The Transhuman(トランスヒューマン)シリーズ シャウド4

The Transhuman(トランスヒューマン)シリーズ シャウド4

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トランスヒューマン シリーズ シャウド 4:
ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマンのチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈 2016年12月10日
http://www.crimsoncircle.com/

私は私であるもののすべて、アダマス・サンジェルマンです。

最初にやるべきことを、まず最初にしておきましょう。エネルギーの交換です(笑う)。チャネルにコーヒーは欠かせません。

リンダ:(サンドラに)ありがとう。

アダマス:どうもありがとう。

サンドラ:熱いですよ。

リンダ:いつもありがとう。わっ!

サンドラ:とても熱いので。

リンダ:でもコーヒーはそうでないと。気を付けてちょうだい。

アダマス:ありがとうありがとう。

リンダ:熱いわよ。

アダマス:わー。でも全然平気だね。ああ!

さて、シャーンブラのみなさん、いよいよクリスマスの時期ですね。ホリデーシーズンがやってきました(彼がマグカップを掲げると、聴衆は喝采)。ああ!

私はクリスマスという言い方が個人的には気に入っています。政治的に正しいかどうかは別にして、まあ本来であれば「ホリデーシーズン」と呼ぶべきなのでしょうが、私たち全員がここに来た理由、地球にキリスト意識の種を植え、発芽させる、開花させる、を思い出す時期を形容するのに、ぴったりだと私には思えます。

クリスマスはヨシュアの誕生に関係したものではありません。彼が生まれたのは12月でさえありませんからね。彼は魚座の男でした。クリスマスは私たちが何のためにここに来たのか、キリスト意識を根付かせ、花開かせるためにここに来た、そのことを、思い出すための時期なのです。

私たちは新しい希望を胸に、究極のところ、人間性と神聖性を統合させるため、その目的のために、この地球に降り立ちました。この時期にクリスマスがクリスマスらしいのは、ま、そのあたりが理由です。

リンダとカウルダーが先ほど言っていたように、ちょっと立ち止まって、深呼吸をし、のんびりして、リラックスをする時です。根を詰めて眉間にしわを寄せたり、頑張り過ぎることをストップして、楽しんでください。ね、こんな顔を見せてもらって、楽しまないでいられますか?(エルフのマスクをかぶった人のこと)ですよね。キスをするに値しますね。んまあああ! よし。

リンダ:お金には変えられないわね。

アダマス:クリスマスです。一年で最も美しく素晴らしい時期です。物事の進み方がのんびりとしてきます。内面へと向かう季節です。ああ、そう言えばもうすぐ冬至ですね。もしかしたら最近はよく眠れているのではないでしょうか? 外が暗い時間が少しずつ長くなっています。一年で全てが最もスローダウンする時期です。今はゆっくりしてください。来年にはたくさんのことが待っています。私たちのスケジュール帳は予定でいっぱいです。

私は今ProGnostの準備をするにあたって、みなさんの生活で、この先に何があるのかを確認しているところです。確認しているとはいっても、具体的な事柄のことではありません。エネルギーの動きと方向性から、その先に何があるのかを読んでいます。おー。全く違う年になりそうですね。今年とは全くもって異なるでしょう。「うーむ。これはとても興味深い」そう言いたくなる年になるでしょう。

Time(時間について)

シャウドの内容に本格的入る前に、じっくり感じてほしいことがあります。みなさんの多くに起こっていることだと思いますが、時間の移り方についてです。時間の柔軟さ、伸びたり縮んだり、について感じてください。もう気付いているかもしれませんが、時間が経つのがかなり、かなり、速くなっていませんか? 何かを1時間かけてやる、あるいは目的地まで1時間かけてたどり着いた、その1時間が途轍もなく短く思えるような感覚です。自分はその1時間何をしていたのかはっきりした記憶がありません。本当に何かをしたり移動したりしていたのか不思議にさえ思えます。あなたはいわゆる「今ここ」にいたのでしょうか? 身体から抜け出していたのかしれません。もしかしたら別の次元にいたのでしょうか? いいえ。そのどれもが違います。そういう珍しいことが起こっているのではありません。あなたがマスターに近づくと、時間はその厳密さを失います。等間隔で正確に進むその性質が剥げ落ちてしまいます。それが今、起こっています。

みなさんも、みなさんの周りにも、時計が無くても、だいたい何時ぐらいか分かる人がいますね。場合にもよりますが、5分、10分程度の誤差はあっても、大よその時間が分かることがありますよね。今が何時で、さっきからどのぐらいの時間が経ったかなど。でも、マスターに近づけば近づくほど、そういう感覚は通用しなくなっていきます。「なにがどうなってるんだ?」不思議に思うことが増えていきます。でも、上述したような、速くなるケースだけではありません。時間の進みが驚くほど遅く、遅く、感じることも出てきます。もうみなさんは経験的に分かっていると思いますが、速すぎようと遅すぎようと、それはそれで良いにしても、時間というのは、往々にしてこちらの都合にお構いなしです。お構いなしどころか、もう嫌がらせの域ですよね(笑いが起こる。「その通り」と声が上がる)。こっちが急いでいる時に限って時間は速く速く過ぎていきます。逆に、何もやることがなく退屈していると、ビタッと凪いだ海のヨットように進みません。しかしこのことは、みなさんの精神と肉体に何がどのくらいの程度で起こっているかの指標になります。みなさんはシフトし変化しています。

身体は時間と密接に密接に結びついています。心臓の鼓動と時の刻みには関係性が存在します。あなた方は、昇っては沈む太陽の動きに連動して、日々の活動を行います。身体は生体という機構であり、時計仕掛けの機械です。しかしその仕組みの設定には関係なく、突然に始まった今の変化は止みません。変化はひたすらに続いていきます。身体にはそれが感じられます。「なにがどうなってるんだ?」身体は不思議に思います。

そしてそれはマインドについても同じです。マインドもまた、時間と密接に密接に繋がっています。マインドは、日付や時刻無しに、計画を立てることが出来ません。考えてみてください。朝の8時と午後の3時ではエネルギー的に全く違うことは分かりますよね。感じてみてください。朝8時のエネルギーは、午後3時のそれとは全く全くの別物です。マインドが、時間と、その時間には世界で何が起こるべきか、を関連付けて決めるからです。マインドは、時間と密接に紐づいた身体と密接に紐づいているため、そのリズムに合わせて、ある時間に何が起こるべきか、何をすべきかを考えます。しかし、その全てはやはり、マインドからすると突然、と呼ぶに近い速さで変わっています。

念のために言っておきますが、悪い方向への変化ではありません。全くそうではありませんよ。この過程の中でみなさんは、実際のところ、時間が「敵」ではなく「友達」だと気付くことになるでしょう。それが踏むべき次のステップです。みなさんの人生は、皮肉にも、時間を見つけること、時間を守ること、時間を調整することに、多くの時間を費やしています。精神的にせよ肉体的にせよ、時間に囚われている限り、時間はあなた方のエネルギーを奪います。みなさんの多くが同意出来ると思いますが、時間はエネルギー泥棒にしか思えませんよね。でもそれが、それが突然、友達に変わります。友達だと気付きます。時間はみなさんの都合に合わせ、みなさんのために働きます。そうしてそこから、時間など無い、という刹那の気付きが徐々に訪れるようになっていきます。実際、時間なんて存在しません。どの領域へ行ってもありません。時の番人もいなければ、守るべき大きな時計もありません。時間など無いのです。

もちろん、この惑星には、時間はある、そうしておいた方が上手く行くことも多々あります。惑星自体の運行や、太陽の動き、日の出も美しい夕焼けも、時間というものがあるからこそ、ということは分かっています。が、いずれにせよ、ある瞬間にみなさんは、時間中毒から解放された自分に気付くことになるでしょう。みなさんは時間という電車から下車します。その時には、すごく変な感じがするでしょう。

変な感じです。随時感じていたものが無いせいで、方向感覚が欠如したように感じられます。しかし、あなたは突如、認識します。線的な人生がなんであるか、その概念、ガラパゴス的に、分、時間、日、年がまっすぐに等間隔で進行していくここの在り様、その全てが、巨大な幻想あるとの認識が訪れます。過去生、未来生、そういう考えの全てが単なる幻想だと分かります。みなさん時々考えますよね。「もしこの惑星に残るとして、どんな未来が来るだろうか?」と。知りたいですか? 大きく深呼吸をして、じっくり感じ入ってください。その未来はたった今、この瞬間に、今と同時に起こっています。

マインドには理解しがたい考え方です。「全てが今同時に起こるなんて不可能だ」マインドはそう思うでしょう。マインドはとても線的です。時間に強くフォーカスしています。「未来」とされるあなたの時間が「今」起こっているというのは定義的に有り得ないし、理解することが出来ません。しかしあなたが、時の概念、時計の針が、チクタクと月や年を等間隔に刻み、そうやって過去を増やしていく、この考え方を手放すことが出来たなら、全ては同時に起こっている、この美しい認識が、突如として訪れます。全てはたった今に起こっています。

であるからして、過去や未来の人生は、互いから完全に独立した事象です。完全に独立した出来事です。マスターになるために、この人生から次の人生へステップアップをする、そんな時系列でのリンクはそれぞれの生涯の間にはありません。あなたは過去生とされる今の人生でマスターとなり、未来生とされる生涯では、まだマスターではないかもしれません。時間を手放すことの美しさはここにあります。

時間を手放すためには、時間からの解放は既に始まっていて、今まさにそれが起こっている、そう気付いておくこと以外、何もする必要はありません。私からみなさんに忠告することがあるとしたら、抵抗しないように、それだけです。時間が、マインドが思っているのとは異なる振る舞いを始めた途端、恐ろしくなるかもしれませんが、時間を取り戻すことに躍起にならないようにしてください。あなたは時間から解放されます。あなたから時間が消えます。時間そのものが無い、それは途轍もなく自由です。

このことについては、今日また後の方で話をしましょう。今は、ゆっくりと深呼吸をして、時間に対する必要性を超越しましょう。時間にエネルギーを明け渡すのを止めさえすれば、あなたは時間から自由です。それこそが最良です。

Memories of a Master(メモリーズ オブ マスター)

さて、私の新しい本(Memories of a Master)がついに世に送り出されましたね。思っていたより1年半ぐらい遅くなりましたが(笑いが起こる)、とは言え、時間など存在しないわけですから、別にいいんじゃないでしょうか(アダマス、笑う)。本を手に取りすぐ読み始められる手引きとして、少し紹介しておきたいと思います。計画よりだいぶん遅い上梓とは言え、今が完璧なタイミングだったのだと感じています。タイトルは「メモリーズ オブ マスター」としました。これは「私たち」の本です。表紙には私の名前が大きくプリントされているだけで、みなさんの名前はこのどこにも見えませんが(笑う)、「私たち」の本で間違いありません。本当に、本当にそうです。実在するシャーンブラのリアルなストーリーです。たくさんのストーリーが載っていますが、そのうちのいくつかで、あるいはその全てが、みなさん自身のストーリーではないかと、気付くでしょう。

私とカウルダーはシャーンブラのエネルギーを読んでこれを書き上げました。無論、名前や状況についての詳細は変えてあります。そうしないと面白くないし、リアルな現実は、無論、真のリアルな現実ではありませんが、あまりに悲惨で、その悲惨さは、多少なりともマイルドにしておく必要がありました。いずれにせよ、この本は私たちの本です。この本にはこれまでのどの本よりも、多くのものが詰まっています。みなさんのエネルギーがこの本には詰まっています。

この本にはたくさんのストーリーがあります。マスターと生徒の短いストーリーです。これを読むと、あなたは最初うち、生徒と自分を同一視するでしょう。真摯にひたむきに挑戦し、もがき、されど気付きに欠けている、そんな様子に自分を重ね合わせることでしょう。しかし最後まで読み進めていくうちに、あなたは、より、マスターの中に自らを重ねるようになっていきます。今の自分がマスターだと。完全にそうであるとは分かりません。明白に意識できないかもしれません。でもマスター性は確かに自分の中に存在する。そんなふうに思えてきます。悟りを探し求める、マスターを目指す、そういった考え方自体が、大いなる嘘だと気が付きます。ただ、ただ、ただただただ、許し、受け入れる、ただそれだけの話なのだと。

あなたは自分をマスターだと認め始めます。最終章に差し掛かる頃には「やった! ここで語られているマスターというは、自分のことだ!」思わずそう声が出ます。真剣に、必死に悟りに向かって努力をして、そのせいでしくじり、イライラして、疲弊をする、そんな生徒から、シフトを果たしたことが分かります。記憶としてこの本で語られているマスターは、本当のところ、自分だ、そう気付くところへとシフトします。それが起こった時、あなたは大きな笑みを浮かべ、自分は常にマスターであり、あなたが今行っていることはもはや、マスターを探すことでも、マスターになろうとすることでもない、と悟ります。単にマスターである、そしてマスターの入って来られる余地、空間を広げているだけなのだと。

これは本当に、私たちの本です。このような本をもっと出したいと思っています。どのような形で世に出るかは分かりませんが、大した問題ではありません。トバイアスと私とともに、みなさんがこの16年でやってきたことに対するエネルギー的な、お祝いです。私たちの旅に対する祝福です。ストーリーの中に全てが詰まっています。毎晩寝る前に一話ずつ読んでもいいし、生徒のような状況になった時、不安だったり混乱したりトラブルに巻き込まれた時、読んでください。私たちのストーリーです。

我が愛すべき友達のみなさん。この本に協力してもらったことに感謝を伝えたいと思います。表紙にあるのは私の名前ですが、かと言って全員の名前は入り切りません。それでも私は、こんなふうに自分の名前が出るのは嫌だ、そう固辞しましたが、出版社は諦めてくれませんでした。出版社が押し通したのです(笑う)。

Today’s Format(今日の流れ)

ストーリと言えば、そうそう。ストーリーと言うことであれば、今日はストーリーの日にすることが可能です。今日のシャウドに関して、大まかに2つの方向性が見えますね。まず1つ、私が講義行います。そしてもう1つ、私がストーリーを語ります。さあリンダ、マイクをよろしく。

リンダ:喜んで。マイクはどこかしらね。あったわ。

アダマス:選択肢は2つです。講義かストーリー、どちらを聞きたいか? リンダ、大丈夫そうな人からどんどん行こう。

フレッド:ストーリーの方がいいかな。

アダマス:ストーリーだね。はい。ストーリーに1票。次の人。

リンダ:いっそ、面倒くさそうな人を選んでやるわ。

アダマス:講義かストーリー。どっちがいいかな? 講義の準備は完璧です。ストーリーについてはノープランです。まあ何かしら作り上げます。

サート:最高の話を作ってほしいね。

アダマス:最高の話か。何についての話だい?

サート:俺の人生(笑う)。

アダマス:盛ったり、削ったりがあまりにも多くなりそうだよ。

サート:よし! それでこそだな!

アダマス:それはそうだね。オーケー。ストーリーに2票目が入りました。講義が良いという人はいませんか? 素晴らしい物理の講義になりますよ。

テリー:てか、両方をやれば済む話だよね。

アダマス:両方をやれば済むか。いいね。いいよ。彼はいろいろと超越してるね(聴衆から「イエイ!」の声と同時に拍手が起こる)。確かに、講義っぽくストーリーを語ることは出来そうだね。

リンダ:おおおお!(アダマス笑う)

アダマス:さて、どっちがいいかな。

キャロライン:私はストーリーの方がいいわ。

アダマス:ストーリーだね。

キャロライン:ええ。

アダマス:もう少し聞こう。向かうべき方向は見えてきてるね。わ、後ろの方にライトボディの人たちがいるね。(イルミネーションが光る衣装を着ている人たちに)さて、どっちがいいかな。ライトボディの君たち、君たち3人に聞いてるんだよ。

リンダ:あの恰好を見て不思議に思ってたけど、やっと理解できたわ。

アダマス:ライトボディの3人さん、立ってもらってもいいかな?

リンダ:待って、答えようとしてるのに。

アダマス:まあまあ。さあ立って。ライトボディですね。みなさん、ライトボディがどんなものかをしっかりと見ておいてください。みなさんも全てを許し全てを受け入れたら、こういうことになるんですよ(笑う)。

リンダ:オー・マイ・ガー

アダマス:講義とストーリー、どっちがいいかな?

シャーンブラ1(女性):ストーリーです。

アダマス:ストーリーばっかりだね。向こう側の人たちに聞いてみようか。こっち側の人たちは講義に偏見があるのかもしれない。講義とは言い出しにくい空気があるね。

リンダ:やりたい方をやればいいじゃないの。

アダマス:どっちがいいかな?

シャーンブラ2(女性):両方がいい。

アダマス:両方ね。悪くないね。

リンダ:わお!

アダマス:合わせると、退屈なストーリーになりそうだな(アダマス、笑う)

リンダ:長くなりそうね。

アダマス:講義とストーリーではどちらがお望みでしょうか? 閣下。閣下と呼ぶのが合う気がするね。

ニコライ:そうだね。そう思うよ。

アダマス:何が、、、

ニコライ:なんと言うか、、、

アダマス:立ってもらえますか? そうすればみんな、、、

ニコライ:もちろん。

アダマス:ああ。いいですね(サテュロスのような恰好)。素晴らしいです。

ニコライ:どうも。思うに、深いストーリーを作る方が楽しいそうだね。

アダマス:深いストーリーか。なるほど。ではあと2人。形勢はストーリーに有利な状況だね。総合すると、ストーリーにちょっぴり講義を混ぜた感じかな。

リンダ:そうね。これまでのように毎月は来られなくなる人がいるから、彼の意見も聞いてみるわね。

アダマス:なんだって!

リンダ:寂しくなるわね。

アダマス:君か!

マーク:両方がいいね。

アダマス:両方。ストーリーも講義も聞きたいと。了解。さあ最後の1人。

リンダ:最後の1人、わあ、ごめんなさい(つまづいた)。

アダマス:まあ、大勢はほぼ決してる感じだけど。

リンダ:あら、私より大きな靴を履いているわね(アダマス、笑う)。お互いこの大きな足で踏み合いっこしちゃったわね。えーと。さあ、ここで、ここにしましょう。

アダマス:ずいぶん遠くまで連れてこられたね。では、ストーリーと講義、どっちがいいかな?

ブライト:ストーリーかな。

アダマス:ストーリー。ということはみんなストーリーを希望してるわけだね。

リンダ:オー!

アダマス:あ、ちょっとそのままで。もう少しそっちにいてもらおうかな(笑う)。次の質問があるからね。

リンダ:あら。

アダマス:もう一つ質問。

リンダ:どうぞ。

アダマス:人間がストーリーを好む理由はなんでしょうか? あなた方は 何故ストーリーが好きなのか。どうしてでしょうね。みなさんには講義という選択肢もありました。ホワイトボードを出してきて、人生の物理について深い講義に入ることが出来ていました。はい、どうぞ。

リンダ:いつも工事現場みたいな恰好なのに、彼、今日はタキシードよ。

アダマス:そうだね。

リンダ:ワオ! て感じ。

アダマス:まさに。

ジョー D:まあね。どうとでもできるね。

アダマス:なら、どうとでもしてもらおうかね。さて、ストーリーの何がそんなに良いのだろう?

ジョー D:ストーリーは、人を現実から引っ張り出してandの領域に置いてくれる。

アダマス:いいね。

ジョー D:自分で自分をその世界に入れられるからね。

リンダ:すごいわね!

アダマス:その人の(his)ストーリーだね。

ジョー D:そう。ヒストリー(History)だよ。

アダマス:いいね。素晴らしいよ。

ジョー D:さっそく何か聞かせてよ。

アダマス:何個かはするつもりだけど、ちょっと考えないとね。講義の準備はしてあるけど、ストーリーについてはノープランだよ。みんな、講義を聞きたがると思っていたからね。ストーリーを希望されるとは正直思ってなかったな、なんてね。

リンダ:まだ質問を続けるかしら?

アダマス:ストーリーといってもいろいろだからね。みんな、おとぎ話がいいのかな? あるいはアダルトで生々しい話がお好みかな? あるいはもっと、、、(笑う)何でもいいね。

リンダ:何でも良くはないわよ!

アダマス:気にしませんね(もっと笑う)。でももう少し質問を続けよう。ストーリーの何がそんなに良いのですか?

イウォナ:ハートから来ているからかしら。

アダマス:ハートから来てるから。悪くない。

イウォナ:講義よりは確実にそうよね。

アダマス:いや、私が今日準備したものは例外だね。

イウォナ:オッケー!

リンダ:あららら。

アダマス:でも真面目な話、真実だよ。ストーリーはハートから来るものだよ。さて、次の人。どうして人間はストーリーを好むのか? はい、デイビッド。

デイビッド:ストーリーは、私たちをマインドの外に連れ出してくれて、想像や感覚に浸らせてくれるからだね。

アダマス:いいね。

リンダ:わあ!

アダマス:間違いないね。

リンダ:素晴らしい答えね。

アダマス:よし。あと2人だね。

リンダ:あと2人。

アダマス:あと2人。

リンダ:オーケー、移動するわ。

アダマス:人間と人間のストーリー。

リンダ:(ささやく)あなたのする回答がいつも好きなの。

シャーンブラ3(女性):逃避かしら。

アダマス:逃避。逃げ。いいね。

リンダ:わわあ!

アダマス:素晴らしいね。我々は今日も逃避しますよ。逃避。何から逃げるかは別として。

リンダ:お、答えてくれるわね。ありがとう。後悔しないでちょうだいよ。

シャーンブラ4(男性):後悔するとは思うけど、まあ、ストーリーはこう、自分は誰か、何者なのか、そのことについての洞察を与えてくれます。

アダマス:洞察を与えてくれる。いいね。ただ、少し限定的に考え過ぎかな。自分に限った話ではなく、単に、何かしらの洞察を与えてくれる、ぐらいがちょうどいいね。素晴らしい。

では次はと、えーと、みなさんのストーリーを語ってください。

What’s Your Story?(あなたのストーリー)

リンダ:わあ。

アダマス:20語かそれ以下で。

リンダ:20語以内?

アダマス:うん。あれこれ質問したりはするけどね。さて、今日ここに来て座っているみなさん、あなたのストーリーを聞かせてください。どんなストーリーがありますか? さあ始め。

リンダ:オーケー。

アダマス:あなたにはどんなストーリーがありますか?

レズリー:ずっと考えていたけど、、、 楽しいドライブって感じかしら。まだまだ続くわ。

アダマス:なるほど。自分ではまだまだ続けたいと思うのかな?

レズリー:もちろん!

アダマス:もう止めたいとは思わないかい?

レズリー:ないない。ないわね。

アダマス:オーケー。

レズリー:もっともっとしたいと思うわ。

アダマス:いいね。良い事だよ。

レズリー:次の瞬間に何が起こるとしても平気よ。

アダマス:よし。レズリーのストーリーをまとめると「ずっと楽しいドライブであり、まだまだ私は走り続ける」という感じかな。

レズリー:もっとリスキーなこともやりたいわ。

アダマス:では次の人は誰かな。やあ。

エディス:こんにちは。

アダマス:君のストーリーを聞かせてくれるかな?

エディス:1,999年、クリムゾン・サークルと出会い、トバイアスやクツミ、そしてあなたからたくさんのことを学んだわ。幸せよ。ずっとずっと楽しかった。あなたたちって最高よね。

アダマス:ということは、君のストーリーはある種、クリムゾン・サークルについてのことだね。悪くない。ところで、エディス、君はロックスターばりに世界中で有名なんだよ。このストーリーの中に、そのことは入っているかい?

例えば、、、その女性の名はエディス。彼女は絶望の淵にあってクリムゾン・サークルに出会った。人生の最も暗い局面、明日への希望はその微塵も感じられないただ中で、トバイアスという存在、その名前が彼女のマインドにそっと触れた。「トバイアス トバイアス」不思議と気になって仕方がなかった。ついに彼女は周囲に尋ねて回り始める。「トバイアスというのは誰でしょうか? トバイアスという名前がどうしても頭から離れないの!」そしてついに誰かが伝えた。「エディス。それならインターネットで見られるよ」「本当?」彼女は「トバイアス」の名前を検索し、クリムゾン・サークルを知ることとなる。「なんて奇妙なカルトなのかしら。まさかまさか自分が参加するわけがないわよ。何か要求されるに違いない。この人たちは人間を生贄として捧げるのだろうか? 集会では半人半獣の何かが生贄として殺されるのだろうか?」(笑いが起こる)

しかしある日、彼女は集会に出る決意をする。念には念を入れてハンサムな男性に変装して集まりに参加した彼女は、イスに腰を下ろした途端、わっと声を上げて泣き出した。「ただいま」そう声が出た。「やっと帰ってきた。周りにいるのは、みんな私に似た人たちばかりだ。完全に同じではないけれど、互いに理解し、尊重し合える人たちだ。やっとクリムゾン・サークルに帰ってきた」そればかりか、彼女は、そこにいる人も、インターネットで見ている時にいた人たちも、それが誰かを分かっていた。ずっとずっと、永遠より遠い過去からの知り合いだ。みんなでした約束のことを思い出した。この時代のこの場所で、この集まりの仲間とともに、誰にも成し得たことのない創造を行う、という約束を。身体を持ったまま覚者となる。悟りに至ると。アセンデッド・マスター、そう呼ばれる存在は多数いるが、そのほとんどにとっても、マスターとなってなお身体を維持する、しかも長い期間、維持をする、ことは、非常に難しいことでした。

リンダ:誰の話になったのかしら?

アダマス:しー!

エディスは続ける。「これだ。これが私のマイホーム。クリムゾン・サークルよ」しかしながら、そこまで分かっていながらにして、彼女にも気付いていないこともありました。それから何年かするうちに「エディス」という名前が、この惑星上の全シャーンブラに知られ、語られることになろうとは(笑い、拍手と喝采)。「エディース! エディース! 愛してるよ!」彼女はまさかそんなことになろうとは夢にも(聴衆が「エディース! エディース!エディース!」と繰り返し始める。アダマスは笑っている)まさかフェイスブックの検索で、彼女が、名前としてだけではなく、人物としてだけではなく、位置情報としてのクリムゾン・サークルの情報として、とりわけ「エディスの椅子」として認識され、ヒットすることになろうとは(笑い)。

エディス、分かるかい? 君のストーリーはこんなふうに語るんだよ。そしてみなさん、このストーリーは真実でもあります。ただ今日、強調したいのはそこではなく、あなたはストーリーの中にいる、強調したいのはそのことです。あなた自身がストーリー、物語そのものなのです。あなたは、そしてあなたが、無数にあるストーリーです。自ら台無しにするようなことをしないでください。「(ダルそうな調子で)私はここに座っています。何をしているかはよく分かりません。私は、、、」こんなふうにしない、こんなふうな作り方はしないでください。あなたはストーリーの中にいますよ。光を受け入れる気がないなら別にそれでもいいですが。

私はストーリーを利用します。「今」という時のために利用します。リンダ、戻っていいよ、ありがとう。私はストーリーを語るためにもストーリーを利用しますし、本のためにも、知恵を広く共有するためにも、ただ面白くするためだけにも、また人を退屈させないためにも使います。

スピリチュアルなグループセッションやセラピー、とりわけ治療に近いものに参加したことはありますか? 退屈ではありませんでしたか? そのほとんどが、拷問と思えるほどに退屈ですよね。もちろん、シャーンブラの中にも、そういうものに参加したり、集まりを主催している人がいることは分かっています。「でも、言いたいことは分かります。でも、それは生活の為に、仕事としてやっているんです」うーん。そんなことを続けて成り立たせるような生活なんか、とっとと変えた方がいいでしょうね(笑う)。

とにかくその手の場面で出てくる話は、非常に非常に、退屈です。みんな嘘みたいに深刻で、陰気です。自分の話に対して笑いませんし、人を笑わせるつもりもありません。本人は誠実に真面目に話しているのかしれませんが、どこかで聞いた話をどこかで聞いたように話されたところで、聞かされる方にとっては拷問です。しかし、全てが、文字どおりに全てが、ストーリーだと認識でき、さっきのエディスの話のように捉えなおして話をすれば、その陰気さの中に、小さな明かりが灯ります。ストーリーを面白くするためには、砂糖をまぶし、塩をふって、アクセントにほんの少しの酢を加えればいいのです。そもそも、彼女の人生には、砂糖も塩もアクセントの酢も入っています。それについて話すのなら、最低でも同じものは入れるべきです。

いいですか。ストーリーは、中身を盛って面白くしてくださいね。嘘をつけと言っているわけではないですよ。面白くするため脚色、演出をしてくださいと言っています。何度も何度も毎回毎回、くどいぐらいに言っていますが、みなさんは自分が「これが自分だ」そう考える自分の概念、設定に囚われています。それが自分だと信じています。過去に起こった何かがあり、それはそうやって発生した、それはそうでありそれ以外にない、事実である、そう思い込んでいることが、あなたをあなたという型に嵌めています。そういうのって、それが毒だ薬だと論じる以前に、実に、単純に、退屈ですよね。先に述べたようなセッションやグループセラピーの参加者がする退屈な自己紹介と同じです。

ここらあたりで誰か立ち上がって「私のストーリーを聞いてくれ」そう言ってほしいものです。「私は堕ちた天使として、身体を持ってこの地球に生まれました。その日は、自分の記憶にある限り、知る限りで、歴史上、最も忌々しい日ですね。憎たらしい限りです。身体も正直、フィットしません。人間というのは下劣で悪どく、攻撃的で、それはもうトラウマものです。人の血液だけならまだしも、お金や、酷い時には魂まで盗もうとしてきます。こんな場所に放り出すなんて、これはいったい何の罰ゲームなんでしょうか? 私が何か悪い事をしましたか? そりゃあ酒に走るのも当然だと思いますね(笑う)。はい。そのとおりです。アル中になりましたよ。なりますとも。アル中になった私はアル中らしく家族には厳しく当たりました。当り散らしましたね。仕事もお金も失いました。でも、分かりますよね。そんな地獄の1丁目1番地にも1つの救いがありました。ジャックダニエルです(笑いが起こる)」

リンダ:それって私のことからしら?(更なる笑い)

アダマス:つまらない自己紹介との違いが分かりますか?「(つまらなそうな声で)みなさんと同じで、私もアルコール中毒です。人生は滅茶苦茶です。この集まりに参加して、コーヒー飲みながら退屈な話をしたり、クソみたいな話を聞かされたりします(笑いが起こる)」分かりますよね? 同じことを話していますが、違いは一目瞭然です。

みなさんはストーリーを生きています! そしてこれ(本のこと)がその証明です。みなさんがこの中に生きています。みなさんそれぞれのエネルギー、経験が入っています。みなさんの人生がストーリーです。人生とストーリーはイコールです。ストーリーを面白いものにしてください。「でも、アダマス。ステージに立ってあんたのように出来るかどうか分からないよ。そんなに上手に話せるとは思えない」

できます。大きく深呼吸をして、あとは流れるに任せるのです。マインドの言うことは無視しておいて、ただただ楽しむのです。「私は地獄の中でも最も暗いところまで落ちました。大したものだと思いますが、そこまで深く落ちた人間は私が初めてらしいですよ。でも戻ってくることができました。私はそこで、人は光としてだけではいられないこと、いい人としてだけ生きるのは不可能であることを悟りました。最初は、そんな自分の一面にショックを受け、気が狂いそうになっていましたがね。え、どうやって戻ってきたか? はい。そこまで来たのならいっそと思い、ヤケクソになって、もっと深くまで潜りました。たくさんのお酒を携えて、底にコツンと当たるまで、どこまでもどこまで落ちていくことにしたのです。その最中に、自分は光と闇の両方であるとの気付きがふと訪れることがありました。単純に、クリーンでいようとするのは不可能だと。よりリアルな自分自身でいたいのであれば、闇の中へ、深く深く潜っていくこともまた必要だと。闇から逃げるのではなく、マインドの声に耳を塞ぐのでもなく、自分自身の一部である闇にも浸って、理解しておく必要があると。私は深く深く潜りながらにして、同時に上昇していたのです」

こうするのです(拍手喝采)

リンダ:ワオ!

アダマス:これがストーリーです。さあ、もういくつか聞きましょう。あなたのストーリーを教えてください。私の真似をしてみてください! どんなストーリーがありますか? 味付けしながら話してください。胡椒を振りやタバスコをかけるように少しずつです。さあ、ハードルが高くなってきましたね。みなさんの心の叫び声が聞こえてきました。「リンダ、マイクを持ってこないで。お願い(笑う)」はい、どうぞ。

キャロライン:私は完璧な幼少期を過ごして成長し、結婚しました。が、彼に逃げられてしまいました。でも新しい友達とパートナーに恵まれています。世界中を旅して回ることもできたし、グレートな人生です。

アダマス:ワオ! そういうのだよ(拍手がいくらか起こる)。悲劇や貧困からじゃなく、完璧な子供時代から話を始めたね。

キャロライン:ええ。

アダマス:「愛情深く、優しい両親の元で育ちましたが、魂はそれを良しとしませんでした。こんなふうに生きて行きたくはない。私は人生がイージーモードであることを望んだわけではない。私は両親から自由になると、卑しい人間と結婚しました。それはダークサイドに落ちた人間でした。彼はエネルギー的にもメンタル的にも私のことを虐待しました。それまで誰からも受けたことのない酷い扱いと仕打ちを受けながら、私は最後の最後に、真実の愛を獲得しました。無論、隣に座っている男性とのことではありません。それはI Amです。隣の人にそのことを明かすのはこれが初めてです」ということであれば、この次に話すのは、君かな? そんな告白をされて、言いたいことがあるんじゃないかい?

ヴィンス(彼女の夫):おれ?

アダマス:他にいるかい?(笑っている)君のストーリーは?

ヴィンス:ストーリーなら、まだ考えてる途中だよ。

アダマス:まだ考えてるだって?

ヴィンス:でも最高のストーリーになりそうだよ。どう終わるか分からないけど。

アダマス:分からないのかい?

ヴィンス:全く。

アダマス:全く?

ヴィンス:全くだね。

アダマス:手を貸そうか?

ヴィンス:電車でどこかへ向かってるところだよ。

アダマス:あるところに、ハンサムで賢く、素晴らしいキャリアを持った男性がいました。賢いにも関わらず、彼はその生涯を通して「おれは何故ここにいるんだ? 人生の意味ってなんなんだ?」そう自らに問い続けていましたとさ。

ヴィンス:ビー、ビー、ビー! ビー、ビー、ビー! ビー、ビー、ビー!

アダマス:ありがとう。効果音だね。てっきり、、、(アダマス、咳をする)。知性で全てを手にしたかに思える男の旅だね。チャーミングだね。そして君は、そこにいる美しい、、、

ヴィンス:フーーーワッ!

アダマス:もう年だけれど、美しいパートナーだね、彼女と出会い、人生を新しいレベルへとシフトさせた。

ヴィンス:そのとおり。

アダマス:驚くべき、愛のレベルにまで高められた。

ヴィンス:絶頂だね。

アダマス:絶頂であり、頂点だね。一番高いところ。でも君はまだ、ドラマに嵌まることがあるようだね。健康面でたまに問題が出てくるね。

ヴィンス:(低い声で):ウオッ、、、

アダマス:「なんか身体がおかしいぞ。美しいパートナーを得て、生活をともにし、魂レベルでの触れ合いも出来て、やっと、やっと、想像でき得る限りの高みまで登ってきたってのに、どうして突然こんなことに。このポンコツの身体め! やっぱり物理的ってのがイケてねえや! 病気にはなりやすいし、加齢や時間経過に対してあまりにも脆すぎだよ! チキショウメ! 身体さえ大丈夫なら他はもう完璧なのに。この身体は、何がなんでも、おれを幸せにさせたくないらしい。どういうわけだ!」

そして格闘してるね。身体と戦い、それがマインドの戦いを引き起こしているのが見えるよ。「おれが何か悪いことをしたか? どうしておれの身体はこうなんだ? 何故コントロールできないんだ?」でも何かの囁きも聞こえているね。「いや。これでいいんだ。戦う必要なんかない。そのままでいいんだ。健康になろうとするのは止そうじゃないか。こだわっても仕方がない。そうだろう。ただ許せばいいんだ。単純に、シンプルに、何も言わずに許してやろうぜ」

この囁きのメッセージが染み込むには時間がかかる。恐怖が耳を支配しているからね。怒りもあるしフラストレーションも溜まっている。自責の念さえある。でも最後には「身体はおれじゃない。身体が自分じゃないんだ。この物理的な身体も統合したライトボディが、おれの真の身体だ」そう言ってると思うね。不調に見えるのは、ライトボディを受け入れるために必要なステップだよ。この惑星に撒き散らされた史上空前の大嘘「死」への恐怖を手放し、ライトボディを受け入れる。全てを手放し、物理的生体としての組織、細胞、DNAまでもを統合して、2つのボディが遂には一体となるんだ。その時には身体に対する不信感は消えている。若気の至りで身体をぞんざいに扱った、そのことに対する後悔も無い。ただただ無条件の愛と受容の意識になっているだろうね。

戦友よ。これが君のストーリーだ。

ヴィンス:ワオ、、、

アダマス:君というストーリーだ。

この本のリリースと今日が重なったことをきっかけとして、何か言っておくことがあるとするなら、人生というものはすべからくストーリーである、このことです。どの生涯も美しいストーリーです。細部に囚われるかもしれません。変化も何もない退屈さに、嫌気がさすかもしれません。ドラマや否定的な出来事からなかなか抜け出せないこともあるでしょう。ストーリーから抜け出そうと頑張り続けるストーリーに嵌り込むかもしれません。ストーリーを変えるために考え方を変えてみても変化が無い、そいうストーリーになるかもしれません。

大きく、ゆっくりと、深呼吸をしてください。そしてあなた自身がストーリーになってください。それはストーリーを紙に書いたり語ったりすることとは全く別レベルの話だとすぐに分かると思います。「私は生まれ、学校へ行き、結婚をして仕事もして、死んだ」ただそう書くだけでは、講義と変わらず、退屈です。ストーリーです! 是非、鏡の前に立って、あるいはバルコニーをステージにして、森の中に入ってでも構いませんから、演劇を展開してください。演劇はその全てが作られたストーリーです。囚われることなく、作り変えることが可能です。ただのストーリーです。

私は劇場が大好きです。芸術を愛しています。表現することは自由だからです。そこは、もう「(重たい声で)とりあえず生き抜きます。なんとかできるように頑張ります。答えを求め続けます」そんな退屈で色のない、シケた世界ではありません。答えはそこにあります。あなた方の美しきストーリーの中に存在します。

みなさんの過去も未来もそこにあります。現時点の流れからして、みなさんは、今から見て未来とされる時制でも、生涯を送ることになるでしょう。「おー、なんてこった!(笑う)」みなさんの声を毎回報告するつもりはありませんが、世界中に「おー、なんてっこった!」と響き渡りましたね。「マジかよ」って(さらに笑う)。

みなさんがどうして未来生を持つかと言うと、うーん、まず最初に、時間などどこにも存在しないからですかね。全ては既に進行中の出来事です。既に終わった出来事でもあります。第二に、みなさんはアセンデッド・マスターズクラブでソファに座って、他のマスターに今以外の人生についても話して聞かせることになるからです。その時には「人生について話すこと」は「その人生を再び生きること」と同じであると気付いています。おそらくですが、ここではなく、高い確率でここではないと思いますが、この惑星のどこかで、再び生きることになるでしょう。あるいは、それはニューアースと呼ばれる場所での創造、創作かもしれません。ちなみにですが、ニューアースは無数にあります。数えきれないほどたくさんあります。もしかすると、場合によっては、みなさんが本当にしたかったことを成し得るのは、そこでかもしれませんが、ニューアースはまだ集合意識の引いた規制線の向こう側です。みなさんとみなさんの過去もまだそれを許していません。しかしながら、そうは言ってもみなさんは、やはり今より後に生涯を送ることにはなると思います。物理的な身体を持つかどうかはそれぞれです。もしかしたら「生涯」という言葉自体適切ではないかもしれません。生涯とは単なる「表現」でしかありません。魂、スピリットは表現することが大好きです。「*4E’s」で扱っているEの一つは、表現(expression)ですね。魂は自分自身と恋に落ちているが故、絶え間のないスピリチュアルなオーガズムを感じ続けています。思わずニヤケた人がいますね。魂は自分自身と恋に落ち、切れ目なくオーガズムを感じているがゆえに、自身を表現せざるを得ないのです。表現は過去にも未来にも迸って広がります。
*“4Es – A Mystical Music Journey with Adamus and Yoham.”

そして驚くべきことが起こります。驚くべきことです。私は写真を撮っています。デイブやクラッシュも写真を撮っていますが、私はエネルギーの写真を撮っています。だからこそ分かるのですが、みなさんがストーリーのパターンから抜け出して、ストーリーで楽しめるようになった時、ストーリーで楽しめる程度にまで自らを解放できた時、つまりは今のこの生涯で悟りに至ることを許した時には、全ての生涯が変わります。今のこの生涯だけではありません。ひとつ残らず、全ての生涯です。過去も未来も、全ての生涯が変わります。

エネルギー的に詰まりに詰まった、過去のストーリー、過去生があります。分かりますか? みなさんはそのストーリーを何度も何度も繰り返しています。SF映画のようです。サイエンス・フィクションです。同じような話を何度も何度も繰り返しています。カウルダーが「ウェストワールド」という新しいテレビドラマシリーズのことを言っていますが、別シリーズの焼き直しにしか過ぎません。しかしそうするしか仕方がないのも真実です。テレビの場合、そのパターンを大勢が好んでいればそうなります。もういい、飽きた、そう言われるまで、何度も何度も再現されます。あなたの場合も変わりません。それは未来とされる生涯だとしても同じです。あなたが、もういい、飽きたと言うまで、嵌ったパターンの話をずっとずっと続けます。

そういったパターン、過去、未来について、多少は感じられるのではないでしょうか。みなさんの中にあるものです。今の生涯に影響していることも、感じられると思います。今の生涯でも、ふと気付いた時に同じことをしていませんか。陥りやすいパターンがありますね。裏切りに関するパターン。失望のパターン。答えを得ようと努力を続けるパターン。そいうのは全て、過去と未来のエネルギー的な詰まりから、繰り返し続けるための燃料を得ています。全てはストーリーの中に詰まっています。

その状況にあって唯一有意義と思えるのは、みなさんは、この固有の生涯、このストーリーの中にあって、前述したようなエネルギーの詰まりを解放して自由にする、そのためにこそ、ここにいる、ということです。そうするには勇気が要ります。古いパターンから抜け出るには勇気が要ります。みなさんはマインドや集合意識に蔓延るパターンを無視します。みなさんがそうすればそうするほど、ストーリーは変わっていきます。あるポイントが少し変われば、それ以降はより大きく変わっていきます。全ての過去生は、とどのつまり、同じプレーヤーが同じ設定の中で、たった今、進めているのと同じです。死という場面でその台本は終わりですが、次の台本はもうあります。テレビシリーズでも同じですね。放映中には、次の撮影は始まっています。そうやってストーリーは繰り返されます。しかし、ここに、他とは全く展開の異なる、1つのストーリー、至高の作品が生まれようとしています。あなたは「もういい。十分だ。飽きた」と呟きます。「もうここの誰にも何にも付き合い切れない。面白くないよ」強烈な宣言です。「このストーリー展開にはもう飽きたよ。まだやるの?」

このことについて少し感じてみてください。みなさんは今のストーリーを何度も何度も生きてきました。これが初めてではありませんよ。何度も何度も繰り返していますよ。私たちは、世間の人々が思う時空の定義、制約から外へ出ます。そうすると徐々に「前にもここにいた気がするなあ。あれ、前にも同じことをやったぞ。この状況、覚えがあるなあ」と認識するようになっていきます。みなさんが時折、死ぬほど退屈するのはそのせいです。みなさんはある部分で「もう飽きた。面白くない。これ以上続けても仕方がない」と分かっています。

とは言え、何度も何度も気が遠くなるほど繰り返されたストーリー、その構成を担ってきたパターンの多くは囁きます。「離れられるわけがないんだ。もちろん、これが君のストーリーだ。気に入らないところを修復するのは自由だよ。まあでも課題が多いね。そのために君はもっといい人にならなきゃいけない。もっと神聖で高尚で道徳的でないといけないな。もっと良い職を得て良いリーダーになれば、あるいはパターンを変えられるかもしれないね」と。小さくない部分で、みなさんはその言葉を信じます。信じた途端に、元の繰り返しに戻ります。ひたすらに自己の改善を続け、真実を悟ろうとする、いつもの退屈なストーリーに戻ってしまいます。でも人間部分の改善で悟りに至ることはできません。その試みは何度も何度も何度も何度も、今回はじめて「もういい。十分だ。こんなのにはうんざりだ。何度も何度もやった」そう言うまで、何度も何度もやってきました。みなさんは、そういうことを何度も何度もやり、漸くうんざりしたのです。全てが変わり始めました。

非常にタフです。石に刻まれたかのようにタフなストーリーです。それが漸く変わり始めました。石は瓦解を始めています。時間は消えようとしています。家族も友達も消えていきます。スピリチュアルという言葉が有する概念もニューエイジも無くなります。あなたが大切に抱えてきたと思っているものの全てがどこかへ飛んで行ってしまいます。そこへ来て初めて、あなたは、これがストーリーだ、自由に思いどおりに描けるストーリーだと気が付きます。今のストーリーが変わると同時に、他の、たった今進行している他の全生涯のストーリーが変わっていることに気付きます。全てが変わります。これが悟りの瞬間です。ありがとう。あれ、7番ホールのパーみたいな拍手ですね(アダマス笑い、聴衆、喝采する)。

ここで私たちが行っているのが正にそれです。私たちが行っていて且つ、時に困難に見舞われるのはそういうわけです。私がみなさんの前に邪魔者としてやってきて、考える時間を与えないよう、そうして全てを起こるがままに任せられるよう、みなさんのために懸命にちょっかいを出し、邪魔をしているのはそういうわけです。だからこそ私は、私のくだらない四方山話がみなさんに洞察をもたらすものだと、理解していただくことを切に切に願います。

さて、今日はストーリーをご所望でしたね。ストーリーが良いと合意しましたね。というわけなのでストーリーに入りましょう。さて、何の話をしましょうかね? ちょっとコーヒーをいただきますよ。他にコーヒーが欲しい人はいませんか? ん? いないですか。

それでは明かりと、あと暖房も落としてください。焼けるように暑いですね。せっかくリリースされた本が焚書の刑に処されたのでしょうか(笑う)。そんなことはないですね。であれば良かったです。あと、歩き回るつもりなので、ステージの照明だけは明るいままでお願いします。

では、大きく、ゆっくりと深呼吸をしてください。ストーリーになってください。

ストーリーで楽しむことを強調してもし過ぎることはありません。自分についてのストーリーを語り、楽しんでください。私の演劇コースに入った方がいい人もいますね。吹っ切れますよ。

The Master and the Football Game(マスターとフットボールスタジアムにて)

マスターはロジャーに、、、(アダマス笑う)。カウルダーが「アダマス、何を話すつもりなんだい? 何も決めてないじゃないか」と言っていますが、知りませんね。必ずどこかへはたどり着きます(笑う)。そしてどんなストーリーにも出発点は必要です。時間軸的な真ん中から始めるのも面白いですね。しかしストーリーを語る上で何が最も大切かと言うと、話し続けることです。細かいことは気にせず、とにかくストーリーを進めることです。

では。マスターはロジャーに午前11時きっかりに駐車場に来るように伝えていました。マスターはよく、こんなふうにして生徒を外に遊びに誘っていました。1対1で個人的に外へ出かけて、彼らの人生で起こっていることに耳を傾けるのです。「ロジャー。11時に駐車場で待ってるよ。赤いスポーツカーだからすぐに分かると思うよ。いや、違うね。私はホンダには乗らないんだ」(笑って)すいませんね。

ロジャーはその日をとても楽しみにしていました。しかし同時に、とても苦しい時間になることも分かっていました。マスターには言いたいことがあるに違いないからです。マスターは何もかも、心の内までお見通しです。ロジャーには話を聞く覚悟ができていました。もしその話があるとするならその時だと分かっていました。実のところ、ロジャーは心理的な苦闘のさなかにありました。気付きについて、その概念に深く取り組み、考察し、それで苦悶していました。言葉の意味は分かります。その説明についても理解できます。でも、チキショウメ、それが来た、そう分かる形で降りてくることがないのです。彼の頭は「気付きとは何なのか?」という問いに支配されていました。「気付きとそうでないものの違いは何なのか? それを分からずして、いざ気付きが訪れた時、どうやってそれが気付きと分かるのか?」

ロジャーにはその答えに対する期待もあり、マスターとのこの時間を待ち望みにしていました。彼が約束の5分前に駐車場についた時、マスターの方が先に来ていて、スポーツカーのエンジンを吹かしていました。「ロジャー、乗りなさい。さ、ドアを閉めて」と、マスター。「ところでロジャー。運転するのは私だよ。私のスポーツカーだからね」彼はロジャーから伝わってくるものを感じていました。実際、ロジャーはこの美しいスポーツカーを運転してみたいと思っていました。彼にとって一財産と言っていいものです。ただロジャーは、スポーツカーどころか車と名の付くものを持ってさえいません。なんて哀れなロジャーでしょうか(笑う)。彼は基本的にどこへ行くのも歩きでした。たまにバスに乗ることもありましたが、車は持っていませんでした。豊かさを得る方法を学んでバスに乗らないで済むようにするためにも、彼はスピリチュアルの学校へ行っておく必要があったのです(笑う)。

ロジャーは乗り込み、ドアを閉めると「ドゥルルルーン!」マスターはすぐにアクセルを吹かし、急加速で駐車場を後にしました。道へ出てしばらくの間、二人は黙ったままでした。マスターは、スポーツカーの軽快且つ、路面に吸い付くような走りを身体で感じ、楽しんでいました。マスターはスピードを出すのが好きでした。もちろんスピード違反で切符を切られるようなことはありません。マスターはスピードを出すのが好きなのです。風を切って走るスリル、いつ警察に見つかるかしらん、という恐怖、そういうのが楽しくって仕方がないのです。でもマスターが捕まることはありません。とにかく飛ばすと爽快なのです。彼は教室で、、、(アダマス、あくびをする)、、、生徒たちと。教室の話をすると退屈さがつい。失礼しました(笑う)。教室で生徒と過ごす時間があまりに長いと、全てが退屈に思えてきます。マスターにも息抜きは必要です。

リンダ:ジョーはどこいったかしら?(マイクがオンのせいで別の部屋で話している声が聞こえてきた)

アダマス:おーい?

だから彼らは路上をかっ飛ばして、、、

リンダ:、、、これこれ。あらら、、、 あーらら(笑いが起こる)

アダマス:リンダ。おーい、リンダ。リンダー。誰か彼女にマイクのスイッチが入ったままだと伝えてくれませんかね(誰かが「リンダ! マイクのスイッチが入ったままだよ!」と叫び、笑いが起こる)。哀れなエルフだねえ。おおおお(リンダが疲れた様子で戻ってくると更なる笑い)。悲しそうだね。可哀そうに。コーヒーで落ち着いたらどうだい、エルフさん。温かいよ。寒くなるように調節してもらったからね。ああ、ありがとう。

さて、どこまで話しましたっけ? スポーツカーで通りを走っているところでしたね。そうだ。そこで君の声が聞こえてきたんだ。マイクがオンのままだったよ。

リンダ:うそ! あら、最悪ね。

アダマス:まあ、そうだねえ。

リンダ:最悪よ。

アダマス:カウルダーのことを話してるのが聞こえてきたよ。

リンダ:そんな話はしてないわ。テントが風で飛ばされたのよ。

アダマス:ブファッ! 飛ばされたままにしておくがいいさ。

はい。スポーツカーで通りをかっ飛ばしていました。ロジャーはマスターがいつ話し始めるのかと、いつロジャーの抱える問題について話をするのかと、今か今かと待っていました。しかし、ロジャーが驚いたことに、マスターはフットボールスタジアムの方へ向かい始めました。スタジアムへ向かう渋滞の中でマスターは車線変更を繰り返し、たびたびクラクションを鳴らされました。マスターは嬉しそうに微笑んでいます。ロジャーには解せません。「どうしてフットボールスタジアムなんかに向かってるんだろう」マスターはまた、ロジャーから伝わるものを感じ取って口を開きました。「ロジャー、今日は土曜日だからね。土曜と言えばカレッジ・フットボールだよ。スタジアム以外に行くところなんかないよ」

ロジャーは頭を掻きながら「二人で深く語り合う機会になると思ったのになあ。マスターは釣りが好きだから、池へ行くものだと思ってた。フットボールの試合か、なんだかなあ」と思っていました。内心、彼はフットボール自体、あまり好きではありません。マスターはロジャーの気持ちを分かっていながら「私はね、フットボールが大好きなんだ(笑い)」と言いました。「フットボールは二元性に関する示唆に富んだゲームだからね。二元性の極みだよ。応援で声を出して叫ぶこともできる。いつもいつも大人しくて上品で、正しいことや神聖なことばかりじゃ、やってられないよ。スタンドでジャンクフードを食べ、ビールを飲む。そして敵を罵るんだ。コーチにも毒づくさ。そうして我らがチームをサポートするんだ。ロジャー、それが生きるってことだ。我々はそうやって生きるんだ」

マスターはエントランスのすぐ目の前に車を停めました。分かりますか? マスターはみなさんのように前もってイメージしておいたりするような、奇妙なことは行いません。「エントランスのすぐ目の前に駐車スペースがある。ある。そうなるようエネルギーを送ろう。イメージをしよう」なんてことは行いません。まどろっこしいですよね! 駐車スペースは既にそこにあるのです。そこにあるといちいち考える必要などありません。白い光を思い浮かべなくっても既にあるものは既にあります。何か「高等」で「高度」なエネルギーを送る必要などありません。駐車スペースを作るために降霊の儀式をわざわざするのですか? この中にも、そういう奇妙で呪術的なことをしたがる人がいるようですが、非常にまどろっこしいです! 駐車スペースそこにあります。

マスターはエントランスのすぐ目の前に車を停め、二人はスタジアムへと向かいました。マスターの手には2枚のチケットがありました。プレミアムのスカイボックスシートが2枚です。誰かがくれたとは思うのですが、それが誰だったかは覚えていません。分かりますか? それが必要になった時には、ただポケットの中にあるのです。どうやってそこに来たかは考えません。ただ流れに乗るだけなのです。

ただ、マスターは別のチケットも持っていました。45ヤードライン付近のスタンドで、前から20列目あたりです。悪くはない席です。オーケーです。マスターは少し考えました。「スカイボックスシートと45ヤードライン。どっちがいいかな?」そしてロジャーを一瞥するや「45ヤードラインだ」と決めました。席に向かう道すがらマスターは20オンスのビールを2杯と、もちろん2杯ともマスターのものですが(笑う)、ビール2杯とナチョスとホットドッグを買いました。ロジャーはグラノーラのバーがあるからと(更に笑う)、売店の飲み物も食べ物もことごとくを拒否しました。マスターは何を食べ、何を飲むかについてその一切を気にしません。ある種の食べ物や飲み物が身体や波動に良くない、悪い作用がある、そういった恐怖、実に奇妙な恐怖について、そんなもの、マスターはとうに超越しています。彼は人生を楽しんでいます。マスターは望むものを食べて飲み、したいことを行います。彼は古臭いルールなど無視しています。「悟るためにすべきこと」といった古い古い、合ってるかどうかも分からない化石のような方法論から完全に自由です。彼はただ彼でいます。

二人がちょうど席についたのと同じ頃合い、試合が開始されました。ああ、ありがとう(リンダが新しいコーヒーを持ってきた)。

リンダ:マスターのみに真の奉仕(service/サービス)は可能なのよ。

アダマス:ありがとう。確かに君はマスターだ。あっちっ!(笑う)やってくれたね。

彼らが席についたところで試合開始です。マスターの贔屓チームはリターンからのスタートでした。キックオフのボールを受けたリターナーがランを開始するや否や、スタンドの観客は前進に合わせて唸り声を上げました。スタンドの中を群衆の声が唸っています。2人がいたのはそんな場所です。

アダマスと聴衆:イッケーィイイ!

アダマス:いいですね。そうして試合は始まりました。試合が始まって数分後には、マスターは1本目のビールを飲み干し、別にコーヒーでもいいですが、それからロジャーに言いました。「ロジャー、何がそんなに気に入らないんだい?」ロジャーはスタンドの喧騒に呆気に取られ、取られつつもストレスを感じている様子でした。「こんなフットボールの試合の最中なんかに、問題についてどう話すって言うんだ? もっとプライベートで静かな空間が必要だ」そう感じているのは明らかです。「ロジャー。そのことについて話したいなら今だよ。今するか永久にその話はしないかだ。で、実際、話したいそのこと、というのはなんだい?」とマスター。ロジャーはそれで漸く重い口を開きました。「これまで必死に勉強を続けてきました。あなたの学校に入ってもう6年になります。お金もたくさんかかりました」などとペチャクチャペチャクチャ。「たくさんのお金を使って、まだ何も変わっていません。何も理解できていません。それどころか最近は、頭の中で妙な声がしています。四六時中です。声の内容は全てが全て正しくないか意味を成さないものばかりです。頭が狂ってしまったのではないかと怖くなります」ちょうどそこで、マスターの応援するチームがタッチダウンを決め、スタンドは狂わんほどの熱狂と絶叫につつまれました。(聴衆も同じように騒ぎ、アダマス笑う)。

そんな中でマスターはロジャーに訊ねます。「うーん。ロジャー。何が起こっているのかもう少し詳しく教えてもらえるかな」ロジャーは「ええ。覚えていますか? 以前、気付きについてお話されたことがあると思うのですが、その時はすごく簡単なものに聞こえました。なんというか、自動に、というか、単純に、まあ、分かる、ということだったと」と返しました。マスターは頷き、ビールで一息入れました。ナッチョも少し齧りました。「まあそうだね。言ったね。ただ分かる、ということだね」「でもマスター。それが何なのか、どんな感じなのかを考えていると、混乱してくるんです。でも、そのせいなのか、そのおかげなのか、このところ頭の中でずっと誰かの声がしています。あなたの声もしています。まさかとは思うのですが、これが気付きではありませんか?」マスターはしばし黙っていました。息を呑むマスターの前で、贔屓チームはファンブルからのリカバリーに成功しました。スタンドは狂ったように湧きました(聴衆もまた声を上げる)。

その日は特に、熱狂的なファンが多い日でした。スタンドは興奮気味に話す声、叫び声、絶叫で満ち満ちていました。ヤー、ヤーヤーヤー!(聴衆も声を上げる)。絶え間のない、迫るような喧噪です。お酒は入っているし、らんちき騒ぎです(聴衆も声を上げ続ける)。たくさんの人がビールを飲み、ナッチョを齧っていました。ボリボリバリバリ! バリバリボリボリ! 喧噪、騒音、騒げ騒げ!

そんな中でも、マスターは気を散らされることもなく、ロジャーへ話していました。「ロジャー。それは気付きではないよ。気付きではない。それはただ単に、頭の中で古い録音テープが回っているだけだよ。頭に残った古い記憶、エネルギー的な録音、録画だね。その録音、録画が、君に今のストーリーを押し付けている。同じストーリーを何度も何度も何度も君に繰り返させている。何をすべきか、どう考えるべきか、を君に告げて、君を常に混乱させている。君がまだスピリットガイドについて話しているのを聞いたけれど、君が進んでいる今の道をここまで来たなら、そんなものはとうにいなくなってるよ。気付きというのは、君が聞いているような声のことを言うのではないよ。そういう声は何一つとして、気付きではない」

その時、ファンブルからリカバリー後の数プレイで、マスターの贔屓チームはまたタッチダウンを上げました。スタンドの興奮は最高潮に達していました(聴衆も負けじと騒ぐ)。ちなみにですが、このくだり、というか騒ぎ、まだ何回も続きますよ。マスターの贔屓チームは相手をコテンパンにやっつけますから。

とにかく2人はそんな中で話していました。マスターはロジャーに対し、彼がどう感じているか、頭の中で何が聞こえるかではなく、何をどう感じているかについて、質問しました。彼らはそれについての話を続け、最後にマスターが言いました。「ロジャーよ。この場所が、まさにそうだね。ロジャー、いいかい。君に気付きは訪れている。君の中に既にあるんだ。私には分かるよ。それは誰にでもあるものだけれど、君は常人より、その点においては特に才能があるとさえ言える。ただ残念なことに、それは、君の頭の中の喧騒に押し流され、あるいは、無意味に活発な頭の作業、まあ考え過ぎていることによって、歪められてしまっている。だからこそ、このことを説明するため、君をここに連れてきたのだよ。ここではマグルたちが応援して叫んだり喚いたりしていて(聴衆も叫んだり喚いたりする)、四六時中声がしていて、君の頭の中とまるで同じだ。この騒音のせいで、内なる気付きが、見つけづらく、判別しづらくなっている。だからこそ、君をここに連れてきたんだ。この世界での人生、生活とはそういうものだと、そろそろ分かってもいい頃じゃないかい。フットボールほど極端ではないにせよ、世界は二元性の実演場だ。集合意識は騒々しい。二元性の祭りだよ。昼も夜もない、らんちき騒ぎだ。泣き声まで聞こえてくるね。そういうのは正直、気が散るよ。相手チームの様子を見てみなさい。泣いているのが分かるだろう。絶望で泣いているんだよ。あら、本当に少し泣いてるね」

聴衆:ブー、フー!

アダマス:ブー、フー! ブー、フー! ブー、フー! 「ロジャー、だから君を誘ったんだ。君の頭の中で起こっていることをその目でしっかり見てほしかったんだ」そう言われたロジャーは少し考え、漸く腹に落ちました。「実際のところ、そのとおりだな。頭の中はこんなことになってたんだ。声、タッチダウンを目指して戦う思考、腑に落ちた」

ロジャーはしばし沈黙を保ち、それから口を開きました。「そうだマスター。気付きにおいて私は才能がある方だと仰っていましたね。それは、より多くのことに気付けるということでしょうか?」マスターはそれに返します。「そういうことだね。得意なはずだよ。君に気付きが来ない方が不自然だね」「ではどうして私にはそれ分かるものが来ないでしょうか? 才能がありながら、そうしない、それを使わない理由はなんなのでしょう?」それを聞いてマスターは微笑みました。会話が来るべきところへ来たのです。「ロジャー、ここで1つ言っておくよ。気付き従い行動をするとしてだ、その気付きというのは感覚だよ。ロジャー。それは声や指図では断じてないよ。感覚だ。君は気付きを人間的なもの、人間的な感覚で把握しやすいものに変換しようとしている。君は気付きを誰か他の人の声にしようとしているようだが、そうじゃない。精神的な思考として、文章的に整理しようとしてもそれは出来ない。君は常に気付きとともにあるだけだ。それをスピリットガイドや大天使、母親、教師、他の人間、そういったものの声として聞くことはあり得ない。ロジャー、君の問題はそこだよ。人間的な感覚で把握しやすいものに変化しようとしているから気付かないんだ」

マスターはまだまだ話します。「みんながどうしてそうするか、そうしたくなるかは理解できるよ。脳みそでちゃんと理解しておきたいからね。そのためであれば、声が相応しい感じはするね。でも、気付きを声として聞くことはあり得ないね。内なる感覚を声として聞くなんて不可能だし、それはみんなにとって幸いだよ。より源に近くピュアで貴重な何かを人間的に都合の良いものに変えたくはないだろうし、もしそれがどんなものかが分かった時、少なくとも声に変えようとは思わないことを保証するよ。ここのレベルに合わせたいとは思わないだろうね。内なる気付きには定義が無いし、定義の取っ掛かりになる構造もない。少なくとも、気付きは、教師が講義を行うような形で、何をすべきか、いちいち指図するようなことは一切ないよ。実際、常に聞こえているという声の全て、その正体は、ロジャー、君の声だよ。スピリットガイドではないし天使でもない。天使はそもそも人の言語を使わない。気付きとは感覚であり知覚のようなものだよ。声の全ては君の古いストーリーが繰り返されてるだけのことだね。君が気付きや感覚をその脳みそ用に変換するのを止めた時、I Amと一緒になり、自分自身を感覚、気付きに対して無防備でオープンにできた時、一大飛躍をすると思うよ。気付きが開くのはその時だね」

ロジャーは言われたことを静かにじっと感じていました。そこがフットボールスタジアムであることも、声援、叫びや喚き、悲鳴が飛び交うスタンドであることもお構いなしに、ロジャーは寛いだ感覚の中で、話に感じ入っていました。タッチダウンまであと10ヤード、集合意識の狂騒の中にあって、奇妙なことに、ロジャーは寛いだ感覚でいられました。ロジャーはついに掴んだのです。気付きを人間仕様に変換しようとするのを止めにしました。ただ許すことにしたのです。

ロジャーに限らず、誰にとっても苦しい局面であることをマスターは理解していました。気付きの概念を前にすると、人は、言葉であったり映像や情景、象徴的な何かを求めます。しかしながら、純粋な意識状態での気付きというのは、人を「その場」に先導します。「その場」を表現したり説明したりするものを見せたり聞かせたりするのではなく、人を実際に「その場」へシンプルに導きます。同じ仕組みで悟りへも連れて行きます。

マスターは寛いだロジャーに言いました。「40オンスもビールを飲んだら、さすがにトイレに行きたくなったね。ついでに何か買ってくるけど欲しいものはあるかい?」(笑いが起こる)。はい、これでマスターとロジャーのストーリーは終わりです(聴衆、拍手喝采)。

ストーリーというのはこういうものです。これは、、、(「奇妙だね」と声が上がる)、、、うーん、変なところもありましたね。奇妙なところもありますが、本当の話も入っています。いずれにせよ、みなさんは喧噪の中にいます。フットボールの試合を観ていてもそう、ショッピングをしていても、仮に1人で家にいたとしても、変わりません。世の中はノイズで溢れています。ピーピーギーギーうるさいです。照明からも煩わしいエネルギーが出ています。あと、無線の電波ですかね、それも非常にやかましいです。電源を落としていたとしても、プラグを抜いて完全に電源を切っていてもなお、コンピューターからのノイズは強いです。インターネットから吸い上げ続けたエネルギーが残留したままノイズを吐き出し、撒き散らされています。

みなさんはそういったノイズ、喧噪から逃れることは出来ません。また防いだり逃れたりする必要もありません。無論、空気の清々しい秋の日に森の中を散歩している場合の方が、気付きを得やすくはなるでしょう。あくまでも比較の問題ですが、その方が簡単ではあります。しかし、みなさんはどこでも、文字どおり、どんな環境下でも、気付きを得ることは可能です。

言葉を期待しないようにしてください。お願いですからそれだけは止めてください。I Amも、そこにある気付きも、言葉は絶対に用いません。もし何かの言葉が浮かぶのなら、ガイドか天使、過去生か未来生、その手のもので、あなたのストーリーの一部だった何か、結局はあなたですね、あなたがその発生源です。その手のものはあなたのストーリーに出てきたキャラクターです。あなたというストーリーに属する者たちです。彼らは彼らで好きにやっていればいいのですが、彼らに力を明け渡さないようにしてください。特別扱いしないでください。そういう声に力があると決して考えないようにしてください。彼らはあなたのストーリーに出てくる、あるいは出てきたことのある、ただのキャラクターです。それ以上でもそれ以下でもありません。

真の気付きは、寛ぎ、あるいは気楽さといった感覚とともに訪れます。また寛ぎ、気楽である時にこそ訪れます。一切の努力は要りません。疑いも迷いも不要です。ただそこにあるのです。意図して来させることは不可能です。あなたの人生のおいてそれは常に多過ぎることもなければ不足することもありません。常にそこにあるからです。それを脳みそに解釈できる形に押し込もうとしないでください。それは言葉でも顔でも指図でもありません。声にも言葉にも決して変換不能な、I Amのエッセンスです。

さあ、深呼吸をしてください。別のストーリーに移りましょう。こうしていればすぐ次の本が出来そうですね。はい、大きく、ゆっくり、深呼吸をしてください。

では始めましょう。今日はストーリーだけの1日でいいんですよね。講義の方が良いという人はいませんか?(いません、という声がちらほら)。次のストーリーに入っていいですね?(「イエス」の声)。今度の話はさっきとは感じが違います。全体を明るくしてください。さてと、、、(アダマス、コーヒーを啜る)わあ! うまい。何か危ないものを入れたんじゃないだろうね。ラムの味がするんだけど(笑い)。

The Master and the Classroom(マスターと生徒たち)

ではでは、話を始めましょう。今度はインタラクティブに進めたいと思います。先ほどのものは座ってただ聞くだけなので、みなさん、とても眠そうに見えました。なので、みなさんも参加です。今から始めるストーリーについて、私も完全無欠のノープランです。どう進むか分かりません。私とみなさんとで対話しつつ話を作り上げていきましょう。いいですね。準備はできていますか。リンダがマイクを持っていきますからね。みんなで楽しんでやりましょう。

ストーリーはそもそもインタラクティブであるべきです。キャラクター間での相互作用のもとに出来上がって然るべきです。が、みなさんのストーリーは必ずしもそうではありません。みなさんのストーリーの中には、メインのキャラクター1人がいるだけで、他の、可能性のある全てのアスペクトとの間で相互作用であったり、対話がそれほどあるわけではありません。

今からストーリーを語る上での狙いを先に言います。みなさんには、ストーリーをもっとインタラクティブに、対話的に、してほしいと思います。もうそろそろ、それが出来て然るべきで、そのことに気付いてほしいと思っています。いいですか。楽しんでくださいね。ストーリーがどう進んで行くかは私にも分かりません。私にできるのは、ただスタートラインを決めるだけです。ストーリーにはオープニングが必要です。振り子に勢い良く動いてもらうためには、それを十分な位置まで持ち上げることが必要です。そこがスタートラインです。次のストーリーは「マスターと生徒たち」と題します。ちょっと通りますね(アダマスは部屋の後方まで歩いていく)。

「マスターと生徒たち」です。私はマスターの役をやろうと思いますが、異議のある方はいらっしゃいますか? マスターの役をやりたい方はいますか? いませんね。ありがとう。では正式に私がその役ということで(笑う)。

マスターが教室に入ってきた時、彼がいつにも増して厳然とした様子であるのは、誰の目にも明らかでした。普段のマスターはもっと軽く、宙に浮いているようなところがある人でしたが、その日はまるで違っていました。1歩1歩がどこか重く慎重でした。マスターは教室の生徒たちを見渡しました。心の中では「そろそろ本腰を入れて話さないとならんな」そう思っていました。「上っ面だけのマキョー染みた話は止めて、性根を入れ替えてやらんとな。ここにいる全員をしっかり次の段階へと進めてやらねば」

教室は水を打ったように静まり返っていました。マスターの様子も雰囲気もいつもと何かが違います。生徒たちはみな、マスターが教室へ入ってきた際に醸し出す、あの落ち着いた感じが心地よくて好きでした。生徒たちへの思いやりが感じられます。教室は深い学びの場に変わります。でもその日は、いつもと明らかに違っていました。「マスターは何かに対して怒っているに違いない」そう思った生徒もいます。「昨夜のデートで喧嘩でもしたのかな?」(笑って)マスターがデートでしくじることはありません(笑い)。

マスターは生徒たちの方を、、、(アダマスがおもちゃを手に取ると、クィーと鳴き声が響く。笑いが起こる)。鳴いたね。マスターは厳しい表情で生徒たちの方を見ていました。生徒たちの間には動揺が広がっています。「怒っているのか、あるいは、もしかしたら酷い二日酔いなのかもしれない」マスターはいくら飲んでも二日酔いにはなりません。当然です。いかなる意味、定義においても、マスターがバランスを欠くことは起こり得ません。無論、二日酔いではありませんでした。マスターのその厳しい表情の裏には、想いと狙いがありました。マスターは、嫌悪、軽蔑さえ混じった目で教室内を見渡して、1人の生徒を指しました。「人生に足りない、欠けたものがある。君らはそう言っているが、それはいったい何なのかね?」

ドンナ:試験が足りません。

アダマス:試験が足りない?

ドンナ:もっとテストをしてください。試験を受けたいんです。

アダマス:人生における試験、という意味でいいのかね?

ドンナ:そうです。

アダマス:出て行きなさい。(彼女が立ち上がって出て行こうとすると笑いが起こる。アダマス、囁いて)そう。いいね。そうだね。その辺にいればいい。オホン。いいかね。いつまでもこんな教室でぐずぐずしていてほしくないのだよ。さっさと必要な答えを得て、ここに来なくなることが君らの目的じゃないのかね? この学校に入ってどのぐらい経つ? 2週間? そしてもっと試験を受けさせてくれだと? 試験を受けるのが学校に来ている目的かね? そのために高い学費を払っているのかね? そのために他の、もっと有望な生徒の椅子を奪っているのかね?

マスターは唾を吐きかねない様相でしたが、さすがにそれはしませんでした(笑いが起こる)。何とか踏みとどまりました。マスターは次の生徒を指しました。

リンダ:モーフォよ(訳注 Mofo:マザーファッカーをオブラートに包んだ呼称)

アダマス:いったい何が足りないんだね、モーフォ。ここへ来るようになって何年になる? 君に必要なのは教室ではなく治療室じゃないのかね?

モーフォ(マーティ):先生、メンゴ!

アダマス:君の人生に欠けているものは何かね?

モーフォ:先生、今日の俺はなんて言うか、、、

アダマス:立って話しなさい! マスターと話をする時は立ちなさい。

モーフォ:先生。今日はなんだか気が散っていて。

アダマス:どういうわけで?

モーフォ:おならが溜まっていて。

アダマス:またパンツを汚したんじゃないだろうね。

モーフォ:まだです。ただただガスが、あ、あ、すみません(笑いが起こる)。

アダマス:臭っ!

モーフォ:すみません。

アダマス:モーフォ、いったい何を食べたんだね? 何を食べたらこんな、、、

モーフォ:なにもかもです。

アダマス:なにもかも(アダマス、笑う)。なにもかも食べたって?

モーフォ:お皿まで食べてしまいました。

アダマス:皿までか。なるほど。ガスが溜まるわけだ。さあモーフォ、逃がしやしないよ。足りないものを答えなさい。何が欠けているかと聞いてるんだ。あらゆる講義を聞き、一緒に釣りにも行ったね。それ以外に何が必要と言うんだい?

モーフォ:カンニングシート。

アダマス:カンニングシート(笑い)。カンニングシートに何を求めるんだね?

モーフォ:全ての答えです。

アダマス:全ての答えがある! 素晴らしいシートじゃないか。それは一体、どこにあるんだね?

モーフォ:腕に書いたつもりでしたが、顔を洗った時に消えてしまいました(笑いが起こる)。

アダマス:カンニングシートね。君も、出て行きなさい。君のような者には、ここの空気も場所ももったいない。彼はカンニングシートと答えたが、そんなものは既に彼の中にあることを全く理解
していない。

アダマスと聴衆:(モーフォが部屋の後方へ立ち去るところで)わあああああああ! わあああああああ! うわあ!

アダマス:カンニングシートは既に君の中にある。モーフォ、どうして君にはそれが分からない? 既にあるんだ。たった2単語の簡単なことだが、分かるかな。

モーフォ:オナラ デタ かな?(爆笑が起こる)

リンダ:臭いが広がるわよ。

アダマス:本当に外へ出ておいてもらおうかな? オー・マイ・ガー!(更に笑い)。たった2単語。簡単なことではないかね。

カンニングシートを言い換えただけのたった2単語が分からんのかね。こんな簡単な2語が。本当に分からないのかね?(聴衆から「I AM」と「I Exist(私は在る)」の声がそれぞれ)。誰も分からないのか。許し(Allow)と and というのが分からないのかね。ホワイトボードにわざわざ書かないと覚えられないのかね。この教室にホワイトボードは無いがね。だから書かん。だが覚えてもらわないと困るな。はい、教室のこちら側の者、はい「許し」(部屋のこちら側の聴衆が「許し」と続く)。じゃあ2つ目の「And」は、向こう側の者(向こう側の聴衆が「And」と続く)。それを並べて言うと、、、

聴衆:許し、and。

アダマス:モーフォよ。それがカンニングシートだよ。分かったかね。ただし、席に戻らないように。臭いが酷いからね(笑う)。

この時点で、マスターはもう完全に怒り狂っていました。長い時間をかけて丁寧に話し、何冊も何冊も本を提供し、それについて解説をし、質が高く甘い甘いメラブを幾度となくやってきたのに、生徒たちはまだ気付きに至りません。マスターの身にもなってください。どんな気持ちでいるか少しは分かってほしいものです。では次の人。あなたには何が足りないか。

(アダマス、皆を少し制して、あくびをする)コーヒーを飲んでおいた方が良さそうだね。さて、「君に足りないものはなんだね」

オルガ:何もないわ。

アダマス:何もない。足りないものが何もないなら、ここで何をしているんだね?

オルガ:興味ね。

アダマス:興味。私に興味があるのかね。

オルガ:それもあるわ。

アダマス:クラスメートにも興味があるのかね。

オルガ:それもあるわね。

アダマス:じゃあ君は、人生で欠けたものは何もないのに、興味からここへ来ているわけだ。何がどう興味があるのだろうか? 気付いたことはあるかね?

オルガ:あ、たぶん、記憶が欠けてるわ。

アダマス:え、マインドが欠けてるだって?

オルガ:記憶よ。記憶。

アダマス:記憶がない、と。

オルガ:そうよ。

アダマス:記憶もマインドも同じものだと思うがね。

オルガ:うーん。

アダマス:何に興味があったか忘れてしまったということかね?

オルガ:(笑って)そう。思い出せないの。

アダマス:何かに興味があったはずじゃないのかね。

オルガ:それはそうなんだけど、、、

アダマス:このスピリチュアルな教室に何かを期待したんじゃないのかね。

オルガ:そう。エネルギーが好きなの。

アダマス:エネルギーが好き、と。

オルガ:そうね。

アダマス:だとすると、エネルギーが欲しくて来たわけか。

オルガ:ああ、そうね。私、そうよ。

アダマス:おっと! おっとおっとおっと!(聴衆も同じように「おっとおっと」)。いったん整理させてもらうが、君は、他の生徒たちのように、何か学びたいことがあるから入学したのではなく、身体を持ったままで悟りに至りたいのでもなく、エネルギーを奪いたいからここへ来たのだと言っているのだね。最も安心できるこの場所で、悟りへ向かってガードを下ろし、丸腰になった皆のエネルギーを吸い取りにきているのだと。それで合っているかね?

オルガ:そんなんじゃないわ。

アダマス:私、アダマスには、質問対する答えとして悪くないように思えるけど(笑っている)、どうも、このマスターには、答えとさえ思えなかったようだね。マスターは同じ質問をします。「さて、おふざけは終わりにして答えなさい。君の人生で欠けているものはなにかね?」

オルガ:自分を認めること、許容すること(Allowance)ね、もちろん。

アダマス:おこずかい(Allowance)だって? 人生で欠けているものが、おこずかいとはね。両親が十分にくれなかったか。そうか(笑っている)。ここ5ドルあるから持って行ってはどうかね?

オルガ:自分で自分の全てを許容して自由になりたいと思うけど、どうしても、なんて言うか、上手くきないの。

アダマス:ほほう。

オルガ:でも、なんというか、私はそれがどういう感覚かが、なんかこう、今一歩のところで掴めないの。

アダマス:あぢゃあ! カットカット。一旦ストップ。

オルガ:いいけど。

アダマス:ストップストップ。

オルガ:ええ。どうぞ。

アダマス:「ストーリーを演じること」と「自分のストーリーに嵌ること」の違いが分かりましたか? 演じること、役を役のままでいさせてやること、そうしてストーリーを進めて行くことと、自分のストーリーに巻き込まれることの違いが。

オルガ:そうね。確かにそうね。

アダマス:良かった。自分のストーリーから出て、距離を取って。ふう! 危なかったよ。いかに自分が自分のストーリーに脆いか、いかに簡単にいつものストーリーに嵌り込むか、分かったね。

オルガ:ええ。そうね。

アダマス:こうやって意識的に楽しんでいる今の状況でさえ、これだからね。さあ、さっきのストーリーに戻ろうか。演じることを続けるんだよ。はい。私たちは、とある教室にいるマスターとその生徒たちです。マスターは芝居じみた調子で言いました。「君の人生に足りないものは何かね」君も芝居じみた調子で答えるんだ、ほら、何か答えて、、、

オルガ:うーん。(「セックス」と声が上がる)

アダマス:セックス!(笑う)

アダマス:君の答えはセックスなのだね。悪くない答えだ。

オルガ:そうよ。私の答えよ!

アダマス:悪くない答えだ。彼女は自らが「セックス」と言ったかどうか定かじゃないようだが、皆はその声を聞いたし、私も聞いた。皆、彼女が「セックス」と叫ぶのを聞いたかね?

オルガ:もう1回、言ってあげるわ。質問しなさいよ。

アダマス:良かろう(笑っている)。君の人生に足りないものは何かね?

オルガ:(大声で)セックス!(会場は大爆笑)

アダマス:マスターはこう聞くだろうね。「最後にしたのはいつだね」

リンダ:答える必要なんか無いわよ!(笑っている)

アダマス:叫びながらイッたのはいつかね?

リンダ:うがああああ!

オルガ:覚えてないわ。

アダマス:おおおお!

リンダ:おおおお!

アダマス:マスターはこうも言うだろうね。「したいんじゃないのかね?(笑いが起こる)」

オルガ:そうよ!

アダマス:どのぐらいしたいのかね?

リンダ:うああああああ!

モーフォ:これは家族で観る番組だよ!(更なる笑い)

オルガ:死ぬほど。

アダマス:オナラ男は静かにしたまえ!(また笑い)。どのぐらいしたいのかね?

オルガ:とっても。

アダマス:とってもかね。では特別にお薦めの方法を教えよう。授業が終わって家に帰ったら、扉にしっかりと鍵をかけて(笑う)、熱い熱いお風呂に1度、2度、3度と浸かって、自分でソコに触れるんだ、、、(と、そこで鳴き声を上げるおもちゃが鳴き声を上げる。会場は再び笑いの渦に)。この地球上で最もそうしてほしい誰かからそうされている、そう想像しながら触るんだ。自らの身体に対して愛と思いやりを感じながら行いなさい。君が君の最愛の恋人だと思って行いなさい。実際に君は君にとって最愛の存在だ。恥ずかしがる必要はない。そうすれば、人間という存在として感じ得る最高の一体感、身体とマインド、そしてスピリットの融合が感じられるはずだ。人間にこの体験を超えるものは生み出せない。罪も恥も感じずに人間が自らとの間で恋に落ち、自らを愛し、思いやることは、魂がしているとそれと非常に非常に非常に似ている。魂というのは毎瞬ごとに自らと恋に落ちているのだよ。

シャーンブラ5:なるほど、、、

エディス:これを聞いて何人が熱いお風呂に入るのかしら(シャーンブラ5笑う)

アダマス:君も入りたいのかね?

エディス:さあ、私がそうするかどうかは、、、

シャーンブラ5:あれ、追い出された2人が戻ってきたね。(ドンナとモーフォのこと)。

アダマス:ただのストーリーだから、まあいいよ。「さて、君の人生で欠けているものを教えてくれたまえ。大きな声で、さあ、早く、言いたまえ! ええい、私は忙しい。あと3分でこの授業は終わりにする」

シャーンブラ5:オーケー!

アダマス:君の人生で足りないものは何かね?

シャーンブラ5:すみません(I’m sorry)。

アダマス:自分のことを可哀そう(sorry)だなんで言うべきではない。

シャーンブラ5:うーん。彼らは映画か歌を作るべきだね。

アダマス:歌?

シャーンブラ5:いや、、、

アダマス:歌。そうだね。マスターはもう待てない様子だね。我慢の限界だ。

シャーンブラ5:分かってる。

アダマス:君の人生において、欠けているものはなんだね?

シャーンブラ5:たぶん、、、(アダマスはいびきをかいて寝ているような音を出す)、、、自分を完全に信頼し、自分に自信を持つこと。

アダマス:自分に対する自信と信頼と言うのだね。それはどこで見つかるのかね?

シャーンブラ5:自分の中。

アダマス:だとして、どう自分に自信を持ち、信頼できるようになるのかね?

シャーンブラ5:分かりません。私はただ、、、あ!(聴衆から「あああああ!」)

アダマス:おおおおお! いあああああ! ここには厳しい鉄の掟があります。ここでは何を言ってもいいけど「分かりません」だけは許されません。マイクをリンダへ返して、後ろで放屁男と一緒に座っていなさい。

シャーンブラ5:分かりました。

アダマス:よろしい。

リンダ:ひどい。

アダマス:ダメな生徒は追い出しますよ。マスターは怒り狂っています。

リンダ:次のは誰かしら?

アダマス:「これ以上続けても時間の無駄だ」

リンダ:あらら。

アダマス:マスターはもうカンカンです。何年も何年も、日々何時間も何時間も教えてきて、生徒の口から出てくる言葉は「分かりません」や「おならが出ます」ばかりです(笑い)。そんな生徒の前で皆を見つめる、その時のマスターの気持ちがみなさんに理解できますか? マスターが質問を切り上げたその時点で、授業の終わりまで、あと3分という頃合いでした。「もう教えるのを止めようかの。そうする価値がないわい。そもそもこやつらは教えなど望んでないのではなかろうか。ここまで教えを進めてきて、あろうことか全くどこにも到達していない」ここから離れて釣りでもしていたい、マスターはそんな衝動に駆られていました。ご存じのとおり、マスターは釣りが大好きでした。餌も何もつけない針だけの状態でも、キャストと同時にすぐ魚は食いつきました。あたかも魚からマスターのボートへ飛び込んでくるような勢いです。しかしそれではあまりにつまらないため、魚にそこまでは許しません。「一応、釣りを楽しんでいる感覚ぐらいはくれんかの」無論、釣った魚はリリースします。マスターは授業終了まであと2分となったところで、再び口を開きました。「君たちの人生で欠けているのは、生きることだ」

君たちは誰一人として、真に生きるということをしておらん。君らがしているのは頭でただただ考えているだけ、すぐ古い記憶を引っ張り出す。最後にセックスをしたのはいつだね? 答えは「今日家を出る直前までしまくってました。最高でした」こうあるべきだとは思わんかね。それが生きるということだ。生きるというのは「マスター、昨日のディナーも最高でした。驚くほど最高でした。私は完全に生きています」ということであって「今日はガスが溜まっていて、おならばかりしています」ということでは断じてない。分かるかね。そんな答えは、君たちがフルに生きず、どこかバランスを欠いていることの証明にしか過ぎんよ。

この教室にいる全ての者たち言えることだが、生きること、を忘れているんじゃないのかね。自分でエネルギーをニュートラルにして、グレーで、つまらないものにしているんじゃないのかね。君たちは、真に生きることを忘れた、というつまらないストーリーに没頭し過ぎだ。生きることを恐れてさえいる。最高のオーガズムを得られるまでセックスすることを恐れている。悪いことだと思っている。君たちは食べることを恐れ、ピクニックに出かけることを犯罪だと思っている。楽しむことを恐れている。自分は楽しんではいけないと思ってしまっている。苦しまなければいけないと。だからこの道でも、この期に及んでも、マスターの忠告も聞かずに、頑張り過ぎるのではないのかね。君たち1人1人に本当に欠けているのはその観点だ。ボーリングでもスケートでも買い物でも何でもいいから今日の午後、授業のあと、そうやって楽しみなさい。これまで自分に対して買いそうになかったもの、でも欲しかったものを買ってあげなさい。食べきれないほど大きなポップコーンを抱えて映画を観なさい。なんでもいいから、生きなさい。死人のようにふらふらと時間を過ごすことをやめて生きる、その時が来ていることをいい加減に察しなさい。それが出来るようになるまでは、二度とこの教室には戻ってこないでよろしい(聴衆、喝采)。これで終わりです。

このストーリーのポイントは、真に生きる時が来ている、ということです。みなさんは悟りや生き方について考えることに、考え過ぎることに、多くの時間を費やしてきました。そのせいで、生きることを忘れています。美味しいものを食べたり、何であれしたいことをすることを、忘れています。そんなことをすれば気付きが来ない、悟りに至れないのでは、そう心配しているかもしれませんが、そんなことはありません。むしろそうすればこそ、その域に、近づきます。

もし本気で、今の生涯で悟りに至るのだと本気で、真剣に考えているのであれば、思い切り人生に浸って満喫することをしてください。これまで聞いたり感じたり言われたりしたことからは、まるで正反対のことに思えるかもしれませんが、そうしてください。人生に浸り、食と物欲とセックスに溺れて、制御することなく、あなたを、ありのままで、我慢することなく、生きてください。

ブッダの場合が特に顕著で有名ですが、生きることが嫌になること、人間のの営みにうんざりする、それはマスターになる過程における全てのアセンデッド・マスターが経験します。生きること、身体にいること、そのために必要なもろもろの活動に嫌気が指す時期が必ずあります。生きること自体、そしてその要素の多くは中毒的であるのが分かるため、アセンションするためそこから距離を取ろうとするのは、無理なからぬ反応です。生きることは罠、トラップになり得ます。時に足を取られます。が、しかし、真に生きることを自分自身に許してみれば、それはそうではない、その認識は大いなる間違いだったと気付きます。人生から逃げること、生きることから遠ざかろうとすることこそが、人間が嵌り込んだ真の闇、泥沼なのだと。

これまで我慢をしたり、自分を抑えることをしてきたかもしれません。それがクセになっているかもしれませんが、悟りの過程のこの段階にあるのであれば、みなさんは、自分の人生を、生きることを、もっともっと楽しんでいいのだと、気付いている頃だと思います。このことについてはProGnostでもっと話をしようと思っていますが、私たちは、これまでとは全く違う方へと向かっています。それには真に生きること、どう生きるべきかをただ考えるのではなく、生きることが必要です。ただ夢を見るのではなく、夢であることを超えて、夢を生きることが必要です。

はい。これが、このストーリーの本当の終わりです。ストーリーを語るのがいかに簡単か分かりましたか? いちいち考えておく必要もありません。ストーリーはただ進んでいきます。はい。

ではゆっくりと、大きく深呼吸をしてください。3つ目のストーリーに入りたいと思います。コーヒーが欲しい人はいませんか? 自由に取りに行っていただいて結構です。ただし歩きながらおならをするのはやめてください(笑う)。

The Park Bench(公園のベンチにて)

このストーリーは、もう少しムードのある照明の中で行います。ギアを少し変えましょう。みなさん、ゆっくりと、大きく、深呼吸をしてください。ストーリーから始めて、そのままメラブへと入っていきます。

このストーリーは既にこの新しい本にあります。「メモリーズ オブ マスター」の中にあります。ここに納められた話の中で唯一、私ではなく、カウルダーによって書かれたものです。私の提案で、タイトルは「公園のベンチにて」と決まりました。

大まかなストーリーの概要を与えることをしましたが、基本的に、これは彼の話であり、と同時にこれを聞いているみなさんの話です。ですので既にお分かりの内容かもしれませんが、この「公園のベンチにて」について少し話をしたいと思います。

このストーリーでは、比喩とシンボルが数多く使われています。マスターが公園のベンチに座っているところから始まります。ちょうど今の私のような感じですね。それは早朝で、太陽が地平線の先に漸く顔を出し始めた頃合いです。空はまだ薄暗く、深い青の段階です。朝の美しい時間帯です。世界は静かで落ち着いていて、穏やかです。まだ多くの人が眠っているため、集合意識も忙しなさとはまだ無縁の状況です。通りを走る車もまだほとんどありません。美しい朝を感じながら、日が昇りつつあるのを眺めています。空気がひんやりと冷たい中、太陽が地平線の上に姿を見せ始めるその素晴らしい一時は、マスターのための時間です。本当に美しく素晴らしい、マスターのための時間です。

マスターが公園のベンチに座っていたのはそういった頃合いです。手にはもちろん、コーヒーがあり、もう片手にはクロワッサンです。それはマスターにとって、生徒からも誰からも自由になれる本当に静かな時間です。彼は生徒たちのことも、彼らとともに教室で時を過ごすことも愛していますが、と同時に彼らと一緒にいることは、非常にくたびれることでもありました。生徒の皆がマスターになりたいと思えば思うほど、必ずと言っていいほど、逆行する何かをしたり、自分自身の足を引っ張る何かをします。非常にフラストレーションが溜まります。実際、足を引っ張っているのは、その人にある人間部分で、それは通過儀礼であり、仕方のないことでもありますが、だからこそ、例えそれがマスターであっても、一緒にいると、多少なりとも疲労します。マスターにもそういった静かな時間は必要なのです。

しかし、地平線から顔を出したばかり太陽を眺めつつも、その日に限っては、いつものように、そう落ち着いた朝にはならないことが、マスターには分かっていました。少々騒々しい朝になりそうでした。生徒たちが話しに来るわけではありません。誰か他の人でもありません。予期していたのは自分自身のアスペクトたちです。マスターの全てのアスペクトたちは、いざマスターを探す必要が出た際には、その時間そのベンチに行けばマスターが見つかることを知っていました。彼らは、教室にマスターの姿がなく、夜の夢の中でマスターを見つけることができなくても、その公園のそのベンチ、そこに行けばマスターに会えることが分かっています。それはマスターが彼自身を、全てのアスペクトに対して開いているからに他なりません。そんなベンチです。そんな公園のベンチを舞台にして、このストーリーは展開します。

そして、ちょうどこのストーリーで語られたその日に来たのは、マスターのアスペクトの中で最も闇の深い存在でした。マスターはそのアスペクトを「ダーク」と呼んでいます。その時ダークはダークだけで、他のアスペクトは寄り付きもしません。念のため言っておきますが、ダークは言葉を使いません。言語として、言葉として、ダークの意志なりエネルギーなりを聞くことはありません。そもそもダークは比類なき卑劣なアスペクトで、且つ、言葉が適切かどうか分かりませんが、精神構造的はかなり高度で、マスターを成す部分として大きな要素を占めています。ダークに言葉は必要ありません。これもまた言葉が適切かはどうか分かりませんが、程度の低い、あまり複雑な精神構造を持たない単純なアスペクトたちは、マスターに言語を使って話します。ダークは言葉を必要としません。

周囲が突然寒くなったことで、マスターにはダークが来たことがすぐに分かりました。ダークが傍に来ると真空の中にいるような感じがします。吸い上げられるような引っ張られるような感覚です。闇のエネルギーというのはそういうものです。

現れるや否や、ダークは実に攻撃的な態度でもってマスターに悪態をつき始めました。念のためもう一度言っておきますが、言語を使っているわけではなりません。みなさんに伝わるように、受ける感覚を言葉に変換しています。「よおクソじじい。こんな公園のベンチに腰かけて、それで悟ったつもりかよ。お前が誰かに物を教えるなんて、まあ図々しいことこの上ないな。人に嘘を教え陥れた責任は大きいぞ」闇寄りのアスペクトたちは往々にして、このように動作します。頭ごなしに攻撃をして、低い評価を下し、その人が自分自身を疑うように仕向けます。その人の心の最も暗い部分は承知済みです。巧みに心の傷を攻撃します。闇属性のアスペクトはスイッチの場所を知っています。その人を精神的に追い詰める方法を知っています。

しかしその時のマスターは相も変わらずベンチに腰掛け、何食わぬ顔で、コーヒーを啜っていました。ちょうど肌寒くなったこともあって、コーヒーがとても美味しく感じられました。美味しいコーヒーの香りと味を堪能しながら、太陽から広がる光の筋に見とれていました。マスターはダークのことを避けていたわけでも、存在を無視していたわけでもありません。マスターは単に、今という大切なひと時の邪魔をすることを、ダークに、彼自身のアスペクトとしてのダークに、許さなかっただけでした。マスターはマスターであり、全ての、正に、たった今、進行している、全てのストーリーの観察者です。彼はマスターですが、マスターが出るストーリーの観察者であることは変わりません。

ダークの態度、口調は、さらに攻撃的になりました。「お前は自らを悟ったと言っているが、恥ずかしくないのか。お前は自分が他人より優れてるようなことばかり言っているが、まるで逆だ。正直に言って悪いが、そんなことを言ってるのは、お前だけだよ。周りはみんな、お前を馬鹿にして笑ってるぞ」ダークは続けます。「自分の過去を考えてみろ。ズルいこと、卑劣なこと、姑息なこと、醜いこと、まあ好き勝手やってきたよな。言っておくが、ずっとずっと隠してきた、お前の最も汚い、醜く腐ったあの秘密のことも知ってるぞ。このことをみんなにバラしたらどうなるだろうな。学校でもどこでも、もう二度と誰もお前の話を聞かないだろうな。それでみんな気付くだろうぜ。マスターだ悟りだっていうのはそういう醜い人間が、卑怯にも自己正当化してるだけだってよ。いいご身分だが、嘘は必ずバレるわな。報いは必ず受けないとな。そう都合良くは行かねえな」

あるいは、みなさんの中にも、折に触れて似たような言葉を聞いたことがあるかもしれません。その時のマスターはゆっくりと深呼吸をして、それからクロワッサンを齧りました。そしてまた、コーヒーを啜りました。ダークの言っていることは全く意に介していません。聞いてはいます。言っている意味も感じられます。ダークがそこにいることだって無論のこと、分かっています。しかしマスターは全く意に介しません。

このストーリーで、ダークは同じようにマスターをなじり続け、マスターはダークの話をじっと聞いたり感じたりしながらも、ジョギングをする人を眺めたり、ボール遊びをする犬の相手をしたりします。ダークの話を聞きながらも、話に巻き込まれることも邪魔をされることもありません。

このストーリーのポイント、重要なポイントをお伝えしたいと思います。マスターと人間とが同時にいるわけですが、今のストーリーを聞いて、人間の部分は「うーん。マスターが悟った存在であるとして、何故そんなアスペクトが残っているのか? マスターに闇の部分があるのは変ではないか? いやされていない部分が残っているのか?」と疑問に思うことでしょう。が、アスペクトは残ります。これがAndであり、これこそが、みなさん1人1人の状況であり、これがこのストーリーで伝えたかったポイントです。

みなさんは公園のベンチに腰掛け、コーヒーを楽しんでいるマスターです。太陽が昇る様を眺めながら、寛いだ気分でクロワッサンを食べ、子犬を遊ぶマスターです。みなさんは完全であり、寛いでリラックスしていることが可能です。そして完全に自由です。みなさんは自由であり、そして(and)、人間としてのあなた方もまた同時にそこにいます。私たちは自分たちの人間部分を無効化したり消し去るわけではありません。人間性や闇や他のアスペクトを征服したり屈服させたり消去しようとしているわけではありません。私たちはandに入るのです。

マスターはそこに座っています。全ての要素を聞いて、感じています。マスターはそこに座っています。全てのアスペクトが、闇も光も、大きなものも小さなものも、そこにいればどんなアスペクトにも自分が見つけられることが分かっています。アスペクトたちは皆、マスターの光に溶け込みたくてそこに来ます。ダークでさえ例外ではありません。ダークは、どこかの生涯で、苦しみ打ちひしがれる部分を担った、あなたです。でも何も問題ではありません。全てはたった今、同時に進行しています。ダークはマスターとしての欠くべかざる部分です。光と同様、幼いアスペクト、宗教的だったりスピリチュアル的だったりするアスペクトと同様、全てはあなたの部分であり、あなたという美しく壮大なストーリーは彼ら無しでは成り立ちません。

あなたは公園のベンチに腰かけたマスターであり、光であり、闇であり、恐れであり、幸福であり、創造的であり、時に退屈もするマスターである、この気付きが悟りです。あなたがただそこに座っていて、自らがマスターであり、全てのアスペクトとその全ての動きと関係性、その全てが、其々が、自分が誰かを探し続ける一大叙事詩の全章を織り成す各章であり全体である、その観察者であることを許せた時、そうなります。あなたが座ったままでandに入り「私は私である。自分を成すある部分、それもまた自分である。それを無下に扱ったり、排除するようなことはしない。排除すれば全てではない。過去も未来も区別はなく、悟りとはただただ悟りであり、ただただマスターであることだと認めた時、大きく、ゆっくりと、深呼吸をして、自らを祝福する時です。「私は私であり、私と私である」その気付きに至った時、あなたは既にマスターです。みなさんがそうでないのは、そうであることを許していないから、ただそれだけです。ただベンチに座っていても、そうであることを認めないからです。

そうです。盟友のみなさん。この本の中のマスターがそうであり、私がそうであるように、マスターになっても、過去、未来のアスペクトは消えません。そこにあります。ストーリーから解放されてはいますが、そこにいることは変わりません。ただ、マスターは、それらが自分に何をどうしたところで全く意に介さないだけのことです。マスターは「うーん。アスペクトがいるから私はまだマスターじゃない」などとは絶対に言いません。「私は私であり、私と私である」です。それがこの「公園のベンチにて」の美しいところです。今日のセッションの冒頭で触れた内容と繋がるところです。

時間は崩壊し始めています。あなたは自分の人生のマスターとしてただそこに座っていて、ただ観察を続けています。どのアスペクトも変えたいとは思いません。あなたはただそこに座っています。その姿勢は、過去生、未来生、どこから来たものであっても、全てのアスペクトに大きな影響を与えます。アスペクトたちは突然に、それぞれの生涯というストーリーの中で、マスターとして彼らにとっての公園のベンチに座ります。突然に、過去生でも未来生でも、全ての生涯が、マスターのストーリーに変わります。全てが変わります。

トバイアスがずっと前に言っていました。「未来とは癒された過去である」と。私はこの言い方に変化を付けて「この生涯が、他の全ての生涯をマスターとして目覚めさせる」と表現します。この生涯での気付きは他の全ての生涯へと運ばれ、放出されて、パターンと時間に閉じ込められた生涯を変えていきます。

Park Bench Merabh(公園のベンチのメラブ)

では実際にやってみましょう。公園のベンチに腰掛けてください。

(音楽流れる)

今は麗しきホリデーシーズン、ここは美しきクリムゾン・サークル コネクションセンター。さあ、大きく、ゆっくりと深呼吸をしてください。自分をマスターだと見なしてください。あなたは、この素晴らしき日に、素晴らしき公園のベンチに腰を下ろして寛いでいます。

もしかしたら何らかのアスペクトが訪ねてくるかもしれません。彼らは、あなたがこうやって静かで寛いでいる時にやってきます。闇からなのか光からなのか、どちらでもないものからなのか、とにかく彼らはやってきます。マスターであるあなたは、ただ彼らを観察します。彼らの存在にただ気付いていれば結構です。話を聞いたり、癒してやろうとはしないでください。彼らは彼らのストーリーの中にいます。彼らは彼らがすべきことをやっています。

中にはあなたを見て叫ぶ者がいるかもしれません。あなたを吸い込もうとする者もいるでしょう。

別の者はあなたの前でビクビク震えているかもしれません。あなたの隣に座って何時間も、何日も離れたがらない者もいるでしょう。

こんな質問をされるかもしれません。「答えをください。マスター」

ある者が魔法の秘薬、エリクサーを分けてほしいと言って来れば、別の者は、全ての答えと力を兼ね備えた超人にしてくれと頼むでしょう。

あなたはただベンチに腰掛けたままでいて、ただただ「私は私であり、私と私である」であり続けます。それは、全てのアスペクト、過去から未来へかけての全ての自分を許している、ということです。

彼らと戦う必要はありません。癒したり助けようとする必要もありません。ふとした瞬間に気付きます。「ああ、彼らは私だ。私であり私というストーリーの一部だ」と。「私は私であり、私と私である」

彼らを変えたり直そうとしたりする必要は一切ありません。あなたはマスターであり、あなたに直すべき部分などありません。

(間を取る)

あなたの横で、目標や計画の話ばかりしているアスペクトがいるかもしれません。もっとスピリチュアルで深淵に見える探究を続けるよう説いてくるタイプもいるでしょう。被害者のストーリーを何度も何度も繰り返し、肉体的にも精神的にも傷ついているアスペクトだって存在するかもしれません。

そのままにしておいてください。変える必要はありません。大きく、ゆっくりと、深呼吸をして、自分はマスターであると、ただ気付いてください。あなたはその総体です。たくさんのストーリーが納められた本のようなものです。ストーリーは無数にあります。変える必要はありません。

本当のところ、1つ1つのストーリーは、パターンに嵌ったり、傷ついたり、あるいは幸福の極みだったり、お気楽だったりするものでも、各々は各々で、自らのストーリーを変えていきます。彼らはただ、マスターが来るのを待っています。かつてはベールに覆われ、ノイズの沼に沈んでいたマスターです。マスターが公園にベンチに現れるのを待っています。そして、漸く、そこにあなたが現れました。

アスペクトの声を勘違いしないようにしてください。アスペクトの声を「まだである証」と勝手に解釈しないでください。アスペクトはただただアスペクトであり、あなたはただただ、公園のベンチに座ったマスターなのです。

(間を取る)

あなたは、浮かんでは消え、消えては浮かんでくるストーリーをただただ観察する者です。そして全てのストーリーはマスターのことを待っています。

私の言い方で言わせてもらうと「マスターが現れた時、ストーリーは変わっていく」です。マスターがマスターだと気付いた時、全てのストーリーは、自らが望んだように変われることに気付くのです。

だから、ただ、ただ、座っていましょう。少しの間、ただ座っていましょう。マスターであることがどういうものかを、じっと感じてほしいと思います。声が聞こえてくるかもしれません。気付きを妨害し、マスターへ向かうその足を引っ張る声かもしれません。疑い、という感覚で別のアスペクトも来るでしょう。ダークが来るかもしれません。全てオーケーです。マスターとしてただただ公園のベンチに座っていましょう。

(間を取る)

みなさんが苦しい局面にいることは分かっています。数々の、深い、深い、困難を目の前にして、音を上げないみなさんに対して、申し訳ないとさえ思っています。が、みなさんはもうその領域に入ったのです。身体を持ったままでマスターとなる、その領域に入っています。パイオニアとして未踏の地を歩いています。ある意味、困難でない方が不思議です。

私にはみなさんの本当の姿が見えています。あなたに見えなくとも、私には見えています。

私にはマスターが既にそこにいるのが見えています。例え、あなたがまだ「マスターになろうとしている」と思っていたとしても、私にはマスターが見えています。

時には残酷なストーリーも見えてきます。ひたすらに辛いだけの話です。でも私には、そういったストーリーでさえ、変われることが見えています。

私にはみなさんがストーリー上に置いた困難や挑戦が見えています。私にはみなさんがそれを許しているのが見えています。

さあ、公園のベンチに腰掛けたまま、大きく、ゆっくりと深呼吸をしてください。マスターはただ人生をエンジョイします。生活の全てを楽しみます。マスターは過去や未来のアスペクトでさえ、楽しむためにその訪問を受け入れます。

さあ一緒に、大きく、ゆっくり、深呼吸をしましょう。

メリークリスマスみなさん。創造において全ては正しい。このことを忘れずに。

シャーンブラのみなさん、ありがとう。ではよいお年を楽しんで(拍手喝采)。

翻訳: Ito Satoshi


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