トランスヒューマン シリーズ シャウド 11:
ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマンのチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈 2017年7月1日
http://www.crimsoncircle.com/
私は私であるもののすべて、瞭然たる存在にして至高のアダマスです。
ああ、いいですね! みなさんがたった今、経験したもの(この映像について)、そして、私たちが前回ミュンヘンで行った集まりで経験したもの、それは真にスピリチュアルなものでした。感覚、知覚、感情、幸福感、全てが、真正で、正真正銘の、リアルにスピリチュアルなものでした。
スピリチュアリティについて、ある種、定番の、あるあるのコンセプトがありますね。寺院で座禅を組み「オーム(om:マントラ、真言)」と唱えたりするようなものです。それはそれで別に悪いものではありません。みなさんの全員にもまた、そういうことをやって、何処かへ導かれた経験があるはずです。私は気付いていますよ。みなさんの中の多く人が、折に触れて、寺院や修道院に魅かれることがありますね。「ああ、あの静寂に戻りたい」そう思うことがありますね。
でも思い出してください。私たちはかつて、ミステリースクールの閉鎖を経験しました。ミステリースクール、そこは私たちにとって、一種の避難所でした。村の人々から自分たちを離しておくための島のように機能しました。本当に静かで落ち着ける場所でした。が、もう何百年も何百年も前の話になりますが、その学校を閉鎖しましたね。私は、みなさんの多くに、そこから立ち去るように伝えました。嗚呼、たくさんの涙がありましたね。みなさんの中には、みなさんを放り出してドアを閉め切った私に対して、良くない感情を持っている人もいるようですね(笑いが起きる)。でもそうするべき時でした。そこから出て、世界へ入っていくべき時でした。
もちろん、みなさんには、依然として自身と向き合う時間が必要です。自然の中に入って、音楽を聴いて、といったことが必要です。時には、自然の静けさの中で、I Am、自身のワンネスとともに自分自身であることの美しさを感じること(アダマス、カメラに近づく)。わあ、面白いですね。これを通して世界中が見えますね。いいですね。
みなさんは時にそういうものを必要とします。でもそれって、ちょっと時代遅れですよね。ちょっと違うスピリチュアリティですよね。おっと、私に腹を立てたいなら、どうぞそうしてください。しかし私たちは「オーム」と唱える、奥ゆかしくって、懐かしくもある時代を、超越しようとしていますよ。みなさんが今やっているのは、完全に新しいスピリチュアリティの構築です。それより良い言葉が無いのでお伝えするのが難しいですが、I Amの、自己についての、全く新しい真実性を、確立しようとしています。訓練も修養も行いません。そもそも、そういうのって必要ですかね? 全く必要ありませんね。苦難もカルマもルーチンも儀式もイニシエーションも何も何も、1つも通り抜ける必要はありません。
私たちがやっているようなことを良く思わない人は大勢います。実際、首を横に振って、多くの人が去っていきましたね。「ああ、こんなのはスピリチュアルじゃない。ただ音楽を聴きながら遊んでるだけじゃないか。後はダンスするぐらいが関の山だ(笑いが起きる)」と。実にニューエイジ的な人たちですね。でも、本当にそういう人はたくさんいます。彼らはグルに従って、瞑想したりルーチンを課して生活をするような、そんなパターンに嵌っています。そしてそういう人たちはまた、この生涯だけではなく、そんな生涯を次から次へと繰り返しています。たくさんの生涯でそうしています。それが、彼らが、そういうスピリチュアリティで、ある種の幸福感を得られる理由です。ちなみに幸せ(happiness)についてですが、こんな言葉、窓から放り棄てたいと思います。みなさんもみなさんのボキャブラリーから、こんな言葉は放り棄ててください。実に人間染みた言葉です。
Happiness(幸せ)
ここ以外の領域には「幸せ」という言葉も、その言葉が持つエッセンスも、存在しません。これは人間の使う言葉です。判断、評価に基づいた言葉です。幸せなのか悲しいのか? 仮に誰かに「何があなたを幸せにしますか?」と質問して掘り下げていくと、それが真に何であるかを、誰も答えることができないでしょう。彼らは幸せを求めていますが、そこにたどり着くことはできません。それは人間による相対的な評価であり判断です。幸せでないのなら不幸になってしまうのです。えー、そして私的には、なぜ両方を求めないのかが不思議ですね。あるいはそんな言葉、どちらも放り棄ててしまうべきだと思いますね。「私は私である。私は人間である。私はマスターである。私は『私は幸せだろうか?』そんな疑問を抱く必要さえない」と。
1つヒントをあげましょう。みなさんはこの人間としての生涯でも、別のどんな人間としての生涯でも、この「幸せ」というものを達成することはありません。誰も「幸せ」にはなりません。少なくとも私は、幸せに至ったアセンデッド・マスターを1人も知りません。彼らはみんな悟ってはいます。認識には至っています。間違いないです。しかし「幸せか?」となると、それを達成できた存在は、ちょっと思い当りませんね。幸せとは人間的な価値観です。知的でありたい、途轍もなく賢くありたい、そう言っているのと同じです。そしてそれは不可能です。その賢さというものの反対側には常に常に、途轍もない馬鹿さが存在しているからです(笑いが起こる)。それが途轍もない賢さに対して反作用的に働きます。
サート:ワオ!
アダマス:だからね、サート、君が完璧に賢くなることはないんだよ(さらに笑い)。だから賢くなんかなろうとしないことだね。放っておけばいいよ。ところでそれはなんだい?(ノルウェーから持って帰ったトロールの置物について)。
リンダ:あら、これはあなたよ、アダマス。
アダマス:ありゃ!
リンダ:ありゃりゃ!
アダマス:確かに私に似ているね(アダマス、馬鹿みたいな顔を作る。笑いが起きる)
リンダ:そうそう。そう思ったの。
アダマス:実際、人によっては、夢の中で、私がそういうふうに見えているかもしれないね。小さなトロールみたいに。よし、やるべきことに戻ろうか。どこまで話したっけ? 幸せについてだね。
リンダ:トロールは良いやつらよ。
アダマス:トロールは良いやつら、ね。ほらね。良い悪い。彼らは幸せかな? ジェフとリンダは幸せかい?
リンダ:十分にね。十分ハッピー(Happy)よ。十分ホッピー(Hoppe:彼らの名字)ね。
アダマス:そうかな? ほら、カウルダーはそんなふうに見えないね。
リンダ:1人の世界でオフが取れて、この上なく幸せそうに見えるけど。
アダマス:彼は靴も履いてないね。
リンダ:そうしたかったみたいだから「よっしゃ!」ね。
アダマス:そうして君は悪戯をしようとしてるね。彼を水の中に突き落とすようなのを(笑いが起きる)。こんな感じで。
ケリー:押しちゃえ!
アダマス:リンダは実際にそうしたことがあるからね。そして文字通りに、彼を殺しかけたんだよ。私は彼をワニから守らなければならかったんだからね。リンダ、この話は嘘かな? ホントかな?
リンダ:本当の話よ(さらに笑い)。
アダマス:幸せ。幸福。分かりますね。これはマインドがやっているゲームです。マインドがやっている、えっと、私は言いませんが、ちょうど良い言葉がありますね。4文字で “f” から始まって ”k” で終わるやつが(リンダ、息を飲む)。ですね、、、(笑いが起きる)。それはマインドがやっている、、、
リンダ:クソみたいなこと?(Sucks ?)
アダマス:私はそんなことは言いませんが、幸せになろうなんて、マインドの歪みです。捻じれです。みなさんは朝起きて「今日一日は幸せに過ごせるかな?」と考えます。でも「私は今日もここにいる。私は私である」に変えてみてはいかがでしょうか? そしてそれが本当である、真実であることを受け入れてはどうでしょうか? それで様々な知覚、感覚が得られます。身体は少し痛むかもしれませんが、そうなります。事が上手く運ばない、いつもの、典型的な人間らしい一日になるかもしれませんが、それがどうしたと言うのでしょうか? どうもしませんね。そんな一日もまた、自分に思いきり経験させてやってください。
であるから、私たちはここに、ある意味では「らしくない」音楽を持ち込みます。もし誰かの気分を害したなら申し訳ありませんが、無論、そんなつもりはないのですが、分かりますね。その音楽は、ヒンドゥー的に弦を弾いたり、「チリン、チリリン」と音をさせるような、そういった類のものではなく(笑いが起きる)、活き活きとしていて、感覚的なものなのです。それこそが新しいスピリチュアリティだと思います。これが宗教になってしまうことがないよう、みんなで気を付けておいた方がいいですね。とにかくこれは、地上のスピリットが得た新しい感覚です。私たちはそこへ向かっています。それを行っています。
みなさんは本当にその世界を開拓しています。つまり、古き良き時代のニューエイジの世界を壊し、開墾し、地ならししようとしています。私たちが行っているのは、よくあるニューエイジとは全くもって異なります。みなさんは、みなさんが、私たちがやっていること、その世界さえも耕し、新しいものに変えています。それは時に大変な困難を伴いますが、まあ、内なる気付きに付いていけば、自ずとそこにいるでしょう。
さあ、ゆっくりと、大きく、深呼吸をしてください。
Today(今日)
今日はみなさんに選んでもらおうと思います。人生とはある種、選択の連続です。新しいシリーズが始まりますので、今日のシャウドがトランスヒューマンシリーズ最後のシャウドになるわけですが、その内容は、ここに座っているみなさん、オンラインで観ているみなさんの投票次第で決まります。今日のシャウドを真面目な講義のスタイルで行いますか? 私は演台をあそこへおいて、真面目に講義を行います。ほとんどの講義を担当するのはセント・ジャーメイン(英語の発音)、いや、サンジェルマン(フランス語の発音)、、、 嗚呼、カウルダー、担当するのは「セイント・ジャーメイン」という人だね(アダマスが英語の発音を誇張して言うと笑いが起きる)。そうするか、あるいは、単純に楽しめて、私が少し挑発的に行うものか。
リンダ:挑発的に?
アダマス:なれるよ。まあ、愉快でチャーミングで、みなさんの内なる叡智を反映できればと思ってるけどね。理由はすぐに説明しますが、意味があってみなさんに決めてもらおうと思っています。では、よろしいですか? はい、真面目な講義を聞きたい人、手を挙げてください(1人か2人が手を挙げる。笑いが起こる)。少しはいますね。分かりました。では、楽しみたい人、挑発的でウィットに溢れていて愉快な、いつものアダマス・シャウドを希望する人(誰かが「当ったりめえだ!」と声を上げ、多くの手が挙がる)。後者の勝ちですね。ただ、どちらとも決めきれていない人も多いですね(笑いが起きる)。完全に迷子ですね。
どうしてみなさんに尋ねたかと言うと、スピリチュアルで形而上的な講義には、ある種のプログラムが埋め込まれているからです。埋め込みがあります。人々は、なんと言いましょうか、人間ぽくない、ものを求めています。ご存知のとおり、私も人間であったことがあります。なので、すごく人間ぽく振る舞えます。ただ、人々は、チャネラーが眼を閉じて椅子に腰かけ、孤高の存在としてあるような、そういうものを求めています。普段見ないようなもの見て、お、普通じゃないぞ、すごいぞ、と感じます。そう感じるようなプログラムが埋め込まれています。その手の存在には(声には出さず、口だけ動かして)”f” から始まり ”k” で始まる言葉などは絶対に絶対に使ってほしいとは思わないのです。それがスピリチュアルなことである以上は、ファックと言ってほしくないのです(笑いが起きる)。無論、そういう存在は普通に歩き回ったり、ずっと座っていてもお尻が痛くなったりしないのです。そんなことをすれば期待を裏切ることになるのです。人々は、伝統的なスタイルを求めています。その方が相応しいように思えますし、だからこそ、そうやって、まあ、実直で飾り気のないメッセージを聞いていたいと思うのです。マインドで受け取れるメッセージです。マインドに訴えかけるメッセージです。そしてそれは、私にとっての課題でした。
トバイアスからここを引き継いだ時、私はこのグループと上手くやっていけるだろうかと真剣に真剣に悩みました(アダマス、笑う)。
サート:海賊みたいなやつらだからな!
アダマス:そう。この人たちはみんな、まるで海賊じゃないかってね。でも面白いと思ったのは、みなさんは普通とは違うスタイルでオープンになっていくので、私も普通とは違うスタイルでメッセージを送らなければならないことでした。前にも似たようなことを言いましたが、私のスタイルはみなさんのスタイルです。反映です。みなさんが私にこうさせているのです。
とにもかくにも楽しいこと。これがこのスタイルのマストでした。姿を見せる必要がありました。跪いたり、ひれ伏したりして膝をすり減らすのは性に合わない様子でした。笑いも必要としていました。人生とは楽しいものだからです。人生とは壮大なジョークだからです。笑えないジョークに意味はありません。みなさんがもし、みなさんが人生最悪だと考える状況にいたとしても、終わってみれば人生なんて本当にただの壮大なジョークです。むふふ。
「さて、どうやってやろうかな?」私は自身に問いかけました。「どんな集まりにしようかな? エネルギーをどうデザインしようかな?」と。無論、マインド的な思考ではありませんよ。みなさんもいずれそうなります。思考を超えたエネルギーのデザインを持つようになります。まあ、本当はみなさんの中の多くは、すでにそうなのですが。とにかくみなさんは物事について考える代わりに、エネルギーをデザインするようになっていきます。
私は、これが上手く機能するだろうと思われるエネルギーのデザインを見て、まず最初に、体を持ったままで悟りにいたるつもりのない人、そういう人を排除しておく必要があることに気付きました。
リンダ:ああ。
アダマス:それは最重要事項の1つでした。そうしなければ、今やっているようなスタイルで集会を行うことが難しいのは明白でした。ここで聞く話に単に魅了されているだけであるとか、チャネルの言葉と音楽を子守唄にして眠りたいだけであるとか、まあ、それはそれで悪いことではないのですが、とにかく、決意やコミットからではなく、単なる興味、好奇心、こういうのが好きだからと、そんな理由でここにいる人がいたのでは、我々が、グループが、ゆくゆく大きくバランスを欠くことになるのは明らかでした。なので、準備の一工程として、そういう人たちには去ってもらいました。彼らには、人間化された神性、人間ぽい神性、そのエネルギーを上手く扱うことは無理でした。私は、カウルダーに眼を開けて歩き回るよう、くだらないジョークを言ったり大風呂敷を広げるように頼みましたが、無論、それは人間らしい神性を望んでのことでした。みなさんがわざわざ外へ探しに行かなくても済むように、私は、神性をこの領域に持ち込みたかったのです。ここに持ってきたかったのです。
そういうわけもあって、人間らしい形でやるのです。私たちは、ジェリー・ルイスのドタバタ劇のようなことはやりませんが、アダマス的な、人間ぽいことを行います。
リンダ:みんなジェリー・ルイスが誰か知らないんじゃないかしら。もうかなりの歳よ(笑いが起きる)
アダマス:ジェリー・ルイスが誰か知っている人はいますか? フランス人なら誰でもジェリー・ルイスを知ってるよ。まあ誰でもではないけど、ジェリー・ルイスです。コメディアンで顔にパイをぶつけられたり。
とにかくです。私たちはエンターテイメント的で挑発的な方を選びます。
リンダ:さあやりましょう!
アダマス:挑発的で、、、人をイライラさせるような、、、
リンダ:望むところよ。
アダマス:オーケー。
アダマス:それにかけて、あなたはエキスパートよね。
アダマス:私はバイセクシャルだということになりますが、どちらでもイケますよ(笑いが起きる)。私にはパリッと締まった講義を行うことも、愉快に、たくさんのたくさんの気逸らしを、真の気逸らしですね、を放って、楽しんで、神性を美しく滑り込ませるようなことも行えます。
ちなみに、それを通してみなさんは何かを学んでいると思いますか? 何かを通り抜けていると思いますか? きっとそうだと思います。ただ、同じことを、大きな大きな、地面の冷たい寺院で、線香を炊き、僧侶の装いをして、そうやって集まってやるとして、そういうのって、まるでイケてないと思いませんか? 私には、少なくとも、みなさんのようなグループには、それが上手く機能するとは思えません。みなさんにそんなことをさせたら、お寺が火事になってしまいます。
リンダ:良いことではないわね。
アダマス:良いことではないね。
というわけで、今日のシャウドを始めましょう。
Independence Day(独立記念日)
独立記念日に続く週末です。7月4日は合衆国のそれであり、カナディアン・デイも今週ですね。ああ、7月4日です。私にはその日との間に並々ならぬ関係があり、それに対する情熱もまた並々ならぬものがあります。合衆国へは、何度か船で、物理的に来ていました。名前は別の名前を使っていました。私はカウント・サンジェルマン(カウント・ドラキュラにちなんで)として来るのが嫌だったため、別の名前を名乗りました。私はイギリス出身であると言っていました。名字はアボットと言い、今では、独立宣言と呼ばれているものに深く関わっていました。
リンダ:そうだったわね。
アダマス:もちろん。これは本当の話です。私はメーソンとの間に強いコネクションを持っていました。当時のメーソンとは、石工職人たちのことでした。当時、人々が働くためにはギルドというものに属さなければならず、そしてほとんどの人はそのことに気付いていませんでしたが、そのギルドは教会の支配下にありました。そして教会は、人々が前向きに、オホン、教会に対してこうした人にだけ、、、(アダマス、ポケットにあったお金を聴衆に配り始める)、ギルドに入ることを認めました。ああ、もう残ってないよ、、、わあ!(リンダが止めに入る)分かった分かった。分かったから。オホン(笑いが起きる)
ギルドです。人々は働くために教会へ支払いをする必要がありました。もしギルドに属していなければ、もし適切に支払いがされないのなら、人々は働くことができませんでした。それが理由で、メーソンの組成は始まりました。ちなみに彼らには、神秘的なことに対する深い理解がありました。彼らは神秘主義と分類される多くのことを、本当によく理解していました。彼らはピラミッドのことも分かっていましたし、多くの神聖幾何学も知っていました。教会はそれらを禁じていましたが、メーソンでは、熱心に研究が進められていました。私は彼らを秘密結社と呼びたくはありませんが、メーソンの中だけに留められた知識や物事は確かに存在していました。そして私は、彼らとともに、彼らにかなり近い立場として、多くのことに従事していました。ちなみに、これは誇張ではありません。リンダはいつも私がストーリーを盛っている、かなり誇張しているのでは、と疑っています。そしてまあ、多くの場合はそうなのですが(リンダ、吹く)、これは本当の話です。私はジョージ・ワシントンとともにいました。
リンダ:(笑っている)その通りね。
アダマス:私は彼のことをジョージと呼び(リンダ、また吹く)。彼は私のことをディック(リチャードの愛称であり、男性器を意味するスラングでもある)と呼んでいました
リンダ:(大笑いして)その通りね! 信じるわ!(彼女の笑いは収まらず、聴衆もまた笑っている)。
アダマス:私はリチャード・アボットを名乗っていたからね。私をディックと呼ぶのは自然じゃないかな。何がそんなに可笑しいのかちょっと理解できないですね(さらに笑い)。リチャードだからディックだよ。ただのニックネームじゃないのかな? みなさんにもニックネームぐらいあるんじゃないですか?
ジョージは言いました。「なあ、ディック」と(アダマス、笑う)。「どう形作っていこうか? 独立宣言の枠組みをどうしようか?」と。そうやって私たちは協力し、またハンコックやジェファーソンなどを連れてきました。全てはありませんが、そのほとんどの動きの背後には、私がいました。
アメリカ合衆国と呼ばれているこの場所は、新しい世界、あるいは新しい地球として作られました。まだ一度もそうなったことはありませんが、自由のための場所として作られました。そうなったことはまだありません。そうなる見込みで作られましたが、初期に移住してきた人々の多くが教会の関係者であり、それが理由で、さほど自由といった感じにはなりませんでした。イギリス国教会の一員でない人は常に、他の宗教、宗派について常に気にしている、警戒している必要がありました。そういう理由もあって、私は、より動きやすい状態であるためにも、イギリス人を名乗っていたのです。とにかく、その場所は世界中から自由を求めて来た人々が溶け合う場所になるように設計されていました。それは共和制や民主主義を意図して作られたものではなく、ただ、ヨーロッパにも世界中のどの場所にもない、人々が自らの本当の意見を述べられる、そういう場所を意図して設計されていたのです。
1,700年代の始まりから終わりにかけて、ヨーロッパを再び一つにしようと大変な努力が重ねられて、それは一定の成果を上げました。人々はかつてよりも多少は自由を得られました。しかしそれは依然として、もっと別の何かを求める人にとっては、無いに等しいものでした。それが、人々が、世界中から、文字通りここへ押し寄せてくる、その一因となったのです。ここは、ブラジルを除いては、世界で最も大きな人種の坩堝となりました。人々は宗教的な自由を求めて、職業選択の自由を求めてやってきました。ただ、そうした彼らの多くが年季奉公者、召使としてやってきたのは皮肉と言えば皮肉です。彼らの多くは10年程度の奴隷契約を結んでここへ渡ってきたのです。が、彼らにとってそれは、人生の中の10年や15年、20年を捧げる価値のあるものでした。後から来る家族にとっても、さらなる自由が約束されたようなものでした。
ここで成されていたことに対して、私は大きな情熱を持っていました。私には、それが世界に、ある程度でも、広がる可能性が見えていました。そしてそれはそうなりました。ちなみに、アメリカのバックアップとして、もしアメリカで事がそう上手く進まなかった時の備えとして、アータラ(Ah-taRA)がありました。オーストラリアです。オーストラリアはある意味では、刑務所のような機能を持った島でした。そこには受刑者、囚人がたくさんいました。最も、自由が必要とされている場所でした。何故なら、そこに送られていた人の多くは、本来そうされるべきではない人たちだったからです。
その大きなうねりの中で、ヨーロッパも変化を通り抜けていました。政治的な変化です。やり方として君主制や王政から離れるのは本当に大変なことでした。とてもチャレンジングなことでした。君主や貴族たちは、権力を手放したがりませんでした。しかし、彼らには選択肢がありませんでした。何故なら、えー、その頃には、農民たちを始めとする人々は、彼らを殺さんばかりに、かなり反抗的になっていたからです。そう間もなく、バスティーユ襲撃が起こりました。バスティーユ牢獄の扉が開かれ、解放が起こりました。
私はこの質問をしたくって今の話を持ち出しました。「人間は本当に自由になる準備が出来ているのか?」です。何年も前のシャウドで私がこの質問をすると、そこにいた人たちは憤慨しました。私は依然として、まだどうなるかは決まってはいないものの、出来ていない、が優勢であると、主張します。ある程度の自由、私が見せかけの自由だと呼ぶものに対してであれば、出来ています。黒のソックスにするか白のソックスにするか、決められる程度の自由です。でもその程度の自由であれば監獄の中ででも見つけられます。他には、働くことの自由ですか? 仕事を選べるからって、みなさん、そんなに働きたいのですか? 行かなければならない、そう感じてしまうようなことを、そんなにしたいのはどうしてですか? 本人が楽しんでやっている、そういうことではなく、働く、ということについてですよ。それは自由ではありません。
人間は本当に自由になる準備が出来ているのか? 催眠から出たところにある自由、神性であることの自由、マインドを超越する自由、本当の意味での自由に準備が出来ているのでしょうか? それこそが、私たちが、みなさんと私が、今取り組んでいる、最大の自由だと思います。マインドを超越する自由、嗚呼、とてもタフですね。難しいですね。みなさんはマインドに入るようにプログラムされていて、それが難しさの一因です。催眠的です。それを壊して外に出ることはできません。バスティーユの扉を開いて、動物園でも何でも好きなように呼べばいいと思いますが、扉を開いて、出ていくことは全くの不可能です。そうするにはクレイジー・バードが必要ですね(笑いが起きる)。本当にそうです。
最近までみなさんは、みなさん自身で、もちろん、あなたの先祖や遺伝、考え方のパターンも小さくない影響がありましたが、自分自身で自分をそこに閉じ込めてきました。集合意識によってもそうされてきました。間違ったことをしたくない、その思いがみなさんをそこに留めてきました。頭が狂ったと思われたくないし、ポツンと目立ちたいとも思いません。みなさんの中の多くの人には、自分の気が狂うのではないかという、深い、本当に根深い心配があります。みなさんの中には過去にそのライン、気が狂う線のギリギリまで行った人がいます。あるいは鬱になったり他の精神的な疾患を経験した人もいます。みなさんは、気が狂うということについて、それがどういうものかを分かっています。
みなさんの中にはアルコールやドラッグに誘発されて自己を喪失する直前まで行った人がいますね。全てを失ったように感じられて、最後の最後に残ったかに思える自分のアイデンティティーにしがみついて、自分は破滅した、自分には何も残っていないとしか感じられず、まさに気が狂うというのはこういうことだと感じます。とても酷い感覚です。失われたように感じられます。
しかし私は断言します。もしここにいるのなら、もしこれを聴き、読んでいるのであれば、みなさんの気が狂ってしまうことはありません。そうなってしまいそうな気がするかもしれませんが、そうはなりません。なりようがありません。みなさんはライフルを掴んで通りに出てそこいらの人を撃たないのと同じで、さらなる悪い人間関係に陥ることも、他人に、場合によっては自分に害を及ぼすこともありません。そうなるには、みなさんは遠くまで来過ぎています。ずいぶんと遠いところまでやってきました。恐怖や心配はまだあります。「もし私が全てを手放したらどうなるのだろうか? 自分自身を自由に、解放し過ぎて、馬鹿になるんじゃないだろうか? もしかしたら周りに害を及ぼすかもしれない」と。でも分かりますね。みなさんは少なくとも、他人より、あるいは動物より、ペットよりも、自分を苛めるタイプです。自分自身で引き受けるタイプですよね。えー、その上で、みなさんは十分に強く、そういうことを扱うのに長けています。ほとんどの場合において、自分を立て直す方法を知っています。
人間は自由に対して準備ができているのか? この質問に戻りますが、出来ていないと言っていいと思います。自由が何かについてちゃんと語るとかなり長くなりそうですが、少なくともそれは、崇拝したいものを崇拝できるとか、付きたい職業を選べるとか、朝の3時に起きてシャワーを浴びられるとか、そういうことではありません。そういうのは本当の自由ではありません。
自由はみなさん自身の中にあります。自由であるとは、みなさんが慣れ親しんだ、人間的な部分の自分から、精神、肉体、恐れ、限界から、自分を既に解放している、ということです。ある意味では、そうしない方が居心地が良いかもしれません。しかし、現実には、たとえみなさんがそう考えていたとしても、どう言いましょうか、みなさんがフェンスに腰かけて、まだベラベラとお喋りを続けていたとしても、解放は否応なしに起こります。起こるのです。みなさんはその解放のためにこの生涯にいるのです。
みなさんはカルマに取り組むためにここに来たのではありません。誰かの母親となるためだけに、ここに来たのではありません。みなさん自身の自由以外のために、ここに来たのではありません。みなさんは単純明快でクリアなガイドラインに沿っています。この生涯がそれであるべき、と。
このところ、物事が途轍もなく速く、ペースを合わせるのが難しいぐらいに速く進んでいると思いませんか? それは良いサインです。そうなるようにデザインされています。もちろん、それが必ずしも全員に当てはまるわけではありません。退屈している人は大勢います。でも、みなさんには速く感じられると思います。全てが変化しているからです。時間に歪みが出ています。みなさんの中の多くも、時間の歪みを感じています。物事が途轍もない速さで進んでいたかと思うと、時に驚くほどゆっくりになることもあります。ただ、今は、全てが速く進んでいます。生物的な意味でも、精神的な意味でも、速く速く進んでいます。
The Date is Set(その日はセットされている)
変化はすぐそこまで差し迫っています。何度も何度もお伝えしてきましたが、もうすぐそこまで来ています。先月のシャウドでも言いましたが、カウルダーや他の人にとってもショックだったようですが、分かりますね、悟りへと努力することをやめたのなら、修練したり勉強すること、全ての探求をやめたのなら、朝「さあ悟りへ励む新しい一日だ。頑張るぞ」そんなふうに起きることを、全てのノイズ、週に2冊はスピリチュアルな本を読まなければ悟れないと感じる、とか、真実を見つけることにこだわること、まあこれはもう一種の脅迫観念ですが、たった1つの真実などありませんね、全てが真実、つまり ”and” ですが、全てのノイズ、狂乱し、また神経症的に行う活動の全てをやめて、深呼吸をしたのなら、深呼吸をして許したなら、その日はセットされています。私は、文字通りの意味で言っています。
あなたが「スピリチュアル的なもの」を追い続けたり、グルに従ったり、毎日決まった動作、行動を行わなければならないのなら、あるいは、クリムゾンサークルをまだ「わあ、月イチの軌道修正ができたぞ。来年には悟るかな。もう少しかかるかもしれないな」という形で使っているのなら、その日は漠然としたままになります。その日は深い霧の中です。これと言った日が無いということです。言わんとするのは、もしあなたが、あなたの旅を覗き込んでその未来までを見たとして、そこには多くの多くの、本当にたくさんのその日があります。それらの多くは霧の中にあり、また別の多くは、その日かどうかも不明瞭です。ただただ多くのそういう日が見えるでしょう。その日は存在しているにも関わらず、どのその日がその日になるかが、まだ決まっていないということです。全ては単なる可能性でしかありません。可能性の大海原で、たくさんのその日は、ふわふわゆらゆらと海上を漂っているでしょう。しかし、全ての努力をストップして、深呼吸をしたのなら、「私はここにいる。私は私である」と大きく深呼吸をして、自分自身を許したなら、人間部分と神性部分のどちらをも許したなら、可能性のうちの1つがその日となります。
それについて何も考える必要はありません。不安になる必要もありません。「十分に許せたかな? 今着てる服は、正しい色の服なのだろうか? しまった、先週、肉を食べてしまった。ベジタリアンであるべきなのに間違えた、、、嗚呼、もうそれは起こらない」分かりますね。こんな有り様では起こりっこありませんね。でも、あなたが真の自己を確立して「私は私である」と、ある種「その他はどうでもいい」的な気概でいるのなら、分かりますね。「だってその日はあるわけでしょ。それでいいじゃん。あるんじゃん」です。それでそうなります。あなたはその具体的な日付も何があるかも知る必要はなく、むしろそんなことは忘れた、ぐらいでいるのであれば、わあ! 1週間もしないうちに、その日はセットされるでしょう。あなたが許せば許すほど、その日はより強く固定されます。そうすればもう何も心配する必要はありません。「ここからどうすべきか。今からその日まで、どうやってそれを壊さないか」などと考える必要は全く全くありません。それはあなたのところにやってきます。ただ起こります。
もちろんあなたには選択の余地が与えられています。引き続き歪んだ現実を作り続けることは可能です。が、しかし、極論、結局それは、あなたのところにやってきます。そしてそれは即ち、少し変な感じがするかもしれませんが「今まさにそれは来ている」ということです。あなたはまだ頑張ったり、練習したりしている、そうなるように努力してしまうかもしれませんが、そのことにイライラする必要はありません。だってそれはそこにあるからです。その日はセットされています。ちなみにそれは、あなたの死を意味するものではありません。その日がセットされていることに、その日がセットされていること以上の意味はありません。ただ、実際にそれは、死に関する全てのプログラムをもシフトさせます。どこか別のものにシフトさせます。
そこで、前回のミュンヘンでの集まりで、クツミが持ち出したのと同じ質問に戻ります。「じゃあ何をしてればいいんだろう?」です。悟った後と、同じですね。「悟りに向かう取り組みをする必要も無し。だってそれは放っておいてもなるってさ。嗚呼、友達もいなくなったし、何よりかにより、前みたいな情熱がなくなった。何をすればいいのかな?」と。ただそれは人間のする質問です。幸せに関するものと同じです。「私は幸せだろうか? そのために何をすればいいのだろう?」です。しかしそれらはやがて、みなさんの語彙の中から消えるでしょう。すでに存在しないものとなるでしょう。「何をしていようかな?」というただのお遊び、マインドのゲームは終わります。
考えてみてください。人間は、常に何かをしていなければいけないと考えますが、それって変だと思いませんか? え、なんですか?「うーん、でも、何かしないと毎日起きて、太って、ダメになっていくじゃないか」ですか。えっとね、ちょっと黙っておいてもらえますかね、人間さん。そうして黙っていれば、クツミが言っていたように、全てが、文字通り全ての声が聞こえてくると思いますがね。彼は本当にそうでした。そうしてただただ歩くことを始めました。
想像してみてください。彼は自分がどこに向かっているのか全く分かっていませんでした。どこに着こうがどうでもいいと思っていました。狂人の収容所から出所したあとの話です(アダマス、笑う)。一口に悟りに向かうと言っても、本当にいろいろな、面白いやり方があるものですね。でも彼は、収容所にいたその2年間こそが、人生のピークだったと主張しています。よだれをいつも垂らして、誰かにパジャマを着替えさせもらったその2年、彼はそのことを良かった、最高の経験だったと言っています。無論、彼も、たくさんの生涯、そこそこに辛く厳しく、真に楽しむことのできない、いくつもの生涯をかけて、ゆっくりと、長い時間をかけて、それを行うこともできました。でも彼は「私は2年でそれを終える。それでおしまい!」としたのです。そしてクツミですが、彼は歩き始めたのです。どこへ向かっているのか知っている必要はありませんでした。彼には全てが上手く行くと分かっていました。そのためにどうすればいいかも知っておく必要はありません。やはりそこがポイントですね。みなさんは「よし、世界中を旅しよう」そう言って、計画を立て始めますね。違いますよ。そうじゃないです。ただ深呼吸をして、許してください。そうすればそうなります。とてもシンプルで、美しいことです。
歩き始めた彼は、全てが彼に話しかけていることに気付きました。それまでには一度もなかったことでした。あるいは、あったとしても、きっと幼い頃のことでしょう。突然に、木々が彼に話しかけます。「ヘイ、人間さん!」と。クツミは最初「ん? なんだ? 木が喋ってるぞ」そんな感じでした。彼は、周りに誰もいないことを確かめてから「やあ、木さん、調子はどうですか?」と言いました。その木は「ん? 見れば分かるだろ。地面に埋まってるのさ(笑いがおきる)。いやあ枝(羽根)を伸ばしてみたいもんだぜ。なんたってここで生えて以来この方ずっと、ここに埋まりっぱなしだからよ(さらに笑い)。エンジェル的ユーモアです。
もちろん、言葉で話すのではありません。まあ、そういうことも時にはありますが、エネルギーで話します。みなさんもやがて、鳥や木、魚に水、空気が非常に愉快な存在であると気付くようになるでしょう。彼らはさほどマインドに囚われてはいません。マインドが無いとも言えますね。彼らをじっくり感じてみれば、彼らがとても愉快な存在であることが分かるはずです。特に冗談を言うわけではありません。私のようにステージでジョークを言う、そういう意味で面白いわけではありませんが、彼らは、ある種、実直であり、またストレートに物を見ていて、とても天真爛漫です。全てをあるがままで許しています。彼らは嵐が近づいてくることも、雷に打たれるかもしれないことも心配しません。みなさん人間とは違っています。彼らには、いわゆる知性はありません。iPadやラップトップコンピューターを発明することはありませんが、それでも彼らは彼らであることを心底エンジョイしています。そしてユーモアのセンスに溢れています。
クツミがしたのはそういうことです。彼はプランも計画も何もなく、ただ出かけて行って、全てを感じ始めたのです。全てが彼に話しかけ始めました。
どうかこのことを理解してください。身体を保持したままで悟った人間に退屈な日など絶対にありません。絶対にです。全てが人生にやってきます。認識に至った時、みなさんは、それまでの人間の日々の暮らしがいかに退屈だったかに気付いて、涙が止まらなくなると思います。みなさん、薄々は、もうそのことに気付いていますよね。ルーチンとパターンだらけの生気の無い暮らしです。そりゃ泣きますよね。はい。では、私が今日、言いたかったことに戻ります。私が言いたかったのは、、、
リンダ:まだ話し始めてさえなかったのかしら? もう45分も経ったけど。
アダマス:まだまだまだ。まだだよ。まだ始まってさえないよ。まあすぐその話には入るけどね。楽しんでたってわけだよ。これが私の、、、
リンダ:そうね。そうだわね。
アダマス:それでもいいかって、みんなに訊いたつもりだったけど。だよね? 私は実際、、、
リンダ:楽しいのがいいか、真面目なのがいいか、あの質問のことかしら?
アダマス:そうだよ。私は「演台を出して真面目に行う講義がいいか、楽しいのがいいか?」と尋ねました。みなさんは、2つの間でだいたいこの辺を(「ハッハ」と声が聞こえる)。ハー、へー(笑いが起きる。)最前列は崇拝者や取り巻きで固めておいた方がいいですね(アダマス、笑う)。
とにかくみなさん、自由です。そのことについて取り上げておきたかったのです。そこがみなさんが向かっている先であり、且つ、そうは言いつつも、そこへ向かうための努力はしないでほしい、その辺を覚えておいてほしかったからです。みなさんは努力するのではなく、そこにたどり着くことを単純に許します。何かをする必要はありません。「バスティーユの扉は既に開いています」私はそう言っています。「さあ出ようよ」と。それは、えっと、ちょっと言葉が出てきませんが、、、えっと。
リンダ:コーヒーで一息ついたらどうかしら。
アダマス:だね。たくさん一息ついてるんだけどね。この部屋、そしてオンラインにいるみなさんがすごいことになっていてね。すごいことになっています。みんなが下がっています。ガードを下げているという意味です。人間的なメンタルの活動を低下させています。みなさんはただただ許しています。それはとても素晴らしいことです。もしかしたら私たちは、ただ座ってオームと唱えていてもいいかもしれません(笑いが起きる)。そうやって、シンプルに下げればいいのです。
ではここでいつものように、質問です。みなさんに訊きたいことがあります。リンダ、マイクを頼むよ。
リンダ:よろこんで。
Today’s Question(本日の質問)
アダマス:このパートがあまり好きではない人がそれなりにいるようですが、私はこのパートが大好きです。主役はみなさんです。様々なやりとりが発生します。私も四六時中ここに座らされていても退屈ですからね。私も楽しいことをしなくっちゃ、です。
トバイアスもかつて、QAのコーナーをやっていたのを覚えていますか? ですよね。こんな感じで楽しくはなかったですか?(「楽しかった!」と誰かが言う)。
リンダ:こんな感じじゃなかったわよ!
アダマス:だね。違うね。私もQAを行いますが、私の場合、質問するのは私ですね。
ということで、今日の質問です。そうストレートに訊くわけにもいかない気もしますが、そうします。あなたがもし、今日死ぬとしたら、今日です! もし今日死ぬとして、やっておくべきだった、そう感じることは何ですか? 何をしなかったことに対して後悔しますか? 最も後悔するものを選んでください。「やっておけば!」そう思うことは何ですか? 何故こんな質問をするのかと言うと、先週、あるカップルが、えっと、カップルとは言っても、男女や男と男の恋人同士という意味ではなく、2人ですね、2人の人が、いわゆるあの世へやってきました。2人ともシャーンブラです。ところで、話は少し変わりますが、今は33人になりました。33人が認識に至ることを許しました。信じられるかどうか分かりませんが、彼らはみんな物静かな人たちです。
リンダ:うーん(「うっそだあ」と声が上がる)
アダマス:おっとおっと、違う違う。違いますよ。私が言いたいのは、表に出てこないということです。彼らは悟った悟ったと騒ぎ立てたりしません。そういう意味で大人しい人たちです。33人です。私たちは着実に進んでいます。かなり遅いペースですが、着実に確実に、そこに向かっています(パラパラと拍手)。そうですそうです。喝采の光が下りてきた時、それが喝采する時です。笑いの光が下りてきた時、それがみなさんが笑う時です(アダマス、笑う)。
さて質問の話に戻りますが、私がそれを訊くのは、先週の2名が即座にそうなっていた、それだけではなく、その2人以外の誰にでも、本当によく起こることだからです。あの世に来るシャーンブラはしょっちゅうしょっちゅう、いつもいつも、自分が身体を失ったことに気付くや否や、そうなります。「しまった! 身体を惑星に置いてきちゃった」と。私は「あーあ。置きっぱなしはまずいね。身体をここに持ってきたらどうだい?」とそんな感じで返します。でも彼らは即座に、ペットの犬や家族にも会わないうちから、嘆き始めます。私がそこにいることに対して「おお」とか「わあ」とか驚かないうちからそうなります。まあ、それはそれとして、そこに私がいれば驚くと思いますがね。「はわわわわ! おおおお! あの世に来てみたら、そこにいたのはジーザスじゃなく、セント・ジャーメインじゃないか!(笑いが起きる)」
リンダ:おわ!
アダマス:本当にそういう人がいます。そういう人たちはこんな感じですね。「わあすごい! バイオレットの炎に包まれてる。わあ! いてくれたんですね! どのアセンデッド・マスターよりも優秀な、あのアセンデッド・マスターの中のアセンデッド・マスター、高名で上品で、、、」さすがにお腹いっぱいですかね(さらに笑い)。
問題はです。あの世に来た彼らは、私や他のこと、まあ私はただ街灯のように突っ立っているだけですが、そういうものに気付くよりも先に「嗚呼、嗚呼! なんで、あれをしなかったんだろう? しておけばよかった」となっています。私は彼らに後悔したいだけ後悔させてやります。そうしていると、やがては、私がただの街灯ではないことにも気が付きます。私、アダマス・サンジェルマンがいることに感動します。そして彼らは、どうやれば戻れるのか、それを知りたがります。が、私は「いや、無理だよ。無理無理。ダメ。道も閉じちゃったしね。ここにしばらくいるしかないよ。まあ話でもしようじゃないか」と、いつもそんな感じで返します。
非常に興味深いことなのですが、来る人来る人、何かを後悔しています。私は今、アセンデッド・マスターズクラブで披露できる研究を始めています。スピリチュアル心理学の研究です。身体を保持したままで認識に至ること、そこへと向かう真のスピリチュアルな旅に身を捧げてきた人に、どんな後悔の念が芽生えるのか。何が問題なのだろうか。その研究の一環としての、この質問です。さあリンダ、マイクをよろしく。もしあなたが今日突然に倒れるとして、何を最も後悔しますか? ちなみに、リンダがマイクを渡したからといって、君がそうなるわけじゃないからね。やあ、リッキ(笑いが起きる)
リッキ(女性):どうも。
アダマス:あくまでも仮定の話だよ。
リッキ:そうね。
アダマス:君がそうならないことは保証するよ。
リッキ:良かった。
アダマス:いいね。でも、そうなったとして、何か問題があるのかな?
リッキ:ないわ。ただ、認識に至ることも、その状況に感謝することもなく、そうなったと思うと後悔すると思うわ。悟った後は全く退屈することがない、そうあなたが言っていたから余計にそうよね。
アダマス:そうだね。退屈することはないね。
リッキ:そういう全てを経験したいと思ってるの。
アダマス:私が街灯のように突っ立っているところに君は来て「しまった!」と言うわけだ。つまりは、自分がどこまで近いところまで迫っていたかを考えて「惜しかった! せっかくそこまで、、、」えっと、どのぐらい近いところまで来てるのかな?
リッキ:ずいぶん長いことそうだけど、あと一歩のところだと感じてるわ。その一歩をどう進められるか、全く分かっていないけど。
アダマス:ふむ。
リッキ:、、、きっと私がそうだと知るまでは、、、
アダマス:それについての賢者の知恵を聞きたいかな?
リッキ:ええ。
アダマス:それを、自分のところに来させなさい。
リッキ:そうね。
アダマス:一歩たりとも進む必要はないんだよ。
リッキ:その通りね。
アダマス:今以上に進める先はもう無いよ。
リッキ:了解。
アダマス:全く無いよ。あとは自分のところに来させるだけ。そのことを一歩と言うなら、それが最後の一歩だね。たくさんたくさん歩いた多くの生涯、その「最後の一歩」は立ち止まること。立ち止まって深呼吸をして、それを君のところに来させることだよ。
リッキ:ええ。
アダマス:頭でごちゃごちゃ考えないこと。「いつ来るんだろう? そんな感じが全くしないんだけど。また何か間違ったかな、、、」シャアアアラップ! 許しなさい。そんなことはどうでもいい。そんな感じがしないならしないで、別にどうでもいいことだよね。私は何度も何度も、どの生涯のどんな時よりも、今が一番いい時期だと言ってきたね。それがまだよく分かっていないみたいだね。でも分かってきてはいるね。そういうことだよ。
リッキ:分かったわ。
アダマス:よろしい。いい回答だったよ。「おお、クソ! 身体を持ったままで悟りたかったのに」てことだね。このことについて少しヒントをあげよう。ノルウェー、トロールのいるところだね(笑いが起きる)で話したことだけど、そこでの初日に私はこう言った。「私からすれば、みなさんはただの死人です。みなさんは既に死んでいます。みなさんは生きて歩いている死人です」と。それで部屋全体が縮み上がったのが分かったよ。私は、みんなが泣き止むのを待って、それはもちろん冗談だけど、そのポイントを説明した。ポイントとはつまり、君たちは既に死んでいる。そしてその死というのは、必ずしも物理的な身体から去ることを意味しないと。分かるかな。死とは単なる移行であって、まあ、このことについては間もなく始める、新しくアップデートして改良された(DreamWalker Deathの)綺麗な形で話すけどね。死とは物理的なものではなく、ある考え方、信念体系から、本当の意味で外へ出るということなんだよ。死とは、別の生き方、別の視点への移行にしか過ぎないんだね。そういう意味で、みんなも君も、既に死んでいる、ということだ。そしてそれは良いことだよ。閉じ込められていないってことだよ。
リッキ:そうね。
アダマス:君は、ゾンビとは言わないけど、まあある種、そのようなもので、それはガラクタを手放したことを意味している。君が血縁的な繋がりを手放せば、肉体的なことやカルマやそんなものを放り棄てたのなら、君は死んだのと同じだよ。そしてそれは素晴らしいことだよ。みなさん、今の言葉は自由に使ってもらって構いません。シャーンブラのみなさん、バースデーケーキに「私はチョー死んでる!(I am so dead!)」そう書いてください(笑いが起きる)。死について笑えるようになったのなら、「ブハハハハハ! 死を笑ってるぜ。(ペッ!)」そう言えるようになったのなら、悟りに至る障害の1つ、最後の1つを乗り越えたということです。他の何にもなる必要はありません。それに、この概念って実際、結構面白いよね。
(しばし間を取る)
リッキ:ええ。
アダマス:リアクションが薄いね。「分かった。明日やってみる」みたいな感じだね。しかし、私が言ったこと、死とは物理的なことの話ではない、このことを覚えておいてください。え、まあ、物理的なことでもあるわけで、みなさんは今まさに物理的な死を通り抜けている最中なのですが、そのことは、永久に身体から離れるという意味ではありません。単に、I Amのためのスペースを生み出すために、古いものが解体されているということです。I Amは途轍もなく巨大です。巨大で、みなさんのお尻を蹴り上げる存在です。それがみなさんという存在に入ってきます。スペースを作っておかなければなりません。死んでおく必要があります。
Dream Walker Deathの良いウォーミングアップになりますね。
古い死の概念なんか今すぐ、マインドから放り出しましょう。死とは、永久にこの物理的な身体から離れることのことではありません。全くもって違います。そんなものは、汚く錆びて朽ち果てた、古い古い概念です。どう少なく見積もっても、この死の概念がスタンダードになって、4-5百万年は経っていると思います。随分と長い間蔓延りましたね。死、それは、別の領域に行く、ただそれだけのことを表しているに過ぎません。進化しているだけのことです。死ぬとは、進化をするということです。もはや不要になったもの、役に立たなくなったものを脱ぎ捨てる、置いていく、それだけのことです。それにみなさんは、地面に埋められたいとは思わないでしょうね。そんなことをされたのではあらゆる古いものが保持されます。手放しましょう。そしてそれは、物理的なみなさんの死を意味しません。マインドも他のものも死にません。進化するだけです。
はい、次の人。君は何に後悔するかな。イイロ。
イイロ:何も。
アダマス:何も。
イイロ:何かやりたいことがあれば、やってるしね。
アダマス:なるほど。君は、私がそう呼ぶところの、自由であるわけだ。
イイロ:そうだね。
アダマス:仕事はしてるのかな?
イイロ:特には。
アダマス:なるほど。で、どこに住んでるんだい?
イイロ:ちょこちょこ動きはするけど、主にフィンランドだね。
アダマス:生活に必要なものが来るかどうか心配じゃないかい?
イイロ:全く。
アダマス:全く。君を馬鹿にする人はいるかな?
イイロ:いないね。
アダマス:家族や古い友達やそういう人が、君のいないところであれこれ言ってやしないかな?
イイロ:ないと思うよ。
アダマス:ないのかい。素晴らしい。君は自由を自分に許したってことだね。我々の課題として話したことだけど、マインドだね、それとの闘いについてで、何か言えることはあるかな?
イイロ:徐々に溶けていってる気がするね。
アダマス:徐々にか。そうだね。
イイロ:マインドはもう、あれこれ指図して僕を使おうとすることが無くなったんだ。
アダマス:そういうことだね。許しはマインドを徐々にゆっくり溶かしていく。気に入った。壊したり取り除くようなことじゃないね。単に、、、分かるね、より許せば許すほど、マインドはより許すことを許してくれる。そうなれば、もうマインドの行うひた向きで絶え間のない努力、頑張りは消えてしまい、そして君は自由になった。だね。素晴らしい。後悔は無いと。いいね。
あと何人かやりましょう。そして私がポイントをまとめます。
リンダ:さて、誰かいるかしら。
アダマス:誰でもいいから、
リンダ:被害者さんをと。
アダマス:みんな苦しそうだからね。デイブ、クラッシュ、リンダがマイクを渡す時を逃さないように頼むよ。マイクを手渡された人が「リンダ、勘弁してよ」てなってる顔を押さえないと(笑いが起きる)。
クラッシュ:アーカイブに載せておくよ。
アダマス:アーカイブに残るんだね! よしよし。では、君は何に後悔するかな?
シャーンブラ1(女性):人の良い億万長者として生きることをしなかったこと以外、に、よね?
アダマス:そうだね。
シャーンブラ1:私が後悔するとしたら、もう子供たちと一緒にはいられないってことかしら。
アダマス:なるほど。子供たちとあまり一緒にいられなかったのかい?
シャーンブラ1:そういうわけでも。もう23と21になってるけど、一緒にいた時間はかなり多いと思うわ。
アダマス:うーん。
シャーンブラ:彼らが成長するにつれてそういう時間は増えたわね。
アダマス:なるほど。よく分かった。その上で簡単なアドバイスを。手放すことだよ。それがいろいろな意味で難しいことであるのは分かってる。これを言うたびにリンゴや腐った卵をぶつけられるからね。「クソ、お前は家族を蔑ろにしろって言うのか」と。でも違うからね。そんなことは言ってないよ。私はただ、彼らに自由を与えるために、そうしなさい、そのこだわりを手放しなさい、そう言っているだけだよ。分かるね。君はとても良い母親で、現実に、彼らととても良い関係を築けている。でも、ある地点で、彼らの親であるのではなく、もっと彼らを手放してやり、彼らの友達になるべき時がやってくる。大きな違いだね。でも彼らはきっと友達のようになるし、それで君への尊敬は消えやしない。ただ、親子という関係性から卒業したということだよ。この惑星にある親子関係についての考え方は古いし、早々に変えなければいけないね。他にも子供がいる人がいるかもしれませんし、その人たちには申し訳ないことですが、手放した方がいいですよ。
シャーンブラ1:ええ、手放したわ。
アダマス:うん。ただ手放すと言っても、私が言っているのは、子供が2歳になるまでは有用だった親と子の関係性も、やはり、時、成長に従って変化すべきということだよ。彼らも、彼らの人生も、君のものではないからね。彼らは不幸に君のDNAを引き継いでしまっていて(笑いが起きる)、可哀そうに、何がどうしてそうなったのかも分からないけど、それと戦い、残りの人生を無駄なカウンセリングに費やしたり、あるいは賢明にも、クリムゾンサークルにやってきて、やっと手放すことになるんだよ。いずれにせよ、関係性を変えるべき時だね。彼らの友達になる時だよ。過去生ではそうだったんだから。それに彼らが君の両親であったこともあり、今はその逆になってるね。そして君は、彼らとの間で過去生から引きずってきた様々なものを全部解消した。ただの友達になれる時だ。いいね。
素晴らしい:あと2人やりましょう。
デュシカ:私には何も、、、
アダマス:立って話した方がいいかもしれないね。
デュシカ:はい!
アダマス:それでも私の方が高いところにいるからね(彼女、笑う)。ちなみに今のは気逸らしです。彼女はマインドに直行しようとしていました。前にも伝えましたね。本当に優秀な教師というのは、そのことをすぐに感じられるものです。ではどうぞ。
デュシカ:後悔するものはありません。それでも強いて挙げるなら、過去に、人生を楽しんでいなかった時期があることです。
アダマス:なるほど。
デュシカ:でも今は、、、もっと人生を楽しんでいます。
アダマス:もっと楽しんでるか。いいね。
デュシカ:”Quantum Allowing” を受講してからです。
アダマス:なるほど。いいね。
デュシカ:はい!
アダマス:後悔は無し。全く無し、と。
デュシカ:あなたには感謝しています、アダマス。スロベニアからコロラドまでやって来たので、ハグをお願いします。
アダマス:コロラドは気に入ったかい?
デュシカ:とっても!
アダマス:だよね。
デュシカ:はい(ハグのために自らステージに上がる)。
アダマス:おおお!
デュシカ:ハグ!(笑いが起きる)
アダマス:ありがとう(拍手が起こる)。
デュシカ:ありがとうございます。感謝します。
アダマス:こちらこそ、ステージまで上がってこられる大胆さに感謝だね。私は「彼女は、この目に見えないバリアに従うのだろうか、どうだろうか?」と考えていました。「一種の、不文律とも言える『チャネリング中は勝手にステージに上がらない』に負けてしまうのか」てね。彼女がそれを破ってくれて、嬉しかったです。
さあもう1人。「嗚呼、あの時、あそこで立ち上がっておくべきだった」と後悔しないように頼みますよ。
リンダ:(高い声で)ユー、どうぞ!
シャーンブラ1(女性):今日はもう当てられないと思って、安心しきってたのに。
アダマス:だねだね。そういうエネルギーが出てたね。ここにいる誰しもがエネルギー送信機みたいなもので、無論、人によって強い弱いはあるけれど、君は盛大に『ふっふーん。もう当てられることはないわ』て、エネルギーを出してたね。リンダには「ない(not)」の部分が聞こえないんだよ。彼女に聞こえるのは「当てて、早く当てて!」というところだけだよ(笑いが起きる)。ということで、今日、私の側に来るとして、何に最も後悔するかな?
シャーンブラ1:(少し考え)もっと早く目覚めなかったことからしら。
アダマス:なるほど。でもまあ、分かるよね。タイミングとしては完璧だよ。
シャーンブラ1:なら、そうしなきゃって分かっているのに、今を楽しめていないことかしら。
アダマス:だねだね。
シャーンブラ1:それって、何も分かっていなくて、あの世に行った人と変わらないわね。
アダマス:その通り。
シャーンブラ1:そうね。それには後悔すると思うわ。
アダマス:そうだね。そして、もっと早く目覚めなかったことについては、君は、これが完璧なタイミングだと分かっているね。みなさんの全てが、ここにいる人、オンライン上にいる人みんなですが、過去生のどこかで、そうすることを選択したなら、悟りに至れたはずでした。多くの人は2つ前の生涯ですかね。もちろん、3つ前、1つ前でそうだった人もいますが、悟りに至ることを許すこと、選ぶことが可能でした。そしてみなさんはそうしませんでした。にもかかわらず、そのことに関して「嗚呼、何がダメなんだろう? もうすんでのところまで行っていたのに、台無しにしちゃった。肉を食べちゃったし、それが金曜で、法王をえらく怒らせちったし。素っ裸で法王に話しかける男の姿まで見えちゃった。嗚呼、いろいろまずいな。だからダメなんだ」と思ってしまっています。違いますよ。
リンダ:もう1人ぐらい行こうかしら?
アダマス:いや、ちょっと、この件を話し終えておきたいから。
リンダ:あら、ごめんなさい。まだ終わってなかたったのね。
アダマス:どこまで話したっけ? そうだそうだ。
そうです。みなさんの多くは、認識に至ることが可能でした。ミステリースクールが閉じた時点で、我々には、みなさんには、その次の生涯でそこに至る、それを許すという、予定がセットされていました。そしてみなさんはそうしませんでした。敢えてしなかったのです。それはみなさんの生活が滅茶苦茶だったからではありません。学びのペースが遅かったからでもありません。まだたった33人しかいないことからも分かるとおり、比較をすれば遅い方と言えるかもしれませんが、しかしこの取り組みが始まってどのぐらい経ちますかね、それだけをかけて、たった33人しかいないことが、みなさんの歩みが決して遅くはないことを証明しています。えっと、まあ、もう少し急いでくれてもいいでよ(笑いが起きる)、というのは嘘ですが、みなさんは今、この時期の、ここにいたいと思ったのです。私はカウルダーに、ある本を書くように急かしています。あれだけヒントを与えたのに、まだ書き終えられないのが不思議で仕方がないのですが、それは、この惑星がオールド・アースとニュー・アースのせめぎ合いの中にあって、地球が地球として、本当に意識を必要としている時、今、ここにいることについての本になります。ちなみに、私には分かっています。プロナスト(ProGnost)で挙げられたような話題があまり好きではない人がいますね。プロナストという言葉自体に嫌悪感さえ覚える人が出てきていますね。「わあ、私にプロナストしないでくれ!」とか、本当ですよ(笑いが起きる)。「お前のプロナストをどけてくれ」「お前はなんてプロナストな奴なんだ。信じられない」みたいな扱いです。みなさんももし、配偶者やパートナーと喧嘩になったら、こう言ってみてください。「お前なんか、プロナストに行っちまえ!」
どこまで話しましたっけ? そうですそうです。自分の気を逸らしてしまいました。気逸らしのプロが気を逸らされるなんて大失態ですよ(笑いが起きる)。これだと、誰も核心に行かなくなってしまいますね。
リンダ:もう少し集中した方がいいかもしれないわね。
アダマス:もう少しフォーカスしろと。確かにそうだね。そして、みなさんは、今ここにいることにフォーカスしたのです。今こそが、人類史上最も変革的な時だからです。オールド・アースとニュー・アースの間にある摩擦、問題点が一気に浮かび上がってくる時だからです。そのことは、地球に巨大なうねりをもたらしています。みなさんがそうしたいと言った時、私はこう言いました。「わざわざ、そんなことをする必要はないよ。もっと楽な時代にやった方がいいよ」と。分かりますね。古き良き、のんびりとした馬車の時代でいいじゃありませんか。修道院とかその手のところ、300年前ぐらいのエジプト辺りでもどこでも、そういう場所でやればいいじゃないですか、と。でもみなさんは頑固でした。「いや、私はこの時代にそうするんだ」と。
人類史上これまで一度もなかった、重要で決定的な歴史の分岐点に身体を持って存在すること。そのことについて想像してみてください。地球で今起こっていることは、オーダー・オブ・アークにおける、スピリチュアルな家系、大天使の全てに大きな影響を与えています。オーダー・オブ・アークについては、分かりますかね。全ての大天使の集合であり、みなさんが地球へ来る時に通ったポータルのことですが、そこでは紫信号のアラートが、まだレッド・アラートではありませんが、紫色のアラートランプが点灯しています。彼らは「うわ! これはまずい。地球がやばいことになってきてるぞ!」みたいな感じです。無論、ここにいる人々、つまり人間には、何が起こっているのか、全く理解できていません。
私は今、話を盛大に逸らしています。それはみなさんの気を盛大に逸らすことを意図しています。今、メディア、ニュースの注目はどこに集まっていますか? 人々の心、話題はどこに集まっていますか? ドナルド・トランプですね。
みなさんが彼を好こうと嫌おうと、私にはどうでもいいことですが、彼は、皆の関心が向かう先になっていますね。でもそれは誰かが彼をハメようとか、そういう謀略があるからではありません。彼の不正や疑惑、政治手法が理由でもありません。人々の関心が彼に集まるのは、人間の人間性がゆえのことです。人類に気付きが欠けていることが理由ですね。人々は、ドナルド・トランプについての話を通してエネルギーを貪りたいのです。まるで一本の骨を争って唸り合っている犬のような有様です。 私はある種、そこにいて、彼らにこう言っています。「君たちには、地球で何が起こっているのか分かっていないのかい? テクノロジーと意識の収束について理解してないのかい? この惑星で本当に何が起こっているかを、精神病とは何かを分かっていないんじゃないだろうね?」と。でも誰も聞く耳を持たないですね。精神病こそがこの惑星に蔓延る最大の病です。ドナルド・トランプではありません。精神病は文字通りの病気です。弱さでも何でもありません。病気です。そして人々がそれにどう対処しているかは知っていますね。化学薬品で、マインドをますます病ませるようなことをしていますね。そして、それでもなお、にもかかわらず、我々も含めて、そういったことではなく、ドナルド・トランプについて話しています。これは社会現象であり、みんなそれについて話したいのです。有名人やスターたちのほとんどは、この良くない現状については、まるで理解していません。気付いている人もいるにはいるにはいるようですが、そういった話はほとんど、ハリウッドの中には入ってきません。誰も折に触れて語るようなことはありません。
無論それらは些末事ではありますが、みなさんはそれをそうと分かった上で、この時期の地球を選んで、意識を、I AMを、それをどう呼ぼうと自由ですが、それらをこの時期に持ち込むためにやってきました。みなさんはこう言いました。「私は地上で認識に至ったマスターとなる。まあ、ここの全てを変えてしまおうとは思わないけどね」と。地球を救う。それらはみなさんの仕事ではありません。みなさんはもうエネルギーを守る者でも、地球をシフトさせる者でも、その手の何でもありません。ただ、ここの有様を変えることはみなさんの仕事でも目的でもありませんが、みなさんの行おうとしていることは、結果として、ここに光と可能性を持ち込みます。
光にはバイアスがありません。光は女性でも男性でもありません。良いも悪いもありません。それはI Amから迸り出る情熱です。それはエネルギーを引き寄せます。それが現実を設定し、具現化させます。しかし光自体には、バイアスも傾向も判断も良いも悪いもありません。光にとってのハッピーな1日というものはありません。光には良い日も悪い日もありません。「私は私である。私は在る」の情熱の単なる放射にしか過ぎません。それだけです。みなさんはこう言いました。「私はその性質を利用する。私は認識に至ることを自分に許し、悟りに入り、且つ、肉体を維持する」そう決意しました。コミットしました。ここに来る前、みなさんは、悟りに至った後に7年は、少なくとも7年間は、物理的な身体を持って地球に留まる、そうコミットしています。もしかしたらもっと長く、50年ぐらいそうするつもりの人もいるようですが、さすがに50年も留まりたいとは思わないような気もしますが、とにかくみなさんは「少なくとも7年」このプログラム、合言葉を自らに、ある意味、埋め込んだのです。
無論、向こう側へ行きたいという誘惑は非常に強く、今でもここから去っている人は一定数存在します。しかし私は、みなさん一人一人に向けて言っておきたいのですが、7年、あるいはそれよりも長く、悟った状態でこの惑星にいるためにみなさんがすべきことは、そのコミット、プログラム、合言葉、その思いに触れることです。
さて、カメラはスタジオの外に向かっています。後悔についての質問に対する、面白い回答を聞くことにしましょう。あれ、リンダはどこに行ったのかな? トイレかな?(彼女はマスターズクラブにいる人にマイクを持って行っている)。マスターズクラブで寛いでいる人に訊いてみましょう(マスターズクラブは、驚きの笑い声に包まれる)ああああ!
モーフォ(マーティ):やあ、みんな。
アダマス:今日、あの世に旅立つことになったとして、君は何に後悔するかな?
モーフォ:みんなが期待してるほど面白い答えにはならないと思うけど、、、
アダマス:なら一回、カメラを止めましょうか(アダマス、笑う)
モーフォ:、、、でもファンタスティックではあるかな。本来はその時々の状況に乗っかって楽しまないといけないんだけどね。でも、いつもいつも、流れに乗って、真に生きようとしていると、必ずマインドが滑り込んでくる。それで大丈夫なのかってね。それって本当にファ、、、
アダマス:私が君を選んだのは、君がスタジオの外にいて、且つ、それが可能だったからだよ。
モーフォ:なるほど。
アダマス:人に囲まれてる時の君は、とてもユーモアのセンスに溢れてるからね。
モーフォ:うーむむ。
アダマス:でも一人でいたり、愛すべきパートナーと一緒だと、泥に足を取られたように、その自由さを失う(モーフォ、笑う)。バッチリでいたいと思うからかな?(笑いが起きる)。ふー、やれやれ、君がそっち側にいて良かったよ。
モーフォ:(笑っている)ふー、やれやれ。
アダマス:君は楽しむことについて話すけど、チキショウメ! それを阻んでいる最悪の敵は、君自身だよ。さっきの回答も、いかにも人間の言いそうなことだよね。
モーフォ:確かに。そうだね。
アダマス:すぐに頭で考える。
モーフォ:うー、ふうっ。
アダマス:泥(mud)にはまってるよ。分かるかい。私は君のことをモーフォ(Mofo)と呼ぶ代わりにマドフォ(Mud-fo)と呼びそうになるよ(笑い)。マドフォ、分かるかな、君は自分という泥に自らはまって、そこから出なきゃいけない状況を生成して、それを理由に人と接して、楽しいバージョンの君を引き出してる。君にとって君は、最悪の友達だよ。
モーフォ:その通りだね。
アダマス:その辺がクリアになったかい?
モーフォ:完全に!
アダマス:よしよし。彼にズームしてもらえるかな? 締めくくりをしておかないと。そうそう(モーフォは舌を出して、笑顔でいる)。あああああ! そう。そうそう。そう。
君のおかげで、話したいことの完璧な準備ができたよ。君はもっと楽しんでいるべきだが、中々そうはできない、そのことに後悔するということだね?
モーフォ:そうそう。そう。
アダマス:オーケー。
モーフォ:今思えば、あなたがいた気がする、、、何度か、、、
アダマス:そうそう。
モーフォ:1人の時に。
アダマス:そうだね。でも悪く受け取ってもらっては困るよ。
モーフォ:それなりに良い時間が過ごせてたとは思うけど。
アダマス:そう。それが自然な姿だね。でも君は、分かるかな、疑いや幽霊が飛び出しかねない状況に自ら入っていく傾向がある。そうなると、分かるね。もう何もかもが、面白いとも楽しいとも思えない。
モーフォ:その通りだね。
アダマス:それから君は、次の日をどうやり過ごすかについて、あれこれと考え始める。それこそが、私がスピリチュアル的精神疾患(psycho-spiritual issues)と呼ぶものだよ。そうなった人は、そういった心配を実際に具現化する。ほとんど意図的に行っていると言ってもいいぐらいだね。身体のこと、経済的なこと、人によって様々だけれど、心配を現実に作り出す。こうなる理由というのは結局、自分が自分に対して鈍感になっているだけのこと、自分を放置しているだけのことだからね。良いことじゃないね。というか、悪いことだね。そして君はそれを完璧に、滑らかに、こなしてしまっている。モーフォ、いや、マーティ、ありがとう。
モーフォ:ギャラはおまけしておくよ。
アダマス:ありがとう。今から話す内容についての本当に完璧な例を見せてもらえました。リンダはいつもどおり、完璧な選択をしましたね(モーフォ、微笑む)。さて、カメラを私に戻しましょうか(アダマス、笑う)。
The Ceiling(天井)
これからする話にはとても重要な意味があります。おそらく聞いたことがあると思いますが、人間の言葉です。ガラスの天井(the glass ceiling)という言葉です。ガラスの天井です。そして、みなさんの上には、翼の天井があるという話です。翼で出来た囲いがあります。
ガラスの天井についてですが、例えば女性が、組織内で、あるランクを超えて昇進できないことを表す言葉として有名ですね。ちなみにですが、女性のみなさん、男性のように振る舞っても昇進なんかできませんよ。いいですか? 男性戦士アダムを引っ張り出して、そのように振る舞ったところで無意味ですよ。昇進から遠ざかりたいのでなければ、そんなことはしない方が賢明です。何故なら、人々にはそれがニセモノであることが伝わるからです。本物でない匂いが感じ取れます。それが分かるので、周りの人はそれに乗じて、上手にあなたを誘導して、都合の良いように使うだけです。そもそもそんな無理をしなくとも、女性は男性に比べて格段にクリエイティブで効果的に動けます。本当にそうです。女性の方が男性よりも、より多く、たくさん、機敏に動くことが可能です。女性はそんなふうにデザインされています。とは言え、もういい加減、そういう男女の違いについて云々すること、意識することからは、卒業するべき時でしょうね。男性は木こりで、女性はスプリンター。男が筋肉で力任せに木を切り倒している中、女性は自由に牧草地を走り回る。それでいいんじゃないですかね。それでも女性が、木こりになりたいのなら別ですが。
とにかく、ある地点から上方へ進むことを阻む、目に見えない、ガラスの天井と呼ばれるものがあるそうです。そしてはっきり言いますが、そんなものは幻想です。全く存在していません。が、人々はそれがあると信じています。貧しい家庭で生まれ育ったのであれば、その背景のせいで裕福にはなれない。人々は、そう信じているようですね。無論、場合によっては、そのせいで裕福になるのがより困難になるかもしれません。とは言え、実際はその真逆だと思いますが。
他に例を挙げるなら、知能や知性を理由に、ガラスの天井を設置する人もいるようです。知能、知性はかなり、かなり、かなり、過大評価されています。が、実際、知能はそんなに意味のあるものではありません。少なくとも、事実や数字を記憶するものではありますが、記憶することと、一般的な感覚で生きること、フォーカス以外の感覚をも持って生きることとは全くの別物であり、知性なんか、棒の役にも立ちません。
とにかく、たくさんのたくさんの、物事のジャンルの数だけ、ガラスの天井が存在します。そしてみなさんが折に触れて、何度も何度も頭をぶつけている天井が、翼の天井です。羽で出来た天井と言ってもいいかもしれません。それは固いものではありません。それは石で覆われたようなものではなく、たくさんのたくさんの天使の羽で覆われています。そして面白いことに、それらは天使としての、みなさん自身の翼であり、且つそのことに関連させて言っておきますが、私があの世でいつもいつも聞かされる後悔話は、実際、今日、みなさんが答えてくれたようなものとは違っていますよ。私がいつも目にするのは、あちら側に来るや否や「畜生!」と、自ら抱いた「疑い」「疑念」「心配」に従ったことを悔やむ人たちの姿です。彼らは「しなかったこと」を悔やんでいます。その対象は、人間の暮らしの中であり得る、些細なことまで含まれます。みなさんのスピリチュアルな認識において、許しを適用したいところですね。
みなさんはこれまでに驚くべきいくつかのブレークスルーを成し遂げました。途方もなくスリリングなブレークスルーです。そして次に突き破るべきは「明日はどうなる症候群(next-day syndrome)」です。「頭がおかしくなったらどうしよう。ピザを食べて胸焼けしてるし、おかしな添加物が脳に影響するかもしれない。トイレで一服キメてきちゃったし(笑いが起きる)」というやつです。分かりますね。疑い、思い悩んで、根拠も存在も何も無いことを、無いにも関わらず正当化してしまうことがその症状です。みなさんも、みなさんの最も深いところでは分かっていると思います。間違いなく分かっていると思いますよ。みなさんが分かっていることを私は分かっていますよ。私たちはこのことについて話し、みなさんはそれを感じることができますが、それでありながらも、みなさんもそうですよね。自らの羽、翼の天井で自らの頭上に蓋をしますね。
翼が頭上を覆っています。みなさん自身の翼です。しかし翼はみなさんに、超越することを望んでいますよ。そもそも、翼とはそうするためのものじゃないですかね。翼を広げ、大きく羽ばたき、高く高く舞い上がろうよと、みなさんのことを誘っています。前回のシャウドで私が言ったことを思い出してください。夢の翼に、認識に至るところまで運んでいってもらってください。そう言いましたね。アトランティスから現在に至るまでの、壮大な壮大な夢のことです。それは、身体を持って認識に至るという夢でした。翼にそこまで自分を運ばせてください。それでも、みなさんは恐れています。「あんなものがあったんじゃ、超えて行くのは無理だな」と。何を言ってるんですか? あれはあなたの翼ですよ。翼はあなたを、高いところに、疑い、疑念、心配や抑制や気が狂うかもしれないという不安を超えたところに、連れていきたいと思っていますよ。
みなさんは、気が狂うようなことにはなりません。断言します。もし例外があるとするなら、このことについて少しベラベラと喋りますが、もし例外があるとするなら、SSRI系の抗うつ剤を使っている人ぐらいです。そのことに議論の余地はありません。実際、服用している人の頭は、よりおかしくなっています。狂気じみたことをしていますね。この手の薬は、マインドの自然なリズムの上に、濡れた毛布を被せるに等しいことをしています。目覚めつつある人、今まさに目覚めようとしている人にとっては、特にその影響が大きくなります。結果として、修正のための生涯がいくつも必要なるような、大きなダメージを受けることになるでしょう。
別領域で、私たちが取り組んでいることがいくつかあります。その1つに、地球に来た経験のある天使たちに対してのトレーニングがあります。地球を知らない、未経験者ではなく、地球にいたことのある天使たちに、SSRI系の薬を服用していて亡くなった人たち、その人たちへの対処法を教えています。そうやってなくなった人たちは、一種の無感覚状態に陥っています。グレー色のもやもやした丸い塊みたいな様相です。気付きからは最も離れたところに位置しています。そんな情熱も精気も無い彼らに対処するのは、特に薬の服用期間がある程度の長さに及んでいると、自殺者への対処よりも格段に難易度が上がります。カウルダーが具体的な数字を訊いていますが、まあ、2年ですかね、2年を超えて服用していると、死後にも影響が残ります。
彼らは死んでしまいたいと思っています。存在として消えてしまいたいと思っています。その状況に耐えることができないのです。彼らには周囲に何かがあることは分かります。しかし全てがグレーで塗られています。彼らにとってそれはただの空白に等しいものです。だからこそ、彼らは消えてしまいたいと思っています。ここまで言えば、彼ら自身、また彼らに対処するのがどういうことかが、分かったと思います。
ついでに紹介しておくと、私たちは、別の天使たちに対しても、上記とは異なるトレーニングを受けさせています。すでにそういう人が出てきていますが、これから増えるであろう、バーチャル・リアリティから抜け出せなくなった人への対処です。プロナスト・アップデートで話しましたね。
バーチャル・リアリティの世界は、日々、よりリアルになっています。それは魅力的で且つ、非常に説得力のある世界なので、ゴーグルやマスクの中で、あるいは日常的にゲームの世界を出たり入ったりしているうちに、その中で迷子になり、そのバーチャル・リアリティの中で死ぬ、ということが起こるようになっていきます。面白いことに、まあ、全く面白いことではないのですが、不思議なことに、時に、身体は生きたままでいて、パイロット不在のロボットのように、身体が自動で生命維持だけを続けているようなケースも発生します。彼らはバーチャル・リアリティの中で死んだのです。私たちは、、、(アダマス、ため息を吐く)、彼らが「私はここにいる」「私は在る」に戻ってこられるように助けようとしています。それが、みなさんの世界、地球が変化している結果として、私たちが直面している困難です。ドナルド・トランプではありません。
脱線はこのぐらいにしておきましょう。今の内容についてはプロナストでお話します。というわけで、翼の天井に戻りましょう。天井にあるのは、あなた自身の翼です。それは、あなたを悟りへと運ぶためにそこにあります。あなたは深呼吸をして、あらゆる疑いを超えていきます。「でも、翼は私を運べるほど丈夫なのかな?」シャラップです。
「どこへ運んでいくつもりなんだろう?」シャラップ x 2です。
「その翼は本当に自分のものだろうか? 何故そう言い切れるのか?」いい加減にしないとブチ切れますよ。くだらない質問は止めてください(笑いが起きる)。それこそが、疑いを超越する、ということです。疑いなんて、他の人々が見たり感じたり、そうだと言わないことを、自分だけは感じられるがゆえ、自分の頭が変になったように思える、たったそれだけのことでしかありません。
まだしたい質問があったのですが、時間が無くなってきましたね。うーん、まあ、時間が足りなくなるなんてあり得ないことなのですが、別の機会に取っておくことにしましょう。
自分は特別である。みなさんは子供の頃に、そういう感じ、直感を得たことがあると思います。そしてまた、みなさんは、その気付きに覆いをかけて、自分にそれを分からせないようにしきてきました。私が言っている特別とは、他者との比較についてのことではありません。そうではなく、みなさんが自分は特別かもしれない、そう感じ、隠してきたもののことです。みなさんはそれを疑い、あるいは、その疑いを理由にして、自らに、スピリチュアルで困難な旅をすることを課しました。疑いがあって、先送りにしたようなものです。そして、あの世にやってきたばかりの人から私が聞くこと、私の「何をそんなに後悔してるんだい?」という質問に対して返ってくる答えについて、考えてみてください。「やっておけばよかった。疑いが出て自分を止めてしまった。頭がおかしくなると思ったし、周りの人から頭がおかしいと思われるのが心配で止めてしまった」
みなさんがもし他人からどう思われるかを心配しているのなら、次のことを伝えておきます。人々は地球にヒーローを求めています。ヒーローです。彼らがエネルギーを注ぎ込む先、そうしたいと思う先がどういう人か分かりますか? 美しいモデルやスター、スポーツ選手でしょうか? 惜しいですね。彼らはいい人たちかもしれませんが、人々はもっと深い何かを求めています。政治家もそういう基準には到底達し得ませんね。ドナルド・トランプを志す人がそんなに多いとは思えませんよね。せいぜい真似して髪型ぐらいじゃないですかね(笑いがおきる)。
もはや地球には、ヒーローと呼べる者は存在しません。人々は、ならばと、漫画やアニメでヒーローを作り出します。20年代、30年代から、それらしい人物を発掘します。しかしそれでも満足できません。どこか物足りないのです。それはあたかも、お腹が減って、ボウルいっぱいのJELL-O(商品名:ゼリーの元の粉)を食べているようなもので、食べているとは言えません。もちろん物理的には食べていますよ。口はもぐもぐ動いています。それで味覚は刺激されます。でもそこには何もありません。人々はもっと、、、カウルダー、勇気、以外の言葉にしてくれないかな、人々はもっと自由で、疑いも何もかもを超越した存在を求めています。みなさんがなろうとしているものを求めていますよ。
すでに分かっていると思いますが、実際、私には、みなさんに伝えるべきことは、もう何もありません。みなさんは、自身の悟り、認識に至ること、それが何かについて、既に承知しています。悟るとは、スーパーヒューマンや、その手のものになることではありませんでしたね。悟りとはただの変容です。一種の死です。みなさんに自由を与えることに繋がる、そういう死です。
やりたいと思うことがあって、マインドの中でリハーサルをしているうちに、思いが汚染されたり歪んだりしてきて、翼の天井、ガラスの天井が怖くなる。この感覚は理解できると思います。あなたは怯え、且つイライラして「ふー、やれやれ。障害だらけじゃないか。上手行くわけがないじゃないか」そう言いますね。これって何なんでしょうかね? 本当にいろいろな言い方がありますね。「ベールの向こうの領域には、、、」ですか? 領域と領域の間にベールなんかありませんよ。みなさんがそう言うので探してみましたが、どこにも見つかりませんでした。ありそうな場所は全部確認しましたよ(笑いが起きる)。本当にベールなんてものがあるのですか? 私が知っているのは、イスラム教徒の女性が着けているものぐらいですね。あれなら目に見えますね。でも、少なくとも、惑星をアセンションから遠ざけるベールなんかどこを見ても存在しません。でもみなさんは言いますね。「ベールがあるから」と、それのせいにしますよね。いいですか。そんなものはありませんよ。あるのはみなさんの翼ですよ。みなさんを認識に至るまで運んでくれる、大きな翼があるだけですよ。にも関わらず、みなさんと翼、その間には「疑い」がどっしりと居座っています。それですね。それだけしかないとも言えますが。
The Wings Series(ウィング シリーズ)
ということで、8月から始まる次のシリーズは、ウイング(翼)シリーズとしたいと思います。私たちの邪魔をする疑いを飛び越えていきたいと思います。私たちは、翼が優雅に私たちを運んでいくのを許します。その翼とはみなさんそれぞれが持っているそれです。みなさんはそうすることを避けてきました。「子供が成長するまでは待たないと」と言い訳をして、時に抵抗さえしてきました。やってください。子供が21でも23でも、5歳でも、翼にそうすることを今すぐに許してください。その方が彼らにとっても有益です。それをして損することは何一つありません。
とは言え、頑張らないようにしてください。許してください。許しを難しくするのは疑いです。「すべきか、すべきでないか?」に陥ります。「嗚呼、頭がおかしくなったらどうしよう?」もありますね。でも、頭がおかしいというのは、いったいどういう状態のことなのでしょうか? 小さく制限された自己に同じパターンを繰り返し繰り返し続けさせること、それのことだと思いますね。みなさんには分かりますね。
時々ですが、私はみなさんの中の誰かしらを、冷たい水の中に突き落として、10分ぐらい押さえつけておきたい衝動に駆られます(笑いが起きる)。本気ですよ。10分は沈めたままにしておきますね。みなさんは惨めな状態でいて心地よさそうにしていながら、私に泣き付いてくるからです。「どうなってるんですか? 悟りとはどこにあるんですか?」と。そう言われたところで、まあ、ここ、ですよね。みなさんには翼があります。それで好きに飛べばいいと思いますよ。それでもみなさんは「いや、そんな翼が本当にあるかどうか、、、」と疑い、あるいは心配し、場合によっては恐れます。であるから、なら実際に使ってみましょう、なのです。次のシリーズでそうしましょうと言っています。ウィングシリーズです。本当の自由とは何かについて、感じてほしいと思っています。
私は今日、自由について、人間の自由のために設置されたこの国や他の場所のことについて、話をしました。トランスヒューマニズムの時代にあって、私たちはI Amの自由に向かっています。人間としての自分だけではなく、スピリットとしての自分の自由へと向かっています。
今のシリーズはトランスヒューマンシリーズと冠されたわけですが、この名称にはジョークというか、一種の言葉遊びが含まれています。この惑星で今まさに起こっている大きな動き、良い悪いは別にして、それは、生物学的な意味での人間のパーツ交換です。それは、とてもとても、かなりかなり古くからある手法ではありますが、まだ陳列棚に並んでいないナノテクノロジーや他のテクノロジーによって急速にアップグレードされています。それによって妊娠や出産のプロセスさえ変わります。今から30年か40年後には、女性が胎児をお腹の中に入れたままでいることは、ほぼなくなってしまうでしょう。そうするのは、とても珍しいことになります。もしそういう人がいたとしたら、みんな「わあ、大丈夫かい? お腹に何かあったのかい?」という具合になるでしょう(笑いが起きる)。「何がって、 セックスしたのよ。あんたには縁がなさそうね(さらに笑い)」
妊娠、出産それ1つ取っても、人工胎盤に、あらゆる種類の保育器まで、本当に多くの方法が生み出されるでしょう。その手の中でも苦笑を禁じ得なかったものに、私がJohnny-on-the-Spot(あいつは誰だ)と呼ぶものがあります。それは身体の複製を作って、テクノロジーを駆使して大量のデータを流し込み、そこに意識を染み込ませようとすることです。でもそれで出来上がるのは人間ではありません。召使いかロボットか何なのか分かりませんが、人間ではありません。
翼を使う時がやってきました。それを持て余して、ぐずぐずするのを止める時です。
業界用語としてのトランスヒューマニズムは、途轍もない速さで進歩しています。それが機械的なものでも、電気的、化学的なものであっても、身体やマインドのための技術は、かなりのスピードで前へ前へと進んでいます。業界は、毎年、何兆ドルも、その発展に資金を投入しています。そしてそれは良いことです。マスターにとって、テクノロジーは良いものです。マスターはエネルギーを、自分に仕える全てを、受け入れます。許します。しかし、光の速さで発達していくそれを、マスターではない者、意識について理解に乏しい人間が手にしたなら、全てのバランスが崩壊します。
私は私たちのバージョンのトランスヒューマニズムを携え、そこにいます。私たちは、もはや自分ではない、古いDNAを手放すことを許しています。I Am の、あなたの光を許しています。神の光ではありません。イエスのものでも私のものでもありません。あなたの光が入ってきます。それが身体を変容させます。あなたは死にます。身体の変容という意味合い、身体のものではない死を迎え、そこに居続け、多くの変化をもたらします。あなたは変化を続けるでしょう。変化の前後では、感じ方、考え方がまるで違っているでしょう。
これは競争ではありません。全くそうではありません。ただ、トランスヒューマニズムの動き、進歩は、途轍もないスピードに達しています。それ自体、特に悪いことではありません。繰り返しになりますが、マスターは、自身に仕える全てのものを受け入れます。ただ、やはりそのスピードは速く、そして地球は依然としてパワー、力を指向する存在が中心の、力指向性の高い惑星です。そんな状態にあって、この速さで進歩する技術を手にするなら、高い確率で、何かが壊れていくでしょう。私は文明の崩壊やその手のことを予言しているわけではありませんが、やはり、今のスピードで発展を続けるテクノロジーを、意識の欠けた状態で手にしたことを想像するなら、怖いという感覚は拭えません。
ちなみに、私が意識という言葉を使う時、私はモラルとか価値観の話をしているわけではありません。モラルも価値観も、幸せと同じ人間製の作り物です。私が言う意識とは、気付きであり光であり、今の地球に欠けているもののことを指しています。でも、まあ、それも変わるかもしれませんね。変わらないかもしれません。いずれにせよ、私たちは私たちのトランスヒューマニズム、アナヤトロンを通して身体を癒すことを、許します。私たちはマインドを超越した状態でそこにいます。この話をすると、頭がおかしくなるかもしれない。そう思う人がいますね。ある意味、そうなるかもしれません。頭がおかしい、とは、マインドを超越していること、そう定義すればそうですね。ただ、古い定義、古い感覚で表現される、みなさんを閉じ込めておくための言葉が意味する、頭がおかしい、には、やっぱりなりません。みなさんの頭がおかしくなることはありません。みなさんは感覚に入るだけです。
私たちは、誕生から死、という古いプロセスとは無縁の「ここ」に向かっています。ここではトバイアスがやったような、何か(サムシング:Sam thing サムのこと/something 何か)、生まれた後の身体、それが男性と女性によって作られようと、試験管から培養されたものであっても、身体に入り込むようなことさえ可能です。
この身体を着るということについて、トバイアスは、ある狙いを持って行いました。彼には人類が、それまでとは異なった身体、決して伝統的な形式ではないものを持つであろうことが分かっていました。それを踏まえて、彼はこう言いました。「もし生身の身体に対して出来るのなら、ナノテクノロジーで造られた身体にだって入れるはずだ」と。彼は一種の検証、実験も兼ねてやったのです。「もしこれが可能なら、私たちは出産や、生まれてくること自体を省略できるんじゃないだろうか? 少なくともテクノロジーは、ほぼそれに近いことをやるだろう。それを光でできないだろうか?」
私たちは来年(訳注:9月から新学年、新学期)、途轍もない速さで進んでいきます。みなさんの中には、もしかすると躓いたり転んだりする人が出るかもしれず、自分が正しいことをやっているのか不安に思い、実際に正しいのか間違っているのかどうかに関係なく、心配になるケースも出てくるでしょう。なので私は煩く、しつこく、疑い、疑念、心配にみなさんの邪魔をさせないよう、口酸っぱく、鬱陶しいぐらいに、そのことを言い続けます。みなさんは「よーし、自分を疑って修正を続けていれば、おかしなことにはならないぞ」というふうに自分を疑うことに慣れていますが、考え方としては非常に怖い考え方です。みなさんはそうすることに慣れていますが、克服しなければなりません。良い、頭がおかしい、になってください。まだたったの33人しかいませんよ。これじゃ物足りないですね。寂しいですね。来年の終わりまでには、もっと人数を積み上げたいものですね。33人が身体を持ったままで認識に至ったマスターです。
さあ、大きく、ゆっくりと深呼吸をしましょう。やっと今日の話を始められるところまで来ましたね。前説はこれで終わりです(笑いが起きる)。これから今日の内容に入ります。マイクが要るやつですね。何人かに質問します。
Oneness(ワンネス)
では質問です。ワンネスのコンセプトは一体どこから来たものだと思いますか? 照明を明るくしてください。リンダがマイクを持っていきます。この概念「私たちは一つだ。一なるところに戻るんだ」というのはどこから来たのでしょうか? この質問も、例の研究を兼ねています。みんな案外知りませんよね。ワンネスなんて一体誰が言い出したのでしょうか?
シャーンブラ2(女性):良い質問ですね。
アダマス:もちろんそうだよ。もし、分かりません以外に、何を答えていいのか分からなければ、深呼吸をして、デイブの方を見て写真を撮ってもらえばいいよ。はい!(笑いが起きる)。さあ適当にでっち上げた。作った作った。
シャーンブラ2:答えられるとしたら、それが私のどこから来てるかだけです。
アダマス:君に来てるだって?
シャーンブラ2:私からです。それは、、、
アダマス:この表現を聞くこと自体が初めてなのかな? ワンネス・カンファレンスに参加したことはあるかい?
シャーンブラ2:(笑っている)ありません。
アダマス:今後も行かない方がいいよ。
シャーンブラ2:私は自分に価値が無いと感じていたので、何でもいいから他の何かが要るって。
アダマス:なるほど。自分には価値がないから「さあ、そんなみんなで仲良く一緒にワンネスに戻ろう。みんなでやれば怖くない」と。
シャーンブラ2:より大きな何かに、、、
アダマス:なるほど。
シャーンブラ2:もうそんな考えは捨てましたけど(笑っている)。
アダマス:いいね。君には価値があるよ。あるね。君はまだ自分を疑うことがあるけど、それと君の価値とは関係ないね。君には価値があるね。はい、次の人。テンポ良くやりましょう。まだやることが残っています。
リンダ:任せてちょうだい。サルみたいに走るわよ。
アダマス:(クンクンクン!)確かにそんな臭いがするね(「おおお!」と声が上がる)。いやいやいや、サルの臭いがすると言ったんだ。
シャーンブラ3(女性):あら、何かしちゃったかしら。
アダマス:カウルダーが私にパンチをお見舞いしたいだって。
シャーンブラ3:たぶん、人間は自分たちのことを不十分で、小さな存在だと感じているから。
アダマス:素晴らしい。
シャーンブラ3:だから何か大きくて、そこへ向かって行けるもの。何か重要な感じがするものを欲したんだと思うけど。
アダマス:過去、ワンネスのコンセプトを信じたことはあるかい?
シャーンブラ:うーん、ないかな。
アダマス:ない。いいね。さあもう少しやりましょう。ワンネスはどこから来たのでしょうか?
リンダ:ゲーリーのところまで引っ張ってちょうだい。
アダマス:彼女が君を選ぶことは分かってたよ。私がそうするように頼んだからね。
ゲーリー:来てほしくなかったのにな。
アダマス:まさにまさに。まさにそうだね。
リンダ:そういうものよね。
アダマス:さあ立ってもらおうか。世界中の人が君を見てるよ。はい、ワンネスはどこから来たのか?
ゲーリー:不十分であるという感覚と、繋がっていたいという欲求からかな。
アダマス:いいね。素晴らしい。君はワンネスを少しぐらいは信じていたことはあるかな?
ゲーリー:間違いなく信じてたね。
アダマス:だね。ワンネス・カンファレンスに参加はしたかい?
ゲーリー:それとは別のものには。
アダマス:どんな感じだったかな?
ゲーリー:スピリチュアルになりなさい。グルについて行きなさい。
アダマス:だねだね。そうだね。
ゲーリー:礼拝しなさい。
アダマス:それでワンネスについて何か見つけられたかな?
ゲーリー:見つかったのは自分自身だけかな。
アダマス:いいね。素晴らしい。エクセレントだね。じゃあもう少し。あと2人やりましょう。ワンネスはどこから来たのか? 私がそれを訊いたら、アセンデッド・マスターたちも困ってたね。私は全てを知っているけど、何を言うかに興味があって訊いてみました。私は、これに対して人間が何を言うかにも非常に興味がありますね。
メアリー スー:周囲と平和にやっていきたいという思いから生まれたんじゃないかしら。
アダマス:なるほど。
メアリー スー:分かるかしら。えっと、、、全ては、、、言葉ってほんとに面倒ね。
アダマス:ハグしてくれるかな?
メアリー スー:いいわね。私は、、、
アダマス:ハグしよう。
メアリー スー:わあ!
アダマス:我々は一つになれたよ(ハグしている)。妹よ。私たちは、ついに一つになったんだよ。いいね。素晴らしい。
メアリー スー:まさに。
アダマス:マキョーを演じてみたんだ。
メアリー スー:なるほどね(笑っている)。
アダマス:素晴らしいね。少なくとも、しばらくの間は良い気分でいられるね。
メアリー スー:そうね。
アダマス:まさにそういうことだね。
メアリー スー:確かに。
アダマス:いいね。素晴らしい。良い回答だったよ。
メアリー スー:ありがとう。
アダマス:あと1人。ワンネスはどこから来たのかな? さあ、こんなもの、いったい誰が発明したのでしょうか? 創作したのは誰か? ある日「あ、ワンネスこそ、我々が向かう先だ」なんて思い付いたのは誰だろうね?はい。(「コカコーラ」と声が上がる)。コカコーラだったか!(笑いが起きる)。はい。立ってからどうぞ。ワンネスです。
キャサリーン:我々は元々一つの創造主的な存在で、それがビッグバンで爆発した。みたいな考え方の影響かしら。
アダマス:なるほど。
キャサリーン:元々一つだったものが爆発してバラバラになったから。
アダマス:でも、実際には、そんなことは起こってないよ。それはあくまでもストーリーとして分かりやすく語ればそうなるだけで、実際に起こったこととはまるで違う。
キャサリーン:古い歴史のストーリーね。
アダマス:古い歴史のストーリーだね。でも悪い回答じゃない。元々一つだったからそう思うと。だね。トバイアスでさえJourney of the Angelsの中でそんなふうに書いてたからね。ま、それより良い説明のやり様がない、てのが実際のところではあるんだけど。起こったことを起こったまま書いていたら、みんなを死ぬほど怖がらせてただろうしね。だから彼は「私たちはワンネスに戻ろうとした」とジェントルに表現したわけだ。あるいは、いや、彼はまだそう信じているかもしれないね。なに、彼もいずれ目を覚ますよ(笑いが起きる)。
答えてくれた人、ありがとう。ワンネスについてでした。いつ、どこで、だれが、を説明します。それが出来たのは1700年代のことです。私が作ったのではありませんよ。それは、教会の都合で作られました。それだけです。そういう意味で、ワンネスは比較的新しい概念です。その概念の始まりは、仏教やヒンドゥー教にまで遡る、そう思っている人もいるようですが、違いますよ。例えばヒンドゥー教ですが、もし彼らがワンネスについて話していたとするのであれば、5,000年は前のことになりますかね。彼らは本当に物の分かった素晴らしい人たちで、その時点で彼らには10万種類もの神がいました。これってもう、ワンネスじゃないですよね(笑いが起きる)。もし彼らがワンネスについて語ったなら、私なら「は? 10万の神のどれが一体全体ワンネスなんだい? どれがワンネスさんなのかな」と思わず訊いてしまうでしょうね。ヒンドゥーの人がいたとすれば、話の出汁にしてすみません。これを観ている人の中にヒンドゥーの人はいませんかね。あらら、2人いますね。確かにいますね。「やあ、お二人さん。会えて嬉しいよ」(アダマスがインドのアクセントを真似て言うと、笑いが起きる)。今のってポリティカリーコレクトではない、と言うべきか、スピリチュアリーコレクトではなかったね。
リンダ:ポリティカリーコレクトではないわ。
アダマス:うーん。そうだね。まあ今日は全てがポリティカリーコレクトではないんだよ。何故って、私は今日、アメリカ人のように振る舞い、話してるからね(笑いが起きる)。
リンダと聴衆:ウー! ウーウーウー! アー!(アダマス、笑う)
アダマス:どうでしょうかね。アメリカ人以外の人は全員が全員、お腹を抱えて大笑いしてるよ!
サート:アメリカ人は全員地獄行きだぜ!
アダマス:口が悪いのは仕方がないよ。今日のアダマスおじさんは、アメリカ人のつもりだからね。
はい。ワンネスは教会の都合で生み出されました。おっと、こりゃなんだい?(アダマス、星条旗のような布を腰に巻く。笑いが起きる)スカートみたいじゃないかい? 長く地球にいないと知らないことが増えますね。リンダ、ちょっと、これはここで結ぶとか何かするものなのかい?(笑いが起きる)
リンダ:悪くないわね。悪くないわ(リンダ、彼の腰に星条旗を結わえる)。
アダマス:ワンネスについてでしたね、、、今のは芸術的な気逸らしでした。
一度、大きく、深呼吸をしましょう。
はい。ワンネスは教会によって生み出されました。「我々は一つである。その一なるモノに帰っていく」みたいなものです。人々を一列に並べて、刷り込みました。催眠、洗脳ですね。「私たちは一つ。私たちは一つ。その一つなるモノに帰っていく」と。なんとなくですが、結構、良い言葉に聞こえますよね。1800年代の終わりにいたニューソートの人々、そして1960年代にも取り上げられ、もてはやされ、流行りましたが、分からなくもないですね。「私たちは一つ。私は小さな存在で、、、(スカート履いているような彼に対して笑いが起きる)」「私たちは一つ。私は自立する価値もない、小さな小さな存在だ。一人では神性に値しない。ワンネスに帰るのだ」聞こえは良くても、やっぱり退屈な考え方ですね。もし神の野郎が本気でそれを望んでいるなら、クソの役にも立たない屑ジョークだと言ってやります。あー、悪かったね、エディス。反省してるから、そんな目で私を見ないでもらえるかな。「あんた、いい加減にそういう悪態つくの、およしなさい」みたいだよ。あれ、もしかして、感心してくれてるのかな?
エディス:感心してるのよ。
アダマス:ありがたいですね。でも本当に悪いジョークにしかなりません。みなさんが死んだとして、ウー! 白い光に包まれて、ウー! そのままワンネスに溶かされるなんて、そんなの最低のジョークですよ。もしみなさんがそうなったら、きっとこう言うでしょうね。「私は在る。私は私である。だから嫌だね! 何を触ったかも分からない他人と一緒に、ミルクにされるなんてまっぴら御免だ。偉大なるワンネスに溶け込んで自己を失うぐらいなら、人間の世界に戻って、アイデンティティーを探してる方がまだマシだ。こんな白い、ぼやっとしたものの中で嘘のアイデンティティーさえ無いなんて、クソ退屈しちまうぜ。ん? ワンネスのあそこで溶けてるあいつだけど、あ、前から嫌いだったやつだ。せっかく死んだのに、またあいつと一緒にいなきゃいけないの? は? 誰もかれもがここに来るって? みんな来るの? 勘弁してくれよ、神さんよお!(笑いが起きる)。もしここを出て地球に戻ったなら『行くな! 行くな!』と触れて回らないと。『ワンネスなんてクソだ。文字通りの肥溜めだ! 感覚もへったくれもない。うんこになったぐらい退屈だな。常にミルクでいろってよ。生温いミルクだってよ。脱脂粉乳にされちゃうぞ!(さらに笑い)。永久に変化も起こらず、常に、ずっとずっと、ずーっと、一定なんだとさ』そう教えてあげないと。とにかく勘弁してほしいな。地球じゃ結構楽しかったのにな。どうしてあれの有難みが分からなかったんだろう。自立した、固有の存在であることの有難さが何故、あの頃には分からなかったんだろう?」と。
そして最後にこう言うでしょう。「やっと分かった。やっと分かったよ」と。実際、教会にもそのことは分かりかけていました。しかし彼らは別の話を描きました。力、パワーへと繋がる道を選びました。
ワンネスという言葉が真に意味するものがあるとするなら「私は私としてのワンネスに入る。全てのアスペクト、全ての過去生を認め、受け入れ、自由に飛び回らせてやる」ですね。ちなみにそういったアスペクトたちがどうなるかは、この生涯でみなさんがやっていることにかかっています。彼らはまだみなさんの周りを自由に飛び回ることはできていません。でもみなさんには分かっています。やっと分かったよ、です。「バラバラになったすべての部分、かけらを集めて、その一面一面を常に尊重する。それこそが、ワンネスだ。彼らを、自分というワンネスに持ち込んでやらないといけないな。私は私であるということだ。たくさんのたくさんの要素、私というクリスタルの一面一面、固有の一面一面こそが私というワンネスだ。あーあ、多くの人がワンネスについて肝心なところで間違ってるや。こっちのワンネスについても、地球に戻って教えてあげないとな。『私はワンネスである。私はたった一人である』と。そして全ての私、神性なるもの、人間なるもの、マスターなるもの、生徒なるもの、全ての過去生と、また全ての可能性を、連れてきてやる。彼らは私だ。みんな私だ。私は私だ。私だ!」
これ以上、語る必要はありませんね。さあ、メラブリましょう。メラブは動詞ですよ。意識をシフトさせるという意味の動詞です。
スカートみたいじゃないかい?
リンダ:かなりそうね。
アダマス:はい。今のが、今日私が最もお伝えしたかったことです。他は単なる余興でした。
Oneness Merabh(ワンネス メラブ)
ワンネスとはあなたのことです。常に常にそうでした。あなたという固有の存在を表しています。
(音楽、流れる)
いかなる存在にもあなたの独立は犯せません。いかなる存在でもです。いかなる闇の存在でも、あなたの意識、あなたのI Amは奪えません。あなたがもし、翼の天井で、自分を抑えているのなら、それは、あなたが外部の力を、自分よりも大きく強いものだと見なしていて、それを恐れているからに他なりません。でも本当は、もっと簡単な話です。外には悪魔もいれば悪い輩も確かにいますが、実に簡単な話です。
彼らは力を、パワーを使います。闇の存在は力を使って、欺きます。しかし力など存在しません。あなたがもし、深呼吸をして、力はリアルに存在する、この考えを乗り越えていけたなら「ああ、力なんて、どこにもなかったんだ」と気付いたなら、それが、夢の翼に認識へ運んでもらうことをあなたが許し始めたということです。私たちはワンネスのためにここにいます。
この瞬間を、「私は、私は在る、である」このワンネスを感じてください。
(間を取る)
大きく、深呼吸をしてください。あなたのワンネスです。完全に固有です。
あなたは固有の存在です。
(間を取る)
別の見方をするのなら、あなたは自己完結しているということです。他には何もありません。エネルギーもありません。それはあなたの外、ワンネスの外で要るものです。
(間を取る)
全てのアスペクト。全てのあなたの側面。過去生そして可能性。この生涯で得た特性、あなたの個人的な性格は、全てがワンネスの一部です。彼らはあなたの帰りを待っています。あなたに、固有のワンネス、つまりはあなたに帰るように言っています。
このトランスヒューマンシリーズの最後になって、私はワンネスについて取り上げました。あなたの側面、部分、かけら、全てに対して「時は来た」そのことを知らせてあげたいと思ったからです。もうぐずぐずするのは止めにしましょう。I Amを遠巻きに、遠慮がちに眺めているだけでいるのは止めにしましょう。そういうアスペクトも存在しますが、自分を嘲ったり、馬鹿にするのはもう止めにする時です。
みなさんにはワンネスとしての、本当に多くの側面があり、彼らは単純に、帰ってきたいと言っています。彼らはあなたとドライブがしたいのです。繋がりが切れていたり、離れていると、彼らにはそれが出来ません。
だからこそ、この集まり、トランスヒューマンシリーズの最後の最後に、私はこうして座っています。次のシリーズへ舞い上がる前に、あなたのワンネスを感じておいてほしいからです。あなたが今ここですべきこと、それはI Amを、あなたのワンネスを感じることです。
そうしたなら、あなたの部分、かけらたちには分かります。壊れていたり怪我をしていたり、トラウマを抱えているように見える部分も含めて全部がです。男性性と女性性が同じところに戻ってきます。善と悪、光と闇が同じところに帰ってきます。そのことはあなたを一種の、、、私には大きなオーブが見えています。多面体のオーブですね。全てがそのオーブに帰ってきます。きらきらと輝きなら大きくなっているオーブ、これはあなたです。何百万もの側面が、何百万もの刻みから出来ています。あなたが観察者として、そこから距離を取って見てみると、きっとそれは、輝き続ける巨大な光の玉に見えるでしょう。近づくと、そこには何百万もの側面があり、何百万もの刻みがあります。そしてオーブにあるその側面の一つ一つは、それぞれ全てがそれぞれ完璧、完全であることが分かるでしょう。
また、オーブの周りには、ガラスやクリスタルのかけらのような、無論それも側面ですが、そういうかけらがふわふわと浮かんでいます。土星の輪のようにオーブの周囲を公転しながら、オーブに帰るかどうか、立場を決めかねている様子です。しかし、私たちが深呼吸をして許したなら、うーん、えっと、話すのを止めておきますので、自ら体験してください。
大きく、ゆっくりと深呼吸をして、オーブの外にいる「かけら」たちに何が起こるか、じっくり感じてみてください。
さあ、深呼吸をしてください。
(間を取る)
結局のところ、全ては「許し」です。マインドにそんな修復はできませんよね。人間部分は悟りに一切の責任を負っていません。人間はただただそれが起こるのを許すのみです。
この美しいオーブ、あなたのワンネス、あなたの固有性、それをあなたが感じたなら、それは全てのかけらに対する、帰ってきなさい、の合図です。
(長い間を取る)
これがトランスヒューマニズムです。私がトランスヒューマニズムと呼ぶものです。自身に、セルフに帰ることについてです。広大な宇宙で、時空で、散り散りになったあなたの全てが帰ってきて、羽化を迎えるということです。
真のトランスヒューマニズムとは、全てが帰ってくることを許すことです。
頭で考えても、それができないことを忘れないようにしてください。出来るのはそうなるのを許すことです。
(長い間を取る)
あなたの部分、アスペクトと呼ばれる者との間で、ずいぶんと苦労してきましたね。彼らが「疑い」の原因です。彼らが理由で、あなたは夢や希望に対して臆病になり、自分を抑えてきたのです。
ワンネスと、あなたの固有性とともに、深呼吸をしてみませんか?
(間を取る)
エッセネ派やグノーシス派の初期の教えの中には、ワンネスについての理解があります。宇宙は一つ、そういうワンネスではなく、自己のワンネスについて教えていました。しかしそれは歪められ、そして勘違いされました。間違ったワンネスを語ることで、1984年のビッグ・ブラザー(訳注:ジョージ・オーウェルの小説に登場する独裁者)がやったように、いとも簡単に人を洗脳することが可能になります。
加えて、その初期の教えについてですが、この先のシャウド、まあ、Keahakでは間違いなく行いますが、バックアップを取るつもりで、いくつか紹介しようと思っています。初期の教えの中には、自立性、固有性の性質から、ワンネスとしての存在、統合された存在、自身の中にあるワンネスについてまでが含まれています。
今日の話は論理的で理解しやすいものではありましたが、それに対する抵抗も出てくるかもしれません。それは自己を許し、受け入れることへの抵抗です。疑いを超越してください。馬鹿になってください。そもそも馬鹿って何でしょうか?
さあ深呼吸をして、私たちのトランスヒューマニズムを染み込ませましょう。身体とマインド、スピリットが意識体へと入る進化です。この進化は遺伝的な形質を超越します。進化の自然な形として、マインドが抱く恐怖を超越します。
私たちのトランスヒューマニズムは、何かを解決しようと取り組んだり、悟りへと向かう人間の自然なプロセスを邪魔するものではありません。私たちのトランスヒューマニズムは、自身の神性、ワンネスを許した人間のみが参加できます。これは、認識に至る、人間にはそれに対する義理も責任も何もない、それを認識している人間たちのためのものです。人間は許し、経験することのみを求められています。努力を放棄し、単純に許し、信頼することだけが必須です。
私たちのトランスヒューマニズムには人間の身体に対する正しい理解が備わっています。外部から介入など行わずとも、緑の中を散歩する、とか、温かいバスタブでリラックスしていれば、身体は癒えるものだという理解があります。
私たちのトランスヒューマニズムは、コンピューターのように、可能な限りデータをたくさん集める保存する、そんなことは行いません。集め、保存しておくべきものなど何も無いことが分かっています。
データ、事実や数字の記録を保管する必要なんかありません。私たちには気付きがあります。あなたのワンネスのクラウドに常にアクセスが可能です。あなたには常にあなたの気付きが起こり得るので、マインドがやるようにデータを記憶しておく必要もありません。気付きを通してただ分かるのです。知るのです。それが必要なら、必ず答えはそこにあります。それこそが気付きの美しさです。保管場所のようなものはありません。ただ知っています。知があります。
気付きは時空の外で働きます。それゆえ、線的になる必要はなく、また日付の記録も要りません。もしあなたに何か、過去にあったことを知る必要があったとして、気付き、知、は直接その過去からやって来ます。保存されている過去から探すのではありません。今あるのです。それこそがI Am Here(私はここにいる)です。意識です。
マインドはもう、情報や記録を貯めておく必要はありません。アイデンティティーの仕様書を秘密の金庫に隠しておく必要もありません。そういった全てを超越します。それが私たちのトランスヒューマニズムです。
私たちはコンピューターを身体に埋め込む必要はありません。私たちは単純に、気付きに、向かいます。常にそこにあるからです。エネルギーも何も要りません。それこそが気付きです。
それは常にそこにあります。それこそが私たちのトランスヒューマニズム、ワンネスです。
人間はテクノロジーとともにどこへ向かっていくのでしょうか? その方向、可能性はたくさんあり、折に触れて、その話もしたいとは思いますが、あまり時間を取られたくもありません。そんなことをするのなら、あなたのトランスヒューマニズムについて語っていたいと思いますね。
一つお願いがあります。このメラブの間に、一つのことを感じてほしいと思います。これはお願いです。みなさんがコミットした7年、認識に至った後も身体を保持したまま、少なくとも7年はここに留まる、そう決めたこと、そのことに思いを馳せてほしい、というお願いです。もっと長いかもしれません。もっと長くいると決意した人もいるでしょうが、いずれにせよ、みなさんは留まると決めていました。すぐに身体から飛び出したり、地球から去ったりせず、留まると。
そのことを感じてみてください。
(間を取る)
喜びの感覚があるはずです。真の喜びです。
(間を取る)
さあ、みんなで深呼吸を行いましょう。アメリカ合衆国、独立記念日の週末です。ここは共和制でも民主主義のためのものでもない、自由の土地、勇敢なる者たちの故郷です。
次の集まりまでに、アメリカと、発展した地球とでも呼ぶべき地球、この2つの類似性について考えておいてほしいと思います。自由で且つ、良い暮らしへの渇望から生まれたアメリカ、オールド・アースとニュー・アースの間で起こっていること、大きく違ってはいませんよね。
みなさんは新しい場所を作りにやって来た開拓者のようなものです。元いた場所を思うと寂しい思いもあるでしょう。家族、伝統、かつていた場所、心に来るものがありますね。かつてアメリカにやって来た人、ヨーロッパ、アジア、南アメリカ、どこから来ていたとしても、彼らもみんなそうでした。しかし彼らは開拓者でした。自由のためにやってきました。
私たちにはニュー・アースとオールド・アースがあります。ニュー・アース、シオスです。まさに、私たちが次の段階の自由を設置しようとしているその場所です。そのことは、みなさんがこの地球にいられなくなること、来たい時に来られなくなることを意味しません。ただ私には、みなさんがもう転生しない、少なくとも今までのような転生をしないことが分かっています。それはアメリカにやってきた開拓者と同じです。植民して、街を築き、それを都市へと育てました。その間にアイルランドやイギリス、フランスを訪れることはあったとしても、彼らが完全に祖国に戻ることはありませんでした。アメリカの方が格段に自由で、格段に全てが新しかったからです。訪れる分には祖国は祖国で良いものでしたが、ずっとそこで暮らそうとは絶対に、一度たりとも思いませんでした。
さあ、大きく、ゆっくりと深呼吸をしましょう。美しい日です。深呼吸をして、ワンネスに息を吸い込みましょう。
(音楽、終わる)
ということでみなさん、まあ結局のところ、真面目な講義なのか楽しい集いなのか、どっちなのか良く分からない感じでしたが、一つ確実に言えることがあるとするなら、私は今、自由であり、また変人だらけの土地に、たった今、こうして存在しているということです(笑いが起きる)。
アダマスと聴衆:創造において、全ては正しい。
アダマス:ありがとう。ありがとう(聴衆、喝采)。
翻訳: Ito Satoshi
注記: どうぞ自由にこのテキストを配布してください。ただし、一部を抜粋するのではなくこの注記も含め完全な形で、非営利かつ無償で配布してください。それ以外の利用については、コロラド州ゴールデンに住むジェフリー・ホップの書面による許可が必要となります。
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