1997年、飛行中の旅客機のなかで、トバイアスが私のところに現れるまで、私はトバイアスのことを聞いたこともありませんでした。その後、何か月もたってから、やっと、彼がだれなのか、どこからやってきたのかを知りました。
トバイアスとの対話をはじめた最初のころは、コミュニケーションがあいまいになることもありました。遠く離れたラジオ局からの電波のように、メッセージはよく聞きとれなくなったり、私の思考による妨害を受けたりしました。ある日、私はたずねました。「トバイアス、あなたはいったい誰なのですか」彼のこたえは単純でしたが、私を混乱させました。「聖書のなかに書かれています」と彼は言いました。私の聖書についての知識は限られたものではありましたが、トバイアスのことは、読んだ記憶も聞いた記憶もありませんでした。
私は、国際ギデオン協会の旧約聖書と新約聖書のページを繰って、トバイアスをさがしましたが、みつかりませんでした。友人にたのんで、ノートパソコンの聖書プログラムでトバイアスを検索してもらいさえしましたが、それでもだめでした。トバイアスの存在が疑わしくなってくるにつれて、私は、頭のなかのこの声は本当はだれなんだろうと思いはじめました。
いらだちが最高潮に達したころ、ついにトバイアスの物語がみつかりました。トバイアスは、「かつては」聖書のなかに書かれていたと言うのを忘れていたのです。トビト記は、1546年にトレント公会議で教会によって削除された聖書外典、つまり聖書の「失われた書物」のなかにありました。
カトリックの古い聖書には、トビト記をまだ含んでいるものがあることを、私はのちに発見しました。トバイアスをみつけて私はよろこび、聖書から追い出された存在と話す栄誉をになったことを愉快に思いました。
トバイアスは、トビト記の主要な登場人物のうちのひとりです。背景となる時代は、紀元前700年から紀元前600年のあたりです。トビト(トバイアス・シニア)は、ナフタリ族の家系に属するヘブライ人で、捕囚としてニネベに住んでいました。ユダヤ教の敬虔さの信条にしたがって、トバイアスは、処刑された同胞のイスラエル人の死体を埋葬していました。
つまりトバイアスは、元祖グレイトフル・デッド(感謝してる死者)のひとりだったという見方もできるわけですね。
ある日、死者を埋蔵したあとで、雀のあたたかいフンが落ちてきて、トバイアスの両眼にはいり、彼は失明してしまいます。貧乏になる寸前のところで、トバイアスは、むかしメディア地方ラゲスで銀を預けたことがあったのを思い出しました。彼は、預けていた銀をとりもどすために、息子のトバイアス・ジュニアを、同伴者といっしょに使いに出しました。この同伴者は、イスラエル人を装っていましたが、じつは大天使ラファエルだったのです。
旅の途中、トバイアス・ジュニアは、チグリス川で足を洗っているとき、大きな魚にあやうく呑みこまれそうになりました。ラファエルはトバイアスに、その魚をつかまえて、胆のうと心臓と肝臓をとりだすように言いました。心臓と肝臓の煙は、悪魔を追いはらう力をもち、胆のうからつくった軟膏は、盲目を治すということを、ラファエルは若いトバイアスに教えました。
その後、ラファエルと若いトバイアスは、トバイアスの家系に属するラグエルが住む(ペルシャの)エクバタナに立ち寄ります。ラグエルの娘サラは、それまでに7回結婚したことがありましたが、相手の男たちはすべて、初夜の床に入るやいなや、悪魔アスモダイによって殺されていました。ラファエルの助言により、トバイアスはラグエルの娘との結婚を願い出ました。例によって、アスモダイは、トバイアス・ジュニアを殺すために初夜の床に現れました。この悪魔は、サラと恋に落ちていて、サラも悪魔を愛していたからです。しかし、若くて勇敢なトバイアスは、魚の肝臓と心臓が燃えるにおいによって、アスモダイを追いはらいました。
ラファエルはラゲスに行き、預けていた銀をもって戻ってきました。トバイアスは、若い妻とラファエルといっしょにニネベに戻り、魚の胆のうを父の目に塗って、父の視力を回復させました。ラファエルは、その後、神の七人の天使のひとりであることを明らかにし、天に昇っていきました。
聖書外典のトビト記を読み、次に、それが小説化されたものを、フレデリック・ビュークナーの『On the Road with the Archangel』で読んだあとで、私はトバイアスに、その物語が事実かどうかをたずねました。「そういうわけではありません」というのが彼のこたえでした。「一部はほんとうに起きたことですが、しかしこれは寓話にほかなりません。これは恐れについて、そして恐れを乗り越えることについての物語なのです」
その数年後に、ワークショップのなかでトバイアスは、この恐れの物語について説明し、大天使ラファエルは恐れの天使だということ、そして、恐れに直面し、愛と誠実さと勇気の徳をもって恐れを通り抜けようとするすべての人が、大天使ラファエルのエネルギーを利用することができるということを、聴衆に向かって話しました。したがって、内なる恐れや外なる恐れに直面した多くの人々の物語であるトビト記のなかで、大天使ラファエルが中心的な役割を果たしているというのは、とても適切なことなのです。
私が対話している、とても愉快で愛すべき存在であるトバイアスは、自分はトバイアス・シニアだったと言い、そしてその人生のなかで私のことを、彼の息子である若いトバイアスとして知っていたと言いました。
トバイアスが言うには、地球上での彼の最後の人生は、イエス・キリストが生きた時代の少し前だったということです。そのとき彼は、地主であり商人でもありました。地方政府の役人に取り入っていた強欲な隣人が、彼を牢獄に入れさせ、彼はそこで残りの人生を過ごしたそうです。トバイアスによれば、これは彼にとって最も苦しく、しかし最も得るところの多い人生でした。牢獄のなかで彼は、彼のスピリットを人質にとっていた、人間的な障害や壁を解放することを学びました。
トバイアスが語るところによれば、彼の独房の窓辺に、毎朝、美しい鳥がやってきて、自由と生命をたたえる歌をうたいました。最初、トバイアスは、一人きりで苦しむのを妨げるその鳥に腹をたて、追い払っていたそうです。ある日、彼が死ぬ少しまえに、その鳥が窓辺にやってきて歌い、トバイアスは、それが美しい鳴き声の鳥をはるかに超えたものであることに気づきました。
それは、「あちら側」に戻ってくるよう彼に求めるためにやってきていた、大天使ミカエルでした。大天使はトバイアスに、大きな変化が地球にやって来つつあると告げました。そして、地球にとどまる人たちを援助するために、人間の道を歩んだことのある賢明で聖なる魂が、あちら側で必要とされていると言いました。トバイアスは人間の姿を離れることを選択し、それ以来、地球に戻ってきていません。大天使ミカエルが告げた変化とは、仏陀からはじまり、イエスによって強化され、モハメットやそのほかの多くの預言者や聖者によって引き継がれた、私たちのなかのキリスト意識の目覚めのプロセスを指しています。
現在、トバイアスは、天界の領域の存在たちとともに、私たちへの助言や援助をつづけています。トバイアスが言うには、彼らが私たちの代わりにやることはできません。私たちは自分自身の旅と神性に責任をもつ必要があるのです。しかし彼らは、ガイダンスや、友情、サポートを求められれば、いつでも応じることができるということです。ですから、トバイアスはよくこう言っています。
「あなたは決して一人きりではありません」