Merlin I Am(マーリン・アイアム )シリーズ シャウド4

Merlin I Am(マーリン・アイアム )シリーズ シャウド4

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マーリン・アイアム シリーズ
シャウド 4 – ジェフリー・ホップによるアダマス・サンジェルマン
のチャネリング
クリムゾンサークルへ献呈
2021年1月9日
http://www.crimsoncircle.com/

私は私である全て。アダマス・サンジェルマンです。

ああ! 私は人間界の音楽が大好きです。私は自分がどれだけ人間界の音楽を求めていたかを忘れていました。私たちにもエンジェルとしての音楽は存在します。アセンデッドマスターズクラブにも、いくつか素晴らしいジャズバンドが存在します。が、それらは純粋な人間の音楽ではありません。なんと素晴らしいエネルギーの奏でる音色でしょうか! 素晴らしいコミュニケーションです! どんなものもそれには及びませんね。音楽とは、みなさんが今聴いたような音色というのは、心、そして魂によって奏でられています。人間の旅が表現されています。人間の情熱の現れです。私にとってこれは、コミュニケーションであるエネルギーの最も良い見本ですね。エネルギーとはそうなのです。ただのコミュニケーションなのです。奏でられているあのような音色は、何を強いるものでもありませんが、魂を揺さぶります。はい。(この映像に関して

音楽というものには様々なジャンルがあり、中には気に入らないなと思うものもありますね。分かるかい、リンダ。中には全く好きになれないものもありますね。平凡でつまらなかったり、あるいは ―どう呼ばれるものですかね― 商品として生産されているようなものがそうですね。計算どおりに作られた音楽ですかね。それはそれで仕方ないと思いますが、何でしたっけ ―カウルドゥラ、何だっけ?― カントリーミュージックと呼ばれる、絶望と不運を歌うような音楽もありますね。それには魂が込められています。が、それでも好きにはなれません。そしてクラシックは大好きです。私はシンフォニーをたくさん書いています。知ってるよね、知ってたかい?

リンダ:そう言うからには確かにそうなんでしょうね。

アダマス:その話を聞きたかったりは、、、

リンダ:どうぞどうぞ!

アダマス:、、、一から全部話そうか?

リンダ:一から十まで全部言ってちょうだい。そうしたいなら。

アダマス:私は多くのクラッシック・ミュージックを書きました。そしてクラシックを聴くのも大好きです。が、今、人間界にはそれとは別のミュージックが登場してきていて、あるいは再び ―オー!― それは私に、あるいは再び、人間の形をまとって地球に戻ってもいいとさえ思わせるものですね。が、まあ、そこまではしませんが。

Looking Back at 2020(2020年を振り返って)

みなさん、おかえりなさい。よく戻ってきました。私はそれを、様々な観点から言っています。その意味は自ずと分かります ―カウルドゥラにも分かるでしょう― 今日の終わりには私がどういうつもりでそう言っているのかが分かります。いずれにせよ、よく戻ってきました。みなさんは2020年をやり抜きました。みなさんは全員、そのことで特別な勲章をつけてもいいぐらいです、、、

リンダ:全くそうよね。

アダマス:、、、そういうTシャツを着るのでも構いません。おかえりなさい。みなさんは苛烈極まりない、空前絶後の2020年を乗り切ったのです。

リンダ:破茶滅茶だったわね。

アダマス:COVID、オーダーオブアークの閉鎖、全ての制限、規制、マスクに覆われた1年でした。うぅっ! マスクはとりわけそうですね。マスクの何が最悪かって、1日中、自分の口臭を嗅ぎ続けないといけないことですよね。

リンダ:おー!(リンダ、笑う)

アダマス:それに実際耐え得る人々がいるということ自体、私には想像もできていなかったということです。私が思うに、マスクは嗅覚を殺しています。マスクはまさにそうしているのだと思います。コロナウイルスに感染すると、嗅覚が無くなるというのもそれで筋が通りますね。1日中、口臭を嗅ぎ続けるマスクのせいで、そうなっているのだと思います。

いずれにせよ、とんでもない1年でした。天使のファミリーが、本当の意味で初めて、元の場所に帰って集まりました ―帰還のファンファーレが鳴りました― そうして解散を、非グループ化を告げられました。思い出してください。私たちは、その天使のファミリーの解散が起こるより前から、非グループ化については話していました。

それに不安定な社会情勢もありますね。今、全てが沸点に達しているような状況です。あらゆることが起こっています。あー、前の週にアメリカでもありましたね。とんでもない混乱がありましたね。物理的な実害はさほどなかったと思いますが、ハート、マインドがそれで傷を負いました。みなさんの多くがそれを見ていて落ち着かない気持ちになりました。私はそれをアセンデッドマスターズクラブから見ていました。今は何台かテレビがあります。人間がテレビを持っている以上、私たちも何台か置いておいた方が良いだろうと思ったわけです。ただ、私たちのところにあるテレビの方がハイテクですね。実際のところホログラムです。私はその暴発をアセンデッドマスターズ・ホログラムで見ていました。最後の生涯でアメリカへ旅したことを思い出しました。私は合衆国憲法の作成に協力するため、5度、アメリカを訪れています。ま、実際、憲法の多くを書いたのは私で、他の者たちは単にその手柄を得ただけですがね。しかし、、、なんだい? そんな目を人を見て、そんな目で、、、

リンダ:尊敬の眼差しよ。

アダマス:尊敬の眼差しだね。

リンダ:ええ、そうよ、そう。

アダマス:それはどうも。でも、私は書いたんだ。私が起草 ―文字起こしに手を貸した― 憲法のね。それもあって、ホログラムから見えた光景に私はがっかりしたんだよ。いや、まあ、ある意味では、違うんだけどね。実際、ある意味ではそうで、分かるかい、リンダ、君は私を、情けなく涙を流す、そういうアセンデッドマスターだと考えてるけど、つまり「惑星で何てことが起こってるんだ?」と私が嘆いている、そう思っているのだろうけど、しかし、まあ、一部分では非常にがっかりはした。あんなものを見ていたいとは単純に思わない。しかしまた別の部分では、それは非常に適切なことであると分かっていたよ。起こるべき時に起こるべきことが起こっているのだとね。そして実際、私は、ホログラムを見ているところからアセンデッドマスターたちがいるホールへ行って、彼らを呼び集めてこう言えるぐらいに自信があったよ。「これだよ。これ。私たちは惑星地球にいるべき時、いるべき場所に確かにいるってことだね。私たちがやってきた全てのことが認められたようなものだ。私と、私がシャーンブラと呼ぶグループのね。これは次に起こることが次に起こる証明だ」と。

いずれにせよ、2020年は終わりました。そして2021年は興味深いものになるでしょう。このことは後でもっと説明します。完全に平穏無事であるわけではありません。恐れが無くなるわけではありません。ふわふわとした軽い1年にはなりません。それは今から断言できます(リンダ、ため息をつく)。2021年が特に浮き立つような年にならない、そう言ったという記録として話をさせてもらうんだけど。

リンダ:軽い1年にはならないってこと?

アダマス:ならないね。ならないよ。

リンダ:そうなるのはいつのこと?

アダマス:ならないよ(アダマス、笑う)。人類は、そのチャンスがあった1987年にそうしておくべきだったんだ。でも君たちはある意味で、そのチャンスを見落としたんだ。だから申し訳ないけど、人類は、君のいるこの生涯でそうなることはもうないよ。今年は全くもって軽い年にはならない。とても興味深い、面白い1年にはなる。ただ2020年のようではない。2020年のようにはならないね。

リンダ:分かったわ。

アダマス:そして個人としては ―君は惑星の意味で軽い1年になるかを訊いたけど― 個人としては、私はみなさんが個人として、軽い1年を望んでいるとは思いませんが、そうですね、今はこれだけに留めさせてもらいますが、シャーンブラにとって2021年は、感覚、官能性、センシュアルの1年になるでしょう。感覚です。中には今の話をセクシュアルなものとして捉えた人もいるようですが ―それが好きな人もいれば、それが嫌いな人もいるでしょうが― そうではなく、感覚です。私たちは数々の感覚を開くでしょう。そういった感覚を開くのです。私たちはマインドだけであることを超えていきます。私たちは人間という制限の中だけにあることを超えていきます。そうしない理由はないですよね? そういった全てはそこにあって、アクセス可能なものなのです。

というわけで、今年は感覚の1年となるでしょう。物事を深く感じ、時にその痛みさえ感じます。分かりますか。テレビを観ていて、首都ワシントンで起こっているあの全てを目の当たりにしていると、それに我慢ならないという人たちがいますね。うー、あー! それじゃダメですね。違います。違いますよ。一旦、ストップしてください。そしてもう1度テレビに戻って、それに深く感じ入ってください。そもそもそうすることは直感に反することに思えるでしょう。それを見たくはないわけです。が、そうではないです。あなたはどんな状況にでも潜っていくことが出来るようになるのです。人生におけるとても個人的な状況も含めて、潜り、必ずしも痛みではない、知覚、感覚を得ることが出来るのです。あなたはそこに痛みがあることに気付くかもしれませんが、あなたは感じ方のレベルを変えることができるでしょう。実際にそれに感謝し、楽しむことが出来るでしょう。それが私たちの向かっている先にあるものです。

リンダ:なるほど。

アダマス:終わったものとして2020年を見られて良かったですね。2020年は数々の調整のために必要不可欠な年でした ―惑星地球だけではなく、宇宙の全てにとって。私は何一つ大げさには言っていません― この大きなシフトが起こるために必要な1年だったのです。いったいどこの誰に思い付くことができたでしょうか? 惑星全体の人々がステイホームを余儀なくされ、仮に外出するとしてもマスクを着けるといったことが誰に予測できたでしょうか? 今、みなさんにお願いしたいと思います。あなたの、初めての感覚的な経験として、昨年に起こった惑星の変化を感じてください。人々は家に留まっています。彼らの生活を一旦止めて休止して、自分自身の仕事について、家族について、そういう時にこそ人々に仕えるべくしてあった政府について、惑星にある不平等な数々の事柄について、改めて考えました。分かりますか。十分な数の人々が家でじっとし、少しの間でも物事をスローダウンさせて、自分の人生、自分の人生と外の世界がどう関係しているかを考え始めているのです。彼らは、物事に含有されている不公平さ、その数々を見出します。彼らはそれに関して、なんらかの変化を求めます。

1つ言っておきます。この惑星は、2020年以前の状態に戻ることはありません。2019年のようにも、2018年のようにも、1947年のようにも、どのようにも戻りません。この惑星は不可逆的な変化を果たしたのです。それは時に大変です。はい。そして辛い時期はまだ先にもあるでしょう。しかし、大いなる変化は既に惑星を覆ったのです。今から5年の内にあなたは振り返ります。あなたは振り返ってこう言います。「あれが最も重要な年だった。変化にとって最も重要な年だったのだ」と。いったい誰に考えることができたでしょうか? その変化がこのように為されると。戦争でもなく、飢餓でもなく。

はい。多くの人がコロナウイルスによって亡くなりました。多くの人が亡くなりました。しかし、あらゆるどのような観点から見ても、彼らには逝く準備ができていたのです。彼らは本当に、その準備を終えていたのです。それはある種の、人生設計、とも呼べるもので、仮にそれがウイルスでなくとも、他の何かによってそうなっていたことなのです。私はこれを浄化であったとは言っていません。私が言っているのは、彼らには、ある直感があったということです。彼らは、自分自身にとって、今ここから去って、ある種のリニューアルを経て、古いお荷物も何も無しに次の生涯の準備をした方が結果として良い、そう見越していたということです。

実際 ―カウルドゥラには気に入らないようですが、だから私はあえて言いますが― 惑星の出口のところには、ここから去りたい人々で出来た行列が、去年はずっとあったのです。ここから去りたいと本当に思っている人たちは、それを待つべくして列を作っていました。惑星からのエクソダスです。彼らには、彼らが物理的な領域から出られることが分かっていました。そして ―彼らはそういったに語彙は知りませんが、彼らは、多くの洞察と意識を提供してくれるどこかの何かへ行けることが分かっていました。それがニューアースだというわけです。ニューアースは今、非常に活性が高い状態です。

彼らはここから出て、あそこへ行くことがきたのです。地球周辺の領域で行き詰まって、また別の、古く変わらない生涯を送ることになるのではなく、ニューアースで真の再生ができるのです。彼らには、みなさんが宇宙的な希望とでも呼ぶかもしれないものがニューアースにあると分かっています。だから、ニューアースへ向かうために出ていく準備が出来た人の行列があったのです。去る準備が出来ていた人たちは、この古い地球の領域、地球周辺の領域、中間地点みたいなものですね、それであろうとどこであろうと、うんざりした気持ちでただ留まっていたのです。が、天使のファミリーが解散されて、そこにいた存在たちがそこへ ―今は230を超えるニューアースがあります― 向かい始めたちょうどその頃、ここ地球にいた人たちには、これこそが、ここから離れ、ニューアースへ行き、真に再生するためのチャンスの時だと分かったのです。そういうわけで、惑星上には多くの死があったわけです。が、そうしたいと思っていてそれをしなかった、まだそれが出来ていない人はまだまだいます。

なので、人々が去っていくことを悲劇だと見ないようにしましょう。つまり、もちろん、旅立つその時は悲しむのもいいでしょうが、その人たち、その全ての人たちが向かう先 ―全員が全員というわけではありませんが、かなり大部分の人たちです― このコロナウイルスの時代に惑星を離れた人たちは、ニューアースへ行き、そこで完全なる、再生を果たし、そうしてここに戻ってくる、戻ってきても古く変わらないパターンにはまることもないのです。彼らが戻ってくる時には、新しい可能性の数々に対する気付き、が注入されているそう言っていいでしょう。変わらない生物学的にも同一の家系、同じ街、同じ仕事、キャリア、専門性といった古い可能性ではないのです。彼らは、彼らに想像できるよりも遥かに多くの選択肢が用意されていることでしょう。

さあ、そのことを胸に、大きく、深呼吸をしましょう。コーヒーを一口すすりましょう。

現れる結果は全て良いものです。分かりますか、二元性に囚われていると「嗚呼、悲しい。可哀相な人たちだ」となり、陰謀論へと向かいます。そういった意味での何らかの衝突、摩擦があるたびに、陰謀論が出てきます。時間の無駄ですね。

Respect for Shaumbra(シャーンブラに対する尊敬の念)

このオープニングのパートで本当に伝えようと思っていたことがあるのですが、私はシャーンブラのみなさんに対して、尊敬と感謝の念を伝えたいと思っています。私は ―ハーッ!― 私は挑発的であるはずなんだけどね。

リンダ:そうね。

アダマス:癇に障る、押し付けがましい、、、

リンダ:そうね。ええ。

アダマス:そこまで同意してくれなくってもいいんだけどね(リンダ、笑う)―押し付けがましくて、尊大で― それには君も納得だよね(リンダ、まだ笑っている)―尊大だね。私は、時に気逸らしのマスターであることも知られている。私は途轍もないユーモアのセンスでも知られている。常に、ではないけどね。私は、多くのことに関して定評があって、ただ、、、

リンダ:私たちはみんな、あなたが大好きよ。

アダマス:、、、私もみんなとやりとりするのは大好きだよ。ライブの観客が懐かしいです。本当に寂しく思います。とてもエネルギッシュで、あなたは私を通して、そして他の聴衆たちを通して自分自身を見ることができるのです。あなたは、マイクを渡された人を通して、自分自身を見るのです。私はシャーンブラたちといる時には、そのようにダイナミックになれるのです。私たちで盛り上がれるという意味です。もちろん、今もみなさんのことは感じられます。私たちはみんなここにいます。が、顔に平手打ちをお見舞い出来る状況には意味があるのです。つまり、エーテル的な平手打ちではなく、リアルな平手打ちであることには意味があるのです。当てられた誰かがとんでもないマキョーを持ち出して、私が目を白黒させる、させられることに意味があります。私はそれを懐かしく思います。また、そういうやり方に戻さなければなりませんね。あのやり方に戻さないとですね。そうなるのが待ちきれません。番号の抽選をするとか、1から10番を引いた人はアダマスとともにステージに立つとか、そういうのがいいですね。楽しみです。私たちはそれで滅茶苦茶、楽しみます。私はみなさん、1人1人全てに対する尊敬の念を隠せません。これまでの旅がどれほど困難で過酷であったかが分かっています。そうしてここで一緒になって、いるのです― つまり、一緒にはいませんが、一緒にいるのです。私たちはここにみんなでいるのです ―この2021年の始まりにいるのです。思いも寄らなかったことです。本当にそうなると思いもしませんでした。

そして私は、その道中でここから離れた人たちのこともまた尊敬しています。私は多くの人にここから立ち去るように仕向けました。多くの人が私がそう仕向ける前に去っていきました。いずれにせよ私は多くの人たちがここを離れるように仕向けて、多くの人たちが実際にそうしました。私はそうした人たちにも尊敬の念を覚えています。何故なら、時に、ある場所を離れて、自分自身の道を ―自分のドラゴン、闇夜、自分探し、何と呼ぼうが構いませんが― そういうものに行くというのは、とても重要なことであると分かっているからです。なので私は、ここへ至るまで、特にトバイアスが旅立って私がクリムゾンサークルに来て以降にドロップアウトした人たちに対しては、尊敬の念を抱かざるを得ないのです。

私は、ここへ至るまでの途中で、他のことに気を取られて去っていた人たちへの尊敬の念を否めません。彼らは私に腹を立てて、それで去ったのではありません。私に腹を立てて出ていく人たちとも楽しくやりますよ。あとで説明はしますが、私は彼らとも楽しくやれるということです。まあ、彼らは、本当は自分に対して腹を立てていたのだと気付くまでは、私に対して腹を立て続けていると思いますが。つまり、何か、私のやっている何かが彼らに腹を立たせさせているのだと思いますか? 私はそうは思いません。最終的には、みんな、自分に腹を立てているのだと分かります。そうやって楽しんでいるんですよね?

リンダ:そうね。

アダマス:いいね。素晴らしい。

そのように、私はここに至るまでに別の何かに気を取られてしまった人たちを尊敬しているのです。トバイアスの時代から今の時代に至るまで、クリムゾンサークルの何かに一度でも触れたことのある全ての人に対してそうなのです。私たちが行っていることを考えれば分かります。私たちが何をしているのか考えてみてください。みなさんが受け入れているもの、私たちが向かっているところ、私たちが既にやり終えたものについて考えてみてください。

私は、みなさんの1人1人の全てに対して、今時間を取って、みなさんに対して、敬意を表したいと思うのです。本当は直接会ってそうできたなら、と思います。が、今はエネルギー的に、みなさんに対する尊敬の念、その音色を贈りたいと思います。

(アダマス、目を閉じて間を取る)

今日ここにいる人、ここを離れた、あるいはここから放り出された人、別の何かに気を取られた人、全ての人に対して、私の深い尊敬の念を伝えます。私にはみなさんの歩みが、いかに苦しく、困難なことであるかが分かっています。

私の魂から出るそれを、どうか感じてください。ふむ。

Distractions vs. Truth(気を逸らさせるもの 対 真実)

少し、気を逸らさせるものについて話しましょう。何か別のものに気を取られるのは普通のことです。気が逸らされるのは簡単であり、ある意味で、それは気逸らしとしてその目的に仕えています。それは、人に深くダイブさせる、あるエネルギーから、別のエネルギーへと深くダイブさせるもののことです。何か別のものに気を取られること、それにはその美しさが備わっています。たとえば陰謀論によって、気持ちがそこへと向けられたとします。それで人は、みなさんが道、旅、歩み、真実と呼ぶようなものから離れます。人はそこから離れます。何故なら、それが魅力的に見えるからです。刺激的でもあります。それは、マインド、身体からさえも、自分の選んだ道、その困難さから離れさせてくれるのです。それによって、自身の内側で進行している動きの全て、身体では、フリー・エネルギー・ボディを受け入れるためにアナヤトロンが閉じられていっていて、マインドでは、自身を真の意識、真の知性で再定義した自己の再受け入れが進んでいるその動きから、離れていることができるのです。それは、マインドが疑問の数々に対する答えを探している時に、特に起こりやすいものなのです。

それは人を、いくつかの生涯を、数年を、数ヶ月、そのような時間をかけても出られないかもしれない出口の無い、深く暗い穴へと吸い込みます。そうやって気を逸らさせるものの良くもあり悪くもある特徴の1つは、それが非常に魅力的、特に初期の段階では、非常に魅惑的なものであることです。それは人を誘い、人をそこに溺れさせます。とても魅惑的なものなのです。

それは人に、自身が重要な存在であると感じさせます。気を逸らせるいかなるもの、真実の中に、道とは違うその何かはその人を魅了する、そういうエネルギーがあるのです。それはあたかも「君がどれほど特別な存在なのか分かるだろう」と言っているかのような感じです。それは人を欺きます。究極的にはそれではなく、それに実際、私は時に気逸らしを使うのを好みますが、それはみなさんがみなさんに戻ってこられる、叡智、その時の真の目的 ―目的、ではないよ― 叡智、真の望みに戻ってこられる範囲での話です。いずれにせよ、そういった気逸らしは、人を誘い出して、自身を重要であり必要とされていて、且つ刺激的だと感じさせるのです。それは、刺激的なエネルギーをたくさんたくさん与えてくれます。自分が生き返ったように感じられます。

が、それはしばらくすると消え失せます。ひどく単調で、退屈で、流れ作業的で、ある意味では、とても何かを渇望するエネルギーに変わります。そうして人はある気逸らしから気を逸らすためにまた別の何かに目を移します。そうしてそう多くの時間を費やすまでもなく、気逸らしの連鎖にはまります。その中で起こっていること、そこで起こっている本当にネガティブなことの1つが、自身の真実から離れているということです。みなさんにはみなさんの真実が分かっていますね。たとえそれを明確に定義することができないとしても、自分の真実が何かは分かっていると思います。旅、道の中で、長い間、ずっとあなたを導いてきた内なる気付きがそれですね。それがあなたの真実です。ま、その真実というものが意識して分かる、その真実の詳細が頭で分かるわけではないのが難しいところです。それは分かりやすく解釈できたり、文字で起こせるようなものではありませんが、確かにそれはあるのです。真実はあるのです。

が、すぐ他の物に気を取られますね。それは簡単に、本当に簡単に起こります。あるものに気を取られていると、すぐさらに別のものに気を取られます。その人は、その人の真実の外にいて、そうであることが分かっていて、そうであると分かっていることで、まあ、結局真実の外にいるわけですが、それで何かがおかしい、自分に対して、あるいは誰かに対して誠実ではない、そんなふうに感じます。そうして人は、真実ではないと装い始めます。その人は目が覚めると思います。「私は私の真実の中にはいない」と。そうして自身の真実を見つけ出そうとするのです。が、まあ、そうやって見つかるのはまた別の、気を逸らせる対象だけで、その、残忍とも言えるサイクルは続きます。気逸らしはさらなる気逸らしを呼び、自身の真実からはどんどんと遠ざかっていくのです。そしてその度ごとに、自身をさらに悪く感じます。何故なら、自分が自分の真実にはいないと、どこかで分かっているからです。が、その人は自分の真実とやらを発見しようとして、本当はそれが何かは分かっているはずなのに、それでも、人は真実を発見しようとして、またそこから遠ざかる別の気逸らしに吸い込まれて「お、あそこにこそ、真実があるようだ」と言うのです。が、それはその人の真実ではありません。誰か別の人の真実か、その人の真実のほんの一部分にしか過ぎません。気逸らしの中で見つかるものは、真実ではないものだけです。

それはある行き止まりへと続く道から、別の行き止まりへと続く道へ乗り換えるのと同じです。ひとはそれで自分自身に腹を立てて「自分には真実は見つけられないんだ」であるとか「そもそも真実なんて存在しない」と言うのです。「私には自分の道、進むべき方向が分からない。自分の道って何だよ」と。そうして他者に、他の気逸らしに頼るようになり、そう時間を置かずして、真実に対する考え方自体が歪められてしまうのです。

では、この話はこのぐらいにしておきましょう。真実は常に常にあるものです。ずっとそこにあるものです。どこかへ行ってしまうものではありません。どこかへ行ってしまうのは人の方です。真実はすぐここにあるのです。それはもしかしたら、言葉に置き換えるのは難しいものかもしれません。実際それで構いません。言葉には制限が伴うものです。あなたの真実はそこにある。私は、ここで真実を、分かりますね、何を食べるべきであるかとか、どんな仕事に就くべきか、どんな人間関係を持つべきか、といった意味のこととして話していません。

私はあなたの真実のことを話しています。魂の真実です。あなた自身の真実です。それは、地球に来るにあたって、人間と魂とで交わした合意と言ってもいいものです。それが真実というものです。

それは、何か大きな、哲学的な重たいもののことでもありません。真実とは、やることリストでも、手順でも、そのようなものでもありません。真実はただ感じるものです。真実は正しいと感じられます。真実はマインドのクソに汚染されることはないのです。真実は、あなたが正直であるかそうでないかのことでもありません。真実とは、あなたに仕事があるのかないのかのことでもありません。真実とはあなたという真実です。あなたです。あなたである真実です。人間が魂と交わした合意のことです。それが真実です。

あなたが他に気を取られるとして、ちなみにそれは誰にでもあることです。もしあなたが、そういう何か別のものに囚われている人間の1人で「私はあの何かに気を取られている」となっていたとしても、落ち込んだりしないでください。電話が鳴れば、あなたの人生、その全てはそこに気を取られます。誰でも別の何かに気を取られるものなのです。が、究極的に、私があなたに感じてほしいのは、そういった気を逸らさせるものが、あなたを何度となく、行き止まりへと続く道、出口のない穴、無、ブラックホールへと引き込み、あなたに、真実から遠く離れてしまった感じさせて、さらなる探求、調査へと向かわせたこと、そのことを感じてほしいのです。そして、そういうことを金輪際、やめてください。

真実はずっとずっとそこにあります。今も、あなたがどこにいて、どれだけ多くの何かに気を取られていたとしても、そこにあって、かつてないほどに大きな歌声を響かせています。真実とは、おまじないではありません。主義や考え方でもありません。それは感じられるものです。自分自身の中にセンシュアルに感じられるものなのです。

大きく、深呼吸をしましょう。気を逸らせるものの話でした。

ここに至るまでにどのぐらいのシャーンブラたちが完全に別の方へ行ってしまったでしょうか? いや、誰しもがそうなりますし、みなさんもそうなりましたが、ここから去るほどまでにそうなったというだけです。それはそれで悪いことではありません。私たちは別に大きなグループになろうとしていたわけではありません。ただ、いったいどのぐらいの人たちが別の何かに気を取られて、そうしてここを抜けていったと思いますか? そしてもしあなたが彼らに会ったなら、彼らの人生を目にしたなら、ちなみに、私は見ましたよ。何故なら、彼らは今でも家族なのです。つまり、私にとって、彼らはまだシャホアーンヴァラアだからです。彼らはアトランティスのティエンにいた人たちです。彼らの多くが、クリムゾンサークルで何年か過ごしているうちに他の何かに気を取られて、次から次へと続く、気逸らしの連鎖の中に入りました。一部は、ようやく探求そのものに嫌気が差して「こうやってきた何もかもがクソだった」そうなりました。その一方で、次から次へと気逸らしホップを続けている人たちもまだいます。それでも私にとっては、彼らは依然としてシャーンブラの一員なのです。

さあ、深呼吸をして、現れてくる気逸らしの数々さえも吸い込みましょう。そして真実へ、もっともっと潜っていきましょう。

時に真実とは、痛みを伴うものであり、あなたはむしろ気を逸らされたいと思うでしょう。言いたいのは、真実によって傷つくことはありませんが、しかし時にそれは向き合うのが苦しいと思うようなものであるということです。特にドラゴンがあなたに真実を突きつけている時はそうでしょう。その時には確実に、あなたは気を逸らされたいと思います。電話の着信音を期待します。気が逸らせるのなら家が燃え始めても構わないと思います。が、究極的に、それが真実、あなたがここにいる理由に対する本当の気付きなのです。

Time Traveling(タイムトラベル)

私は「機械の時代」を書きました。で、一応言っておきますが、その本は本当にあります。が、その本は一種のジョークでもあります。私は実際にそれを書いたという意味ではリアルです。私はそれを第1章、第2章、第3章というふうには書きませんでした。私は第20章あたりを書いたかと思うと、次に第2章を書いたというふうな具合です。私は頻繁に行ったり来たりを繰り返しました。何故なら、私はタイムトラベルをしていたからで、そうならざるを得なかったのです。

その本には、まだ可視化されていないものも含めて、32相当の章がありました。しかし実際に書かれた章の数は19ほどです。まだ多くの章が書き終えられていないのです。私たちがたった今、それを埋めていっているのです。それが私たちがしていることであり、だからこそ、私はそれをカウルドゥラにとっての、ジョークだと言ったのです。今はじっくり腰を据えて本を書くというのはとても難しいと思います。そして、みなさんの多くが既に気付いていると思いますが ―私たちは今も書いているのです。私たちは、私たちが進むことによってその本を埋めていっているのです。最終章は未だ書かれていませんし、そもそもその本に最終章はありません。それがシャーンブラの、人類の、惑星の、それらが織りなす継続中のストーリーである以上、どれも最終章にはなり得ません。

という意味で、進捗中の仕事であるということです。なので、その本を書いていないことでカウルドゥラにとやかく言うのはやめましょう。それは私の仕事です。

リンダ:どういうことかしら?

アダマス:それは私の仕事だよ。本を書いていないことでとやかく言うのは私の仕事だよ。

リンダ:分かったわ。

アダマス:私はそれを書きました。私は実際、私のドラゴンによって非常にインスパイアされた状態でした。それを書くインスピレーションが出てきて止まりませんでした。私は非常に非常に非常に具合が悪く、それは私が完全なリアライゼーションに至る少し前、惑星での最後の時間のことでした。私は自身のドラゴンに直面し、その出会いの結果として、私はタイムトラベルというものを行うことになったのです。

普通、タイムトラベルと聞くと線的なものを思い浮かべると思います。前に行ったり後ろへ行ったりと。が、それは実際、全くそういうものではありません。私は1893年頃、タイムトラベルに関する本、タイムマシンについて考え始めていた友人の、H.G.ウェルズの相談に乗ったことがあります。私はH.G.に、彼が描こうとしているタイムトラベルは線的過ぎることを説明しようと試みました。分かりますね、線的なタイムトラベルとは、タイムマシンに飛び乗って、ボタンを押して、30年前、100年先へひとっ飛びというものだったのです。実際はそういうものではありません。が、彼にはそのことを、言葉で書けるほどまで十分には、思い描くことができませんでした。彼は非常に線的なままにして書きました。

私が機械の時代を書いた時、私は途轍もない体験、何か、、、明晰夢を見ているような状態でした。みなさんの中にもそういう、明晰夢を見たことがある人がいますね。それは本当に起こっていて、ただ日常の現実とは違うような感じがします。私はその明晰夢の中で、おおよそ2020年とされる時にシャーンブラというグループとともにいる自分を見出しました。しかも私が講義をしているという、非常に奇妙な状況でした。フフッ、舞台裏から自分を見ているようで、とても不思議な感じです。そうやって自分を見ていて、私は自分がとても上手く講義をやっていること、その明快さ、非常に難解なコンセプトを人々に説明できていることに驚きました。

まるでジョークだよ、リンダ。

いずれにせよ、私はこの最も重要な時、惑星のその後が決定されるその時、予言されていて、しかし実際の詳細は誰にもわからなかったその時代、全てを決定づける時として理解していたこの時に、シャーンブラというこのグループの中にいたのです。が、私とともにいて、私がする講義を座って聞いている人たちさえも、この時がどれほどまでにとんでもない時なのかを分かっていませんでした。

私は再びタイムトラベルをして、それより何年か前、みなさんがトバイアスといた時代に戻りました。私は、そうですね。このグループがどう進化してきたか、どんなふうに始まったか、を見ておく必要があったのでしょう。私が目にしたのは、みなさんの課題を取り上げているトバイアスでした ―課題、涙― 最初私は、それに少々イライラしました。そんな課題に取り組む必要がどこにあるのでしょうか? それでも私は、多くの人たちが深い傷を負っていることに気が付きました。トバイアスはそれをなんとかしなければならなかったのです。私たちは私たちが今やっていることを始める前に、鎮痛用の香油を塗っておく必要があったのです ―フッ― そういった課題を和らげるエネルギーです。それらはたくさんの、たくさんの生涯から蓄積されたものでした。そんな課題を抱えたままで、私が2020年で見たその内容をいったいどうやって、やれるようになるでしょうか? そこではまた、トバイアスが誰でもかれでも呼び入れていることにも気が付きました。彼は呼びかけを行っていました。言わば彼は、投網でその準備が出来た人たち、参加したいと思っている人たちを捕まえて、手繰り寄せているような感じでした。

私はまた別のところへタイムトラベルしました。ティエンの寺院の時代です。あー、1700年代後半の北ドイツから、ボルテックスか何かを抜けてそこへ向かってはいましたが、そこは特段戻りたいと思う場所でないことは分かっていました。そこでの私は奴隷の少年でした。そこで私はクリスタルの牢獄に囚われました。いずれにせよ私はその時代へ戻りました。私はシャーンブラというグループの起源を知る必要があったのです。

私は2030年へも、シャーンブラの様子を覗うためにタイムトラベルしました。興味深い体験でした。分かりますか、実際に私が2030年のそのグループのところに降り立った時、私はそこにいなかったのです。はい。それは自分たちで、自立的に取り組みを行っているグループでした。しかしそれは前と同じシャーンブラのグループでした。私は既に引退していました。私はただ遊びに行ったり、ある種のエンターテインメントとして、あるいはいくらか質問に答えるために、たまにそこへ行っていました。いずれにせよ、そのグループ ―クリムゾンサークル、シャーンブラ― は、自立して自分たちで活動していました。

彼らは何をやっていたと思いますか? タイムトラベルです。私は1700年代後半から彼らのところを訪れていて、2030年の彼らも同じようにタイムトラベルをしていて、その中で出会ったというわけです。オー、ビー、アーン!です。タイムトラベラーたちの集いです。オー、ビー、アーン!です。私は、シャーンブラたちがそれを学び、私が進歩的なタイムトラベルと呼ぶ、それをやっていたのを見られて嬉しかったです。

私はヨシュアの時代にも戻りました。そして同じグループを確認しました。おそらく ―(アダマス、ため息をつく)正しい言葉を見つけようとしています― ヨシュアの時代のシャーンブラというグループは、私が訪れたどの時代のそれよりも、悲しい、ではなく、心痛む有り様でした。大きな情熱はありました。しかし悲しみ、深い悲しみがありました。私が戻ったそこには ―どう言いますかね― 途轍もなく大きな情熱があるものの、真のフォーカス、リーダーシップが欠けていました。彼らはともに集うことを楽しんではいましたが、しかし、そうですね、それはモーゼがユダヤ人を率いて砂漠を40年間放浪したのと同じような感じでした。「さて、どこへ向かへばいい?」という感じです。当時のシャーンブラはそのような様子でした。

興味深いことに、当時のシャーンブラのグループには彼らには何かがある ―貴重で、かけがえのない何か― があるとは分かっていて、その何かとは、人によっては、隠された秘密、生命の神秘、時間に関係のない、時代の経過で劣化させられること、変わることのない、答えのことでした。いつ何年何月に起こる、そういうものではありませでした。それは全人類にとって常に常に貴重で、かけがえのない何かでした。ただ彼らにはそれを、それで、どうすればいいかが分かっていませんでした。それを後のために隠しておくのか、あるいは今に取り出して使うべきか、何も分かっていませんでした。ただ、彼らには、それをその時の今に取り出して使うことは、彼らの生命を犠牲にし、またそれ以上に、そのもの自体を喪失させてしまうことなりかねないと分かっていました。彼らは結局、何をすべきかを決めようとして、その中で迷子になっていたのです。

その時のことは、タイムトラベルの中でしたとても興味深い経験の1つであり、あるいは、本の中で最も長い章のうちの1つになるものであり且つ、私にとっても、みなさんにとっても、最も辛く悲しい話の1つです。「これで何をどうすればいいんだ?」

そうして私はみなさんが2050年としている年までタイムトラベルをしたのですが、そのポイントで ―私が特定の年を指定したわけではなく、行った先がそうであっただけですが― そのポイントは非常に非常に興味深いもので、私がそこに降り立つと、で、そこを2050年と呼ぶとして数年の誤差はあるでしょうが、そこには何もありませんでした。最初私は、タイムトラベルにおいて何かの間違いがあったのだと思いました。が、私は何も間違ったりはしていませんので、何かの障壁で行き詰まったのだと考えました。次いで、地球はもう存在していないのだという考えが浮かびました。「人間が壊したんだ。人々が惑星地球を破壊したんだ。だから何もないんだ」と。少々狼狽しましたかね。何故なら、それは人類が進んでいく先として私が予期していたのとは違っていたからです。

そして次に、私は、みなさんの全員にとって重要と思えるある考えに至りました。自分自身を含めて、物事が常に同じ場所で見つかるとは限らない、ということです。

あなたも時に、前日そうしていたのと同じ場所にはいないことがありますね。あなたが変化をしている以上、違っていて然るべきです。あなたは進化をしています。あなたは進んでいるのです。そしてあなたが戻ってみるとして ―記憶にある時間へでも、未来、過去だと見なしている時間へでも、いつへ向かうにせよ、タイムトラベルをする際は― あなたがその未来に行っても、あなたはそこにはいないのです。あなたは昨日自分がいたのと同じように明日の自分を見つけよう、明日の自分と繋がろう、そのエネルギーと繋がろうとしますが、そこには誰もいないのです。何故なら、別の場所に動いたからです。異なっているのです。その時には異なった場所にいるのです。

私が2050年に行き着いた時、そこには何もありませんでした。地球が破壊されたわけではありません。私がタイムトラベルにおいて方向を誤ったわけでもありません。それは、物事が大きく変わっていたことがゆえなのです。私は、変わらない認知の仕方、見方をしてしまっていたのです。同じ、前に使ったタイムトラベル用のゴーグルと言えますかね、それを使っていて、それがそこには合っていなかったということです。私は新しいゴーグルを着ける必要があったのです。違った視点から違ったものとして見る必要があったのです。私はどこか別の場所を探す必要があったのです。そこは2050年だったのです。惑星はそれまでとは違っていました。惑星は多くの変化を通り過ぎたその先でさらに多くの変化を通り抜けていたのです。惑星は私が最初に行き着いた2020年の意識レベル、振動数を遥かに超えて進化していたのです。

私はそうやって行ったり来たりと、タイムトラベルを数多く重ねました。シャーンブラのギャザリングにも数多く立ち会いました。みなさんが今、コナと呼んでいる場所でのギャザリングにもいくつか参加しました。サミュエル・クレメンス、マーク・トゥウェインという自分も体験し、そのユーモアのセンス、気付き、コミュニケーションする能力の高さに感銘を受けました。ここ最近の私の過去生、アイデンティのほとんどに関して言えることがあるするなら、彼らは皆、コミュニケーションに長けているということです。彼らは皆、コミュニケーション力が高いです。そしてそれは重要で、、、あー、シェークスピアですか、やれやれ。マーク・トゥウェインと他数名ですかね、彼らはコミュニケーションに長けていました。あなたはそれを聞いて「だとして、それが何故重要なんだい?」と言うかもしれませんが、何故なら、エネルギーとはコミュニケーションだからです。彼らはエネルギーの扱いに熟達していました。エネルギーというコミュニケーションにです。ええ。

旅は行ったり来たりの繰り返しでした。それは魅力的な旅でした。私がこの話をしているのは、あなたもそれをするようになるからです。あなたは今年、センシュアルモードに入り、そのことが実際にタイムトラベルへのドアを開けるのです。それは単純に線的な時間の上を行ったり来たりするだけではありません。それよりもっともっと多方面多方向です。物事に対して違った視点、知覚が持てるようになるのです。ただし、タイムトラベルをする時には、特にそれがあなたが未来と呼ぶところへ行く際には、あなたは視点、受け止め方、見て解釈をするそのやり方等々を変える必要があるでしょう。何故なら物事は全く異なっているからです。そこでは、あなた自体が全く異なっているからです。

もし今のあなたが未来のあなたに会ったなら、未来のあなた、今から10年後のあなたに会うつもりでタイムトラベルをしたのなら、あなたはおそらく未来のあなたには会えません。そこで出会えるだろうと、人通りの多い通りの角で待ち構えていたとしても、何も起こることはないでしょう。あらゆることは起こっています。実際に未来のあなたはそこにいます。あなたはそこで未来の自分を知覚しようと、制限された見方をするのです。未来のあなたは全く異なった存在です。通りにいる他の人々とも、周囲の建物とも、その瞬間の振動数とも共鳴はありません。未来のあなたは、こう言えますかね、認識が遥かに進んでいて ―この言い方は必ずしも好きではないのですが、まあ言うなら― より高い振動数のレベルにあるのです。いや、違います―やっぱり好きじゃないですね。未来のあなたは、他のどの人とも全く違う歌を歌っていて、それは今のあなたが歌っているものともやはり違っているのです。

私はそうやって多くのタイムトラベルをして、またそれ全体を楽しみました。そのタイムトラベルが私たちを2020年と連れ戻し、その全てが決させる年、変化の年の結果として、私たちが2021年と呼ぶ今に至りました。私たちはここにいます。

Why Are You Here?(あなたは何故、ここにいるのですか?)

新しい1年をスタートするにあたって、シンプルな質問をしたいと思います。聴衆がいてくれればと思いますが、いなくっても質問はします。その質問とはとても単純で、あなたは何故、ここにいるのですか? です。

あなたは何故、ここにいるのですか?

マインドが答えを求めて騒いで、ペラペラペラペラ喋っていますね。そこで聞こえてくるものは放っておいてください。それらはマキョーです。

もう1度訊きます。「あなたは何故、ここにいるのですか? あなたは何故、この惑星の今にいるのですか? あなたは何故、シャーンブラとしているのですか? あなたは何故、この機械の時代にいるのですか?」少し感じてみてください。

(間を取る)

うーむ。まだまだマキョーのオンパレードですね。真実には到達できていませんね。が、私たちはそこに向かいますよ。

というわけで、3度目として訊きます。「あなたは何故、ここにいるのですか?」

うわっ! みなさんの中から結構な数の、全員からではありませんが、結構な数の「分かりません」が聞こえました。うわぁ!

リンダ:あらら。

アダマス:それは通用しませんよ。言い方として「もうぐす分かりそうです」「答えはやってきてはいますが、まだ完全にまとまっているわけではありません」であれば大丈夫ですかね。「私は、答えをセンシュアルに感じることを自身に受け入れている最中で、まだ口に出せる前なのです」は良くても「分かりません」では誹りを免れることはできませんね。「分かりません」はクリムゾンサークルでは受け入れられません。そう言った人たちはただトイレ送りにされるだけではなく ―「分かりません」それを言った人に対して取るべきアクションて何かあるかな。

リンダ:罰ということかしら?

アダマス」「罰」という言葉ではなく「アクション」と言いたいね。

リンダ:イスを反対に向けて、背中を向けて座っておく。

アダマス:既にそれはやってると思うけど。うーん(アダマス、笑う)

リンダ:まあ、それならそこまで意地悪ではないと思うけど。

アダマス:なんだって?

リンダ:それならそこまで意地悪じゃないわよね。

アダマス:まあ、意地悪をしようとは思ってないけど、「分かりません」が受け入れられないことについてはっきりはさせたいね。だって、分からないことなんて無いんだから、やれやれ!

リンダ:あー。

アダマス:分かってるはずだよ。皆、全部知ってるんだよ。ただそのことを認めていないってだけのことで。だから「分かりません」は単純に正しくない。そうだね。それに対して取れるアクションはこっちで考えておくことにするよ。

リンダ:分かったわ。

アダマス:アイデアの提案もウェルカムです。そうだね。ソーシャルメディアでアイデアを受け付けるとしましょう。シャーンブラのギャザリング中に「分かりません」そう言った人に対して何をすべきか? です。はい。それは私にも適用されます。もし私が口を滑らせたり、カウルドゥラが解釈を間違えたり、チャネルをミスした際に、どう処すべきか? です。いいですね。さあ、どんどんソーシャルメディアでアイデアを出してください。

で、元の話に戻りますが、あなたは何故、ここにいるのですか? ライブの聴衆がいるわけでないので、私はこうせざるを得ません ―どう呼びますか― テレパーシー的に、ですね。

リンダ:いいわね。すごいわね。

アダマス:そうだよ。エネルギー的にそうするとするよ。はい、あなたは何故、ここにいるのですか? リンダ、出てきた答えを書いてもらえるかい、、、

リンダ:了解。

アダマス:、、、そのファンシーなルッキング・グラスに。

リンダ:ちょ、ちょっと!

アダマス:素敵なルッキング・グラスだね(アダマス、それに触れる。リンダ、息を飲む)。こうかい?! こうかな?!

はい。それを書いていくリンダの準備が整いました ―かつては大きな声で言ってくださいと言っていましたが― 今は答えを発射して、外に放射してください。

〜パッション

パッションですね。いいですね。「パッション」がかなりたくさん出ましたね。

リンダ:書いてほしい言葉はこれでいいのかしら?

アダマス:それそれ!

リンダ:了解。

アダマス:あなたはパッションが理由でここにいます。良い答えでした。

〜統合

はい、統合ですね。ちょっと待ってください。スローダウンしましょう。リンダに書ける速さにも限界がありますからね。はい、あなたはパッションが理由でここにいます。そして、統合のため、というのが次ですね。あなたは多くの、たくさんの、たくさんの生涯、アスペクトを統合するためにここにいます。統合というのは、おそらく、みなさんが通り抜けていくことのなかで、最も大きく、最も多くの時間、そしてエネルギーを消費させられるものだと言えますね。あなたは別のこともやっていますが、統合とは、それらの複合的な結果として為されるものです。途轍もなく大量の統合が為されているところです。

〜浄化

次が浄化ですね。はい、浄化です。多くの人がそれを、ガラクタを捨てるという表現を使って言ってくれました。前に進んでいくためには、ガラクタを捨てなければなりません。でないと止まらざるを得なくなります。旅を完全に中断する必要が出てきます。それを何と呼ぼうと構いませんが、ガラクタを抱えたままではそうなります。そうやってあなたの歩みを止めるのはあなたです。が、私は、立ち止まってガラクタを廃棄するあなたを助けるのは、やぶさかではありません。

〜カルマ

次は、カルマと聞こえてきましたね。はい。カルマは、さっきの浄化とある意味で同じ話ですね。

リンダ:カルマは書くかしら?

アダマス:カルマ(Karma)、そうだね。「C」から始まる言葉だよ。

(少し間が空く)

リンダ:カルマって「C」からだったかしら?

アダマス:ジョークだよ、リンダさん。

リンダ:もう!

アダマス:ちょっとした気逸らしだよ ―今日、その話をしたからね。で、はい、カルマもそうですね。ただ、私はカルマに関しては否定的です。何故なら、カルマはただの自傷、自分が勝手にやってるだけのものだからです。抱えておく必要などないものです。が、カルマですね、はい。あなたはカルマを断ち切るためにここにいます。が、私たちはカルマがあっての組織ではありませんよ。はい。私の言っている意味が分かる人には分かると思いますが、私たちはある意味、カルマとは無縁です。カルマなんて、本人がそうあってほしいと思わない限り、無いわけです。それでもカルマを望むなら、どうぞどうぞ。カルマを持つことも可能です。

〜リアライゼーション

他にはありませんか? リアライゼーションと聞こえてきました。ええ、デカいのが来ましたね! あなたはリアライゼーションに至るためにここにいます。

ただ、分かりますか、みなさんにリマインドをしておきたく思いますが、リアライゼーションはゴールではありません。リアライゼーションとは許し、受け入れていることのことです。それだけです。あなたはリアライゼーションを獲得するのではありません。ただリアライゼーションしていることを受け入れているのみなのです。それは既にそうなのです。

タイムトラベルをした際の話ですが、その中でも最高で、最高に面白かったのが、2027年だったと思いますが、そこでみなさんの多くの人にインタビューをした時のことです。私は次から次へとインタビューを行いました。私がクリムゾンサークルをセミリタイアした後ですね。私はそこへ戻って、インタビューを行いました。で、驚いたのが、そのインタビューの中で、認識に至ったマスターとなったみなさんの多くが一様に「馬鹿馬鹿しいよね。私はリアライゼーションを『やろう』とし続けてたんだよ。リアライゼーションに起こらせてやろう、リアライゼーションを起こしてやろうと頑張ってた。で、結局、それができたのは、それを諦めた時だったんだからね。既に最初からそうだったんだと認識できたってわけ」と。

面白くないですか? あなたにはリアライゼーションをほぼ完全に諦めるか、あるがままを受け入れて且つ、しかしそれは何かの終着点だと考えるのをやめる必要があります。ただそれは常にあった、あるものだと理解するだけの話です。それが顕になるのはかねてからの念願でした。その状態にあることを望んでいました。しかしあなたは別のことに気を取られ、且つそれが忘れられなくなっていたということです。その状態はあなたがこう言うまでしばらく続きました。「そんなの全部どうでもいいや」

はい、他に何か聞こえてきますかね?

〜他者を助ける

うーん、ま、いいでしょう。で、どうまとめますかね? 私には複数の声が聞こえています。「他の人間を助ける」としておくのが最良ですかね。ええ(アダマス、ため息をつく)まあ、分かりますね、これはまあある意味で、大きな大きな気逸らしですね。ただ、面白いのは、あなたはいずれにせよ、これをここに書き出そうと書きださまいと、わざわざ「私のパッションから出てくるものです。だから私はここにいます ―人類の助けになるために」などと宣言してもしなくても、そうなんですよね。いずれにせよ、そうですよね。「いずれにせよ」そうであることを、ここでわざわざ出す意味ってあるんでしょうか? ま、続けましょう。私はみなさんが言っていることを聞いているだけです。ええ、みなさんがやっていることの多くが他者を助けることなので、そういう声も聞こえるのでしょうが、他者を助けるなんてやめてください。それこそが本来向くべきところから、あなたの気を逸らせるものなのです。本当に大きな大きなトラップです。

私はみなさんの中には、そうですね、良い側の自分を維持したがっている人がいるのは分かっています。が、自分自身の面倒をしっかり見られてこそ、良い人です。しかし、あなたたちは、皆の、全ての面倒を見なければならない、皆の、全ての心配をしなければならない、そう感じていて、そのせいで1日の終わりには、自分の面倒を見るエネルギーが大して残っていないはずです。それは機能するやり方ではありません。で、他者を助けるですか、いいでしょう、乗せておきましょう。

他にありますか? 他に聞こえてくるのは何でしょうかね?

〜ドラゴン

ドラゴンですか。はい。ドラゴンは良い答えですね。あなたはドラゴンが理由でここにいると。それって真実じゃないですかね? ハー! ドラゴンというのは、あなたがここでやっていることに欠くべかざる要素です。何故なら、ドラゴンはどこまでも潜っていって、あらゆる統合されるべきもの、浄化されるべきもの、バランスの再調整を行うべきもの、捨て去るべきものを見つけてきてくれるからです。あなたの真実ではないいかなるものもその対象です。ドラゴンはそれを見つけます。見つけてもらえてこそ、手放すことも可能なのです。よって、はい、あなたはドラゴンが理由でここにいます。

他にもたくさんの内容が聞こえてきていますが、これまでに出てきたものに概ね含まれているものばかりですね。そうです。「私は自分自身を見つけるためにここにいる」や「私は魂のためにここにいる」など、どれも良い答えです。おっと、これはいいですね。「私はアダマス物理学を学ぶためにここにいる」ですか。これは書いておいてもらおうかな(アダマス、笑う)。分かりますか、私は本当にそのためにいるのです。みなさんが既に知っている内容、現実で働いている物理を伝えるためにいるのです。アダマス物理学を学ぶため。アダマスのところに下線を引いておいてもらえるかい、リンダ。

リンダ:わあ! どこかへ行ったわ(コンピューターのスクリーンが板書用プログラムの画面から切り替わる)

アダマス:ありゃ。

リンダ:あら、まあ! あー、もう!

アダマス:(笑っている)私を元に戻してくれ!

リンダ:あら、まあ! いなくなったわ!

アダマス:まあ、いいよ。もうそれを使うパートは終わりだから(リンダ、ため息をつく)。全部終わったからね。それはどけておいて構わないよ。

リンダ:了解。

アダマス:私たちは何故、ここにいるのか? 2020年の始まりに相応しい良い質問でした。そしてどの答えも正解です。書かれるに足る答えはもっともっと、もっともっとたくさん存在します。が、とりあえず今は、みなさんには何故みなさんがここにいるのかについて、深く潜っていってほしいと思います。

音楽を流します。これは本日行う2つのミラーブの1つ目です。トイレに行きたい人に言っておきますと、これは短くはありません(リンダ、笑う)。この最初のミラーブはそうですね、ま、音楽をかけてミラーブの意識状態に入るとしましょう。

(音楽、流れる)

Merabh – Why Are You Here?(ミラーブ – あなたは何故、ここにいるのですか?)

あなたは何故、ここにいるのですか?

そうですね、回答として出てきたものはどれも正しいものでした。あなたは統合のためにここにいます。あなたはリアライゼーションのためにここにいます。あなたは多くの浄化を行うためにここにいます。そしてこう答えた人たちがいました。「私は私を愛する、愛せるようになるためここにいる」です。はい。そのとおりです。

が、分かりますか、私はそれをリストに加えることはしませんでした ―「私は私を愛する、愛せるようになるためここにいる」― 何故なら、それというのは、私たちが今日ここでやっていることの結果としてあるものだからです。自分を愛する方法なんて、学ぶものではないからです。あなたが何故ここにいるかを思い出したら、その理由は全て繋がり合って、あなたはあなたを愛して止まないことでしょう。あなたはあなた自身を全く異なったものとして見るでしょう。あなたはあなたが通り抜けてきたことが故に、あなたを愛していることでしょう。

さあ、大きく深呼吸をしましょう。さあ、深く、深く、してみてください。良い答えがたくさん出てきましたが、何かまだありますね。

まだ何かがありますよね。

あなたは何故、ここにいるのですか? そのことを感じてみてください。2回目となる真のセンシュアルな感覚、真の感覚、その経験として感じてください。

あなたは何故、ここにいるのですか?

(間を取る)

遠い遠い昔にまで遡る話です。私はティエンの寺院の時代にまでタイムトラベルをした、そう話しましたね。

私はヨシュアの時代にもタイムトラベルを行いました。辛かったです。心苦しかったです。

私は、みなさんが十字軍と呼ぶ、テンプル騎士団のところにも何度も訪れています。みなさんの多くはそこにもいました。テンプル騎士団に限らず、そういった神聖とされた組織に関する話がみなさんの中であまり為されていないのは不思議です。

分かりますか、ヨシュアの時代にみなさんがずっとずっと表に出さなかったものがありますね。それが本当の秘密です。リアルな神秘です。みなさんはガラスの聖杯をずっとずっと隠していた、そう言ってもいいでしょう。ガラスの聖杯、本当の真実です。

それはエッセネ派から始まったものでした。彼らはそれを長い間抱えていました。エッセネ派はそれを文字通り、アトランティスの時代から抱えて持ってきていたのです。私は、タイムトラベル的な観点から、見たことについて話しています。彼らがそれを持ってきたのです。

彼らは、みなさんにはエジプト、ピラミッドのある地として知られている場所にやってきました。彼らは地下からやってきました。彼らはその地域、エジプト、イスラエル、ヨルダンと知られる地域で暮らし、その数を増やていきました。

そうしてみなさんは生命に対するその偉大なる神秘、真の神性を得ることとなったのです。しかし、当時は、それはまだ人類には早過ぎる、そういう懸念があったのだと思います。個々人の話ではなく、政府、教会、寺院には、まだ早過ぎる代物だったわけです。

そうして、その神の公式は、テンプル騎士団へと受け継がれました。はい、テンプル騎士団は単に、イスラエルへと向かう巡礼者たちを守るだけの存在ではなかったのです。彼らはその仕事も行いましたが、彼らにはそれをする動機が他にもあったのです。それは、内に秘められた聖なる杯のためだったのです。

あなたは何故、ここに今、この2021年にいるのですか? 多くのことがその当時と関係しています。私はタイムトラベルをしてみなさんを見ました。エッセネ派にいるみなさんを見ました。騎士であるみなさんを見ました。

そして今から数生涯ばかり前、それらを全て捨ててしまったみなさんを見ました。あなたは1人で歩き始めました。そうするしかなかったからです。

あなたは教会がやってきたことにうんざりしていました。教会は人類とその意識を代表していながら、彼らはそのとても美しい ―ヨシュアの教え、ヨシュアの美しい生涯― を金儲けに使っていました。彼らはそれを政治に利用していました。彼らはそれを支配のために使っていました。彼らはそれを拷問や戦争のために使っていました。それは全て、その美しい教えの数々とは対極に位置するものでした。

はい。その教えの数々とは愛に関するものでした。しかしそれらは愛以上の何かも教えていました。お願いします。それを今、思い出してください。

お願いします。あなたが何故ここにいるのかを思い出してください、、、

何故あなたは他の人たちが脱落していく中を耐えられたのか。何故あなたは、正確にそれが何かも分からないのに、あなたの真実を持ったままでいられたのか。定義し、文字に起こし、声に出せないそれを保つことができたのか。

あなた何故それを保っていたのか。あなたは何故、2020年を通り抜けることができたのか。

今あなたは2021年に入りました。あなたは何故、ここにいるのですか?

その理由は何ですか?

それは全て、ティエンの寺院、そしてエッセネ派に繋がります。その後、みなさんの多くはバラバラになり、世界の各所に散らばり、それぞれのアイデンティティを獲得しました。そこで別のことに気を取られてしまった人たちがいます。そして、先ほどお話したとおり、騎士団に含まれることになった人たちもいます。

騎士に関して様々な文献があると思いますが、ええ、まあ、本当の騎士がどういうものであったかは、その20%ほどしか載っていません。ここでその話に深入りしたくはありませんが、そのことが重要なパズルのピースである人たちもいますので続けますが ―騎士とは、何故あなたがそこにいて、何故あなたがいくつもの生涯、苦難を通り抜けていて、何故、時にもう絶対に耐えられないと思うことがあっても、それでもなんとかやり切れること、そのメッセージの純度を保存するための存在でした。

あなたは何故、この機械の時代にいるのですか?

リアライゼーションのこの時に、あなたは何故、ここにいるのですか?

そのことをしばし感じてください。それは言葉にはならないものかもしれません。センシュアルな感覚だけかもしれません。あなたは何故、ここにいるのですか?

(長い間)

大きく深呼吸をしましょう。説明させてもらうとします。

(音楽、止まる)

音楽を止めましょう。大きく深呼吸をしてください。

Why You’re Here(あなたは何故ここにいるのか)

あなたは何故、ここにいるのですか?

そうですね。理由はたくさんあるでしょう。多くの理由があって、それらは全てあなたの真実に含まれています。ただ、特に1つこれと言える理由があって、私はタイムトラベルをしていてそのことに気が付きました。たくさんの理由の中で際立ったものが1つあるのです。それについて説明しようと思います。

それに関して、ただそれについて考えるだけではなく、感じてほしいと思います。本当に感じてみてください。あなたの旅、それが今ここにいることにどう関係しているのかを。

あなたも他のどの魂を持つ存在も、その起源をウォール・オブ・ファイアまで遡ることになりますが、そのポイント、それ以降は、創造の全て、存在する全てのものは二元性のシステムによって司られています。

あなた、魂を持つ存在がその起源へと限りなく戻って近づく先、そこは光、闇、男性性、女性性、良い、悪い、上、下が存在します。全てが2つ ―陰、陽ですね― を基盤にしています。全てが、人間の惑星だけに限らず、創造の全てにその2つの要素があるのです。

今に至るまで、ソフトウェアのコードでさえ0と1で構成されているのは面白いと思いませんか? 二元性です。ソフトウェアのコードはやがて ―異なるものも多少はありますが、根本的には0と1とで出来ています― が、間もなく、それを超えていきます。量子コンピュータが現実に現れます。が、脱線、気が他へ向かわないように話を戻しますが、全ては二元性を基盤としています。

何年も何年も前のもので、あるいはこれはアーカイブから取り出して改めてフィーチャーされるべきだと思いますが、あるシャウドでの話です。何年も前、トバイアスが4種類の大理石について話したものです。白の大理石、黒の大理石、グレーの大理石が出てきました。(クリエイターシリーズ レッスン5、2000年12月9日)

まず、黒と白だけがありました。陰と陽、創造の全てにあるのと同じくして、あらゆる全てが白か黒だけでした。が、そこには我々がグレーと形容する別の大理石もありました。白と黒を行ったり来たりしているものがそれです。黒が優勢だと思えば黒に取り込まれ、白が勝ちそうなら白に付く、そうして行ったり来たりしているわけです。そしてそれは常に、バランスではなく、実際にはバランスの欠如を常に常に生んでいます。ただ、エネルギーがそれで動き続けているのも事実です。そうして行ったり来たりと変動しているのがグレーです。

グレーの大理石は単純に、白のアスペクトであり、黒のアスペクトでもあるだけのことです。それがその全てです。そして思い出せる限りのどのストーリーについて考えてみても、それが全ての有り様なのです。あなたにはあなたの黒いアスペクトがあり、そしてまた白いアスペクトがあって、そうしてその2つを行ったり来たりしているグレーのアスペクトがあるというわけです。とは言え、グレーとは依然として白と黒との二元性の中にあるものです。

そこに透明な大理石が現れます。全てがそれで震撼します。どうしても好きになれない存在です。白も黒も、どちらもそれを好きになれません。白黒それぞれが、透明の大理石に同盟を持ちかけます。が、透明の大理石は黒にも白にも与しません。そしてそうこうしているうちに、白と黒の大理石はやがて協力するようになっていきます。分かりますか、白も黒もお互いのことが好きではありませんが、こう言ったのです。「なあ、力を合わせようじゃないか。ワンネスと行こうや。ワンネスとなって、あの透明野郎という、新しい脅威を退けようじゃないか」

が、いくらワンネスとして統一をしようとしたところで、それがあり得ないのは明白でした。何故なら、片方がもう片方を出し抜こうとするからです。光は闇を出し抜きます。闇もまた光を出し抜きます。彼らは結局、元の2種類の大理石、二元性へと戻りました。そして依然として、新しい要素、透明な大理石を恐れています。その透明な大理石とは神性です。神性とはこれまでに知られた知性を遥かに超えた知性です。それがエッセネ派の聖杯によって運ばれたものなのです。だからあなたはここにいるのです。

今、この惑星、そして創造の中にある多くの場所にとって、二元性を超えていく時なのです。誰にもどうやればいいかは分かっていません。誰にも、どうやればいいかを分かっていないことさえ、分かっていません。ほとんどの人は二元性をそのまま受け入れています ―「ただそういうものだよ。全てに陰と陽がある。上があれば下もある。全てはそういう2軸でできてるんだ」と。

しかし、遥か遠い昔から「私たちが二元性を超えていく時がこの惑星にやってくる。私たちがそうする時、私たちが現れ始めた時、私たちがそれを人生で最初に行った時 ―それを惑星に押し付けるという話ではありませんよ― 透明の大理石が入って来られるという証明に私たちがなった時、神性は二元性の中に入って来られる。そこから放たれる光は創造の進んでいく道を変えるだろう。もう二元性の仕組みは不要になる」そう言っている大きなグループがいるのです。

それが今起こっていることなのです。私たちがここにいる理由なのです。それはコミットしていたことなのです。

あなたはそれを、あなただけでやらなければなりませんでした。他の誰かにやり方を教えることでそれをすることはできませんでした。あなたはそれを、あなたの経験の中で通り抜ける必要があったのです。あなたはあなたのものではないもの、そういうものを引き受けているわけにはいかなかったのです。

あなたには、自身が闇より優れていると考える、白い大理石の役を演じる必要がありました。そしてまた、あなたには、白い大理石がポイ捨てしている全てのガラクタを抱え込んだ黒い大理石の役を演じる必要もありました。あなたには、黒の大理石は邪悪で、白の大理石は善良で、白は脆く、黒は頑固で、といったふうに考えている必要がありました。それを全て自分自身としてやりました。あなたは、あなたではないもの、人類の、家族の、他の誰かのそういうものを受け入れました。あなたはそれを引き受けました。そうしてそれをあなたの中で分析しました。そのためにあなたが涙することもありました。苦しみました。深い深いところまで落ちていって、自分自身を見失いました。深く潜りすぎたせいで、あなたは他のあらゆるものに気を取られてしまいました。あなたがそれをしたのは、はい、あなたがここにいるためです。あなたは、惑星にこういう時が来る、あなた自身が二元性を超えて行く、その時が来ると分かってそれをしました。

あなたには、惑星が戦争か何か、そのようなものを経て、そこに到達するだろうと思っていました。そして目の当たりにしたのが、コロナウイルとそれに関連した出来事のあった昨年でした。あなたには、惑星が何かを通り抜ける必要があることが分かっていました。今年これまでの数日間で、それが物理的なものでも、単純な言葉によるそれであっても、それがサイキックなものであっても、暴力、攻撃を目にしてきたと思います。それは白、黒、両方の大理石からの攻撃です。彼らはあなたの神性、あなたの明晰さを彼らにとって脅威であり、敵であると見なしているが故なのです。

あなたはこれから、そういった騒動、暴力、大きな気逸らし、惑星規模での気逸らしが出てくるのを目にするでしょう。何故なら、闇は闇のままであることを望み、また光は光で、光のままでありたいと思っているからです。彼らは彼らの美徳を守りたいと思っています。が、もう二元性は終わりにする時です。惑星だけではなく、創造の全てにおいてそうするときです。二元性はその与えられた役割を果たしました。

それは ―ゲーム、とは言いたくないですね― エネルギー、魂、あなたの魂のした経験でした。そして今は、それより先に進む時です。そうすることは深呼吸と同じくらい簡単です。そうして何が起こっているかに気付き、それをまま受け入れることで、気を逸らされないでいればいいだけの話です。

だからあなたはここにいます。

この時にここにいること、あなたはそれをずっとずっと、ずっとずっと、ずっと、ずっと、遥か遥か遥か昔に決めたのです。ワンネスへは向かわず、Andに、たくさんに、向かうことを決めたのです。

二元性から、分かりますか、2つを1つにしたいと本当に思いますか? 思いませんよね。神性が真に願っているのは、全部がそれである、ということです。「私は私である全て」です。今起こっているのがそれなのです。

それが、地球にいるグループがそれ、静かに、個人的な深い体験として ―集団としての経験ではなく、個人的な経験として― それをする、そういうことが起こるであろう、そしてそれを通り抜けるグループとは、神性が入ることを受け入れるためにそこにいた人たちであろうということは、遥か昔、ティエンの寺院の時代にさえ分かっていました。そして今がその時です。

私たちは2021年にどんどん入っていきます。私たちは変化を通り抜けました。その前にあったこと、その全てを考えてみてください ―オーダー・オブ・アークの閉鎖。天使のファミリーの解散。起こった全てのこと、地球で起こった変化の全てを。今がその時なのです。だからあなたはここにいます。あなたは別に惑星のためにそれをしているわけではありませんが、しかし、これから起こることを見ていてください。

あなたはあなたのためにこれをしています。しかし、あなたから放射される光が二元性を超えてAndへと入った時に、それが地上をどう照らし、輝かせるのかを感じてください。

あなたのはそのためにいるのです。

他のもろもろについても、当然です ―リアライゼーション、自分自身を愛すること、世界中を旅して回る― そういったことも理由でしょう。そのどれもが「正解」です。しかし、あなたがここにいることで、私たちは二元性を背後に置いていけるのです。つまり、それで遊びたいと思ったならいつでも遊べるように置いていて、しかしそれはそれとして、Andの扉を開けようということです。

Welcome Back Merabh(おかえりなさい ミラーブ)

では少し音楽をかけて、今日2つ目のミラーブを行いたいと思います。さあ音楽をかけて、あと照明を調節してもらおうか。

(音楽、流れる)

分かりますか、おかしなことですが、あなたはこの話の全て知っています。あなたは、気の逸らされたその先で何かをします。あなたは何も知らないふりをします。うーん、センシュアルな感覚でもってそれを本当に感じてみたなら、この感覚はもう長い間、ずっとあったものだと分かるはずです。

二元性が悪い、そういう話ではありません。それはそういう生き方であったというだけです。それが生命の在り方でした。が、そろそろ誰かがそれを超えていってもいい頃ですね。

分かりますか、他の人々は、二元性に深く囚われています。二元性を守ってさえいると言えますね。彼らはそれを固く信じています。彼らはそれを置いて進んでいくことを恐れます。誰かがやらなければなりませんでした。天使のファミリーは終わらせる必要がありました。多くの物事がシフトし変化する必要がありました。で、今がパーフェクトなタイミングです。

機械の時代、タイムトラベルの中で降り立った中の1つであり、すぐにそうなることはありませんでしたが、私は2021年にも来ています。私は2021年に降り立ち、そこでシャーンブラに起こっていることを見ています。シャーンブラはまだ世界に影響を与えるまでにはなっていませんでした。そうなるまであと数年といった頃合いです。しかし私は、シャーンブラが二元性から外に出て、偉大なるAndへと入っていくのを目撃しました。陰と陽だけでなくてもいいのです。陰も陽もヤンもゴンもウォンもドンもフォンもソンも全部あっていいのです。陰と陽だけでなくてもいいのです。

古いシステムから出るというのは、心地の良いものではありません。が、誰かがやらなければならなかったのです。聖杯に入れられて運ばれてきたものがそれなのです。エッセネ派の奏でた音色です。ここへ到達するまでに数千年かかりましたが、来たのです。本当にその時が来たのです。

このミラーブで私がやりたいと思っているのは、実際に参加してもらうことです。分かりますか、こうして私たちは座っていて、たった今、何人がこのシャウドに参加しているのか分かりませんが。分かりません ―「分かりません」と言ってしまったかい?(リンダ、息を飲む)。私にも罰を頼むよ(彼ら、笑う)。いや、まずは話を終わらせないとね― 罰については後にしましょう。

私はこのシャウドに文字通りに何人いるか、何人が後になって観るのかをまだ計算し切れていません。全てのエネルギーをまだ感じ取れてはいないのです。何故なら、みなさんとここでやっていることだけで私のキャパはいっぱいです。いずれにせよ、私たちがこれを始めてからここに至るまでで、98.35%の人が途中でどこかへ行ってしまいました。

エッセネ派の時代、ヨシュアの時代から数えての話です。トバイアスが来て以降もそれなりに多くの人が去りました。出たり入ったりを繰り返している人もいます。私が来てさらに多くが出ていきました。彼らは私の荘厳さ、私のそういったものに耐えられなかったのかもしれません。そうですね。無論それはユーモアです。カウルドゥラは深呼吸のせいだと言っています。いずれにせよ私たちは多くの人を失いました。

彼らは別の何かに気を取られました。簡単にそうなります。人はすぐそうなります。

さあ、彼らを連れ戻しに行きましょう。彼らの首根っこを引っ張るのではなく、ただ彼らに伝えるのです。私たちがここにいることを彼らに知らせてやるのです。

さあ、彼らに知らせてあげましょう。ええ、あなただって、時に別の何かに向かいました。でもあなたは今、ここにいます。

さあ、大きく深呼吸をして、時のAndに入りましょう。

さあ、ヨシュアの時代に戻りましょう。みなさんは集いました。そして徐々に徐々に、その規模は小さく、小さくなりました。それはリスクの高いことでした。危険でした。そのせいで来るのをやめた人たちがいます。あるいは、ただスピリチュアルなもの、幸運を追い求めるだけの人たちもそうなりました。彼らは答えが全部お皿に盛り付けられて、どこか外部から運ばれてくることを望んでいました。彼らは、答えの盛られた皿を出さないみなさんに業を煮やして出ていきました。

多くの人たちがここへ至るまでに去りました。

教会に深く傾倒してそうなった人たちもいます。初期、教会の初期と言えるころには、クリスチャンの教会は特にそうですが、エッセネ派、ヨシュアからの伝統がまだそれなりに残っていました。教会が大きく歪み始めたのは A.D 380年以降のことです。

教会にいて気が逸れてしまった人たち、彼らは、その美しさ、神秘は、そうですね、人々に向けて説かれるべきだ、人々はそれを教えられるべきだ、そう感じて別の方へと進みました ―言い換えると、伝道師として外へ向かいました― ただ、何を伝道するにしても、常に反抗、反対する者が現れます。何故なら、外へ対して教えることは不可能だからです。出来ません。出来るのはただ待って、向こうからそれを求めてやって来る場合だけです。もしそうなら、聖杯に何が入っているかを見せてあげればいいのです。

多くの人たちが、多くの方向へ道を逸れていきました ―愛、富、幸運などです。陰謀論に向かった人たちも存在します。チッ、チッ、チッ! 陰謀論はある意味では楽しいですが、完全なる行き止まりへと続く道です。間違いなくそうです。

さあ、そういった彼らに知らせてあげましょう。何故って、彼らはずっと私たちの家族です。彼らはずっとここの一部だったのです。外へ迷い出た人にも、怒りをぶちまけて去った人にも、私たちがここにいることを伝えましょう。さあ、彼らに、彼らの帰りは歓迎されていると伝えましょう。

何も判断せず、何も言わず、笑顔とハグで迎えるのです。

ええ、本当にたくさんの人たちが外にいます。

分かりますか、実際、彼らはずっとこれを待っていました。彼らは、戻る時だという知らせを待っていました。

彼らはあなたがやり遂げたということを知りたがっていました。それがリアルで、私たちにはこの惑星の物性も、物理的な宇宙全体も、それも超えて、二元性を超えていく、その準備が出てきたことを、ただ知りたいと思っていました。実際、どう二元性は超越されるのでしょうかね? そうですね、神性が真に統合されればそうなります。

さあ、大きく深呼吸をして、おかえりなさいを、、、

気が逸れてしまった全ての人へ。

拒絶されたと感じて去った全ての人へ。

自分はもっと進んでいる、そう感じて去った全ての人へ。そうして真実を忘れてしまった全ての人へ。

裏切られたと感じて去った全ての人へ。

もっと早い回答を望んで去った全ての人へ。

人類、意識が追いついてくるのを待つのに飽いた全ての人、その時が来るのを待てなかった全ての人へ。

哲学的になり過ぎた全ての人へ。

他者の光になることよりも、自身のために栄光を得たいと思った全ての人へ。

真実の中にパワーを求めて去った全ての人へ。

信じることを馬鹿にされ、またそれで拷問された全ての人へ。

おかえりなさい。

戻ってこようとしている全ての人に伝えます。私も含めて、脇道へそれなかった者は1人もいません。

私たちは時に傲慢でした。私は特にそうでした。

私たちは激しく自分を疑いました。

エッセネ派のみなさん、騎士のみなさん、牧師のみなさん、ナンのみなさん、おかえりなさい。

孤独な鳥たちよ、おかえりなさい。

哲学者、思想家のみなさん、おかえりなさい。

あなたも、シャホアーンヴァラアとして知っているこのグループに、おかえりなさい。

私たちは今日、ここにいます。

ここは2021年。私たちは二元性を超えていきます。

私たちは、これこそが経験だ、というものを目にします。私たちはそれぞれ自身の中でそれをします。私たちは創造の全てに対して、壮大なる可能性の光を放出することを、自らに許します。

さあ、大きく深呼吸をしてください。おかえりなさいのミラーブです。

大きく深呼吸をしてください。

で、あなたは何故、ここにいるのですか?

それに対する答えは多数あります。が、しかし、本日の正解としては、二元性を超える時だから、ですね。

私たちの神秘の1つです。初期のころから願っていたことなのです。私たちが光と闇を超えていく、ワンネスに戻るのではなく、壮大なAndに入る時、そういう時がやって来ると。

さあ、大きく深呼吸をしましょう。シャーンブラのみなさん、常に常に、創造の全ての中で、その反響を感じてください。私たちがやっていることを感じてください。あー、あなたは創造の全てに何かをしているわけではありませんが、創造の全てに影響を与えているのです。

そしていつもいつも覚えていてください。賭けてもいいです、創造の全てにおいて全ては正しい。

親愛なるシャーンブラのみなさん、ありがとう。そしておかえり。

翻訳: Ito Satoshi


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