたいジョージ・ワシントンぽい絵からはそれでも近づいてきています。
少しあなたの想像を使ってみてください。あなたの想像を働かせてください。データが示すものを超えてください。事実である、あなたがそう考えるもののを超えてください。歴史を超越してください。
仮に今、私たちの周りにいたとして、サンジェルマンはどんな見た目をしていだのだろうか? 仮に今日ここにいたら、サンジェルマンは姿をしているのか、もっと若い可能性はあるだろうか? さあ想像してください。そして次の画像をスクリーンにお願いします。
少しずつ似てきていますね。服装も悪くないですね。そこは認めないわけにはいきません。髪は普段私が選ぶだろうものより少し長いですね。胸元を少々開け過ぎだと思いますが、それでもかなり近づいて来ました。

リンダ:ふーむ。
アダマス:そう思わないかい、リンダ?
リンダ:うーん。
アダマス:これはお気に召さないかい?
リンダ:オーケーだと思うわよ。
アダマス:実際、シャーンブラはこれを思い浮かべています。これがシャーンブラから、特に多くの女性から集まったものの塊です ―ヘッ!― 彼女たちのハートを、そしてこれを感じてみてください。「彼はどんな姿をしているのだろう?」それだけです。はい、それだけをしています。
すると次なる疑問が浮かんできます。これはこれでいいとして、なら、私がここでシャーンブラ、惑星地球のコネクションセンターのグループと一緒にいない時、アセンデッドマスターズクラブでは、私はどんな姿をしているのか?です。いわゆる普段、ツレたちと、アセンデッド・ツレたちと過ごしている時に、私はどんな見た目をしているか?
さあそれを少し、感じてみてください。それを感じてください。想像が働くのを許してください。アセンデッドマスターはこういう姿であるべきだというデータの参照点を忘れてください。

リンダ:おおおお!
アダマス:私たちで思い浮かべたのがこれですね。はい。
リンダ:やるわねえ。
アダマス:非常に非常に近いです。とても近いところに来ています。これについては、ちょっと著作権的な問題があるかもしれませんね。
リンダ:ワオ!
アダマス:何故ならこれは ― そうですね。これは、、、
リンダ:孔雀の羽は絶対にそうよね!
アダマス:あー、間違いなくね。
リンダ:おー!
アダマス:間違いないね。そうだね。うん。ちなみにだけど ―画像に戻ってもらえるかな― かと言って、常に孔雀の羽を付けているわけでもないんだよ。
リンダ:あら、そうなの。
アダマス:そうだよ。実際のところ、滅多には付けないよ。だって、孔雀が可愛そうですからね。引っこ抜かれると孔雀も痛いですよね。とはいえ、これがみなさんでした想像です。ある種の集合作品です。なんらかの理由から、みなさんの多くが私の周囲に孔雀の羽がある様子を想像しました。何故そうなったのかは分かりません。どういった関係でそうなったのかは分かりません。
ここで一旦、深呼吸をしましょう。はい、これがカウルドゥラを通してチャネルしているたった今の私です。セント・ジャーメインのチャネリングをしていたガイ・バラードよりも遥かに良い見た目ですね(リンダ、笑う)。彼はナイスな男でしたよ。しかし彼はエンジニアで、分かりますか、着飾るということ、ファッションを分かっていませんでした。カウルドゥラも理解していませんね(アダマス、笑う)。ただ、時々ですかね、私は何を着るかに固執します。だから、、、(リンダ、顔をしかめる)。いやいや、彼は平気だよ。彼は嫌がっても、結局はそうするんだから。
で、これが、カウルドゥラを通した私の姿です。そして、アセンデッドマスターズクラブでぶらぶらしている私がどんな姿がどうかというと、こういう感じです。はい、そうです。
リンダ:オッフ!
アダマス:うん、そうだよ。帽子をかぶったままじゃないけどね。ま、こんなものだよ。というわけで、気は紛れましたかね。私は敢えて、、、
リンダ:威張ってる感じね。
アダマス:そうだね。まあ、威張ってはいないけど。強いて言うなら、、、
リンダ:孔雀張ってるわね!
アダマス:画像を今一度見てみるんだね。これは威張ってるのではないよ。貫禄ある男の画像だよ。
リンダ:うーん。
アダマス:自分に自信があって、、、そうだね、自分に自信を持っていると。
今、みなさんの中に、いったい何の話をしてるんだと舌打ちをしたり、顔を横に振っている人がいるようですが ―それこそが人生です。お願いしますので、少しはユーモアのセンスを持ってもらえますか? 私はユーモアであることをクツミから学んでいます。私たちはここ最近、ユーモアを通してとても楽しい時間を過ごしています。私は明るくして、些細なことを気にしないでいることを学んでいます。が、中には舌打ちをしながらこう言っている人がいますね。「なるほど。とは言え ―全部男じゃないか」と。まあ、今日は男性を通してのチャネルですからね。それでもあなたはこう言っていますね。「女性としての生涯はどうだったんだい?」と。だよね?
リンダ:フェイスブックでも大勢が言ってるわね。
アダマス:分かってる。読んだよ。うーん(リンダ、笑う)。なら、来月はセント・ジャーメインの女性としての生涯についてやりましょう。
リンダ:本当にするのかしら。
アダマス:私にも言いたいことがあるからね。だからやることにするよ。
リンダ:本当に?!
アダマス:絶対にね。やらないといけないよね。私たちは新しい、公平な社会にいるわけだからね。男性バージョンだけを見せるのは大間違いだよね。
リンダ:4月のシャウドの話をしてるのかしら? エイプリルフールのシャウドのこと。
アダマス:あー、それだと次のシャウドではなくなるね。4月まで待ってもいいけど、ただ、分かるかい、待ったところで意味もないよね? だから来月、私の画像をいくつか披露することにします、、、
リンダ:おおお!
アダマス:、、、女性としての過去生のね。
リンダ:面白そうね。
アダマス:たまにアセンデッドマスターズクラブで、性別が無い、ないしは、実際には全ての性別だね、トータルの性として「区別のない」状態となった時には、私たちはどんな姿だろうかと、その写真を見せ合ったりしてるよ。
リンダ:興味深いわね。
アダマス:、、、女性としてはどんな感じかを。カウルドゥラは今、逃げたしたい気分だろうけど、分かるかい、私は別に気にしない。
はい、大きく深呼吸をして(リンダ、音が聞こえるぐらいに息を吐く)、今日を始めるにあたっての戯言を吸い込みましょう。
リンダ:いいわね。すごいわ。
アダマス:面白くなかったかい?
リンダ:そんな感じだったわ。
アダマス:そうだね。何か、、、
リンダ:ええ。そうよ。
アダマス:そんな感じだったと。オーケー。
リンダ:ええ。何かそういう感じだったわ。
アダマス:分かりますか、私はみなさんに今一度思い出して欲しいと思います。今から20年、30年と先へかけて、これまでにないぐらいの人がシャウドの数々にやってきます。そして、もしそれが、ドライで退屈で面白くないものだったらどう思いますか? 退屈って誰のことだか分かりますか? メタトロンですね(リンダ、笑う)。本当に退屈ですよね。彼には人間の身体にいた経験がないので、人間とはどういうものかの感覚が無いのです。
リンダ:うーん。
アダマス:分かりますか、みなさん、私、私たちは身体に宿った神なのです。私たちはこの先も長く、ここの資料を振り返ると思いますが、その中で本当に際立って目につくのは、もう少しでその状態に戻りますが、聴衆たちとの楽しいやり取り、その瞬間です。全ての中でも最も素晴らしい時々というのは ―ふざけ合って楽しんでいることか、お祝いです。楽しいパートを終えて、まさに今から入っていこうとしているような退屈な事柄なんか誰も覚えてやいないでしょう。楽しいことは覚えています。今日の私のように着飾るというのもそうですね。
リンダ:私もよ!
アダマス:とても美しいね、いつものように。
リンダ:ありがとう。嬉しいわ。
アダマス:うん。いつものようにね。
リンダ:カウルドゥラがあなたのために粋に決めようとしているのが分かって「そうね。私も気合入れないと」ってなったわ。
アダマス:そういうこと。みなさんはパーティーのことは忘れないでいるでしょう。みなさんは笑い、時に涙したことも忘れません。そしてドライで無味乾燥した事柄を思い出すことはないでしょう。分かりますか、シャーンブラの中には、もっとドライに、脱線もユーモアも音楽も無しに進めてほしいと思っている種類の人たちもいるのです。そして、分かりますか、それでは上手く行かないことについて、今から説明しようと思っています。
ProGnost 2021
では、ここから話を進める前に、プロナストについて少し話をしておきましょう。リンダとカウルドゥラが言ったように、私たちがプロナストをしたのはほんの3週間前のことです。プロナストについて言っておきたいことが1つあります。それはシャウドの全て、私たちが行う全てにも当てはまることですが、それは私たちの全員です。私たちの全部だということです。
トバイアスが「シャウド」という言葉を導入しました。それは古代の言葉で「コミュニティー」を意味します。実際、彼はこう言いました。「これをシャウドと呼ぶことにしましょう。何故なら、これは私たち全員だからです」と。私たちがしていることと、他のほとんどの集まりがしていることには大きな違いがあって、普通は誰かが講義をする、チャネルを通して一方的に講義を行っているということです。情報が一方通行的に流されます。そして私たちはそれをしません。私たちはみんなでシャウドをするのです。私たちは、声の全て、エネルギーの全ての中で、私たちのコミュニティーが一緒になっていて、そこにある最も美しく、素晴らしいものの中には、そこから出てくるものがあるということです。時にそれは笑えることです。時にそれは感動的です。それ以外の時は地獄のように退屈です(彼ら、笑う)。しかし私たちなのです。
トバイアスを、クツミを、私を通して聞こえてくる全て、何もかもがみなさんなのです。あなたなのです。私がこのシャーンブラのステージから降りる時、ここから去る時、私が最後の「私は私である全て」言う時には、、、(ドラマチックに話している。リンダは頭を抱えている)君は祈ってるのかい、それとも泣いてるのかい、あるいは笑っているのかな?
リンダ:全部よ(アダマス、笑う)。全部よ。そんなこと考えたくもないわ。その話を毎回毎回しないでほしいわ。
アダマス:分かりますか、私はクツミからユーモアについて教えてもらっているわけですが、私はクツミに演劇について教えています。演劇です! 演劇的であることに対して、彼には抵抗があるようでした。何故なら、彼はそれを本物ではないと感じたからです。彼は、いつもの抑鬱気味な彼でなければならない、そう感じていました。
私は彼に、演劇に関して、生命の発露、表現について教える必要がありました(再び情熱的に、演劇的に話す)。心を開放し、全てのレベルを共有するというのは行き過ぎたことではありません。みなさんの中には、死ぬほど退屈で詰まらない人たちがいますね。私はそのみなさんに、フェニックスのように身体を起こし、あなたの内側から突き出して、情熱を、興奮を、劇的なところを、出してほしいと思います。
そうすることで、魂には、声を土の中に隠して(今は囁いている)静かで暗い場所に留めるのではなく、大きく、目一杯歌を歌うことの出来る輝ける世界がもたらされるのです。
なので、もう少し明るく、軽くあってください。そういうことが必要になります。この惑星、まさにクレージーなこの場所に留まるつもりなのであれば、それは必要になることです。
で、どこまで話してたっけ、リンダ? すぐに忘れてしまいますね。自分の気が逸らされてしましました。本当のところ、私は彼女がちゃんと覚えているのか確かめただけなんですけどね。
リンダ:そうね。あなたが話していたのは、そうよね、私たちはユーモアをもっと持つべきだと。そうね、そしてあなたがここから去るということね、、、
アダマス:あー、そうそう、それそれ!
リンダ:、、、ふうっ!
アダマス:私が去る話だったね。うん。なので、私がシャーンブラのステージから降りる日が来て(とても情熱的に)、私が最後に「私は私であった全て」そう言って(彼ら笑う)。楽しんでるだけだよ(アダマス、笑い続けている)。クツミもとても楽しんでるね。今日は、ここで言える人、取り立てて紹介はしない人、いろいろ来てるんだ。
リンダ:あらま。
アダマス:彼らはここで起こっていることに驚いています。私から彼らをここに誘いました。彼らもまた時に、深刻になり過ぎるからです。いずれにせよ、私がここを去る時には、ここから離れる時には、私はアダマスをみなさんの全員に引き渡そうと思っています。みなさんの1人1人全員がアダマスになるのです。アダマスこと「クソッたれな私たち」というわけです。私たちの全員がです(アダマス、笑う)。
というところで、大きく深呼吸をして、人生の喜び、美しさ、楽しさに深く浸ってください。あとクツミ、君のクラスは大いに役に立ってるよ。今日はやってて面白いね。
プロナストは私たちの全員です。出てくる情報は、私が机に向かって講義のために書いただけのものではありません。私がしているのは、みなさん全員の1人1人に触れ、そして惑星ににも触れて、何が起こっているのかを感じることです。そうして私はメッセージを発しています。それは私たち全員の1人1人です。それはあなたのためにオーダーメイドされています。何故ならそれはあなただからです。あなたなのです。私たちの全員です。それは、私が話したいと思ったことだけを話しているのではないのです。もしプロナストに関して選択肢をもらえるなら、私は音楽やアートについて話すでしょうね ―うーん、ですね― しかしこれはみなさんなのです。みなさんの声です。そこが重要なところなのです。
人類の悲しみについて取り上げましたが、結構辛いパートでしたね。私にとってもキツかったです。カウルドゥラにとっては、本当にそうでした。リンダさんにとってもそうでしたし、みなさんの全員にとってそうでした。その話をしたのは、悲しみがまさにあるからです。みなさんはシャーンブラとしてそのことに気付いていて、そのことについて聞きたいと思っていました。実際は分かっているはずのことではありますが、それが何であるかが分からない、そう思っているそれが何であるかを理解したいと思っていました。何がそんなに悲しいのかを理解したいと思っていました。あなたはこう問い続けていました。「これは何だろう?」と。そうして、シャーンブラがいかにもやりそうなことをやりました。あなたは内側に向かいました。自分自身を責めました。リアライゼーションに至るにあたって、認識に至ったマスターになるにあたって、上手く出来ていない何かがあるのだろうと考えました。あなたは、途轍もない悲しみの感覚があることから、何かが上手くいっていないのだと考えました。違いますよ! あなたは、人類の抱えたリアルな悲しみ、それを感じているだけなのです。
人類は、悲しい時期、時代をいくつも通り過ぎてきています。ただ、その悲しみに対して必ずしも意識的であったわけではありません。どうして悲しいのかを必ずしも分かっていませんが、今、それが蔓延しています。今、それが最も激しいのはどこだと思いますか? 新しくやって来ている人々、私たちがそう呼んでいる人たちのところです。新しい人々がやってきています。クリムゾンサークルにやって来ています。その多くは、彼らの目覚めの時期に入ったばかりで、大きな悲しみの壁にぶち当たっています ―涙あり、悲しみありです― そしてそれが何であるかが分かりません。彼らはどう言っていると思いますか? 彼らはこう言っています。「これは何なんだろう。どうしてこんなにも悲しいと思うのだろう? 自分は何かがおかしい、間違ってるに違いない」と。あるいはスピリットガイド、その手のものを責めています。
違います。今、人類の周囲には大きな雲がかかっています。それは惑星にやってきたドラゴンによってもたらされました。今は内省の時なのです。「我々人類は何をやってきたのか?」そう改めて振り返る時なのです。判断するのでも、責めるのでもなく、単純に「我々は何をやってきたか?」を見るのです。
とても適切な問いかけです。はい。そこには実際、悲しみがあり、「我々は何をやってきたのか?」という問いにはその問いの本質として、私たちに、そもそも私たちは何故ここにやって来たのか、私たちはここからどこへ向かい、どこに苦しみを見出すのか、について考えさせるものがあるのです。私はそれを全部大きな1つの箱にまとめて「苦しみ」と分別しておきます。
惑星は、苦しむ、ということをします。人類は、苦しむ、ということを大量に、自らの手で、そして他人の手によって行います。そんな今に起こっていること、人類がもっともっと意識的になり、もっともっと多くの認識に至ったベンチに腰掛けたマスターが惑星に現れた今に起こっていること、それは「苦しみというものがある。これは我々がここからも持ち運んで行くべきものなのか? 苦しみ。それは私たちに仕えるものなのか? 私たちのエネルギーである苦しみ。それは私たちに仕えたのだろうか? それは苦しみとして今後も仕える必要があるのだろうか?」そう振り返り、問うことなのです。
あなたはあなたの血統、過去生をたどっていくと、そこに苦しみが豊富にあったことを見出します。この生涯でもそうでしょう。先週もそう、地獄でした。苦しみが十二分に見つけられます。今は、惑星における苦しみに対する考え方全体が、シフトする時なのです。この惑星はもう十分に苦しみました。あなたは十分に苦しんできました。有り余るほどの悲しみがありました。だから私たちは、皆で一緒に、プロナストで人類の涙を議題としたのです。完璧です。
新しい人たちのために伝える内容として完璧です。「苦しみについて考えよう。これって良いやり方かな? 他に方法はないのかな?」です。答えはもちろん、他にある、です。シャーンブラのみなさん、それが何かが分からないなら、セプターを手にしてください。それが何かが分からないなら、考えるのをやめて、セプターを持ってください。それは常に常に、毎回必ず、あなたをあなたのエネルギーへと導いて、あなたの解決策へと連れていきます。はい。苦しむ以外の別に、やり方は存在します。
ただ、惑星には苦しみに関して既得権を持つ人々、苦しみとは神の意志であり神の道である、そう感じている人たちが存在します。彼らは、苦しみというものがなければ、人間というのは無数のやり方で自らを滅ぼすと感じています。彼らには、人間の性質に対する信頼も信仰もありません。だから彼らは「人間は学ぶまで苦しまなければならない。人間は地べたに這いつくばり、許しを乞わなければならない」そう言うのです。彼らが知りもしない神に乞えと言うのです。
しかし、今、この惑星では、苦しみとそれに付随する悲しみは終わりを迎え始める、そんな時となっています。嗚呼、それでもみなさんは、その大きな変化を目にする前に、さらなる苦しみ、苦しみへの呼びかけを目の当たりにするでしょう。ただ、それでもやはり変わっています。私はみなさんに今、1つ理解してほしいと思うことがあります。私たちがプロナストでやったこと、私たちはプロナストでそれをやって、そこにスポットライトを当てて「苦しみはもう終わり」そう宣言したのです。この惑星にはもう苦しみの入り込む余地はありません。ジョークとユーモアの入る場所はたくさんあります。愛のための場所は豊富にあります。人が自由に、オープンにその輝きを放てる場所は無数にあります。が、苦しみのための場所ですか? 終わりの時が来たのです。だからこそ私たちはそのことについて話したわけで、またそれが私たちが認識に至ったマスターとして行っていること、苦しむ者の心の深いところにまでを光で照らし、叡智に向かわせてやることなのです。
さあ、今の内容を胸に、大きく深呼吸をしましょう。惑星には苦しみも悲しみももうたくさんです。もう十分です。
私たちはそこにどう到達するでしょうか? そこにどう到達するかは本当にどうでもいいことです。今がその変化の時だということです。これはあるいは最大の ―タスク、とは呼びたくないですね― 認識に至ったマスターとして惑星に留まる者の最大の感心なのです。私たちは苦しみと戦うのではありません。私たちは単に、偉大なる光でもって苦しみを照らすのです。私たちの光がそれを照らすことで、苦しみが顕になります。顕になったそれは、いくらかの混乱を招きます ―多くの混乱とカオスですね― しかしそれは最終的には叡智へと変わります。
さあ、大きく深呼吸をしましょう。
(間を取る)
ふむ。ところでリンダ、何が私を苛々させるか、シャーンブラがいつも言っていることの何が私を苛々させるか分かるかい? それが何か分かるかい?
リンダ:何かしら?
アダマス:「私には分からないよ(I don’t know)」
リンダ:分からないってどういうことかしら? 何を言ってるの? 「分からない」?
アダマス:「分からない」。何が私を本当に苛々させるのかと質問したね ―シャーンブラが、多くのシャーンブラがいつも口にしていることの1つ― それは何だろう?
リンダ:どういう意味かしら? どうして訊くのかしら? あなたに分からないなら、訊いて答えが出るかしら?
アダマス:分からないよ。分かりません(サイレントとブザーが鳴り響き、アダマス、笑う)
リンダ:どういうこと?
アダマス:「ワカリマセン!」
リンダ:あー!
アダマス:シャーンブラがいつも言っていることで私を苛々させるものが「ワカリマセン」だよ。
リンダ:あー!
アダマス:何故って、みなさんには分かっているからです。これが今回のシャウドで言いたきことの全てです(アダマス、笑う)。もう1度ブザーの音を鳴らせるかい? 「分かりません」そう言った途端に(車のクラクションの音が鳴る)。今のはインド版だね(今度はブザーとサイレンが鳴る)。そう、これこれ。いいね。素晴らしいよ(アダマス、笑う)。いいね。もう十分だね。もういいよ。止めてもらえるかな。
「分かりません」これはあるいは、あなたが自分に対してや自分について言うことの中で、最も毒性の強いものです。「分かりません」です。「分かりません」あなたがそう口にした途端に、その言葉は雲を生みます。その雲はあなたをベールで覆います。そのベールは、答えの数々、可能性の数々、解決策を遮断します。全部遮断するのです。「分かりません」は非常に強いアファーメーションの言葉です。みなさんの中には本当に上手にこれを言う人がいます。「知らない。分かるわけない。分かるわけないって!」と。とても上手に言いますね。それを言う時だけ「分かるわけないじゃないか!」と演劇的になりますね。気が狂ってしまいそうです。それは爪を、長く尖った爪を黒板に当てて ―うわああああ!― その手をゆっくりと下ろしていく時の感じです。何故なら、あなたには分かっているからです。あなたは単に「ワカリマセン」というゲームをしているだけなのです。はい。
かつては大勢の聴衆がいましたが、今はリンダだけがそうですね。唯一の聴衆です。
リンダ:ええ、結構なプレッシャーね。うが!
アダマス:かつては大勢の聴衆がいて、そこで誰かが「分かりません」と言った時はとても楽しいことになっていました。私たちはそれを言った人をトイレ送りにするのが大好きでした。10分間、1人でトイレにいるのです。それが本当に大好きだった人もいますね。しかし、その粗雑さ、意地悪なところを私の気質に紐付けて考えた人がいるのも事実です。全くそんなことはないですよ。あれは単に、あなたには分かっているので「分かりません」と言うことは猛毒も猛毒であると、あなたが毎日毎日興じている1人遊びだと、ポイントをはっきりさせようとしただけです。
「分かりません」にもいろいろな言い方があります。「どうかしら」や「本当に決めたくないんだよ」とか「それは私の管轄外だね」のような、「分かりません」と同じことを言うあらゆるものがありますね。しかし事実は、あなたには分かっている、あなたは知っている、のです。いい加減もう「分かりません知りません」を克服する時ですね。またここに聴衆が戻ってきて ―オー! オー! オー!― 私は誰かがそれを言う日を待っています。私たちは、それを言った人に対して ―特別な「ワカリマセン・シート」を用意するからです。
リンダ:おお!
アダマス:あの隅になりますかね。本当の意味で隅と呼べるところはここにはありませんが、いずれにせよ私たちは「ワカリマセン・シート」を探してきます。こういう、分かりますかね、こういう ―どう呼ぶのでしょうか― 子供が外に出されて静かにさせられている感じで、あと、それを言った人はある帽子をかぶらされます。
リンダ:あら。
アダマス:帽子です。で、その見本をここでお見せしておきます。だってこれはシャウドの現場でだけ行使されるものではないからです。みなさんの誰かが「分からない」ないしは「知らない」のその言い換えを発したのを私がキャッチした際も同様です。その時にはこういうことが起こるぞというのをお見せします。これを披露するための協力者を呼びたいと思います。というわけで、ゲーロン、上がってきてもらえるかい?
リンダ:わあ、彼が協力者なのね。
アダマス:まあ、彼はカウルドゥラの代役だからね。
リンダ:あー。
アダマス:忙しくて照明や音響テストの時にここにいられないカウルドゥラに代わって、ゲーロンはこの大きなイスに座るのになれています。はい、ゲーロン・ティンダーです。彼の母親はもちろん、ジーン・ティンダーですね。よろしく頼むよ。いや、ここへ来て、このイスに腰掛けてもらえるかい。そうだね。マスクも取ってもらおうかな。私はCOVIDにはかからないよ、幽霊だからね(アダマス、笑う)。よし、よし。
さあ、座ってもらえるかな。ちょっと緊張してるかい?
ゲーロン:そうだね。
アダマス:今日ここに上がらされると分かってたかい?
ゲーロン:分かってなかったよ!(彼、笑う)
アダマス:分かってなかったか。なら、なかなかのサプライズだったわけだ。違うかい?
で、今から何をするかと言うと、君と私がシャウドで会話をしているとして、そうだね、私が何か「ゲーロン、君の人生で次に起こる大きなことって何だい?」みたいなことを質問するから、君は、、、
ゲーロン:分かりません(リンダ、息を飲む)
アダマス:それを聞いた私は「何だって??!!」と言う。そして警報が鳴る、、、(待つ)警報が鳴る。制作チームはもっとコーヒーを飲む必要がありそうだね。と、コーヒーといえば、ケリー!
ケリー:え!
アダマス:コーヒーがなかったんだけど。私はコーヒー無しで45分もここで無駄話をしてるんだ。苦しみについてね! 私はとても苦しんでいます。彼らはコーヒーを用意するなんて本当に簡単なことを忘れました。彼女のがすぐそれに気付いたことは想像が出来ると思いますが、彼女は向こうのテーブルに腰かけて「知らない知らない。私はあなたがコーヒーを欲しがってるなんて知らなかったわ、アダマス。欲しいならちゃんと頼めば、、、」なんて思っていました。
違うよ。感じるんだよ。君はマインドもデータポイントも超えて、そうして分かる。「あ、アダマスは今、コーヒーをとっても欲しがってるに違いない」と。で、どこまで話してたっけ?
ゲーロン:さあ、分からないね。
アダマス:上手いね(彼ら、笑う)。君がそう言うと音が鳴る、、、(穏やかな音楽がしばし流れる)その音はいったい何だい? こういう音が鳴る、、、(車のクラクションが鳴る)、、、こ、、、えーと、うん(警告音が鳴り響く)これは、、、いいね。警告音が鳴って、私とリンダは、、、(様々なブザーや効果音が鳴り続けている)言った人を、、、いったいに何が起こってるんだい?
リンダ:セプターを持った方がいいんじゃないかしら。
アダマス:何をだって?
リンダ:セプターよ。
アダマス:これが私のセプターだよ。いや、これも芝居の一部だよ(囁く)。
リンダ:(囁く)了解。
アダマス:いいね。というわけでゲーロンには答えが分からなかったわけですが、私は途端にショックを受けます。何故なら彼が「分かりません」と言ったからです。「分かりません」と言うと、途端にベールがその人を覆い尽くし、その人に見えるはずの全ての可能性を、その人の視界から隠すのが、私には見えます。その人は「ワカリマセン・ランド」にいるのです。小さな泡の中にいるような感じですね。自分の周囲に何があるのか見ることができないのです。「分かりません」そう言った途端に、本当に分からない状態になるのです。素晴らしい直感の持ち主から、それが「分かっていない」存在になるのです。そうなった人に、リンダがこうします。さあやって、リンダ。
リンダ:おわ! わー! 今って、、、
アダマス:リンダ、君は自分がここで何をすべきか分かっているかい?
リンダ:知るわけないじゃない!(彼女、笑う)
アダマス:知らないと。「分かりません」だね(彼ら、笑う)。リンダが、この美しい創造物、カウルドゥラがアイデアを出して、ジーン・ティンダー、君のお母さんだね、が縫って仕上げたそれを持ってくる。君はこの「そんなことぐらいよく分かってる(I Know Better)」をかぶる。さあ、「よく分かってる」帽をカメラで撮ってみましょう(リンダ、拍手)。良いクローズアップの映像ですね。素晴らしい。ちょっと頭の向きを変えてもらえるかな、カメラからよく見える。この方がいいかな、少しカメラを動かして。いいね。「そんなことぐらいよく分かってるよ」と。
リンダ:出来上がりね。
アダマス:ありがとう、ありがとう。感謝するよ。「よく分かっている(I Know Better)」には複数の意味が含まれています。まず「私はよく分かっている。私には多くのことが分かっていて、『分からない』と言うには多くを知り過ぎている」という意味があります。この帽子はたくさん用意しておいた方がいいかもしれないね。実際、もう少し作らないといけないだろうね。これを予定に ―誰か予定に入れておいてもらえるかな。これを管轄するのは誰かな? 「(誰かの声を真似て)分からない」か。誰か頼むよ。誰かが縫って、刺繍をして、たくさん作っておかなきゃならない。それを言ってしまった人に渡さないと。で、思うに、こうした方がもっと見た目が良くなるかな、、、
リンダ:アダマス、あなたも欲しいのかしら?!
アダマス:どうだろうね。
リンダ:それはアウトよ ―オー!(リンダ、笑う)
アダマス:わざと言ったんだよ(警告音、ブザーが鳴り、アダマス、笑う)。
リンダ:(笑い続けている)さあどうぞ!(彼女、アダマスに帽子をかぶせて笑い続けている。警告音とブザーは鳴り続いている)
アダマス:わざと言ったんだよ、リンダ。分かってるはずだよ! ゲーロン、「分かりません」帽のモデルになってポーズをキメてくれて感謝するよ。
ゲーロン:どういたしまして。
アダマス:分かりますかね、なんだか、劣等生がかぶらされるあれみたいだね。思うに、縁の付いたもっと魔法使いの帽子みたいにするべきかもだね。確か、ジーンが最初にそうしようって言ってたやつだね。コーヒーをありがとう、ケリー。ありがとう。
ケリー:喜んで。
アダマス:(リンダがコーヒーを持ってきている間に別のカップに口をつける)。ああー! おお!
リンダ:はいどうぞ。
アダマス:これはコーヒーじゃないね。これは、、、
ケリー:私が準備したんじゃないわよ!
リンダ:昆布茶よ。
アダマス:私は、、、昆布茶なんだろうけど(アダマス、笑う)。ブドウを食べ過ぎた人の尿かと思ったよ。
というわけで、シャーンブラのみなさん、私は「分かりません、知りません」をもう聞きたくはありません。何故なら、みなさんには分かっているからです。事実として、みなさんは全てを知っています。みなさんは単に、みなさんが全てを知っていることを知らないだけです。
Love(愛)
では、そろそろまとめていきましょう。今回はバレンタインのシャウドです。たくさんのハートが見えますよね? 「このハートやバラにいったいどういう意味があるんだろう? 分からないな」そう不思議に思っている人のために言っておくと、あと何日、8日ですかね、バレンタインズデーが来るからです。そういうわけです。
セント・バレンタインは殉教者なのですが、今やバレンタインと言えば愛を祝うものになっていますね。分かりますか? 彼は苦しみましたが、それが愛を祝うものに変わったのです。とても奇妙なことですね。どうしてそんなことになったのでしょうか?
リンダ、君はここで「分かりません」と言うんだよ。噛み付きやしないから、ここに上がってもらえるかな。
リンダ:私の信条に反するので、それだけは言えないわ。
アダマス:なるほど。というわけで、彼女はもう、それを言いません。良いことですね。彼女は学んでいます。
セント・バレンタインは、年はと、紀元後269年ぐらいにまで遡る殉教者ですが、それが愛のお祝いに変わっています。それはどう起こったのでしょうか? 分かりません。いずれにせよ、我々にとってセント・バレンタインズデーとは、愛に関するものです。若い恋人たち、人々が愛を表現し、花を送ったりする時です。それは私からの贈り物だよ、リンダ。私は君を愛してるからね。これが終わったら君のものだよ、、、
リンダ:あら、ありがとう。
アダマス:、、、シャウドの後には。
リンダ:あなたって、なんて思慮深い人なのかしら。
アダマス:愛です。愛とは何でしょう。愛とは何でしょうか? 「(誰かの声を真似て)知りません」(彼ら、笑う)私がどれだけこれを聞かされてきたか想像もつかないでしょうね。私のしている振る舞い、言動で何か問題があるとすれば、今、私がある種の反応をしているとしたら、それは私がみなさんの全員から、あり得ないぐらいにたくさん、それを聞かされてきたことが原因です。
分かりますか、みなさんは夜な夜な私を呼び出して、降りてきた私とお喋りしたり、どこかへ行ったり、さっきのような質問をするのです。私の答えはだいたいいつも「答えは何だろうね? 君はどう思う?」というものです。
「分からないよ。だからアンタを呼んだんだよ」
それでも私は答えを言うことはありません。私は、あなたはすでに答えを知っている、ということを思い出させます。ただ、あなたが「分かるもんか! 取っ掛かりさえない。分からないよ」そう言うなら、私は退かざるを得ないのです。あなたを「分かりません」の浄化槽に浸かったままにしておく他ないのです。私にできることはありません。私には答えをあげられないし、あなたは「分からない」を死守します。で、私たちはただただ座って、どうでもいい話をするだけなのです。主題に迫ることができないのです。「分かりません」は、あなたの差し掛かっている発達の段階、成熟度的に有害です。ただの毒です。
というところで、主題であった愛の話に戻りましょう。愛とは何ですか?
愛とは何でしょうか? 愛とは感じるものであり、愛とは感覚です。文字通り、愛とは知覚、感覚です。それは今、天使の感覚でもあります。かつてはそうではありませんでした。人間が愛を創造する前、それはどこにも、どんなところにも、ありませんでした。愛は天使にとっての、最終的には経験すべき新しい感覚となったのです。で、愛って何でしょうか?
愛がオフィシャルに感覚として、20万を超える感覚の1つとして、愛が公式に認められた際のことですが、その際には、このような集会、会議が開かれていて、誰かが「私は愛を天使の感覚の1つに加えることを提案します」そう言ったのが始まりです。
ざわめく会場では多くの議論が交わされました。そしてホールの反対側の端にいた人がこう言いました。「うーんと、愛って何だい? 愛って何だろう?」それで会場は一気に静まり返りました。何故なら、ほとんどの天使たちは愛を感じたことがなく、また愛について何も分かっていなとも感じたからです。
そこで彼らは「人間を呼ぼうじゃないか。人間、愛を経験したことのある人間をこの会議に連れてきて、愛について説明してもらおうじゃないか。そうして愛を感覚、天使の感覚としてオフィシャルに認めるかどうかの投票をしようじゃないか」と決めました。彼らは人間を捕まえにいって、その人を殺しました。つまり、その人をそっち側へ連れてくるためのことで、それは大した問題ではありませでした。いずれにせよ、彼らは人間を会場に連れてきました。「やあ、カサノバ。愛って何だい?」
カサノバは少し考えました。彼は演技的でもありました。彼はこう言いました。「愛か。君たちには、それを自ら経験しない限り、言ったって分からないだろうね。僕は5,000回かそれ以上、愛を経験してるけど、愛を説明できるとも思わない。それは性的な感情とも、身体が感じる刺激でもない。そんなものは愛じゃないよ。それは愛がゆえに起こることさ。なら愛って何だろう? 愛って何なんだろうね? 愛の経験が無い以上、君たちにはその説明も理解も難しいよ。ただ僕に言えるのは、君たちが得てきた全ての感覚のどれよりも、愛とは圧倒的に素晴らしく、壮大であるということだけだね。だから君たちも愛を経験し、愛にハートを開いて且つ、そのハートが愛に破れれる経験もして、初めて、君たちも僕と、この最も偉大なる感覚について話し合えると思うんだ」
会場全体の天使の顔はこう言っていました。「彼は何を言ったんだ? 何だって?!」と。いずれにせよ投票は投票で行われました。私はもちろん、全員に投票することを勧めました。私はこう言いました。「嘘は言わない。いつの日か君たちも地球へ行くだろう。人間の形をまとって、その愛と呼ばれるものを経験することになるだろう。でも、カサノバと同じで、私にもその説明は難しい。表現できない。定義もできない。でも地球にある岩よりも水よりもリアルなものだよ。空を飛ぶ鳥たちよりもリアルだよ。森を焼き尽くす炎よりもリアルで、、、」私もちょっとやり過ぎました。私は演劇的にやるのが好きなのです。
愛とはとても、とても、リアルなものです。愛について尋ねられると、ほとんどの場合、人間はただ思い出すことだけをします。「愛ね、うーむ」と、かつて愛した人を、誰かに愛された感覚を、それが母の腕、ガールフレンドの腕に抱かれたことでも、そうなのです。それは感覚で、、、(アダマス、笑う)ケリーがコーヒーに何か入れたに違いありませんね。だって、コーヒーを飲み始めるまで、私はこんな感じではありませんでした。
ケリー:入れたわよ。
リンダ:続けて続けて。面白いわ。
アダマス:愛です。ポイントに戻りますが、愛についてです。愛とは何か? そう訊かれてあなたは愛がある時を感じ始めます。愛の偉大さ、たった今ある愛の数々でもです。ただ、それを説明しようとしてみると、愛を不当に下げているような感じになります。愛を定義するというのは、愛をボトルに詰めて閉じ込めているのと同じです。愛とはハートから来るものです。
で、ここで、リンダ、愛がハート、心臓と関連付けられるのはどうしてだと思う?
リンダ:脳がすることではないから。
アダマス:とても良い答えですね。私は彼女が「分からないわ」そう言うものと思っていました。彼女は学んでいますね。
愛は脳から来るものではありません。さっきのは実際、とてもスマートな答えです。愛とは頭でするものではないと。愛とはハート(心臓)から来ていて、心臓(ハート)とは容れ物で、うーん、あなたが愛の状態にあるのなら、それを感じられますよね? 心臓(ハート)で。中にはお腹で感じる人もいますが、脳で感じてはいませんね、ですよね? ハート(心臓)の中にあるのです。そこは生命のリズムが奏でられている場所なのです。あなたという存在の中に、そのような場所は他にありません。その心臓(ハート)の鼓動とは、生きたい、経験したいという熱望です。ハート(心臓)が熱望を生み出すわけではありませんが、心臓(ハート)は生命としてのリズムを刻みたいという熱望に反応しているのです。だからハートに関連付けられているというわけです。
ポイントに戻ります。愛とは知覚的感覚であり、天使たちが投票で「愛を新しい感覚の1つとして受け入れよう。それが本当に何かは我々には分からないけど、人間はみんなその虜になっているようだ。なら、うん、やってみよう」と決めたものです。
愛とは感覚です。感覚はデータにできるものではありません。データはないのです。愛について考えた時に、あなたを覆う感覚がそれなのです。愛とは、あなたが28年前に付き合ったボーイフレンドと何回キスをして、何個のハンバーガーを一緒に食べたか、といったデータ化できるものではないのです。愛はデータではありません、よね? もし愛が単なるデータの連続であったのなら、そもそも愛など無いでしょう。愛とは感覚です。
愛とは感覚です。それはマインドが定義しようとして駆使するあらゆるものを遥かに、遥かに超えています。生命とは全て、そうであるべきものなのです。
Human Decision-Making(人間の意思決定)
歴史とは、往々にして正確ではないデータの連続です。私の肖像が良い例です。あれは私の友人です。歴史とは、正確ではないたくさんのデータの集合です。しかしそれでも世界は、このところ、データを拠り所にしているようです。まあ、それがマインドの考えるやり方だからです。リンダ、書くものを用意してもらえるかい?
リンダ:了解。
アダマス:お、いいですね。私は彼女にいくつか言葉をハク(white/ホワイト)―書く(write/ライト)―ハハッ!― ハいてもらおう(wite/ワイト)と、、、
リンダ:あらあら。
アダマス:(笑っている)、、、ボードにね。私が彼女に書いてもらうのは ―ちなみに、さっき邪魔をしたのはクツミですよ。私は彼女にここのボードにいくつかポイントを書いてもらいます。題して、人間のマインドはこう考える、です。データ、データ、データ、、、感情、、、
リンダ:え、あ、何。
アダマス:、、、決定。
リンダ:反対から書いちゃったわ(アダマス、笑う)。
アダマス:データ、データ、データ、感情、決定。これがパターンです ―これはデータが3つだけという意味ではありません― これは、感情へと繋がっていくデータの連続を意味しています。人間のする意思決定の全てが感情をベースにしています。感情は決定そのものであり、人は最終的に意思決定をして、いかに自分が知的であるか、いかに多くのことを分析したかを語りますが、実際は感情をもとに為されています。このことに関して私に異議を唱え、そして敗れ去った人たちがいますね。人間のする全ての意思決定は、究極的には、感情によって為されていrます。
はい。あなたはデータを集めます。多くのデータを集めます。マインドが働いているということです。マインドは何も悪くありません。そうやってマインドは働きます。データを収集するのです。集められたデータは、真の感覚もセンシュアルであることも知覚的感覚も何も理解していないマインドによって評価されます。マインドはそれを感情を元に評価をして、決定を下すのです。そうして、闇、少なくとも暗がりの中で、真の感覚の恩恵をフルに受けられることのない、決定が下されているのです。
前にもこの話はしましたね。はい。しかし今は、それをやるのです。私たちは過去に、言わば、これからやることの前置きとして、この件について話したのです。私たちは超感覚的な生き方をしていきます。
で、少し話を戻しますが、データ、データ、感情、決定です。
このことを少し感じてみてください。大きく深呼吸をして、私と一緒に想像してみてください。あなたがある部屋に入ったとして、そこが完全なる暗闇であったとします。完全な闇です。ドアを開け、中に入り、背後のドアを閉じたあなたに、部屋の事前情報はありません。そこは暗闇です。何もありません。するとマインドはすぐに、その限られた物理的な知覚を頼りに、データを探し始めます。「床は冷たいか? 石で出来ているのか、あるいはカーペットだろうか?」と。データ、データ、データです。
あなたはその暗闇で声を出します。何も見ることはできません。あなたは暗闇で声を出し、部屋の大きさを測定するため、声の反響を確認します。あなたには一切部屋についての情報、その大きさ、天井までの高さ、置かれた家具、何の情報も与えられていません。2メートル歩けば、ワニだらけの落とし穴に落ちてしまうかもしれません。データを収集するのです。あなたは部屋を把握するため、口笛を鳴らしたり、どこからか、ほんの光でも差していないかと目の調整をしたりします。
データ、データ、データ、データは、あなたがたった今も集め続けているものです。そして、あなたは全くデータが無いところにやって来ました。あなたに分かるのは、あなたが床の上を歩いていること、何かが音を吸収するので反響が無いことだけで、それでは部屋の大きさ、部屋がどんな感じであるかを判定する手立てになりません。あなたは今のところ、何かに躓いたりもしていないないので、家具や壁、何かがあるのかどうかさえ分かりません。データ、データ、データ、データです。
そこにあって、マインドは感情による決定を下します。「ここは危険だ」と。ヘッ! それがマインドのやり方です。「ここは危険だ」です。感情的な決定です ―「ここは危険だ」です― そうかもしれませんが、そうでもないかもしれません。が、感情がそう決めることを後押しするデータが揃ったということです。
そうして意思決定となるのです。感情はこう言っています。「危険だ。とんでもない危険の臭いがする。この場所にいるべきではない」と。「死物狂いで走る」と決まります。入ってきたドアを探すのです。幸いにも、あなたはドアからそう離れてはいませんでした。事実、あなたはドアからほぼ離れることはありませんでした。何故なら、データ収集の過程ですでに、あなたの感情は、先へ進むことを恐れよう、そう決めていたからです。
しかしもし、その部屋にあなたの神性が含まれていたのだとしたらどうでしょう? 神性を経験したことのないマインドには、単純に神性が神性であると理解できていないのです。マインドには何を探すべきかが分かりません。マインドは、神性を探し当てるためのデータの使い方を知りません。仮にその部屋があなたの神性で満たされているとすれば、にもかかわらず、来るかもしれない何かを恐れて逃げる、ドアを見つけるという決定を下すのってどうなのでしょうか?
それが人間の典型的な考え方です。私はもちろん、単純化して、端的にそれを言っています。中には私が単純化し過ぎていると異議を唱える人もいるでしょうが、しかし、違います、これが実際にどう機能するかなのです。スクリーンにあるとおりです。データ、データ、データ、感情、決定、です。あなたはそのようにして人生を、日々を通り抜けて行くのです。そして暗闇の部屋へ入った時 ―これは人生における新しい何かのたとえですが― 往々にして逃げるか、せいぜいそこに留まるという決定をします。あるいは、そうでなければ「もっとデータを集めよう。ここでしばらくじっとして、何か起こるか待ってみよう」と決めるのです。が、すぐに外に出られるように、その片手はドアに触れたままです。それを超えていく時なのです。
その部屋というのは、数多ある新しい機会を表しています。その部屋はあなたの神性を表しています。その部屋はあなたのエネルギー、あなたにある全ての可能性を表しています。その部屋であなたはやめるのです。あなたは強迫観念的に続けているデータ収集をやめて、あなたのセプターを握ります。武器としてではなく、答えとしてでもなく、あなたは確かに知っている、あなたには分かっている、そのことのリマインダーとしてセプターを手にします。あなたには分かっているのです。
ここで一時停止をしてみます。あなたはまさに、真っ暗な部屋で立っていて、何百ものデータを収集していて、感情的な反応としては恐怖があります。もしかしたらまだ決定を下すところまではいっていないかもしれません。そこに私がやってきて「で、君はどうするつもりなんだい?」そう質問すると、あなたは「分からないよ」と答えます。私はあなたに重い重い、平手打ちを食らわせます。あなたは床に尻から落ちます。それであなたは、床がとても硬いことを認識します。また新しいデータが得られましたね。「これ以上、床に打ち付けられてはいけない」となりますかね。私はあなたに投げ技をかけ、あなたを壁にぶつけます。そして壁もまた硬いことが分かります。そうして、、、いや、ジョークですよ! うーむ、そこまでジョークでもないかもしれません。
あの時に「分かりません」はあり得ないです。私が歩み寄って「君はどうするつもりだい? 真っ暗な部屋にいて、そこが何かの情報もない。君は怯えている。おしっこもちびったね。そのぐらい怖がっている。で、君はどうするつもりだい? 」そう訊いた時にあなたはこう言うべきです。「何か馬鹿なことをしでかす前に、セプターを手にするよ(アダマス、笑う)。セプターを手にしていれば、セプターが何かしらを示してくれると思うから」そうやってマインドから出るのです。考えるのをやめるのです。あなたは自分がどんな感情を抱いているかを分かっています。しかしそれに飲まれません。あなたはデータ、データ、データに基づいた人間的な意思決定を免れられるのです。
あなたはセプターを手にし、そのセプターにあなたを、あなたの可能性の数々へと、エネルギーへと運ばせます。自身の可能性の中に着いたあなたの前に、ある答えがある、というのではありません。「1つの答え」ではなく、分かりますか、答えの全て、可能性の全てがそこにはあり、あなたは即座に、最高レベルの満足度、最高レベルの気持ち良さ、最少レベルの苦しみ、最少レベルの抵抗、を有する可能性に引き寄せられます。
あなたは自動でそこへと運ばれます。で、そこで絶対に質問したりしないでください。絶対に、絶対に、絶対にです! あなたにとっての最高の可能性に自動的に運ばれているということを、疑わないでください。それは惑星にとっての最高ではありません。他の誰かのそれではありません。あなたの母親のものでも、ペットの犬のものでもなく、あなたにとっての最高の可能性です。それを疑わないでください。それはマインドの働きです。マインドがその値打ちを下げようとしているのです。疑っている時間も場所もありません。それには途轍もない信頼が ―いや、違いますね。ハッ! いや、大して信頼は要りませんね。間違った考え方です。「あー、途轍もない信頼が要るね」てやつですが、要らないですね。全てはあなたのものなのです。全てあなたのエネルギーです。全てがあなたにとっての可能性です。あなたにとっての答えです。スピリットガイドがそうするのではないのです。おー、おー、おー! そういうものではありませんね。あなたをあなたの可能性へ運んだり、連れ込んだりするのは、あなたです― 意識です。
セプターを手にしたあなたは、セプターはただのリマインダーですが、あなたが手にしているセプターは、あなたを、あなたが過去に置いた「分かりません」の汚染層を次々に超えさせます。セプターはベールを切り裂き、あなたに答えを持ってくるのです。口は閉じていてください。黙っていてください。何故なら人間のマインドはすぐ、あれこれ考えたり、執着したり、疑ったり、心配したり、恐れたりしてこう言います。「そうだな。もっとデータを集めて、もっと分析をして、解決策を見つけないと。ゆっくりと腰を据えて、メリットデメリットを考えて、少しでも確率の上がる方法を考えないと。そうして我々は、、、」と。シャーラップ! です。 あなたは自分自身のエネルギーの中にいます。エネルギーは決して、絶対に、あなたに反抗するようには働きません。絶対に、あなたに沿わないことはやりません。
あなたは暗闇の中にいて、その無の中で、瞬間、そうですね、マインドが飛び込んできて「何だこりゃああああ? ここは奈落の底で、このままだと奈落の底の怪物に食われてしまう」そう言います。まさにその時こそ、あなたが「データ、データ、データ、感情」を超越して、ただ全てを知っている状態となる時なのです。あなたは「ふん! ここがどこかは分かってるよ! ふん! 生まれた時から知ってたよ! いったいどうして、マインドの『データ、データ、データ、感情』なんて間違いに付き合ってたんだろうか?」
そう思った瞬間、その最後の質問を発した瞬間、ええ、あなたはあなたのエネルギーの中にいるのです。答えは来ます。「だって、そうしたかったから。それがやり方だと思ってたからじゃね」と。あなたは自分に「自分にはあれを超えることはどだい無理だと思ってたな」そう言いますが、答えはすでにあるのです。それは「ま、ありゃ完全なる偽物、ダミーだったってわけね」という気付きです。あなたのエネルギーがあなたに話している感じです。エネルギーは時にそうやってあなたに話しかけます。「そうだな。あそこに戻らねーとな」と。考えるのをやめてください。心配もしないでください。あなたはここにいます。セプターを手にしています。それはあなたをあなたのエネルギー、あなたの可能性の全てのど真ん中、中心に運びます。あなたには、その中でも最も大きな喜びに満ちていて、あなたに最も仕えたがっている可能性がどれであるかが、すぐに分かります。究極的には、あなたには他の全ての可能性も分かりますが、しかしあなたは「いやあ、あれは面白そうじゃないね。あの辺のにはどれも苦しみがあるね。あっちは時間がかかり過ぎるなあ。その向こうのは ―計り知れない地獄じゃないか。いや、勘弁願うね。私は喜びがあって、楽で、苦しみが無いがいいよ」と、そうなります。もう苦しみは要らないのです。
シャーンブラのみなさん、大きく深呼吸をしましょう。はい、私は今日、楽しんでいます。
古いスタイル、とても線的に「データ、データ、データ、感情」で決めていくスタイルでたまの意思決定をする。それ以外の多くは「分かりません」にしてきたわけですが、それでずいぶんと長い間やってきましたね。分かりますか、あなたは時にこういう質問をしますね。「自分は何をすべきなんだろう? どこへ引っ越すべきだろう? 恋人は持つべきか? 自分は誰なんだろう? 自分は後どのぐらい長く生きるのだろう? 健康のため、自分は何かをする必要があるのだろうか?」と。そうしてデータを集めようとしますよね。インターネットに向かいますね。探します。サーチします。やめてください! 私は探すことが悪いとは言っていません。しかし、人生における大きなクエスチョンでも、次どこへ行くのか、何をするのか、身体の問題をどう克服するのか、人生に富を受け入れるにはどうするのかでも、そういった全てに対して「データ、データ、データ、感情」をするのをストップしてください、そう言っています。分かりますね、その決定は感情に基づいたものであり、その感情とは往々にして、恐怖か欠乏か苦しみであるのが大部分だからです。
あなたがいつも同じ事柄で、いつもと同じように苦しみ、いつもと同じ結果に終わるのは、不思議でもなんでもありません。そこを超えてください。セプターを手にしてください。セプターに、あなたを、全ての答えがあるそこ、あなた自身のエネルギーへと運ばせてください。最大の喜び、優雅さ溢れた答えがどれであるかは、自明も自明、あなたには一目瞭然であるのです。それは「うーん、あれかあれを選べばいいはずだよな」という感じではありません。それは完全無欠にそうであって、大きな気付きの訪れと同じように、否応なく、あなたにそうであることをぶっ込んできます。
さあ、大きく深呼吸をしましょう。
やり方を変える時です。物事に対する答えを求める方法を変えて、リアルな、真の決定を人生の中でする時です。全ての可能性に対してオープンになる時です。それはそこにあるのです。それはセプターを手にしたまま黙って、マインドのあれこれをやめるだけ、それと同じぐらいにシンプルです。セプターはあなたをあなたのエネルギーに運びます。そこで静かにさえしていれば、ほんの一時で、ほんの貴重な一時で、それはあなたを、あの大きな暗闇の部屋、そこに入ったばかりのあなたに誘います。その部屋はもしかしたら、人生における疑問の象徴かもしれません。その大きな暗い部屋にいて、あなたがデータを収集し、感情的な決定を下そうとするのをやめて、静かにさえしていれば、答えはそこにあるでしょう。
You Already Know – Merabh(あなたには最初から分かっている – ミラーブ)
大きく、深呼吸をして、音楽をかけて、ミラーブを行いましょう。
(音楽、流れる)
あなたはすでに知っています。あなたには分かっています。だから「分かりません」そう言われると苛々します。それはあなたの現実になります。
「分かりません」あなたがそれを言うと ―(パチン!)― エネルギーはそれをあなたに与えます。あなたはそれで、本当にあなたの周囲にベールを貼ります。あなたには何も分からず、知ることもありません。知ることができません。
「分かりません」そう言う代わりに ―その帽子を取ってもらえるかな、リンダ?(「そんなことぐらい分かってる」帽)
リンダ:喜んで。
アダマス:「分かりません」そう言うのではなく、知っている、分かってるよと(彼女、帽子を渡す)、そんなこと、どこの誰よりも知ってよ、と言うのです。
私がこれをかぶらないことに気付いていますか(アダマス、笑う)。私はカウルドゥラの薄くなっている髪をぐちゃぐちゃにしたくないのです(アダマス、笑う)。ププッ!
リンダ:おわ!
アダマス:プッ! 私にユーモアを教えているのはクツミです。
リンダ:おーふ!
アダマス:まだまだ完璧ではないですね! いや、私は完璧です。
そんなことぐらい、私は知っている。「分かりません」そうとは言えないほどに分かっている。ということです。
「分かりません」は有害です。
自分にとって何が良いかは、私が一番知っている。です。
データを集め、その集めたデータに基づいた決断よりも、私はものを分かっている。です。データとは興味深いものであり、状況によっては有意義です。しかし、あなたの人生、その行き先を決めるに時には有害です。食洗機をオンにする、その方法の理解のためには、データはとても有効です。データとはそういうため、食洗機を動かすためにあるのです。中にはまだそのことが上手く飲み込めていない人がいるようですが、構いません。あなたはそこに行き着きます。
データとは、人生の運行、それを決めることを意図したものではありません。そして分かりますね、たった今の生活というのは、そのやり方に乗っています。もっともっと多くのデータを使っています。
コンピューターがあります。非常に多くのデータです。10億分の1秒に何兆ものデータが動いています。それが人生を、生活を形作っています。データは、ハートをオープンにし、そこに愛を、満足を、もたらす、そういうものではありません。
データ ―データの連続― は健全な意思決定を為し得ません。あなたがあなたの人生を、幸福を、独立性を、データの集まりを拠り所に決めるようとすれば、データはさらなるデータを求め、新たなデータはさらなるデータを求めます。結果、あなたが自身のエネルギーに至ることはありません。
大きく、深呼吸をしてください。
それはセプターを手にするぐらいにシンプルなことです ―セプターはあなたのものです。あなたのためのリマインダーです― そのセプターに暗闇の部屋を照らさせてください。
暗闇の部屋がどのような感じで、どんなものが置かれているのか、それを特定できるだけの十分なデータを集めるだけで、あなたは一生を費やせます。そして、そこまでしても、それは正確ではありません。歴史が正確ではないのと同じです。それは連続したデータです。そこに真実もいくらかはあるでしょうが、本当に正確かというと、違います。
あなたはあなた自身を、多くのデータに基づいて見ています。あなたはそれを過去のあなただと言いますが、それは本当にそうであったアナタではありません。また、あなたのあなたに対する見方は、多くの感情的な決定、あなたの真のポテンシャルからは遥かに欠けたものにも基づいています。
あなたにはもっと分かっています。答えの全てがそこにあります。
やってみましょう。選択、決定をする伝統的な方法、現実を理解するためのこれまでのやり方を、バイパスしましょう。
セプターをしっかり持って、それにあなたを、あなたの可能性のフィールドに連れていかせてください。そのフィールドはどこまでも、どこまでも続いています。美しい、本当に美しい可能性の大平原です。どこまでも続く広大なイチゴ畑のようでもあります。
そこにある1粒のイチゴ、あなたのハートにある真のパッション、その1粒が目の前に現れます。それはもう明々白々、他のどのイチゴも上回っています。考えるのをやめてください。「分からない」そう言うのをやめてください。
二元性から抜け出すためにデータを使おうとするのをやめてください。データは役に立ちません。
「データ、データ、データ、感情、決定」は機能しません。
私たちがこれから入ることになる驚くほど素晴らしい現実があるのです。あなたが入ることになるそこは最初、少し恐ろしく思えるかもしれません。何故なら、あなたがデータを前提として、物事を調べることに慣れ過ぎているからです。
私たちはそこを超えて、真の超感覚、私的にはスーパー・センシュアルとそう呼びたいところに入っていきます。そこにデータはありません。それは、分かりますか、愛と同じようなものですね。愛を説明してみてください。難しいですね。それは私たちが行こうとしているところも同じです。そこは論理的ではありません。良いことです。制限されていないということです。
さあ、シャーンブラのみなさん、間もなくやってくる2月14日、愛を祝う日、その機会を利用して、そのタイミングを利用して、意思決定をする古いやり方、そして世界、自分自身を見る錆びついたやり方を、超えて行こうじゃありませんか。
超感覚に入りましょう。私はそれが何かを説明しません。セプターを手放さないでください。セプターがあなたをそこに連れていきます。セプターがそれをすることは分かっています。セプターがあなたをそこへ運ぶことを、私は保証できます。
人生における決断でも、単純に自分による自分の見方を変える時でも、それが自分という歴史、過去に関する大きなものでも、何であっても、セプターを手にするだけで構いません。データは電動歯ブラシをオンにする時のために使ってください(笑い)。電動歯ブラシをオンにするのが苦手な人っていますよね。データは、コンピューターを使う時に使ってください。
ただ、あなたのためだけにしてください。あなたのハート、この惑星に残るあなたの幸福のためにセプターを手にしてください。それは現実の受け止め方として、可能性に入るやり方として、真の答えを得るやり方として、全く新しい方法なのです ―答えは神からはやってきません。
分かりますか、神とはクソなデータの寄せ集めです。いや、本当にそうです。聖書がありますが、あれって何ですかね? データですね。学者たちはそのつもりみたいですが、あんなデータの寄せ集めで、神を経験することはできません。彼らは自分のことをクッソ賢いと思っているようですが、肝心なのはハートから、感覚から、超感覚から来るものです。
私たちはそこへ向かっています。そこは怖い場所ではありません。
今、暗闇の部屋を感じてください。深く感じてください。
データや感情、それによる決定という古いやり方をするのではなく、セプターを手に、じっと立っていてください。
瞬間、はい、人間にとってそれは怖いもので「暗闇以外に何も無い。自分がどこにいるか分からない。危険かもしれない」という声は聞こえてきますが、それはやがて消えていきます。
あなたがあなたの真実を手にしている限り、それは消え失せます。そして ―何が起こるか感じてみてください。
そして ―自分自身を、あなたの真の意識を受け入れて― その部屋に何が起こっているかを感じてください。
(間を取る)
分かりますか、そこにはあれこれ考えたり、その無音を埋めようとする試みと同時に、やはり静寂の瞬間があるのです。そこであなたは何度か深呼吸をし、そして思い出します。「そんなことぐらい、私には分かっている」と。
あなたは何度か深呼吸をします。真に感覚的である、本来のあなたに入ります。あなたには全てがそこにあるのが分かります。
あなたの人生において知りたいと思うあらゆること、次にどういう行動をすればいいか、あなたにある可能性、訪れる機会、全てがそこにあるのです。
あなたのリアライゼーションもそこにありました。ただ、あなたが「そこにどう行けばいいのか分からない。いつ起こるのかも分からない」そう言った時に、あなたは暗闇に留まりました。明かりを消したままにしたのです。
もういい加減、やめましょう。
セプターを手にし「そんなことぐらい、分かってる。知ってるわい」と認識してください。
シャーンブラのみなさん、さあ、大きく、深呼吸をしましょう。
私の新しいユーモアのテストにお付き合いいただき、ありがとうございました。自分としてはとても上手にできたと思います(リンダ、拍手をする)。ありがとう。ゴルフ場のような拍手をもらえました。ありがとうございます。戻ってクツミにも報告しないといけませんね。今頃、彼は授業料の請求書を準備しているかもしれません(リンダ、笑う)。返金保証が付いていましたが、まあ、払ってもいいと思っています。だって、こんなにも素晴らしい贈り物だからです。私はどのお金がクツミへの支払いへ回るのかを全く心配していません。私には「そのお金がどこから出て来るのか分からない」なんて言う必要はないのです。それがどこからか出てくるのは分かっています。もうあるのです(「そんなことぐらい分かっている」帽をかぶる)。
というわけでシャーンブラのみなさん、大きく、深呼吸をしましょう。来月は、女性であった私の過去生、その目の覚めるような画像、絵画とともに戻ってきます。
では、忘れないでください。惑星に狂騒と悲しみがあったとしても、究極的に、創造の全てにおいて、全ては正しい。
シャーンブラのみなさん、ありがとう(投げキッスをする)。バレンタインの月をハッピーにお過ごしください。ハートを開いていてください。
翻訳: Ito Satoshi
注記: どうぞ自由にこのテキストを配布してください。ただし、一部を抜粋するのではなくこの注記も含め完全な形で、非営利かつ無償で配布してください。それ以外の利用については、コロラド州ゴールデンに住むジェフリー・ホップの書面による許可が必要となります。
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