Wings(翼)シリーズ シャウド3

Wings(翼)シリーズ シャウド3

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ウィングス シリーズ シャウド3:
ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマンのチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈 2017年11月4日
http://www.crimsoncircle.com/

私は私であるもののすべて、瞭然たる存在にして至高のアダマスです。

ああ! 私はここのエネルギーを皆で動かすのが大好きです。月に一度、シャウドで集まるのが大好きです。ただ、その前に言っておかなければなりません。「コーヒーの無いアダマスは、疑いや心配を持たないシャーンブラと同じだ」と。

リンダ:おおおお!(笑いが起きる)

アダマス:私のコーヒーはどこだい?

サンドラ:マスターボール(訳注:Master Balls/だんご状のお菓子)もどうぞ。

リンダ:おおお!

アダマス:わあ、おやつ付きだね(笑う)

サンドラ(リンダに):これはあなたのよ。取っておいてちょうだい。

リンダ:ちょっと待ってね、よし。さあアダマス、どうぞ。

アダマス:ありがとう。でもどうして私がお腹を空かしてるって分かったんだい?

サンドラ:あら、それはあなたのよ(リンダはカップをアダマスに渡してしまう)

リンダ:いいわ、いいわ。気にしないわ。いいのよ。

サンドラ:これがあなたの。

リンダ:なら、あるべき形に戻すわね(彼女はマグカップを取り換える。笑いが起きる)

アダマス:彼女は与え、そして奪う(訳注:The Lord giveth, the Lord taketh away.(神は与え、そして奪う)より)。あああ!

リンダ:そのマグカップの方がコントラストがあって、あなたに合うと思っただけよ。

アダマス:うーん。そしてこれは何だっけかな? そのことについて話そうと、、、

リンダ:まん丸だわね。

アダマス:最後の生涯で私が好きだった食べ物だね。オートミールにハチミツとナッツ、時々スパイスも加えてたね。ありがたいことだね。誰かが送ってくれたのかな。

リンダ:シャーンブラたちが持ってきたの。

アダマス:シャーンブラたちが持ってきた。

リンダ:あなたがオートミールを恋しがってるようだったから。

アダマス:まさにマスターボールと呼ぶにふさわしいね(笑いが起きる。アダマスは一つ食べる)。うーん! うーんま!

肉やデンプン食に偏り過ぎてる人はこれを食べた方がいいね。オートミールにハチミツを、えっと、マスターボール、欲しいかい?(彼が聴衆に提供し始めると、笑いが起きる)ん? いらない? ほら、マスターボールだよ。マスターボール。

リンダ:私たちってやっぱり変ね。そうじゃない?

アダマス:それに、、、

リンダ:変わってるわよ。

アダマス:だね。マスターのグルメ。うん。オーツ麦は実際、体内の毒を吸い取ってくれるし、ハチミツは体内の全てにとって良いからね。もし何かのアレルギーを持ってるなら、ハチミツが緩和するよ。そしてナッツは、えっと、まあ、美味しいよね(笑いが起きる)。とにかくありがとう! ありがとう。マスターボールを食べてください。マスターボールです。

リンダ:その通りね(さらに笑い)。

アダマス:では、今日のシャウドを終わりのところから始めましょう。終わりからスタートします。

リンダ:おおお。面白いわね。

アダマス:でもピザパーティーからって意味じゃないよ。そうじゃないよ(笑いが起きる)

リンダ:今日はポットラック形式なの。アダマス、今日みんなが持ってきたものは、特にすごいのよ。ライブでシャウドに来たことの無い人には、、、

アダマス:私はマスターボールにこだわるよ。これで十分だね。

リンダ:今日みんなが持ち寄ってくれたのは、今までで一番すごいわよ。

アダマス:どんなものなのかな?

リンダ:フルーツもあったし、それに、中でも私が一番イカしてると思ったのは、トランシルバニアから来たナスのサラダよ。

アダマス:おお、なるほどね。

リンダ:本当に美味しいのよ。

アダマス:なら、アダマスおじさんの分も取っておいてもらえるかな?

リンダ:どうぞ、どうぞ。

アダマス:いいかな。

リンダ:もちろん、もちろん。

アダマス:では終わりのところから始めましょう。終わりからスタートします。こうすることは、みなさんに、みなさんは本当に、一般的にそうだとされている線的な時間軸にはいないのだ、ということを気付かせます。私は随分長い間、このことを言ってきましたが、みなさんは既にマスターです。みなさんは既にマスターであり、みなさんは今、自分がそれをどう成し遂げたかを見ているのです。それは既にそこにあります。最初にそう言ったのは私ではないですね。何年も何年も前にアセンションシリーズの中で、トバイアスが言いましたね。「あなた方は既にアセンションしている。アセンションしていて、そしてそこにたどり着くのが実際にどんな感じだったのかを知ろうとしている」と。さて、どうですかね? 決めなくてはいけませんよ。選ぶ必要がありますよ。簡単に、楽にそうしたいのか、困難な方がいいのか。そこへたどり着くまでの道のりが過酷であってほしいと思いますか? アセンデッドマスターズクラブで語るに足る苦しみ、困難の中でそうしたいと思いますか? あるいは楽に滑り込んで行きますか? 全てはみなさんが自分で決めることです。

Attracting Energy(エネルギーを引き寄せる)

では最後から始めたいと思います。今日のシャウドは、みなさんは「引き寄せる者」である、そういう話で終わります。みなさんは、引き寄せる者、あるいは引き付ける者、誘引物質です。みなさんはエネルギーを引き寄せます。まるで磁石のようにそうします。実際、意識というのは創造的な磁石です。みなさんは常に、休むことなく、自らの世界に、何かしらを引き寄せています。ここにこうして座っているとしても、オンラインでこれを観ているとしても、そこには常に、みなさんが引き寄せているエネルギーの流れがあります。だとすると問題は、何を引き寄せたいのか、それをどうやって引き寄せるのか、に行きつきます。

みなさんはエネルギーを引き寄せることに、そうしていることにも気付かないぐらいに、慣れきっています。ただみなさんのそのやり方というのが、凡庸と言うか、つまらないというか、非常に制限されています。そうである必要がないにも関わらず、わざわざそうしています。とにかく、みなさんは引き寄せる者なのです。

そしてそれと同時に、また別のシャウドで議論することになりますが、みなさんはそれと同時に、発信機、発信する者、でもあります。みなさんはエネルギーを投影しています。創造者ですね。みなさんは常に、休むことなく、エネルギーを投影し、みなさんの現実を創っています。ま、とりあえず今日については、引き寄せる方の話をしていきましょう。

今ここに座っていても、オンラインで観ていても、あなたは磁石です。自分が何をしていて、何をしていないと思っていても、途轍もない量のエネルギーがあなたの中に流れ込み、通り抜けています。たとえ人間部分がそう思わなくとも、あなたは完璧なタイミングで完璧なものを常に常に引き寄せています。常に引き寄せ続けています。

私たちはこうしてシャウドに集っているわけですが、あなたが引き寄せているのは何ですか? あなたが、本当に自分の人生に引き寄せたいと思っているものは何ですか? エネルギー、経験、どんな現実を人生に引き寄せたいと思っていますか?

これは少し意地悪な質問です。何故なら、人間部分は、本当の意味でそれが何であるか、を知らないからです。人間は本当に何も分かっていません。「人生に引き寄せたいものは何ですか?」私がこう質問すると、あなたは即座に、プログラムされていてカチカチに凝り固まった、制限の中に入ります。

私たちは以前に、似たようなことをやりました。「人生で本当にしたいことは何ですか? 何を一番したいですか?」と。そしてその回答は、全ての可能性、この世で起こり得る物事の数から言っても、非常に制限されたものでした。みなさんはここにこうして座っていますが、何を引き寄せたいですか? いずれにせよ、みなさんは引き寄せる者です。誘引物質です。

あなたがそのことに気付いたなら、それがどう機能するのか、それがどれだけ簡単に、シンプルに機能するかが分かったなら、そこでようやく、あなたはあなたの現実を真に創造し始めます。どんなもので思ったとおりに、今とは別の現実を創造します。人間に、自らが創った制限、壁の向こうを見ることができると思いますか? 無理ですね。でもそれはみなさんが間抜けである、怠け者であることが理由ではありません。それはフォーカスの感覚が原因です。

みなさんはフォーカスの感覚の深い深いところまでやってきました。みなさんは、まあこれについても今日話すことになりますが、周りには全てがあることを忘れました。自分がエネルギーと経験を引き寄せる者である、そのことも忘れました。エネルギー、経験、機会、豊かさ、みなさんが人生に望むもの、それに置き換えられるその全て、それを引き寄せる者であることを忘れました。

人間は、そのほとんどにおいて、一種の、まあ怠け癖とも言えますが、そういう状態、運命と呼ばれるものを受け入れてしまっています。でも、運命などありません。何をどう呼ぼうと、そんなものはありません。ただ、こう言う方が楽なだけです。「これは運命だよ。予定されてたことなんだ。何か計り知れない理由があるんだよ」と。あるいは、ハイヤーセルフが、天使が、神が、と考えます。そうして、平均というものに停滞します。凡庸さの中に沈みます。自分が引き寄せる者であり、創造者であることを忘れます。

はい、これが今日最後にした話です。そうしておいて、今から我々が、そこへどう辿り着くかを見ていましょう。これと全く同じ意味の話ですが、このことを覚えておいてくださいよ。あなたは既にマスターであり、悟った存在であり、他の全ての何よりも上昇したところいると。全てはもう終わった話です。みなさんはただ、どうやってそこに到達したのか? どんな経験を通り抜けたのか? を見ているだけです。

これまで何度も何度も言ったように、だからこそ、なのですが、そのために何か難しいことをする必要はありませんよ。道を切り開く必要もありません。そこに到達するため、一生懸命になる必要もありません。これは単に「そこに到達するため、するまでに、あなたはどんな経験をしたかったのか?」ということです。それだけです。シンプルです。

さあ、大きく、ゆっくりと深呼吸をしてください。

そうして、あなたの一部を、実際は全てですね、あなた自体の全て、あなたがネルギーを常に引き寄せる者であること、そのことを感じてください。他の誰にも支配も操作もされない、あなたの世界に持ち込まれたエネルギー、それを常に引き寄せる光であると。それがあなたであると。もちろん、他人に支配されている、それが政府であれ、エイリアンであれ、両親であれ、他の誰であっても、そういうものが影響力を行使し、自分の人生を揺り動かすことができる、と、そう信じることは可能です。それをあなたが信じたなら、あなたはそのようにエネルギーを引き寄せます。あなたがそこから降りたなら「ああ! 私は意識としての存在だ。意識という磁石だ。私は全てを引き寄せ、選んだとおりに、世界を、人間には想像さえできないものまで、創造するんだ」と、気付くでしょう。

深呼吸をしてください。今日の終わりにはまたこの話に戻ります。そこへどう到達するかを眺めていましょう(アダマス、コーヒーを啜る)。泡が多いね(口ひげを拭う)。

前回、、、(笑いが起きる)。前回の集まりで、、、

リンダ:その問題の解決にティッシュは必要かしら?

アダマス:必要だね。どうも(リンダ、くすくす笑う)。私は紳士ですからね。あごひげだけじゃ済まないかな(あごひげを拭く)

Wisdom and Heart(叡智とハート)

前回の集まりで、私たちは、みなさんのものではないもの、について話しました。何があなたのものではありませんか? です。何にせよ、あなたが望まないもののことです。シンプルです。人によっては少し不安に感じたり、怖いと思ったことは分かっています。「うーむ、自分に全てを捨てることができるのかな? 手放せるのかな?」と思ったかもしれません。そしてそれは間違いなく、可能です。人生で起こったことやカルマ的なガラクタをずっと持ち続けなければいけない、そんな決まりはこの世界のどこにもありません。法律も法則もありません。気に入らないものを自分のものとして所有し続けよ、そんなことを言う宇宙の法則なんか存在しません。あなた、ただ(指をスナップ!)手放します。それは無責任なことではありません。むしろ、それこそが責任ある行動です。たったの今の自分にしっかり責任を持つということです。過去でも過去からのあなたでもない、他の生涯のあなたにも、責任を持つ必要は全く全くありません。それらはあなたのものではありません。それらは実際、あなたでさえありません。手放してください。

それはあなたのものではありません。健康に関わる問題でも、豊かさにおける課題でも、人間関係でも他の何でも、過去したことから来る罪悪感も後悔も、何もかも、一切合財が、あなたのものではありません。本当に違います。もちろん集合意識や悪い両親によって作られた、そういう心理学的な無駄話はできるかもしれません。が、そんなものはただ手放しましょう。そこからとっとと立ち去りましょう。そんなものは、あなたのものではないからです。

みなさんの中には、特に先月、困難な時を過ごした人がいるようです。ちょっとした小さなことでも手放して、手放したにも関わらずまだ不安になったり心配になったりして、それが何故なのかと分からないでいて疲れ切っていましたね。でも、そういうのも全て、全部、手放してください。あなたのものは、あなたが選んだものだけです。それだけです。簡単です。

そしてまた、前回はマスターの叡智についても話しました。マスターは途轍もない叡智を抱いていて、その叡智というのは、この生涯だけではなく、全ての生涯から収穫されたものであると。これまでにあったもの、あなたが未来と呼ぶ生涯も含めて、全ての生涯から生み出された叡智です。そこには痛みも苦痛も悲劇も大がかりなストーリーもありません。具体的な詳細はありません。単純に叡智です。全てから濾し出されたエッセンスであり、生命の美しさです。

マスターは、I Am として、I Amから濾し出されたそれを、この生涯に持ってきます。たとえば、部屋のこちら側にいる人たち全てが、あなたの全ての生涯、そのそれぞれだったとして、あなたはその全ての顔とアイデンティティと経験を手にしているということです。マスターはあなたのところにやってきてこう言います。「さあ、この今の生涯で、一緒に踊ろうじゃないか」と。そうしてあなたに(1人の人を示す)叡智をあげるよ、と。そこのあなたではなく、このあなたでもなく、こっちのあなた(また別の人)でもなく、あなただと。無論、彼女を通して得ることもできるだろうけど、私が持っていってやるよ、と。「君と私、人間とマスターただ2人。さあ早く君の家に招待するんだ、人間の家に入れてくれるね。そうして共生しようじゃないか。私は場所も取らないし、冷蔵庫から食べ物を取ったりもしない。シャワーカーテンの隙間から覗き見もしない。だから、私が入るのを許してくれてもいいんじゃないかな。私を信頼し、受け入れてもらえるかな。そうしてマスターと人間で一緒に共生しようじゃないか。もちろん君は依然として人間らしく生きられる。人間にしかできない美しい体験をするだろう。ただ、そこに、常にマスターのAndがあるだけださ」と。そしてマスターはこう言うでしょう。「私は叡智を持ってくる。人間さん、君はハートを持ってくるんだ。わあ、君には素晴らしいハートがあるじゃないか。素敵で美しいハートだね。私が叡智を持ってくるから、君はハートを持ってきて、そうして一緒にダンスを楽しもうじゃないか」

それが、身体を持ったままの悟りです。人間としてのアイデンティティ、あなたが魂と呼ぶ人間としてのアスペクト、その人間としてのアスペクトの1つが、ある種、マスターによって、叡智によって選ばれたのだと言えますが、それというのは、その人間がそれを許した、受け入れたというのが本当のところです。あなたは他の全員を、その全ての生涯を許しています。受け入れています。彼らは彼らのやっていることに夢中になり過ぎ、許すことを忘れています。彼らは祈り、嘆き、盗んだり、恵みを求めたりしています。パワー、力のゲームの中にいます。自分というアイデンティティの中にいます。「可哀そうな私」「すごい私」の中にいます。しかしあなたは、それを許した1人です。

「おいおい、もっとマシな何かがあるはずだろう」あなたはそう言った1人です。「その何かを許そう。受け入れよう。それが何かも分からないし、何と定義していいかも分からないけど、でも何かがあるのは分かっている。何故だか分かる。それを許し、信頼し、受け入れよう。勇気を持って辛抱強く、揺るがないでいよう」と。この人間のアスペクトはこうも言っています。「勇気を持って辛抱強く揺るぎなく、そしてオープンでいよう。フィルターを通さない。光か闇か、良いか悪いか、価値があるのか無価値なのか、判断しない。他の生涯のアスペクトたちのようにするのは、もう、うんざりだ。いつも尻に痛みを抱えている。そんな自分にも疲れたな。古い人間的で線的な道には心底、疲れた。私は許すよ。制限なく受け入れるんだ」と。マスターが、叡智がやってきたのはそういうわけです。「いいね。君以外の他のみんなは、誰一人として、聞く耳を持っていやしない。やってることに夢中になり過ぎてる。やれやれ。気味の悪い神や変なものに祈ったりしてるみたいだけど、彼らはみんな一杯一杯みたいだね。君だけだよ。全ての生涯の中で君だけが、許したね。だからこそだよ。だからこそ、君が身体の中にいる間に共生というダンスを楽しもうって誘ってるんだ」

それがマスターの全ての生涯に対しての役割です。それらは収穫され、集められて、全ての生涯の叡智として濾し出される。その生涯がそのことに気付いていようとなかろうと、そうされます。それは濾し出された生命の美しさそのものです。人間のハート、マスターの叡智、それが悟りの体現であり、あなたがここにいる理由です。

大きく、ゆっくりと、深呼吸をしましょう。

マスターが入ります。でもそれは、あなたの人生を運営するためではありません。マスターはただ、叡智とともに入ってきます。それが本日、議論する内容です。

前回の集まりで言いましたね。「人間は素晴らしいハートを持っている」ですね! 人間というものについて言えることはいろいろあります。時に荒っぽくなるであるとか、意識に欠けることがあるであるとか、エネルギー泥棒になるだとか、いろいろあります。しかしその核、コアのコアには、その人が見たこともないような酷いエネルギー泥棒であったとしても、そのコアには、素晴らしいハートが存在します。

Your Goodness(あなたの良いところ)

前回の集まりで宿題にしていましたね。「あなたの良いところは何ですか? ハートにあるものは何ですか? 個人として、何がハートにありますか?」このことについて考える、感じてみるようにお願いしていました。そして何人かは、そのとおりにやってくれたみたいです。

というわけで、今からリンダがマイクを持って回ります。これをしますよと前回、ちゃんと警告しましたよね。「え、私の? え? そんなこと、考えたこともありません」なんて、驚いたふりをするのは止めてください。あなたの良いところは何ですか、です。実際、何があなたの良いところですか? あと、誰か、みんなの回答を、ノートパッドへ板書してくれませんかね。(ヘンリエッタに)お願いしてもいいかい? 彼女にその looking glass の使い方を見せてあげた方が良いかもしれない。おそらく、いろんな答えが10以上は出てくるから、大きく書きすぎないようにしないと。

あなたの良いところは何ですか? です。マスターの叡智に対して人間からはハートです。あなたの良いところは何ですか? みなさん、自分の良いところぐらい、お願いですからしっかり認識しておいてくださいね。

練習できるよ。「I love Adamus」と書くなりして練習していいよ(笑いが起きる)

リンダ:こうやって消して、、、

アダマス:私が「I love Adamus」と書くようにいったので、リンダが慌てて消しゴムの使い方を教えてるね(笑いが起きる)。

リンダ:さあ、これでどうかしら。

アダマス:おおおお! 素晴らしい(笑いが起きる)

素晴らしい。では、客席の照明を上げてください。あなたの良いところは何ですか? わああ! みんな「そんなに照らさないで」て感じですね。さあ、リンダ、頼んだよ。はい。あなたの良いところは何ですか?

アレイア:My goodness、、、(私の良いところ、、、(訳注:My goodness/なんてこった、の意味もある))

アダマス:My goodness(なんてこった、寄りに言う)(アダマス、笑う)

アレイア:My goodness(2人、笑う)

アダマス:Oh, my goodness(嗚呼、なんてこったい)

アレイア:(くすくすしながら)My goodness(なんてこったい)

アダマス:まさかマイクが来るなんて思わなかったわ!

アレイア:よし。私の良いところは、えっと、それは、スタンダードがある、ってことかしら。

アダマス:スタンダード。

アレイア:この生涯に、この地上で悟ることを許すという、、、

アダマス:誰のためのスタンダードなんだい?

アレイア:自分のためよ。

アダマス:なるほど。

アレイア:スタンダード、原型、基準。

アダマス:それが君のハートにあるわけだ。なるほど。

アレイア:身体を持ったままで悟ることの原型、ひな形かしら。

アダマス:なるほど。いいね。

アレイア:ええ。

アダマス:そのスタンダード。君が体現するというその事例、身体を持って悟ることを、他の人たちには共有するのかな?

アレイア:本質的に、そうすることになりそうね。

アダマス:いいね。

アレイア:もしそれについて訊かれたなら「どうやってそこに向かいましたか? どうやって成し遂げたのですか? どうやってあなた自身に戻りましたか?」そう質問してくたらなら、間違いなく、そうするわ。

アダマス:じゃあこう「嗚呼、私の人生は滅茶苦茶なんです。だから教えてください。いったい、どうやったんですか?」こんな感じで来られたなら、どう答えるかな? そういう時のためのアドバイスだけど、マスターとは常に簡潔である、そう覚えておくといいかもしれない。語り過ぎないことだね。さあ、どう言おうか?

アレイア:人生とはそもそも滅茶苦茶になり得るもの。私もそうだった。

アダマス:なるほど。

アレイア:間違いなくそうね。

アダマス:「かもしれませんが、それを言って、私にどうしろというんですか(笑いが起きる)」

アレイア:最後までマスターの話を聞きなさい!(彼女、くすくす笑う)

アダマス:「私という船は、今まさに、この瞬間にも、沈みかかってるんです!」と来るかもしれない。「ぐがあ、こっちは今、この瞬間にでも助けて欲しくって、こうやって教えてを乞うてるんです。さあどうやったか教えてください。エイリアンにでも会ったんですか? 何をしました? どうやってマスターになったんですか?」

アレイア:私はただ手放したの。それだけよ。ただ手放して、、、

アダマス:「何を手放せばいいんです?」

アレイア:全てのがらくた、全て。

アダマス:「お金も手放せと言うんですか?」

アレイア:私は全てを手放した。

アダマス:「人間関係もそうしたんですか?」

アレイア:人間関係、その通り。

アダマス:「私はそんな役に立たないことを望んでいるんじゃなく、ただ、、、」

アレイア:それよ!(彼ら、笑う)自分に仕えないものの全て。自分に役に立たないものの全て、、、

アダマス:いいね。いい言葉が出てきたね。「自分に仕えないものの全て」

アレイア:それらはもうあなたには仕えていない。全くね。

アダマス:いいね。

アレイア:それからしっかりと、自己を、内面を見つめながら、自分自身に問いなさい。自分に仕えるものは何か? 自分が自分であることをサポートするのは何か?と。

アダマス:悪くない。いいね。なら今度は私が、実際のマスターがどうするのか見せてあげよう。君はあたかも自分がさっきのような人間で、同じ状況にいると装って、、、

アレイア:(演技ががって大げさに)「どうやったんです? 嗚呼、アダマス、私の人生はくちゃくちゃなんです(彼女、笑う)。ゴミ箱の中にいるようです!」

アダマス:その話なら十分聞いたよ。もう十分だ(笑いが起きる)

アレイア:「どうやったんです? お願いだから教えてください」

アダマス:もう十分。十分だよ。君の話は前にも聞いた。似たような話を君以外からも、何千と聞かされてるよ。私は、私のものではないものを手放した、それだけだよ。分かるかい? 見なさい、彼女は既に悟ってるよ(笑い)。

アレイア:嗚呼!

アダマス:嗚呼! それだけだよ。その人間はきっと、何のヒントも解決策も得られないまま去っていくんだろうね(笑いが起きる)。「嗚呼! それってすごいのかもしれないけど、嗚呼、マスターが何を言ってるのか理解できない。きっと、すごいことなんだろうけど」と。私に何故それが分かるかというと、シャウドの後にいつもそれが起こるからね。面白いね。

アレイア:「じゃあ何があなたのものですか?(さらに笑い)何があなたのものですか?」

アダマス:何があなたのものかだって? 君は自分のために私に見つけさせようと、キリギリスみたいなことをしたね(笑いが起きる)。いや、ま、そういうことだね。

アレイア:うう、、、そうです。

アダマス:それは自分で見つけることだ。それだけを言って、彼をそのまま放っておけばいいよ。すると一週間か一か月かそのぐらいでまた戻ってきてこう言うよ。「えっと、私には何が自分のもので、何がそうでないのかが分かりません」と。その時にはもう一度、こう返してあげればいい。「あなたのものではないものの全てを、手放しなさい」と。

アレイア:私も結構近いところまで行ってたのね。全てを手放しなさいって、、、

アダマス:あなたのものではない、全てのものを、だね。

アレイア:あなたのものではないもの、、、

アダマス:そういう人たちはそれでいっそう混乱する。何が自分のものだろうかと。そしてそれは良いことだよ。それでいろいろとシェイクされる。マインドの古い汚水の層まで巻き込んでね。彼らは何度となく訊きにくるよ。何度も何度もやってくる。「何が私のものですか? 何が私のものではないのですか? どれですか?」って。

アレイア:うーん、そうね。

アダマス:君はリマインドし続ける。「それはあなたが決めることだ」と。そしてある時点で、彼らはこう言うようになるだろうね。「全てを、私のやってきた全ての良くないことを手放すことは可能だと言っていましたが、アイデンティティも手放せるでしょうか? 家族は? 私にそんなことが可能なのでしょうか?」と。君はこう言う。「あなたにその準備が出来ているなら」

アレイア:そうね。

アダマス:「あなたにその準備ができているなら」

アレイア:そのとおりね。

アダマス:ただ、言葉少なに言わなきゃいけない。マスターらしく鷹揚に頷きながらね(笑いが起きる)。だね。

アレイア:心得た。

アダマス:訳知り顔で少し黙ったりもする(さらに笑い)

アレイア:ええ。

アダマス:そうして今度は、あたかも高次元の存在とコンタクトを取っているかのように、突然に視線を上げてこう呟く。「うーん、はっはーん、なるほど(さらに笑い)。うーむ、そういうことだろうね」

アレイア:そういうの好きよ。

アダマス:ありがとう。

アレイア:こちらこそ。

アダマス:うーん、はっはーん。

アレイア:マスター・アダマス、ありがとうございました。

アダマス:うん。いいね。それが君の良いところ、、、 ちゃんと書いてくれてるかな。スタンダードでいいかな。スタンダード。

リンダ:もうあるわよ。あるわ。

アダマス:ああ。「スタンダード。全てを手放す」か。いいね。

リンダ:さあ、次はと、、、

アダマス:あなたのハートにある良いものとは何だろうか?

リンダ:トランシルバニアのナスサラダのシェフに訊こうかしら。

アダマス:ワオ、ワオ、ワオ(笑い)

ホラチウ:まさか来るとは(笑い)

アダマス:にんにくは入ってるのかな?

ホラチウ:入ってないです。

アダマス:素晴らしい(笑い)。いいね、いいね。

ホラチウ:さて、えっと、、、

アダマス:にんにくも玉ねぎも、甘い言葉を発するのには相応しくないからね。

ホラチウ:どっちもないです。入れませんでした。

アダマス:シェイクスピアだよ。うん、うん。

ホラチウ:トランシルバニアのエネルギーとともにこれを売れる、そういう恩恵にあずかれたわけですから。

アダマス:いいね。素晴らしい。で、君の良いところって何だろう?

ホラチウ:人を、特に私と同じ世代の人をインスパイアするところです。勇気付けたり元気づけたり感化したり。

アダマス:なるほど。

ホラチウ:私はクライミングのジムで働いています。

アダマス:ほお、なるほど。

ホラチウ:最近だと、家具も作りました。

アダマス:どうしてクライミングジムなんてものが要るんだろう? 君はクライミングのジムって言ったんだよね?

ホラチウ:はい。クライミングのジムです。

アダマス:クライミングジムね。

ホラチウ:はい。

アダマス:何のために登るんだい?

ホラチウ:理由はありません。

アダマス:スピリチュアルな道みたいだね。ずっとずっと登り続けて、結局どこにもたどり着かない。それって、、、(アダマス、笑う)

ホラチウ:みんなアセンションしようとしてるんだと思います。まあ一生懸命過ぎですが。

アダマス:そうだね。私が見たことあるのは、巨大な壁があって、そこに人がへばりついて、登ってるものだけど、その、、、その頂上かな、行き止まり? まで行き着いて、いったい何が得られるんだろう。

ホラチウ:ああ、何もないですね。「私は自分を証明するんだ」のゲームですね。

アダマス:そうそれ!

ホラチウ:「私は自分を試すんだ。自分に挑戦して、そうして自分に打ち勝つんだ」ほとんどがそれですね。

アダマス:うっわあ、、、なんだか楽しそうだねえ(笑いが起きる)。頂上、ないしは最後まで登って、何も得られるものが無いと。表彰ぐらいはされるのかな? 賞品が出るとか。

ホラチウ:特に。

アダマス:ピザをもらえるとか?

ホラチウ:もらえません。

アダマス:上等なワインとか、何も?

ホラチウ:難易度の高いルートを登っていると「うああああ!」て感じですが、それを超えて頂上まで行くと「やったぞ! 私は恐怖に打ち勝ったぞ!」みたいな感じになれます。

アダマス:なるほど。

ホラチウ:得られるのはそれですね。

アダマス:なるほど。なんだかエネルギーと時間の無駄遣いみたいに聞こえるけど(笑いが起きる)。いや、私は真剣に言っていますよ。すごく人間的じゃないですか? 「人生とは厳しくあるべきだ。だったら、さあ、ニセモノでもいいから壁を築いて、それに登ろうじゃないか。登ってる間は『うああああ! うああああ!』になれるぞ」

ホラチウ:まあ、それを楽しむことは可能ですよ。

アダマス:「自分は偉大なのか、そうでないのか? うあああ! うあああ!」これって完全に人間の人生、あるいはスピリチュアルな旅ですよね。みなさんはもっと単純だと知っていますね。わざわざ壁を登る必要なんかありませんよ。許し以外に、悟りのために何かをやる必要なんかありません。「よし、私はオープンだ。開いたぞ。はい、許した」それだけです。

ケリー:トランシルバニアのナスサラダをどうぞ。

アダマス:わあ、ナスだ。ありがとう、ありがとう(アダマス、嗅ぐ)。にんにくが入っていないか確かめないと。

ホラチウ:にんにくは入ってないですよ。

アダマス:隠し味としても入っていないかな。

ホラチウ:ないですよ。

アダマス:それはすぐあとでもらうとして、今の話を最後までやりましょう。それってかなり人間的じゃないかな? 「もっと難しくするために壁を置こう」だね。そうして何かの得点かその類のものを獲得しようとしているね。でもそれって、我々がやっていることの対極じゃないかな。我々はそういうものを手放そうとしているんだよ。登るべき壁は無いし、克服すべき障害も無い。人間の定義に当てはまるようなヒーローなんか、ここには1人もいないはずだと思ってたけど。そういう意味のヒーローなんかここにはいないよ。いるとしたら、自分のものではない全てを手放したというヒーローだけだね。少なくとも、その手のものに胸を打たれることはないだろうね。

ホラチウ:まあ全員が全員、自分を証明しようとしているわけではないですが。

アダマス:全員ではない、と。

ホラチウ:ただ楽しんでいるだけの人もいます。

アダマス:楽しんでいるだけ、と。それは楽しそうでなによりだね。いいね(彼の態度に、リンダが吹く)。えっと、先月、私は良い人でしたね(笑いが起きる)。今月は違いますよ。先月、こういう時間を持てなかったので、埋め合わせです。さあ、君の良いところはなんだろう?

ホラチウ:今の話の要点はもう、、、

アダマス:うん、君の良いところの話でいいよ。

ホラチウ:私は親切で、且つ、他人を元気づけ、感化(インスパイア)する人間です。

アダマス:なるほど。素晴らしいね(リンダを皮切りに拍手が起こる)。同情、憐みが噴き出したみたいだね。みんな「可哀そうに。ご苦労様」って。

リンダ:ご苦労様!

アダマス:「可哀そう」でも、素晴らしい答えだったよ。

ホラチウ:真実ですから。

アダマス:真実に間違いないね。

ホラチウ:そして私は、、、

アダマス:実際、君は優しくて、人をインスパイアしやすいね。

ホラチウ:人をインスパイアしやすいです。

アダマス:どうやってインスパイアするのかな。

ホラチウ:えっと、前に、仕事中に私の傍を通った人に言われたことがあります。「一度、コーヒーでも飲みませんか? あなたの目には、深い深い思いやりが宿っています」と。

アダマス:なるほど。

ホラチウ:あとで分かりましたが、彼は若いマスターでした。

アダマス:わあ。

ホラチウ:そう感じられました。

アダマス:そうだね。だね。

ホラチウ:その彼が私の言葉に大いに感化されていました。

アダマス:素晴らしい。そして、そういうことは君の人生でもっともっと増えるだろうね。もっともっと。

ホラチウ:はい。実際、そうなるだろうと感じました。

アダマス:だね。ちなみに、コーヒー代はどっちが払ったんだい?

ホラチウ:どっちがと言うか、彼はバリスタで、彼のお店に行ったので。

アダマス:なるほど。いいね。素晴らしいよ。ありがとう。ということで、優しさと、

ホラチウ: 優しさと、、、

アダマス:インスピレーションを与えること、にしておくかな。

ホラチウ:ですね。

アダマス:素晴らしい。はい、次。あなたの良いところは何ですか?

リンダ:ミス・テキサス(「誰のことだい?」と声が上がる)。あなた、さっき手を上げてたでしょ。

キャロライン:仕方ないわね。

アダマス:8,700万人の人が君を見てるよ(彼女、くすくす笑う)。別の領域から。

キャロライン:私の良いところ、落ち着き(peace)、かしら。

アダマス:心の平和ってところだね。

キャロライン:心の平和ね。

アダマス:だね。

キャロライン:でも、もっと深みがあるものの気がするの。あなたが許しについて話す時、私はいつも、許しは始まりであって、究極的には、降参して、全てを委ねること、その辺に行き着くことだと感じるの。

アダマス:悪くないね。とにかく、君のハートには平和があって、落ち着いていられると。毎日の生活でもそうかな?

キャロライン:完全に、ではないわね。

アダマス:完全にではない、と。悪くないね。

キャロライン:かなり浸透してきてはいるわ。

アダマス:いいね。素晴らしい。

キャロライン:私はある意味で、、、

アダマス:平和、落ち着き、その意味するところを定義してくれるかな。

キャロライン:一瞬一瞬を分析することなく受け入れて、全てを信頼してリアクションできること、かしら。

アダマス:私はそれを優雅さ(grace)と呼ぶね。どう呼ぶかは自由だけど、私はそれを優雅であると呼びたいな。

キャロライン:そうね。

アダマス:優雅であることとは、エネルギーが君に仕えるのを許すことだ。それは君の中に平和を、落ち着きを、創造する。何故なら、君はもう、何とも戦っていないからね。

キャロライン:そのとおりね。

アダマス:それこそが優雅さであり、アミヨーだね。それがアミヨーの全てだよ。君はかなり許している。I Amを、自分自身を、信頼していて、もはや何とも戦っていない。全てのバトルは消えてしまって、君はそれを許し、受け入れている。それを平和以外の何と呼べばいいんだろうね。

キャロライン:何と呼べばいいかしら。

アダマス:時にちょっと退屈することもあるけどね。

キャロライン:感謝ね。

アダマス:感謝。だね。素晴らしい。ありがとう。書き留めてくれたかな? 平和、とあるね。まあ、それでもいいか。素晴らしい。

リンダ:そろそろ終わりにするかしら。

アダマス:まだ何人か行くよ。あなたの良いところは何ですか? おお! あそこで見た顔、おお、エネルギーが素晴らしい! 分かりますか(笑いが起きる)、みなさんがこの先こうなるだろうということで1つ確実なことがあるとしたら、みなさんはエネルギーを上手に読めるようになることです。みなさんは日々どんどんそうなっています。それはマインドから来る分析ではありません。瞬間的な気付きです。別にトランス状態にならなくとも、エネルギーを感じるか読むかができます。ああ、君が投影したものは素晴らしかったよ。強烈だった。

ティファニー:どんなふうに感じたかしら?

アダマス:おっと、まずは私の質問に答えてもらうよ(笑いが起きる)。君の良いところって何だろう?

ティファニー:うーん、、、

アダマス:なら、私から答えようか。私が感じたのは、不安や心配が多くあって、それと同じぐらいの精神力、気骨があって、そういうつまらない全てを終わらせようとしていることだね。ただ、君は頭では分かっているけど、まだそういうふうに生きてはいない。それって、、、

ティファニー:自分の優しさってものに、ちょうど腹を立ててるところなの。

アダマス:なるほど、なるほど。それはそれで構わないよ。

ティファニー:なんて言うか、誰にも優しさを発揮したくない気分ね。

アダマス:発揮する必要なんかないよ。それでいい。

ティファニー:それが私が感じてること。

アダマス:なら、自分に対して発揮してみたらどうかな?(彼女、くすくす笑う)「他人なんかクソ喰らえ」って。えっと、要するに、、、(笑いが起きる)。いや、それは彼女が言ったことですよ! 私は彼女が言ったことを読んだだけで、、、彼女はこう言いました。「うー、あー、自分に優しさを発揮するぞ」と。

ティファニー:ええ、先月を通してそう感じたわ。それで今日はちょっと拗ねてるような気分なの。だって、私がどれだけクソみたいに多くの時間を他人のために使ってるか、そのことに先月をかけて、気付いたから。

アダマス:何故そうだったんだろう?

ティファニー:だってそうだから。そうなのよ。

アダマス:うんと、えっと、、、「だってそうだから」みたいな答えは、ここ、この部屋ではもう受け入れられないね。

ティファニー:なら、まあ、それもまた、私の優しさの一部分、それが故のこと、そう思えるわ。私はアーティストで、至る所に美しいものを作ってきたわ。

アダマス:君のその優しさはどこで培われたんだろう? それが入ってきたのはどこでだろう?

ティファニー:(ため息)それは、、、私に分かるのは、人を喜ばせたいってメカニズムが働いてるから。真摯にそう思うわ。

アダマス:だろうね。だね。君は誰を喜ばせようとしてるのかな?

ティファニー:うん。

アダマス:うん、じゃないね。君は誰を喜ばせようとしてるのかな?

ティファニー:誰でも、みんな。そうすればみんな私を好きになってくれるだろうから。

アダマス:いや、じゃあ、もう少し遡ってみて、君は誰を喜ばせようとしてた? 子供の頃。

ティファニー:うーん、何とも言えないけど、子供の頃なら、他の人と同じじゃない。

アダマス:なるほど。

ティファニー:ええ。

アダマス:なら君が2歳とか3歳だとして、誰に喜んでほしいのかな?

ティファニー:お母さんね。

アダマス:いいね。

ティファニー:そうね。

アダマス:そうだよ。

ティファニー:そうみたい。ところで、今月はまだ、その、先月からのプロセスが終わりきってないみたい。このシャウド、早く来すぎだわ。

アダマス:そうだね

ティファニー:本当にそうよ(笑いが起きる)

アダマス:全くそうだね。

ティファニー:あと2週間は欲しかったわ。

アダマス:分かるかい。我々も遅らせてあげようとしていて、、、

ティファニー:あと2週間もすれば、私はクソみたいに快調になってると思うけど。本当よ。

アダマス:あと2週間必要だったんだね。

ティファニー:それだけあれば大丈夫ね。

アダマス:まあ、我々は特急列車に乗ってるからね。速いよ(彼女、くすくす笑う)。で、君の良いところは何だっけ?

ティファニー:私はアーティストで、あらゆる方法で美を創造できるわ。

アダマス:いいね。

ティファニー:どこにでも。場所さえあればどこにでも。

アダマス:アーティスティックだね。

ティファニー:そうよ。

アダマス:素晴らしい。最近はどんなものを創ったんだい?

ティファニー:最近は、ベネチア石膏ばかりやってるわ。

アダマス:なるほど。

ティファニー:そうよ。

アダマス:楽しいかい?

ティファニー:とっても。あと、クライミングジムについて言っておきたいことがあるの。

アダマス:そうかい。

ティファニー:私、あれがクソ大好きなの。

アダマス:本当かい?

ティファニー:どこが好きか教えてあげるわ。私は私の身体が身体であることが大好きで、しかも私がとっても頑丈だからよ。

アダマス:確かに。

ティファニー:ベネチア石膏も同じようなものね。

アダマス:なるほど、いいね。

ティファニー:だからクライミングジムについて擁護しておきたかったの。楽しいわよ。

アダマス:四六時中、擁護しなきゃね。

ティファニー:だって楽しいもの。

アダマス:楽しいよね(いくらか笑い)

ティファニー:分かるかしら。身体の中にいないままで公園のベンチで1日じっとしてるのとは、まるで違うわ。

アダマス:ちょっとストップ、、、

ティファニー:身体の中にしっかりといて、そして、、、

アダマス:全然、違うよ。この馬鹿馬鹿しい議論はすぐにでもやめるべきだね。ストップだ。人間的過ぎるよ。線的に過ぎてる。身体がセンシュアルな満足を得るための方法は他にも無数に存在するよ。そして君はそういった他のものを見ていない。みなさんにも言っておきますが、みなさんは「ここが現実だ。そして私は身体にいる。私は壁を登り、ベネチア石膏の何かを作る」そんな感じかもしれませんが、何がそこにあるのか、まるで見えていませんよ。それこそが今日の議論のポイントです。みなさんは引き寄せる者です。ただ、そんなふうな狭いスペクトル、波長の中にいたのでは、ある種類の限られたエネルギーしか引き寄せません。そこらじゅうに美しい山々があり、それを飛んで越えられるというのに、何故わざわざ壁を登るのでしょうか?

ホラチウ:私は飛んで越えます。

アダマス:いいね。でもさっきはそう言わなかったね。

ホラチウ:話を続けさせてくれなかったので。

アダマス:わあ、わあ、わあ!(笑いが起きる)。そうだね。そのとおりだね! まったくだ(拍手が起こる)。そのとおりだよ。ここでは時間の受け止め方に制限があるのに、シャーンブラのみんなは、時に長々と話しますからね。ただ、私がここで強調したかったのは、他に方法はいくらでもある、ということです。すぐその話に入ります。

ティファニー:それを許して受けれなければいけないわね。

アダマス:そういうこと。素晴らしい。

ティファニー:その点に関して、私はオープンよ。間違いなく。

アダマス:であれば、君の良いところは何かな? 君はクリエイティブだね。美しいものを創造できる。そして且つ、君自身が美しいね。

ティファニー:うーん。

アダマス:クリエイティブ・ビューティーだよ。

ティファニー:そうね。そう。

アダマス:いいね。ところでカウルダーがみんなにリマインドしてくれと言ってるんだけど、マスターズクラブのベネチア石膏の壁を作ったのは君だね。素晴らしい創造物だよ。素晴らしい(聴衆、喝采する)。

さあ、次行きましょう。あなたの良いところは? 何が良いところですか?

リンダ:恐れる必要はないわ(誰かが「いやいや、怖いよ」と言うと、リンダ、笑う。聴衆も笑う)。

シャーンブラ1(女性):こんにちは。

アダマス:こんにちは。

シャーンブラ1:私が思う私の良いところは、、、あなたも私についてそう言うかと思いますが、人に仕えること、奉仕できるところです。私は介護施設で働いています。

アダマス:うーん、なるほど。いいね。

シャーンブラ1:だから私は毎日毎日、人に仕えています。また家には子供がいて、今3歳半です。

アダマス:愛らしいね。

シャーンブラ1:そして私の仕事の一部には、向こうの世界へ移行しつつある人を支えることも含まれています。

アダマス:うん。どうやって支えているのかな?

シャーンブラ1:すいません?

アダマス:どうやって助けてるのかな?

シャーンブラ1:ああ。ほとんどの人がやりたがらない日々のことです。子供からお年寄りまで。

アダマス:「大丈夫。向こうは悪い場所じゃないよ。大丈夫だよ。心配無いよ」ある種、エネルギー的にそう言いながら、助けているんだね。

シャーンブラ1:ええ。私が世話をしている間、私はそういうことをエネルギー的に保持しています。

アダマス:だね。

シャーンブラ1:その瞬間にどうやってその瞬間にいるかを学びながら、自分のスペースと許しのエネルギーを保って、その人たちが自分の経験をできるようにしています。私はそれで大丈夫です。

アダマス:というわけで、君は人に仕えていると。

シャーンブラ1:はい。

アダマス:それが君のハートにある良いところだね。

シャーンブラ1:はい。

アダマス:素晴らしい。

シャーンブラ1:あと、私はもっとクリエイティブになろうともしています。だから私は、、、

アダマス:なろうと、、、君に「クリエイティブになろう」はできないね。

シャーンブラ1:もっとクリエイティブになる時間を自分に使うことを許しています。

アダマス:分かるね。「私は幸福に至る方法を考えるつもりです」と言うとして、それは単純に起こらないね。「私はもっとクリエイティブになろうとしている」なら、なれないね。不可能だね。どうしてか分かるよね? 何故って、君はすでにそうだからだよ。生まれつきね。

シャーンブラ1:そのとおりです。

アダマス:まあ、つまりは、既にそれはあって、それが表に出てくることを許しているってことだね。

シャーンブラ1:そうです。はい。そのための時間を作っています。

アダマス:なるほど、そうだね。君のハートには、人への奉仕があるわけだ。

シャーンブラ1:はい。

アダマス:ありがとう。ありがとう。もう少しやりましょう。

リンダ:了解。

アダマス:いいね。分かってきてるね。

リンダ:アルゼンチンから来たエステバン。彼なら何か答えられるわ(エステバン、笑う)。

アダマス:ようこそ。

エステバン:ありがとうございます。

アダマス:さあどうぞ。

エステバン:うーんんん、うー、、、 分かりません(I don’t know)。

リンダ:おおおおお!(聴衆も「おおおおお!」と声を上げる)。おおおおお! なんてこと! 大変だわ!

アダマス:あー、あー、あーあ。

リンダ:ああああ!

エステバン:私の友人たちもきっと、、、、

アダマス:あーららー。

エステバン:友人たちもきっと大笑いしていると思います。

アダマス:まさに。彼らはたった今、大笑いしているよ。

エステバン:ええ。彼らはこれを観ていますので。

アダマス:でもね、彼らが笑っているのは、君が次にどこへ行かされるかを知ってるからだよ。

エステバン:ええ、彼らはライブで観ています。

アダマス:そうだね。確かに。彼らは次に何が起こるかを見て、もっと笑うだろうね。リンダ、マイクを回収して(笑いが起きる)。君は女性用トイレに60秒間、収監だ(さらに大爆笑)。

リンダ:おおおお!

アダマス:そこで立ってるんだ。

リンダ:嫌だと言っていいのよ。ノーって言って!

アダマス:ダメだね。行かなきゃダメだよ。決まりだよ。(「罰にならないかもしれない」と声が上がる)

エステバン:もし私が拒否したら?

アダマス:もっと厳しいお仕置きが待ってるよ(さらに笑う)

エステバン:もっと厳しいお仕置きって何ですか?

アダマス:とてもじゃないけど言えないね。さあ選択の時だよ。女性用トイレで60秒間、誰にも語られたことのない空間にいるか、あるいは、拒否してもう1つの選択肢を知ってしまうか。ちなみに、今日、君は車の運転はするかな?

エステバン:いいえ。しません。

アダマス:運転はしないんだね。誰かが運転する車に乗ることは?

エステバン:それはあります。

アダマス:なるほど。

リンダ:何かしら。

アダマス:ただ確認してるだけだよ。

リンダ:変だわ。

アダマス:ただの確認だよ。トイレでの60秒間が嫌だった場合のため。

リンダ:トイレにした方がいいわ。早く。行って行って。またマイクを持ってくるから。

アダマス:さあ行った行った。これもまた今日の重要なポイントだよ。

リンダ:綺麗だから。綺麗よ。

アダマス:私たちは、、、

リンダ:女子トイレよ!

アダマス:私たちは「分かりません」を許しません。

リンダ:女子トイレよ!(彼が正しい方へ入るかどうか確認している)。行ったわね。面白いわね。

アダマス:だからこそ、ポイントにしたんだよ。分かりませんは許されないよ。だって、みんな分かってるから。知ってるからね。それを分からないだなんて、くだらないよ。みなさんは分かっています。絶対に知っています。だからこそ、こうやって目立たせているのです。これは罰でもなんでもなく、まあ少しはそうかもしれませんが、大したものではないですよね。ただ、常にそのことをみなさんに思い出させる何かが必要です。みなさんが自分で「分かりません。知りません」そう自分に言っているのが聞こえたとしても、みなさんは絶対に知っています。その古いやり方をさっさと捨ててください。そんなものは今日の今で終わりにしてください。みなさんは引き寄せる者なんです。そこに座って「分かりません」そう言った時に、何が起こると思いますか? そういうエネルギーを引き寄せます。決断力の無い、どっちつかずで、何もせず、ただ電車がやってくるのを待つだけ、そういうエネルギーを引き寄せます。

みなさん、まだ戻ってくることができますよ。彼もあそこで生まれ変わっています。中の様子を観察して(笑いが起きる)、そこのエネルギーを感じていますよ。はい、もういいでしょう。おかしな嗜好を持たれても困ります。出てきていいよ。もういいよ。ありがとう(聴衆、喝采)。

リンダ:おかえりなさい! 無事だったのね! みんな心配してたのよ!

アダマス:ちなみに君の友人たちだけど、文字通り今、大笑いしているよ(さらに笑い)。そう、そう、そうだね。彼はそこに友人たちがいるかのようにモニターを見ているね。よし、改めて、君の良いところは何かな?

リンダ:深呼吸すれば?

エステバン:はい。深呼吸をします。

リンダ:ティッシュはいるかしら?

エステバン:一瞬でトイレに移動できる魔法の言葉はもう使いません。

アダマス:そう。そうだね(エステバン、くすくす笑う)。さあ、君の良いところは何かな?

エステバン:私は喜びを、楽しさを、放射します。

アダマス:いいね。君は喜びの放出装置だね。喜びの送信機だ。

エステバン:はい。そうです。

アダマス:君が言ったのはマキョーじゃないね。私には分かるよ。

エステバン:はい。

アダマス:君は常に喜びを放射してるね。

エステバン:はい。

アダマス:素晴らしいよ。素晴らしい。

エステバン:人生は楽だと感じます。まるで、、、

アダマス:何で生計を立ててるのかな?

エステバン:私はフォトグラファーです。

アダマス:フォトグラファーね。いいね。

リンダ:ワオ。

アダマス:それを楽しんでると。

エステバン:はい。ただ実際、今回のここへの旅で気付いたのですが、実際には、フォトグラファーであることは私が好きなことの一部であって、本当に好きなのは人と話したり、人に何かを伝えたりすることでした。

アダマス:そうだね。そう。人と接することだね。

エステバン:そうです、そうです。まるで私が何かを書こうとしていて、書こうとしているものがすごく良いものだと感じていて、そこで自分に「何を書いてるんだい?」と訊ねているような感じです。何が出てくるかは分かりませんが、全てを流れにまかせて、、、

アダマス:つまり、常に喜びを、楽しさを放出しているわけだね。それは良いことだよ。

エステバン:はい。

アダマス:いいね。素晴らしい。そしてみんな、ありがとう。とりあえずここまでにしておきましょう。

リンダ:あら、もう1人、出来るかしら?

アダマス:もちろん。ならもう1人やりましょう。

リンダ:お願いね。やっぱりシニアのシャーンブラの声も聞かないと。ここに長く、長く、来てる人。

アダマス:シニア・シャーンブラ? それが私だったら、あんまり嬉しい呼ばれ方じゃないね。思慮と叡智に溢れたシャーンブラのマスターってところかな。

シア:18年ここへ来ていて、初めてマイクが回ってきたわ。

アダマス:初めてだって?

シア:初めてよ。

アダマス:ワオ、ワオ。

シア:そうなのよ。

リンダ:奇跡っていつでも起こるものね。

シア:1つ言えることがあるとするなら、手放すことについてだけど、人に「全てを手放しなさい」そう言われたなら、言われた人は往々にして怯えるわね。

アダマス:まさに。君は手放すことができるけどね。

シア:だから「手放しなさい。もしそれが手放すべきでないものなら、それは必ず戻ってくるから」そう言ってあげると、その人はもっと上手に手放せるわ。

アダマス:そうだね。でもその人はそれを逆手に取るかもしれない。「戻ってくると分かってるから、手放さないよ。これは手放すべきではないものだよ。何故って、、、」(アダマス、笑う)

シア:そんなことにはならないわ。

アダマス:そうだね。

シア:彼らはそれで手放すのよ。

アダマス:確かに。

シア:少なくとも、、、機能はするのよ。

アダマス:じゃあ君のハートの良いところは何だろう?

シア:無条件に判断無く、理解し、聞くこと。

アダマス:聞く、か。いいね。素晴らしい。何を聞くのかな?

シア:ほとんどは自分自身。ただ、知らない人なんかに話かけられることはあるわね。彼らは彼らの生涯について語ることが多いわね。それでも私は平気よ。

アダマス:なるほど。それでエネルギーを抜かれているような気がしたことはあるかな? 話に退屈したり、吐き気を覚えたり?(笑い)

シア:たまに。全部が全部ではないわ。

アダマス:邪魔にもならないと、、、

シア:その時にはそう伝えるもの。

アダマス:ただ、人間って、そんなに話し上手じゃないよね。オチが無いままグダグダと話を続けるケースが多いよね。

シア:ええ、そうね。

アダマス:線的に語るしね。「二歳の時は、、、」いったいオチはどこなんだい? この話はどこに向かっているんだい? そうなるね(笑いが起きる)。

シア:そうね。

アダマス:もし話をするなら、終わりから始めることだね。まず結論から始めて、最初に戻って簡単に要約する。始めに結論を言うべきだね。

シア:ええ、だから、何もかもを受け入れないわ。

アダマス:興味から訊くのだけど、実際、どうして話を聞いてあげるんだい?

シア:この人生でずっと起こってきたことなのよ。

アダマス:うむ。

シア:そして、、、

アダマス:ああ! 一旦、ここでストップしましょう。ストップです。今「分かりません」と同じ種類のフレーズが飛び出しました。君はそうは思わなかったかもしれないけど、でも「だってそうだもの。いつもそうだったから。そういうものよ」は同類だね。そんなものは木端微塵に吹き飛ばすことだね。

シア:ありがとう。

アダマス:私たちはその手のものを盛大に、大爆発させて吹き飛ばしますよ。消し去ります。何故って、くだらないからです。「ずっとそうだったから。それはそういうものだから」はもうこのクラスでも、みなさんがどこにいても、厳禁です。

シア:良いことね。

アダマス:そういうこと。リマインドのきっかけになってくれてありがとう。

シア:きっとそういう役割だったのね。

アダマス:まさに(笑いが起きる)。まさにそうだね。ありがとう。良かったよ。(誰かが「そういう運命だったんだね」と声を発する)そう言った君もまた運命、、、というか、君もまた、そう発言するように予め決まってたんだね(ゲゲッ!)ということです(笑いが起きる)。

Adamus’ Answer(アダマスの答え)

「あなたのハートには何がありますか?」私はそう訊ねました。そして多くの、そして素晴らしい様々な答えが返ってきました。今から私がそれをまとめます。それらから何かを濾し出します。濾し出す、ということの一例をお見せするわけです。みんなでたくさんの話をして、そこには、たくさんの内容に加えて、たくさんの言葉がありました。それを、その全てから、そのエッセンスを、簡潔で無駄の無いものへと、濾し出そうと思います。まず、私たちは平和でいて優雅です。私たちは他人の話を聞き、また他人に仕え、時に他人をインスパイアもします。そして優しいです。それでいながら、同時に、喜びを、楽しさを振り撒きます。私はその全てを1つのシンプルな言葉へと濾し出します。その言葉とは「思いやり」です。

ここにいる全てのみなさんは、様々な理由からですが、人間というものに対して、途轍もなく大きな「思いやり」を持っています。みなさんの中には、最初からここにいたから、ここで全てが放卵され、オタマジャクシだった頃から世話を焼いてきたから、という人たちがいます。また、ここでかなりの数の生涯を送ってきて、喜びも美しさも、暑い日も寒い日も、悲しみもドラマも、全てを理解した上で、それでも、いや、だからこそ、ここが好きだ、好きだからだ、という人もいます。人間の生涯というのは、それをその一段上から眺めたなら、美しく且つ、素晴らしいものです。ただ、そこに嵌ってしまったなら、特にそうでもありません。ただ、みなさんは人の生涯というものを、その上から眺めていて、その素晴らしさが分かっています。

みなさんは人のために仕える、そういう生涯を何度も何度も送ってきました。そこが病院でも療養所でも、話を聞くのが巧みな司祭や尼僧としてでも、そういう生涯を何度も何度も送ってきました。実際、彼らは、話を聞く時、すぐ眠りに落ちて、あとは眠っていただけなのですが、そのことには誰も気付きませんでした(笑いが起きる)。とにかく、彼らは、自分自身に対して、あるいは子供に、パートナーに、他人に対して、途轍もなく大きな愛を持って、話を聞くスキルを発達させたのです。シャーンブラのみなさんは、途轍もなく大きな思いやりを持っています。それがみなさんのハートにあるものです。みなさんがそれをどう言おうと構いませんが、まあ、今日マイクを持った人たちは、大体において、そうと取れることを言いましたが、大きくひっくるめて、思いやりです。感謝とともに他人を認め、彼らとともにいて、奉仕し、世話を焼く、ということです。みなさんの中にはたったの一人も、誰一人として、他人を傷つけてやろうと思う人は存在しません。実際、その真逆の人たちだと思います。とにかく、みなさんは依然として、全ての人を助けたい、救いたいと思っていて、しかし同時に、徐々にですが、それは単純に不可能であるし、そうすべきではないと、気付き始めています。

みなさんのハートにあるのは思いやりです。人間の側にあるその思いやりは、全ての創造のどこを探しても、人間以外のどこにも見つかりません。どこにもないです。時にこんなことを思いますね。「どこかに虹色の光と愛と全てに溢れた、そんな素晴らしい存在がいるんじゃないかな」と。それはあながち間違ってもいないですが、正しくもありません。何故なら、そんなふうな存在たちには、みなさんのような旅の経験も人間のハートも無いからです。

みなさんの持っている思いやりは、人間的な基準に照らしてみても、平均より遥かに高いところに位置しています。私は、お世辞を言っているわけではありません。みなさんが時に見せる人に対する愛、思いやりが単純にそうだと言っています。ただ、みなさんは時に、自分に対してそれを、奉仕を、喜びを、平和を、それが何であれ、それらを自分に提供するのを拒みます。自分にそうするのを控えること、そこがみなさんの欠点です。私は欠点という言葉を使いましたが、自分を押し留めたり、我慢したり、自分を思いやることを拒否すること、その姿勢は、最初に出た回答だと思いますが、スタンダード、そこで言っていたスタンダード、基準、モデルとは相容れないということです。ここで、自分が真のマスターになったとイメージしてみてください。そうしてそこに人間のハートを持ち込んでください。そしてこの惑星やニューアースに対して自分に何が出来るかを、イメージしてください。いいですか。思いやり、それはまず自分に向けられ、そこを通して、他人にも放射されて、初めて共有され得るものです。多くの場合において、それには言葉も物理的な奉仕も不要です。それこそがシンプルな思いやりの共有です。そのことがそこの人たちにどんな影響を与えるか、想像してください。あなたは毎日毎日、人々の問題、身体の問題を聞くためにあくせくすることもなく、ただシンプルに、スタンダード、モデル、新しい基準としてそこにいます。それがあなたの中にある思いやりです。

Compassion(思いやり)

しっかりついてきてくださいよ。あるいは後で聴き直してください。思いやりとは何か、です。思いやりとは何でしょうか? 特にKeahakやThresholdなどの集まりでは、深いところまで話しましたが、思いやりとは、魂から、I Amから来るものです。思いやりとは、ただ在る、そのことに対する喜びです。何かを成し遂げるとか、AというポイントからBへ行くとか、そうではなく、存在としての喜びです。それは魂の、I Amの、興奮です。それを得るため、山に登る必要はありません。大きな仕事をやり遂げたり、偉業を成し遂げる必要もありません。思いやりです。「私は在る! 私は私だ」魂がそう叫んでいる瞬間を感じてください。ウーフゥ! です。これこそが思いやりであり、興奮であり、喜びであり、そういったものの全てです。「私は私である全てだ!(I Am that I Am ! )」です。それこそが魂の情熱であり思いやりです。

遅れずに、ついてきてくださいね。その魂の情熱、思いやりが、創造する、ないしはエネルギーを動かすものです。エネルギーとはある種、濃縮された思いやりです。奉仕するものです。常にあなたに仕えます。みなさんのハートには思いやりがあります。愛、思いやり、それをどう呼ぶかは自由です。他者を敬うこと、なんだって構いませんが、それがエネルギーです。みなさんは引き寄せる者であり、みなさんはエネルギーを引き寄せます。

しかし、ハートが恐れや疑い、後悔に覆われていたとしたら、ハートが恥や罪悪感で輝くことが出来ないとしたら、それこそが最大の問題です。それこそが、ずっとみなさんの問題でした。ハートが覆われてしまっていて、エネルギーも、引き寄せる装置も、フルに機能出来ないでいるということです。大きなフィルターがあるようなものです。みなさんがオープンになり、他者に対して見せるのと同じ思いやりを自分自身に向けたなら、みなさんに対して、みなさんが人や人類に対して向ける愛と同じものを向けたなら、そうすることを許したなら、一瞬で、全ては変わります。全てが変わります。

そこが重要なポイントです。物理的なものとして考えたくなるとは思いますが、これは物理でもなんでもなく、これは単に、みなさんが持っている思いやりです。私が人間のハートについて話す時、話しているのは、この現実を創るエネルギーをもたらす思いやりについてです。さあここで、ハートを開く、その確かな一歩を踏み出しましょう。私たちはみなさんの、全てのみなさんの内にあるのと同じ思いやりを、ここに持ち込もうとしています。私たちはそれをみなさんの、私たちの現実、人間の現実に持ち込みます。そうして、そのエネルギーが、真の変化のために、どう現実を形作り、整えていくか、を眺めます。そこに努力はありません。山を登りたいのでなければ山を登る必要はありません。私は別に、山登りを攻撃しているわけではありませんよ。ただ、他にもセンシュアルで感覚的な体験をする方法がたくさんあるのに、何故わざわざ山なのか、そこがいまいち理解出来ないだけです。出来ないのは私だけかもしれませんが。

さあ、大きく、深呼吸をしましょう。覚えておいてください。あなたはエネルギーを引き寄せる者であり、誘引物質です。あなたはエネルギーを取り込んでは、流す、フローさせる、それを常に行っています。あなたはまた、思いやりのある存在です。あなたのハートにある思いやりは、他のほとんどの人間よりも遥かに大きく、多いです。本当にそうです。そうでなければ、あなたはここにいないでしょう。

そんなハートを開いた時に起こること、ダイナミックなエネルギーの動きを感じてください。叡智を持ち込むマスターにそれをシェアしてください。マスターにハートを開いてください。エネルギーの動きがどう変わるか感じてください。そこにはバリアもフィルターもありません。それについて考える必要もありません。努力は一切要りません。

Focus(フォーカス)

ではギアを上げて、もっと加速して行きますよ。次です。スクリーンに、あとオンラインで観ている人にも、みんなに見えるように図を出してください。照明を少し下げた方がいいかな。

図をじっと見つめてください。催眠術にはかけないので安心してください(笑いが起きる)。パワー、力のために、他人に催眠術を掛けたりするとはまってしまう、酷いカルマ、と呼ぶのが適切かどうかは分かりませんが、そういうものが実際、ありますからね。さあ、図をじっと見てください。

(間を取る。図がスクリーンに現れる)

(長い間を取る)

はい、いいでしょう。照明を上げてください。図をスクリーンから消してください。さあリンダ、マイクをよろしく。質問です。今やったことですが、体験としてどうでしたか? どんな感じがしましたか? 経験としてどうでしたか?

リンダ:はい、どうぞ。

シャーンブラ2(女性):えっと、円とくさびがありました。

アダマス:うーん、まあまあ、そうなんだけど、それが何かは分かってるからね。なら、何を感じたかな?

シャーンブラ2:ああ、一種の、、、

アダマス:マイクを口に近づけもらえるかな。

シャーンブラ2:一種の平穏さ。

アダマス:平穏さ。

シャーンブラ2:平穏さを感じました。

アダマス:なるほど。了解。平穏さね。では次の人。スクリーンのイメージを見たことは経験としてどんなものと思えたかな?

ステファニー:粉々に粉砕されたような感じがしたわ。

アダマス:粉々だと。

ステファニー:そうね。

アダマス:なるほど。

ステファニー:ええ。

アダマス:物事が粉々だと感じられたってことだね。いいね。

ステファニー:まあ、そうね。

アダマス:興味深いね。じゃあ君はどうかな?

アンディ:見ているととても混乱してきました。

アダマス:混乱した。

アンディ:はい。

アダマス:なるほど。さあ、あと2,3人行きましょう。

シャーンブラ3(女性):なんとなく2種類のものが見えて、どちらかを選ぶ感じです。

アダマス:うーん、なるほど。いいね。

シャーンブラ3:1つは文字通りのパターンで、もう1つは動いているような。

アダマス:動いている。

シャーンブラ:脳がそう見てしまっているような。

アダマス:そのとおり。素晴らしい。あと1人やろうかな。どんな気がしたかな?

エディス:ステファニーと同じかしらね。たくさんの四角があって、動いているように見えて、腕や何やかやが伸びてるような。

アダマス:素晴らしい。いいね。ではもう1度、照明を落としてください。スクリーンに図を戻してください。今そうしているわけではありませんが、これは古典的な催眠用の模様です。照明を落として、オンライン用の図もお願いします。

いいね。この図を見つめていると、動きが見え始めると思います。それはとても自然なことです。脳には、この描かれたパターン、それを構成するそれぞれを、適格に読み取る方法が分かりません。どう読み取っていいかが脳にははっきりしないのです。それが理由で、動いているように見えてきます。その動きが何度も何度もみなさんを引き寄せます。あるいは、みなさんに向かってくるように見えてきます。

(間を取る)

この図をじっと見つめていると、なんとなく落ち着かない気分になってきますね。これを見つめたあとには、周囲含めて、全体として、落ち着かない感じになるでしょう。この図にはとても高い催眠の効果があります。ある程度の時間、この図を見続けていると、この図はみなさんを捕えます。みなさんはこの図に吸い寄せられます。

(間を取る)

マインドは高度にパターン化されています。物の考え方、光、音、触覚、その感受の仕方、どれもがそうです。それはそうあるようにパターン化されています。そして、たった今も、マインドは、この図の中にさえ、そこにありもしないパターンを作っています。マインドは催眠をかけられて、吸い寄せられるというわけです。

照明を元に戻してください。

これがフォーカスの感覚の一例です。私は、何が起こっているのか、みなさんがこの現実の中に来た時に何が起こるか、を象徴的に表すために、今日この図を用いました。みなさんがこの地球にやってきて、物理的な身体を持ち、時空の中に入った時に、このパターン化と変わらない現象が起こります。みなさんは捕まります。吸いつけられます。これが催眠です。これがみなさんを吸い付ける、催眠です。

みなさんの中には、身体やマインドが、落ち着かなくなってきている人がいますね。それはみなさんが別の現実から出てしまいそうになっていることが理由です。現実の別の見方から出てしまいそうになっています。みなさんはより、これにフォーカスしていて、身体とマインドとが、それに合わせるように一種の調整をしています。それが、落ち着かない理由です。だから一旦、図が見えなくなってしまうと、今度はまた、以前の慣れた状態に戻ろうとします。ま、慣れた状態であるたった今いるここもまた、依然として、みなさんがはまったパターンの催眠の中ですが。とにかく、みなさんはここに囚われているか、ここでの遊びに夢中なのか、その言い方は自由ですが、みなさんはこの惑星に来て最初に、この状態に慣れたのです。

「だってこれはこういうものだよ。そういうふうになってるんだ。誰も疑問にも思ってないよ。ずっとずっとこうだったから。息をしなきゃいけないし、えっと、馬鹿馬鹿しくないかい、呼吸はしなきゃダメでしょ」みなさんはそう言うでしょう。でも実際、呼吸は必要ありません。ただみなさんがそうだと信じていれば、食べ物を食べることが必要だと、水を飲むことが必要だと、そう信じていれば、そう信じているからこそ、みなさんはそのとおりに人生を引き寄せ、現実をそのとおりに築きます。

フォーカスの感覚に深く深くはまり込むと、みなさんは、そのフォーカスの感覚を有効化、正当化できる全てのことをするでしょう。もし、そのような状況の中にあって、あの図を変える唯一の方法があるとすれば、トバイアスがFruit of Rose(バラの果実)と呼んだ気付きだけです。もっと別の何かがあるはずだ、その気付きが、そこから出るための方法です。ただ、みなさんは「私はこの中にいる、、、それは分かるぞ」と、その図から少し引いて眺めてみて、こんなことを言います。「うむ。確かに私はこれに囚われているな。よし。私のマインドは『これには黒と白があって、円があって、線がある』そう分析できているな」と。その図の物理的な描写、分析はいくらでも、永久にでも続けることができますが、それはどうでもいいことです。みなさんはまだ、結局のところ、その図の中にいるということです。みなさんはまだフォーカスにいます。みなさんはまだその現実にいて、そのことが、その現実を、その現実の外から見ることを難しくしています。

マインドが、問題に対する解決策を、その古いやり方で、次に何が起こるのか、どう生きるのか、などを考える時、それらは全て、この中で(図を指して)為されています。もっと別の何かがあることを忘れています。全ての注意が、もっと他の多くを認識することにではなく、ここに、たった今のここに、フォーカスされて集まっているのです。私は、人間の現実が悪いと言っているのではありません。ただ非常に制限されていると言っています。そしてそれこそが、みなさんがここにいる動機ですね。みなさんはこう言いました。「自分が嵌りこんだこの現実、これは超越でき得るぞ。白と黒で出来た、こういう現実とは違う、何かがある。そのことは分かっている。もっと何かがあるはずだ」と。このことについては前にも話しました。その気付きがみなさんをここまで導きました。そう分かっていること、気付いていることが原因で、みなさんは、毎日の、日々の人間の暮らしに耐えられない、うんざりしているのだと。しかし、マインドはまだ、フォーカスを、この現実を、合理的に処理しようとしています。マインドはここ、図から出る合理的な方法を考え出そうとしています。しかしその現実は、そこを見れば分かるとおり、どこまでもどこまで続いています。みなさんの現実と、その現実というトンネルの中を通っているスピリチュアルな道について想像してみれば分かるはずです。それは、ただひたすらに続いています。どこまで行っても、もっとたくさんの同じものが出てくるだけです。何かが変わらなければなりません。

Memoirs of the Master 中で、青の国(the Land of the Blue)というストーリーとして話したものです。話の中のことですが、元々そこにあった村、集落には全ての色がありました。赤、黄、ピンクに紫と、人間に想像し得る限りの全ての色から、人間には視覚できないスペクトルの色まで、全ての色がありました。そこには全ての色があったのですが、そこの住人たちは特に青を好んでいました。彼らは青を好み、その傾向はやがて、時間の経過とともに、青を敬い、崇拝することへと繋がりました。

青はマーケットで最もよく売れました。その商品が青であれば、人々はより高い値段でも、その商品を購入しました。そこには青に対する畏敬の念さえありました。何故そうなのかは分かりません。ただ、それがそこの在り方でした。そういった時間が長く続くと、やがて、人々の皮膚でさえ青に変わっていきました。着る物も青、住まいも青、空ももちろん、青でした。地面も青です。しかし、物によって青の濃淡が違っていたため、物を区別することは可能でした。とにかく全てが青でした。お金も青、歌も青。何もかもがそうでした。人々は、愛や感情、感覚でさえも青に基づいた、催眠的なフォーカスに嵌っていました。そうして世界は青だけになりました。それが世界にあった全てです。他の色は完全に忘れ去られてしまっていました。記録も何も残っていません。「かつては黄色という色があった。赤という色もあった」誰もそう書き残してはいませんでした。とにかく全てが青でした。

しかし、そんな中にあっても、もっと他にも色があるはずだ、そう気付いている人々が、少数ながら存在しました。彼らはただ知っていました。彼らはそのことを他の人に何とか伝えようと試みました。「いや、青以外にももっとあるよ」と。しかし彼らには、それを表現する術がありません。そのことを表す言葉が無いのです。言葉の全てが青でした。黄色を表す言葉はありません。どころか、そういった言葉があったとして、赤や黄色、他の色について知覚する、聞き取る聴力さえ人々にはありませんでした。彼らのフラストレーションは溜まっていく一方でした。そして不安にもなりました。他にも何かがある、彼らはそう知ってはいましたが、あるいは自分の頭がおかくしなったのかもしれない、そう考えるようにもなっていました。自分で話をでっち上げた、作り上げただけかもしれない、と。青のパンと青のピザと青のフットボールやそういうもので、満足しておいた方が良いかもしれない、と。そうして彼らは青へと戻ろうとしましたが、何かがずっと引っかかっていました。その何かはこう言っています。「こんな青だけの現実が続くのなら、死んだ方がマシだ」と。

その言葉を発した時、物事は開き始めました。という話です。そして友人のみなさん、これはみなさんのストーリーでもあります。みなさんです。みなさんはこう分かっています。「ここはフォーカスだらけの世界」だと。この場合の青は時空ですかね。二元性もまた青ですね。青は何にでもなり得ますが、いずれにせよ、制限です。それは、そこいらにある全てではないわけです。それ以上の、それより多くの、何かがあります。青は青、それはそれでいいのですが、他にももっとたくさんあります。

さあ、大きく、深呼吸をしましょう。

フォーカスです。それは感覚であり、現実の1つの見方です。美しい感覚です。もうこれ(図)は消していいかな。とにかく驚くべき感覚です。フォーカスというのは実際、数ある感覚の中でも、最も不思議でマジカルな感覚です。それは、みなさんを捕まえて、フォーカスさせます。青にします。そしてひとたびそこに入るや、外に出るのが難しいです。根本的な、、、過ち、と続けようと思いましたが、根本的で且つ、ありがちな考え違い、としておきますが、それは、青を使って、青から出ようとすることです。それは全く機能しません。そのためには、現実を「Alt(一変)」させなければなりません。

Alt Reality(現実を一変させる)

「Alt」です。コンピューターにも「Alt」キーがありますね。「Alt」です。異なるという意味です。変える、という意味でもあります。もう青はいらん、という意味にもなり得ます。ここで今日、私たちは、活性化、いや、活性化とは呼びたくないね。「Alt」ボタンを覚えて帰りましょう、ということです。言葉を間違えたのはカウルダーです(聴衆、笑う)。私たちは、私たちの中に既に備わっている、「Alt」ボタンの使い方を覚えますよ。現実を「Alt(一変)」させます。

その暮らしの中にあって、その先に何があるのか、人間が「明日は何が起こるかな? 熟達して悟りに至れば何があるだろう?」と言ったり、考えたりしているその時には、あなたはまだフォーカスの感覚、制限の中にいます。誰かが「分かりません」とか「それはずっとそうでした。そうなっているからそうなんです」と言った時に、私が寛容でない理由はそこにもあります。そんな言葉は吹き飛ばしてください。それらの言葉は、あなたを捕まえておく催眠パターンのまた別の形です。「うーん、私は催眠にかかっています。フォーカスの中にいます。もちろん24時間、いつだってそうです」そう言っているのと同じです。ありえません。そんなことはありえません。そこにはまた「Alt(別の)」現実があり、その現実は24時間でも、1日の何時間かでもなく、時間の外に存在します。それはあの辺りにあるのではなく、ここにあります。そしてあなたにはそれが見えません。あなたが、この今というあなたのスクリーンにフォーカスし過ぎているからです。

これはマインドのためのゲームではありません。まあ、今からやろうとしていることは、そもそもマインドには遊べません。マインドにはそれをコントロールすることができません。マインドはそれに対していかなる統治権も力も行使することができません。マインドは実際、「Alt(一変した)」現実を受け入れるまでのしばらくの間、抵抗さえするでしょう。

この現実は、深いフォーカスの中にあります。ただ、あなたはもっと他にも現実があると気付いています。中には、このこと、この道理を他の誰かに説明できずに、恥ずかしい思いをしたことがある人がいるかもしれません。もしかしたらこんな話は自分が勝手に作っただけで、あるいは頭がおかしくなったのかもしれない、そう不安になったこともあるでしょう。しかし友人の皆さん、私は断言します。「Alt(別の)」現実は数多く存在します。そしてそれらはここにあります。どこか向こう側にあるのではありません。ここにあります。我々として為すべきことは「Alt Reality(現実一変)ボタン」を叩くこと、それだけです。ま、すごく単純に聞こえますが、その音の響きほど簡単ではないかもしれません。

さあ、古いこのフォーカスから出たいですか? 慣れない「Alt Reality(一変した現実)」で、身体に吐き気をもよおす準備は出来ていますか? 身体はこのフォーカスに慣れ過ぎていますよ。あとマインドですね。あなたは自分の気が狂ってしまう(訳注:out of mind/マインドの外の意もあり)かどうか心配ですか? 本当に「現実一変ボタン」を押すこと、今とは全く違う現実に対しての、覚悟は十分に出来ていますか? もちろんあなたはイエスと言うでしょう。ただ、私は、その先では、途轍もなく大量の許しを行うことになりますよ、と言っています。「Alt」ボタンを押したなら、それまでの物事が意味(sense)を成さなくなるでしょう。ただし、現実の見方、受け取り方において、あなたが感覚(sense)と呼ぶものは、前より多くなるでしょう。

このことについて、別のやり方で説明させてください。現実とは、あるスペクトル内のエネルギーと意識における経験以上の何ものでもありません。そしてそれは往々にして、信念に支配されます。たとえば、この惑星には、人間がどうやってここまで来て、どこへ向かっていくのか、に関する2つの主要な信念があります。人間の条件についての2つの大きな信念があります。1つは進化です。ダーウィンという人物は、ある意味、ちょっと頭がおかしいですね(笑いが起きる)。本当にそうです。彼は頭脳明晰だったかもしれませんが、おかしいです。ダーウィン、進化論、全ては池に浮いていた緑色のカスだか粒だかから進化した、それが進化だと言っています。その説で行くと、みなさんは猿でした。みなさんはその、なんというか、その猿という生物学的な祖先から進化したらしいですよ。全てはそうやって進化したということです。

ただ、ダーウィンも進化論も、その池の浮きカスがどうやって来たのか、原初の微生物やそういうものが、どう表れたかを、本当の意味では語れていませんね。彼らは、そういうのは最初からいた、あった、という事実は事実で素通りして、進化論に繋げています。これが1つ目の進化論です。そしてもう1つが創造説です。神が人間を創造した。神がアダムとイブを庭に放って、みなさん全てを創造した。創造されたみなさんは罪を犯して地球に落ちたというあれです。

これらが、人間がどう表れて、どこへ向かっているのか、についての2つの主要な見方です。宗教も創造説も、人間が跪いて許しを請うたり、神の庇護に戻るために酷いカルマに苛まれたりと、償いの話ばかりしています。全く意味不明です。しかしこの意味不明なものを、程度の差こそあれ、47億人もの人間が信じています。ゲームとしては面白いかもしれませんが、全く、完全に、意味不明です。これらが主要な2つの学派です。

さあ、大きく、深呼吸をしましょう。

私は別に、どちらが正しいとかそうでないとか、そういう話をしているのではありません。実際、どちらも、ある意味では正しいです。単に私は、そんなものは放っておいて「Alt」ボタンを押しましょうと言っています。

我々がどうここにやってきて、どこへ向かっているのか? それについて、創造説とも進化論的な進歩とも全く違う、別のことをして、全く別のことを感じましょう。

深呼吸をしてください。「Alt」です。全く別です。考えさえしません。「Alt」ボタンは脳に接続されてはいません。「Alt」ボタンは脳とは繋がっていませんよ。「Alt」ボタンはマスターの叡智と人間のハートに繋がっています。さあ、「Alt」ボタンを押してください。

リンダ、マイクをよろしく。照明をつけてください。

私たちはどうやってここに来たのか? そしてどこへ向かっているのか? お願いですから「分かりません」だけは言わないようにしてください。分からないと思ったなら、何でもいいから作ってください。でっち上げてください。そうして出た言葉が真実だったと、言ったあとに分かります。はい、どうぞ。

ジョン:「私は経験したい」そう意識が言ったから。

アダマス:素晴らしい。

ジョン:だからそうなった。

アダマス:だからそうなった。私より上手い言い方かもしれないね。意識が言ったと。「私は創造したい。経験したい」と。そしてそうなった。もうマイクを回す必要はなくなったね。ありがとう(聴衆、喝采)。

もちろん、科学もまたフォーカスの中にあります。催眠的な図の中にいます。そのことに対して、きっと科学者はこう言うでしょう。「いや、それは正しくないよ。そのことは科学的な証拠とともに証明することができるよ。しかし君たちっていうのは、本当にニューエイジ的なたわごとが好きだねえ」と。あるいは創造論者であればこう言うでしょうか。「冒涜ですね。神の怒りを買って地獄に落とされますよ。結局、最後には悔い改めると思いますがね。異端ですね」と。彼らはなんやかやと議論を止めることはないでしょう。ま、ここは創造物である、という点は正しいですが。

創造に進化は必要ありません。創造はただ起こります。そしてそれをあとから振り返ることも可能です。「うーん、これはどうやって起こったのかな?」と。それが起こった可能性、その1つはどんなものだろうか、です。すなわち意識は(指をスナップ!)創造します。そしてそれについての壮大なストーリー、それがどう起こったのかもまた、それが真実かどうかに関係なく、創造します。それは単なる経験であり、それ以外の何でもありません。それだけです。意識は創造することを選択し、その結果としての私たちです。全くそうです。

友人のみなさん。さきほどお話した考え、学説、集合意識の持つ思想もまた、あるポイントでは、ある意味では、また正しいです。ある程度のところまでは、何がどう進化したかを科学的にたどることは可能でしょう。あるいは、神が手をかざした瞬間に出来た世界、その創造論と生きていくことも出来るでしょう。その点で言えば、神も意識に似たものであることは確かですね。神という他人の功績にしてしまっているところが残念ですが。

とにかく、みなさんがすべきことは、立ち止まって、「現実一変ボタン」を押すことです。現実を見るその見方は無数にあります。現実を創造するその創造の仕方は無数にあります。

さあここでさらに一歩前に進みましょう。人間としての日々の暮らしで、あなたが問題やトラブルに出くわすとします。お金の問題かもしれません。次の一手をどうすべきかを決められないことかもしれません。あるいは人間関係のトラブル、自己評価の低さ、なんでもですが、あなたのマインドはそれらに関して、これはこう、そういう場合はそう、と考え方、方針なりを持っています。マインドは、さきほどの催眠的なパターンの図の時と同じように、パターンに嵌っています。マインドは同じことを繰り返します。もう一度さっきの図を出しましょう。あなたのマインドはパターンの中で解決策を探して、同じところをぐるぐると回っています。仮に人間関係の問題に直面したならしたで、こうなります。「まだ一緒にいるべきか否か? その場合の結果はどうなるだろうか? 経済的にはどうなるだろうか? 彼は、彼女は激しく動揺するだろうか? 脅してきたり、自殺したりしないだろうか? 彼は、彼女は、他人に良くないことを言い触らしたりはしないだろうか? だって彼は、彼女は、私の汚いところや癖も知ってるからな」

分かりますか。あなたは既にその問題の中にいます。催眠的なフォーカスの中にいます。マインドのフォーカスです。その人間関係の問題をなんとか解決しようする精神的なフォーカスの中にいます。そうしてあなたは、同じところの行ったり来たりを繰り返します。そして日に日に惨めな気持ちになっていきます。あなたはその一緒に暮らしている人物に我慢できなくなっていますが、かと言って、もはや愛していないとも伝えません。どうするか、何をするか、その次に何をするか、をただただ考え続けます。そしてその時こそが、一瞬止まって、大きく、深呼吸をする時です。深呼吸をして「Alt」ボタンを押す時です。そうしてとっとと、その現実から立ち去ります。

分かりますか。「Alt」ボタンは脳に繋がっているわけではありません。「Alt」ボタンは催眠的なパターンにもフォーカスにも嵌りません。「Alt」ボタンは、全く新しいレベルでの解決策、たとえそれが何であれ、どんな形でも、あなたの前に提示します。どんなに大きな問題でも、ほんの小さないざこざでも、何にでも、何に対してでも、あなたの暮らしの全てにおいて、機能します。

もし、人生をどう生きていくか、次に何をすべきか、と悩んでいたとしましょう。あなたは身体を持ったマスターになりたいと思っていて、且つ、仕事はもはや自分に仕えていないことも分かっています。しかし月々の支払いもあり、あなたは他のどこへも行くことなく、いつものパターンに戻っていきます。あなたは「どうすれば仕事を辞められるのか。この状況から脱するためにはどうすればいいのか。身体を持ったままでマスターとなる、良い家に住んで、ファーストクラスに乗るのに十分なお金をどうやって手に入れればいいのだろうか」と、問題を解決しようと考えます。あなたは、それらは全て、自分が受けて当然、当たり前に得られるものだと分かっています。しかしマインドは割り込んできます。フォーカスの中で「さて、どうすべきか?」と、答えを見つけだそうと入ってきます。そしてあなたはおそらく最後にこう言います。「なに、いつかきっとそうなるさ」と。そうしてあなたはパターンのさらに深いところに落ち込みます。何故なら、その現実、そのパターンの中では、いつかきっとそうはならないからです。あなたはそのパターンのより深いところ、パターンのその先に進むだけです。それで、問題について忘れてしまい、その問題は解決されないままで放置されます。なので、もう一度言います。フォーカスの中でマインドを使って問題を解決しようとするのは、非常に制限された古い古いやり方です。マインドにマインドの外の事を考えることは出来ません。不可能です。だからマインドはいつも、常に常に、マインドの中で答えを探し、マインドの中で解決を求め続けているのです。しかし、そんなところに答えなんかありませんし、解決もありません。そしてそれはとても良いニュースです。

どうやってマインドの外に出るのか? 「現実一変ボタン」を押してください。そして考えること止めてください。そうして散歩にでも行ってください。もしそうしたいなら、山にでも登ってください。ケーキを焼くなり、マスターボールを食べるなり、なんでも好きなことをやってください(笑いが起きる)。「現実一変ボタン」を押したぞ、というエネルギー的な経験を通り抜けて、元の現実からとっとと去ってください。

答えはあなたのところにやってきます。その瞬間、すぐに、というわけではないかもしれませんが、答えは必ずやってきます。そしてそれは、マインドがそれまでに考えたこともないような、また考えそうにもないようなものであることが多いでしょう。最初は、もしかしたら、自分がおかしくなったと思うかもしれません。あなたはその答えを疑うでしょう。それは文字で記載されたりしたような、はっきりした回答ではないからです。それは気付き、感覚としてやってきます。「あー、そっか」といった感じで、美しい波と共に降りてきます。ただ、人間のマインド、このウンコのかけらは、その波を、美しさを、優雅さを、新しい解決策の驚くべき広がりを、吸い取ります。マインドはそれを吸い上げ、ここに(フォーカスの図)入れ込もうとします。その時には「現実一変ボタン」を押してください。「そこには行かない。こことは違う、一変した現実に行くんだ」です。

そもそも、その答えは、マインド、人間のマインドに理解できるものではありません。あなたは言葉を当て込もうとするでしょうが、そうやって定義できるものではありません。あなたは人生のその新しい解決策に何らかの根拠を与えようとするでしょうが、そもそも、マインドとはその機能の仕方が違っています。分かりますか。この図を見ても分かるとおり、マインドは近親相姦をしているかのように、常に自分で自分を取り込みます。マインドは常に自分自身を食べています。だからこそ、無限に食べて食べて食べ続けることができるのです。マインドは常に自身の中に中に入っています。私たちはそれとは全く異なる解決策を求めて、現実を一変させるのです。

これはいつでも使うことが可能です。魔法でもなんでもありません。意識です。それは意識であり、それは引き寄せる者です。意識はあなたを、ここ(フォーカスの図)から、壁から、部屋から、ビルから、その外へと連れ出します。全ては結局のところ、意識です。究極のところ、意識はあなたに、あなたがあなたを別の現実、人間のものとは異なる現実へと、連れていくことを許します。テレビなどであるSFは分かりますね。サイエンス・フィクションです。あれは人間の現実を異なった形で描いていますが、依然として人間ですね。人間の身体とマインドはそこにあって、アクションや他の全ても人間ですが、そうは思わせない演出や効果が足されています。結局のところ全く違う世界になっています。それは単に人間が一変したというわけではなく、現実が一変したということです。全く異なる現実です。

さあ、深呼吸をしてください。始まりです。あなたは、常に手元にあるツール、常にあるもの、そう呼んでも構わないものを手にしています。あなた、そのツールで現実を一変させられること、そのことに気付くところにまで戻ってきました。とりあえずボタンと呼びましょうか。マインドには接続せず、目の前を一掃して、今聞いたように、全く異なる景色をあなたに提供するトリガーですね。科学者や宗教の指導者たちは、何千年ではないにせよ、何百年も、我々がどうやって現れたのかについて議論しています。そしてここには、兄弟であるジョンが言ったシンプルで簡潔な言葉「ヘイ、それはただの意識だよ。創造的な意識がそれを望んだ。だから全てが創造された」があります。実際これは真実です。科学がそのことを発見するにはもうしばらくかかりそうです。宗教は絶対にそのことを受け入れることはないでしょう。しかしそれが真実です。意識がなければ、何も存在し得ません。意識があればこそ、あなたはこのような現実を創造できます。フォーカスの感覚の中であなたを吸い付けるこの現実もまた、あなたは意識なしでは創造することはできません。意識とともに、あなたは望んだ現実を創造することが可能ですが、それは脳を通したものではありません。意志の力でもありません。いかなる力もパワーもありません。エネルギーを使ってさえいないのです。

創造そのものにエネルギーは不要です。ほとんどの人は創造と膨大な量のエネルギーとを結び付けて考えますが、真の創造、真の意識には、エネルギーは一粒たりとも、一滴さえも含まれません。エネルギーは後に続くものの話です。つまりは、創造はあなたである創造主の中で生まれ、あなたの思いやり、ないしは情熱が迸り出て、それが創造を現実にするエネルギーを持ち込みます。だからこそ、私はあなたに自分のハートを見るように言うのです。それを表す言葉は様々でしたが、本質的にそれは、思いやりでした。今はそれを自分自身に向ける時です。自分の人生に、生活に向けてください。途端に全てが変わります。楽に、優雅に、いかなる努力も必要とせず、そうなります。

Alt Reality Merabh(現実を一変させる メラブ)

では、大きく、ゆっくりと、深呼吸をしてください。音楽を流しますので、全てを統合してください。たくさんたくさん話しました。たくさんの気逸らしがありました。全てをこのメラブの間に統合しましょう。

(音楽、流れる)

この時がやってきました。マスターの叡智が来る時です。マスターは現れました。あなたが許してきたからです。

(間を取る)

I Am の他の生涯たちはさほど許しを行っていません。しかしあなたは許していました。そして叡智が現れました。

(間を取る)

あなたは人間の真のハートのことを忘れていました。傷、挑戦を乗り越えるのにずっとずっと忙しくしてきたからです。頑張り、戦い、風車を倒すことにずっとずっと忙しくしてきたからです。しかし、もう戦いは必要ではありません。ずっとずっと、あなたは、あなたのハートにある途轍もなく巨大な思いやりのことを忘れていました。

(間を取る)

ついに人間の身体を離れて別の領域にあなたが来た時、あなたのことで1つ、永遠に、全ての永遠で知られることがあるとしたら、それはあなたの他者に対する思いやりです。それはあなたのエネルギーフィールドの中で常に見える、カラーバンドのようなものです。それが取れることはありません。

別の領域に住まう天使などの存在たちは、たちどころに、あなたの中にその印を見つけます。

カラーバンドです。あなたが当然のものとして持ち続けた他者に対する思いやりです。

人々を観察してください。そして人それぞれで、他者に対する思いやりの程度に違いがあることを見てください。思いやりなど、ほぼ皆無だという人もいます。森をうろつく獣ほどの思いやりさえ持っていない人がいます。その程度は人それぞれです。が、しかし、あなた、みなさんほど思いやりに溢れた人は他にいません。そしてそのハートは、その途轍もない量の思いやりを、それを他者に利用されてきた、され続けてきた生涯、その繰り返しがゆえ、固くなっていましたね。でももう分かっていますね。そんな日々は過ぎ去りました。ずっと前に過ぎ去りました。もう誰も、あなたをいかなる方法でも傷つけることは出来ません。

(間を取る)

あなたは意識であると認識すること、、、まあ、それこそが偉大な創造主なのですが、そこにエネルギーは要りません。意識とは夢のようなものであり、情熱のようなものであり、創造され経験され得るイマジネーション、想像です。そこにエネルギーが持ち込まれて、物理的にもそれ以外でも、具現化されます。夢を、情熱を、想像を具現化するため、エネルギーが持ち込まれます。

分かりますね。私がこうして喋っている今でさえも、あなたはこの物理的な領域の時空にいながらにして、意識としては想像をし、夢を見て、ストーリーを創造し、それを経験しています。その経験とは、物理的な現実ではとても出来ないような、とてもセンシュアルで感覚的な経験です。夜の夢でその一部を垣間見たことがあるはずです。

この、ここのマトリックスを超えて行く時がやってきました。催眠的なパターンとそれに支配された日々の暮らし、ここを超えて行く時がやってきました。やっとここまで戻ってきました。「現実一変ボタン」を受け入れました。それは常に、ずっとずっと、あなたの傍にありました。つまり、特には、新しいものでもないということです。それは前からずっとあって、ただ、覆われ、隠されていたのです。

この「現実一変ボタン」は、真にあなたに属しています。得るために努力する必要のないものです。それはあなたである、あなたの輝きである、と言っても過言ではありません。人生の中で起こる問題、それに対する古い解答、二元性を超越して、こことは別の現実を持つ、持てるというのは、創造主としてのあなたの権利です。

いつでも好きな時に自由に使えます。それは脳に接続されてはいません。あなた以外の他の誰にも使えません。あなただけのものです。もし現実に嵌り込んでしまった時には、そのことを認め、そのことを許し、ただボタンを押してください。そこには別の解決策が必ずあります。別の見方が必ずあります。別の現実が必ずあります。そしてその現実は時にこの現実と混ざり合います。もちろんそれも起こり得ます。どちらか、ではないからです。Andです。あなたはそういった意味でも、1つの現実、2つの現実、この現実、あの現実、と制限されてはいないのです。

それは幻想なのでしょうか? まあ、そうとも言えますね。ただ、それはとてもリアルであるし、実際、何もかも、全てが意識の結果ですよね。ここが面白いところなのですが、実のところ、私たちはボタンを押すことで、何も創造していません。私たちはシンプルに、制限されたフォーカスから、出ているだけのことなのです。それが私たちがしていることです。スクリーンに映し出されたパターンから、素軽く、外に出ているだけなのです。

この「現実一変」は人生の全てで使えます。でも忘れないでください。天使がそれをしているのではありません。ハイヤーセルフがやっているわけでもありません。やっているのはあなたです。あなたとマスターの叡智がそうしています。

これはどんなに小さな問題にでも使えます。新しい車や家が欲しいといった、そういうことにも使えます。無論、「仕事に関して、どうすべきか?」といった、人間的な意味で、もっと重要な問題に対しても活用できます。あるいはもっと重たい課題「エネルギーの詰まりをどう解放するか? どうやって悟りの体現を許すのか? どうやったら健康で豊かな暮らしが流れ込んでくるんだろう?」といったものに対しても使えます。

ただ「現実一変ボタン」にも、大したものではありませんが、注意書きがついています。確認しておいた方が良さそうですね。

一つ、それはあなたが思った、人間がそうなるだろうと考えたとおりにはなりません。使用に際しては、予期や予測、事前の期待を手放してください。その解決策は、たとえば別の人、つまりは人間に考えてもらったようなものとは根本的に違っています。その解決策は、異世界的な解決策です。常にここにある別の領域から来た解決策です。

二つ、激しくフラッシュが点灯しますので、他人へ向けての使用は厳禁です。所有者本人のみが本人のためだけに使用できます。決して他人には使わないでください。そもそも他者の現実へ介入すること自体、あなたのハートにある思いやりとは相容れない行いです。分かりますね。真の思いやりとは、全ての存在に対して、それが望む経験を尊重して、思いどおりにさせてやること、です。他の人を変えようとしないでください。世界を尊重し、それを変えようとしないでください。もしかしたら、ここの部分が、天使や、天使的な存在であるみなさんには、守るのが辛く、難しいところかもしれませんね。

世界を変えようとはしないでください。「現実一変ボタン」は自分のため、自分の生活、人生のためだけに使ってください。そんな心配をしなくても、究極的には、みなさんはスタンダードとして、大勢の人に影響します。それがみなさんの良いところです。ハートにある、輝ける基準、スタンダードで在れることが、みなさんの良いところです。そのためには、言葉も力も誘導さえも、何も必要ありません。放っておいても、近いところから変わっていきます。子供。愛する人。それはコミュニティーへと広がります。

決して「現実一変ボタン」を彼らに対して使わないでください。それはあなただけのものです。あなたの現実だけを変えるものです。あなたがあなたの現実をどう創造するかだけを変えるものです。

(間を取る)

意識は創造しますが、そこにはいかなるエネルギー介在しません。エネルギーはその具現化の段階で、現実という美しい幻想の創造に加わります。

意識、偉大なる創造主に、エネルギーは不要です。

(間を取る)

そしてあなたはまた、引き寄せる者である、エネルギーを引き寄せる存在である、あなたは創造主であり、意識という左辺の式とイコールで結ばれた右辺である、そのことを忘れないでいてください。あなたはエネルギーが流れ込むその先です。受け手です。エネルギーのギフトを受け取る側です。

磁石です。ただ、もしあなたが、マインドに、信念によって制限されているのなら、もしあなたが催眠的な図の現実に制限されているのなら、あなたは同じように、制限されたエネルギーによって制限されたスペクトルの中にある制限された解決策のみを引き寄せます。

制限など無い、そう想像してください。別(Alt)の現実は存在します。本当にたくさんのたくさんの別現実が存在します。進化論などないところがあります。いわゆる創造説もありません。意識主義(conscious-ism)ならあってもいいです(アダマス、笑う)。

とにかく、たくさんの異なる現実が存在します。

少し想像してみてください。引き寄せる者として、エネルギーのギフトを受け取る者として、あなたの存在は、現実をどう変えますか?

(間を取る)

気付きの中に「現実一変ボタン」を持ち込んでください。

深呼吸をしてください。

恐れることなく遊んでください。それは経験のためにあるのです。でも他者への使用は厳禁です。

(間を取る)

本日以降、解決策は無数に、様々にあることを覚えておいてください。あえて、かなり端的に言おうと思いますが、問題に直面した時、みなさんは傾向的に解決策を2つ考えます。アプローチAとアプローチBです。そしてそのどちらもが、催眠的な図をベースに構築されたアイデアです。言い換えるなら、どちらも制限されたマインドによる発案です。今日出てきた言葉を使って表現するなら、そういうことになっている、いつもそうしてきた、です。でもみなさんは真の意識の開拓者として、それとはぜひ、異なってください。「現実一変ボタン」を取り出し、現実の扉を開けてください。

さあ、大きく、ゆっくりと、深呼吸をしましょう。深呼吸をしてください。

では来月か、それまでのどこかで再びお会いしましょう。身体を持ったマスターとして地球に残る、そのことを忘れないでください。そして、創造において、全ては正しい、です。

ありがとう。ありがとう(聴衆、喝采)。

翻訳: Ito Satoshi


注記: どうぞ自由にこのテキストを配布してください。ただし、一部を抜粋するのではなくこの注記も含め完全な形で、非営利かつ無償で配布してください。それ以外の利用については、コロラド州ゴールデンに住むジェフリー・ホップの書面による許可が必要となります。
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